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エステル記

周りの人の利益のために働く

エステル記10章には、アハシュエロス王とモルデカイの偉大さが描かれています。特に私の心を打つのは、3節です。

それはユダヤ人モルデカイが、アハシュエロス王の次に位し、ユダヤ人の中でも大いなる者であり、彼の多くの同胞たちに敬愛され、自分の民の幸福を求め、自分の全民族に平和を語ったから、自分の全民族に平和を語ったからである。(エステル記10:3)

多くの人々は、特権を得るためにリーダーになりたいと考えます。彼らは人に仕えられることを望みます。

もちろん、モルデカイは特権を得ましたし、人に仕えられました。しかし、彼にとって「リーダー」というのはもっと深い意味を持っていました。

つまり、本当のリーダーは人に仕えるのです。本当のリーダーは自分の利益だけを求めず、周りの人々の利益を求めるのです。本当のリーダーはその人々の世話をするのです。

エステル記4章には、モルデカイがエステルにそのように教えた記述があります。また、リーダーとしてモルデカイはそのように生きていました。

あなたはどうでしょうか。夫として、親として、教師として、上司として、リーダーとして、どのように生きていますか。自分のために生きていますか。周りの人々にあなたを尊敬するよう求めていますか。

それとも、周りの人々の利益のために働いていますか。

モルデカイは自分の民の幸福を求め、自分の全民族に平和を語ったことで尊敬されました。

私たちは周りの人々に尊敬を自分から要求することはできません。もし尊敬されたいのであれば、それを得るために行動しなければなりません。

もし、イエス様のように彼らを愛し、彼らの世話をするならば、その尊敬を得ることができるでしょう。

パウロはこう書きました。

何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。自分のことだけではなく、他の人のことも顧みなさい。(ピリピ2:3-4)

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エステル記

神様の慈しみを祝う

祝宴。喜び。祝い。

この箇所では、何度もこれらの言葉を目にします。なぜなら、ユダヤ人が自分たちを敵から自衛した後、その救いと勝利を祝ったからです。

そして、モルデカイとエステルは、イスラエルの歴史で初めて、モーセの律法によって要求されていない祭りを始めました。それがプリムという祭りです。その祭りを説明するとき、彼らはこう言いました。

また、この両日は、代々にわたり、すべての家族、諸州、町々においても記念され、祝われなければならないとし、これらのプリムの日が、ユダヤ人の間で廃止されることがなく、この記念が彼らの子孫の中でとだえてしまわないようにした。(エステル記9:28)

私たちはこの話から何を学ぶことができるでしょうか。それは、私たちが神様の祝福と慈しみを決して忘れてはいけないということです。また、次の世代に神様の御業を伝えるべきだということです。

多くの場合、私たちが祈ると、神様はその祈りに応えてくださいます。私たちは感謝しますが、すぐにその祝福を忘れてしまうことがあります。

モルデカイとエステルは、ユダヤ人がその祝福を忘れることを望みませんでした。だからこそ、その新しい祭りを始めました。

同じように、神様があなたを祝福された時には、そのことを決して忘れないでください。例えば、その祝福について日記を書くのも良いでしょう。

または、祈りのリストを作ることもできます。そのリストがあれば、神様がどのように答えてくださったのかも記録してください。

そして、例えば、クリスマスの時、そのリストや日記を振り返り、何が書かれているかを読み返し、もう一度神様に感謝しましょう。そして、子供たちに神様がしてくださったことを教えるのも大切です。

けれども何よりも、イエス様がこの世に来て、私たちの罪のために死んでくださったことを思い出し、感謝しましょう。イエス様の働きを当たり前のこととして考えるのは簡単ですが、イエス様は私たちのために本当に高い代価を払われました。

だからこそ、特にクリスマスやイースターの時に、あなたの救いを喜び祝いましょう。しかし、それらの日だけでなく、一年を通して祝い続けましょう。

ダビデはこう書きました。

主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。(詩篇118:1)

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エステル記

私たちを守ってくださる神

この箇所では、本当に劇的なシーンが描かれています。エステルは王に自分の国籍を告白し、ユダヤ人の命を請いました。

おそらく、その時点でエステルの恐れはほとんど消えていたのでしょう。それは、王がエステルに好意を示し、すでに2度こう言っていたからです。

あなたは何を願っているのか。王妃エステル。それを授けてやろう。何を望んでいるのか。王国の半分でも、それをかなえてやろう。(エステル記5:6,7:2)

それでも、彼女は王がまだハマンの計画を支持しているかどうか疑っていたかもしれません。

だからこそ、おそらく彼女が自分の民に迫っている危険について伝えた時、王の反応を聞いてほっとしたのでしょう。王は怒りながらこう言いました。

そんなことをあえてしようとたくらんでいる者は、いったいだれか。どこにいるのか。(7:5)

エステルがハマンの名前を口にした時、彼はショックを受けました。そして、突然彼は理解しました。「エステル女王はユダヤ人だ。」

王もそのことをすぐに理解しました。怒った王は、気持ちを落ち着けるために宮殿の園へと出て行きました。

その間に、ハマンは自分の命が危険にさらされているのを察し、エステルに近づいて命乞いをしようとしました。

けれども、エステルはハマンの意図を誤解した可能性があります。なぜなら、彼はユダヤ人の敵だったからです。それに、ペルシャの慣習では、男性が7歩以内に女王へ近づくことは禁じられていました。それでも、ハマンはエステルのすぐそばまで来ました。

ちょうどその瞬間、王が部屋に戻り、王もハマンの意図を誤解しました。おそらく、エステルの恐怖に満ちた表情を見た王は、激怒してこう叫びました。

私の前で、この家の中で、王妃に乱暴しようとするのか。(7:8)

その時、王のしもべの一人が王に申し上げました。

ちょうど、王に良い知らせを告げたモルデカイのために、ハマンが用意した高さ五十キュビトの柱がハマンの家に立っています。(7:9)

それを聞くと、王は答えました。

彼をそれにかけよ。(7:9)

その後、エステルはモルデカイを王のもとに連れて行き、王はモルデカイにハマンの立場を与えました。

エステルは再びユダヤ人の命を請いました。しかし、王はその律法を取り消すことはできませんでした。(たとえ王であっても、ペルシャの律法に従うべきでした。)

そこで王はエステルとモルデカイに新しい律法を作る許可を与えました。つまり、ユダヤ人には自衛する権利が与えられたのです。

ある学者は、その命令を日本語に翻訳しました。

つまり、

その中で王は、どこの町にいるユダヤ人にも、自分たちのいのちを守るために集まって、彼らを襲う民や州の軍隊を子どもも女たちも含めて残らず根絶やしにし、殺害し、滅ぼすことを許し、また、彼らの家財をかすめ奪うことも許した。(8:11)

それが正しい翻訳なら、その意味は、「ユダヤ人を襲う子供と女たちがいたら、彼らも殺されます」ということです。

しかし、おそらくその意味は、

その中で王は、どこの町にいるユダヤ人にも、自分たちのいのちを守るために集まって、彼ら(子どもも女たちも含めて)を襲う民や州の軍隊を残らず根絶やしにし、殺害し、滅ぼすことを許し、また、彼らの家財をかすめ奪うことも許した。

そのように書かれた英語の翻訳もあります。

その律法によって、ユダヤ人は彼らを襲う者の家財をかすめ奪うことも許されましたが、おそらく、敵がユダヤ人を襲わないように、その部分が記載されていたのでしょう。実際、ユダヤ人はそのことをしませんでした。(9:16)

ある人々は、ハマンの息子たちを柱にかけるエステルの願いを批判します。(9:13)けれども、実際には、その息子たちはユダヤ人を攻撃し、その時に彼らは殺されました。(9:5-10)

ですから、その死体が柱にかけられたのは、ユダヤ人の敵に警告するためでした。

私たちはこの話から何を学ぶことができるでしょうか。

一つ目は、王が立ち上がってエステルとその民を守ったように、神様も立ち上がって私たちを守るということです。

サタンが私たちを滅ぼそうとする時、神様は私たちを見捨てません。むしろ、神様は私たちのために戦い、その敵を倒されます。それは私たちに対する神様の愛です。

二つ目は、王がユダヤ人の味方であったものの、ユダヤ人はそれでも戦わなければならなかったことです。

同様に、神様が私たちの味方ですが、私たちにも霊的な戦いがあります。そのため、毎日私たちは霊的な鎧を身につけなければなりません。(エペソ6:10-18)

ですから、攻撃されても勇気を持ってください。神様は私たちと共におられます。もうすぐクリスマスです。そして、イエス様の名前はインマヌエルです。つまり、「神様は私たちと共におられる」という意味です。

だから、神様の鎧を身につけ、信仰の戦いを勇敢に戦いましょう。(第一テモテ6:12)

イエス様の働きによって、私たちはすでに勝利したことを常に覚えておきましょう。

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エステル記

確率をコントロールする神

ハマンはいつユダヤ人を殺すのが良いかを知るために、くじを投げました。(3:7)

ところが、その後、神様はハマンの計画に干渉されました。

エステルの宴会から帰る時、ハマンは本当に喜んでいました。なぜなら、彼と王以外にはその宴会に誰も招待されなかったからです。それに、エステルは何か願いがあるように見えましたし、彼女はハマンの高い地位を認め、ハマンの助けを求めているように思えたからです。

けれども、帰る途中で、ハマンは再びモルデカイを見ました。そして、モルデカイがハマンの計画を知っているのに恐れを示さず、依然としてハマンを敬っていなかったのです。

そこで、ハマンは家族の助言に従い、翌朝に王にモルデカイを殺す許可を求めることに決めました。

しかし、偶然にもその夜、王は眠れませんでした。だから、たまたま彼は、

記録の書、年代記を持って来るように命じ、王の前でそれを読ませた。(エステル記6:1)

その時、王はモルデカイがどのようにして自分の命を救ったかを思い出しました。そして、その話を聞いたとき、王は尋ねました。

このために、栄誉とか昇進とか、何かモルデカイにしたか。(6:3)

でも、王のしもべは答えました。

彼には何もしていません。(6:3)

たまたまハマンは宮殿に到着したところでした。ハマンはモルデカイを殺す許可を求めようと考えていましたが、彼が話す前に、王が言いました。

王が栄誉を与えたいと思う者には、どうしたらよかろう。(6:6)

ハマンはそれを聞いて、このように考えました。

王が栄誉を与えたいと思われる者は、私以外にだれがあろう。(6:6)

だから、ハマンは最高の報いを思いつきました。そして、王はハマンに言いました。「なるほど、良い考えだ。モルデカイのためにそうしなさい。」

そのため、ハマンは一日中モルデカイを町の広場に導き、こう叫びました。「王が栄誉を与えたいと思われる人はこのとおりである。」(6:9)

もちろん、ハマンは本当に恥ずかしかったでしょう。

私たちはこの話から何を学ぶことができるでしょうか。

この話の中には、多くの「偶然」が登場します。けれども、それは本当に偶然だったのでしょうか。私の言葉を借りるなら、それは「Godincidences」だと思います。つまり、それは神様が行った出来事なのです。

神様は時間と空間に介入して、ご自身の目的を果たすために人間の計画に干渉されました。

神様は王を眠れなくされました。

記録の書を読んでもらうという考えを王に与えられました。

そして、ちょうど良いタイミングでハマンを宮殿に導き、モルデカイの命を救い、ハマンを低くされました。

神様はエステルの時代に働かれました。そして、私たちの時代にも働いておられます。神様にとって、偶然は全くありません。

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エステル記

勇気

時々、私はモルデカイとエステルを批判しますが、彼らが持っていた尊敬すべき特徴は、その勇気だと思います。

あなたは、モルデカイがハマンにひざをかがめてひれ伏さないという決断に賛成できないかもしれませんが、その決断には大きな勇気が必要でした。なぜなら、彼は王の家来たちから多大なプレッシャーを受けていたからです。

さらに、モルデカイはエステルにも勇気を持つように励ましました。

エステルは、モルデカイが荒布をまとい、灰をかぶり、大声でひどくわめき叫んでいることを聞くと、自分のしもべを送って、モルデカイがなぜ泣いているのかを尋ねました。

モルデカイはその状況を説明し、エステルに王にあわれみを求めるように頼みました。

けれども、問題がありました。彼女は一ヶ月ほど王に全く会っていませんでした。その理由は分かりません。おそらく、彼は戦争の計画で忙しかったのかもしれません。

あるいは、彼は別のそばめと時間を過ごしていたのかもしれません。

とにかく、エステルは長い間王に会っていませんでしたし、王が自分と話したいのかどうかも分からなかったのです。

私の想像ですが、エステルの心に疑いが浮かんだかもしれません。「王は私の国籍を知っただろうか。私を殺すためにハマンの計画に同意したのだろうか。」と思い始めたかもしれません。

ペルシャの律法によれば、招待されずに王に会うことは禁止されていました。もし王が手に持っている金の笏をその人に差し伸べなければ、その人はすぐに殺されました。

ペルシャの歴史によれば、手紙を送り、王に会うことを頼む人もいました。けれども、エステルにはそのような自信はありませんでした。

そのため、エステルは王と話すことをためらいました。しかし、モルデカイはこう答えました。

あなたはすべてのユダヤ人から離れて王宮にいるから助かるだろうと考えてはならない。もし、あなたがこのような時に沈黙を守るなら、別の所から、助けと救いがユダヤ人のために起ころう。しかしあなたも、あなたの父の家も滅びよう。

あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、この時のためであるかもしれない。(エステル記4:13-14)

それは本当に厳しい言葉でした。それでも、いつものようにエステルはモルデカイの言葉を受け入れ、その指示に従いました。

彼女はこのメッセージを送りました。

行って、シュシャンにいるユダヤ人をみな集め、私のために断食をしてください。三日三晩、食べたり飲んだりしないように。私も、私の侍女たちも、同じように断食をしましょう。

たとい法令にそむいても私は王のところへまいります。私は、死ななければならないのでしたら、死にます。(6)

以前言ったように、エステル記を批判する人もいます。なぜなら、エステル記には「神様」や「主」という言葉が全く出ていないからです。

それはそうかもしれませんが、エステルと他のユダヤ人たちが断食する際には、きっと彼らは神様の恵みを求めていたのだと思います。

そして、神様はその祈りに応えられました。

エステルが王に近づいた時、彼女はおそらくとても緊張していたと思います。けれども、王はエステルを見ると、その金の笏を彼女に差し伸べました。それがユダヤ人の救いの始まりでした。

私たちはこの箇所から何を学ぶことができるでしょうか。

時々、私たちは辛い状況に直面し、勇気が求められることがあります。

時々、エステルのように、私たちは厳しい言葉を聞き、正しいことを行うようにチャレンジされます。

しかし、何もしない方が楽です。そのために、私たちはいろいろな言い訳をします。時には、その言い訳はもっともなものだと思うこともあります。

けれども、本当の勇気とは、辛くても神様の言葉に従うことです。エステルの場合、王に近づくことで殺される可能性がありました。

彼女は王が何をするか全く分かりませんでした。それでも、エステルは神様を信頼し、自分の人生を神様の手に委ねました。

私たちが神様に従う時、結果がどうなるか分かりません。時には、私たちの人生がさらに辛くなることもあります。

イエス様は完全に天の父の御心に従われたのに、からかわれ、鞭で打たれ、十字架で殺されました。また、多くのイエス様の弟子たちも神様の御心に従いましたが、彼らも命を奪われました。

しかし、モルデカイが言ったように、神様の計画を果たすために、神様は私たちを今の状況に置かれました。

だから、何が起こっても、エステルのように神様に従いましょう。

イエス様はこう言われました。

だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。

自分のいのちを救おうと思う者は、それを失い、わたしのために自分のいのちを失う者は、それを救うのです。(ルカ9:23-24)

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エステル記

二人の高ぶる者

皮肉なことですが、昨日私はモルデカイを誉めました。それは、彼が王を尊敬していたからです。けれども、今日はモルデカイを批判します。

なぜでしょうか。それは、モルデカイのプライドと頑固さのせいで、彼がハマンを尊敬しなかったからです。エステル記3:3では、こう書いてあります。

[ハマンに対して]モルデカイはひざもかがめず、ひれ伏そうともしなかった。

どうしてでしょうか。聖書にはモルデカイの言い訳は書かれていませんが、私たちは想像することができると思います。

ハマンを神様のように礼拝したと考える人もいます。私はそうは思いません。なぜなら、アハシュエロス王が人々にハマンにひざをかがめてひれ伏すように命じたからです。

アハシュエロス王は人々に自分を神様として礼拝することを要求しなかったのに、人々にハマンを神様として礼拝するように命じたでしょうか。それはあり得ないと思います。

さらに後で、モルデカイはアハシュエロス王の次の位につきました。けれども、もしモルデカイが王にひざをかがめてひれ伏さなかったとしたら、おそらく彼はその地位を得ることができなかったでしょう。

それでは、どうしてモルデカイはハマンにひざをかがめてひれ伏さなかったのでしょうか。

モルデカイの家系を見ると、彼はサウル王の子孫でした。神様はサウルにアマレク人とその王アガグを殺すように命じられました。なぜなら、アマレク人はいろいろな酷い罪を犯していたからです。

例えば、イスラエル人が沙漠を越えた時、アマレク人は疲れた弱い人々を攻撃して殺しました。

ところが、サウルはその命令に完全には従いませんでした。そのため、神様は王国をサウルから取り去られました。(第一サムエル記15章)

その時からユダヤ人とアマレク人の間には悪意がありました。特に、サウルの子孫とアマレク人の間には悪意がありました。

おそらくそのために、モルデカイはハマンにひざをかがめてひれ伏したくなかったのでしょう。つまり、プライドのためにそうしたくなかったのです。

それでも長い間、ハマンはモルデカイのことに全く気づいていませんでした。(おそらく、彼の鼻があまり高くて、周りのことにほとんど気づいていなかったのでしょう。)

けれども、王の家来たちがハマンにモルデカイのことを伝えると、ハマンは本当に怒りました。そして、ハマンはモルデカイがユダヤ人であることを知ったため、モルデカイだけではなく、すべてのユダヤ人を殺そうと思いました。

ハマンはそのプライドによってその決断をしました。しかし、そのプライドは結局ハマンを没落に導きました。

モルデカイはそのプライドによってハマンを尊敬しませんでした。しかし、もし神様がユダヤ人を救わなかったとしたら、そのプライドのせいでユダヤ人は皆殺しにされていたでしょう。

モルデカイがそのニュースを聞いて泣いた時、そのことについて考えたのでしょうか。彼は自分のプライドを後悔したのでしょうか。(4:1)

あなたはどうでしょうか。何によってあなたは決断をしますか。聖霊とその御言葉はあなたの行動を導くでしょうか。それとも、あなたのプライドがあなたの行動を導くのでしょうか。

私たちのプライドが私たちの人生を支配するなら、私たちは没落に導かれます。

どれほど多くの結婚がプライドによって壊れてしまうでしょうか。

どれほど多くの他の人間関係がプライドによって破壊されるでしょうか。

どれほど多くのキャリアやミニストリーがプライドによって失われるでしょうか。

だからこそ、謙遜になることを学びましょう。神様の前に謙遜に生きましょう。また、周りの人々の前に謙遜に生きましょう。

ヤコブはこう書きました。

神は、高ぶる者を退け、へりくだる者に恵みをお授けになる。(ヤコブ4:6)

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エステル記

権威のある人を尊敬する

昨日のブログを読んだ方は、私がエステルとモルデカイをあまり尊敬していないと思われるかもしれません。けれども、実際には、私は彼らを本当に尊敬しています。

彼らのすべての決断に同意するわけではないかもしれませんが、彼らは本当に素晴らしい性格を持っていたと思います。アブラハムやダビデ、パウロのように、時々彼らは誤った決断をしたことがありましたが、それでも彼らは神様を心から愛していたと思います。

この箇所では、私たちはモルデカイの性格を伺うことができます。彼は王を暗殺する計画を耳にしたため、エステルに警告しました。その警告によって、悪者たちが捕らえられました。

モルデカイはアハシュエロス王についてどのように考えていたのでしょうか。モルデカイは、以前の女王に対するアハシュエロスの態度を知っていただけでなく、すべての女性に対する彼の態度も知っていました。(その「女王のコンテスト」の時、アハシュエロスは何人と寝たのでしょうか。)

さらに、アハシュエロス王は神様を恐れていませんでしたし、世の歴史書によれば、彼は平和を愛する人物でもありませんでした。

それにもかかわらず、暗殺者とは異なり、モルデカイは王の地位を尊重しました。したがって、暗殺計画を耳にしたとき、彼はすぐにエステルにそのことを警告しました。

モルデカイは王の命を救いましたが、その後も長い間、王は彼に報酬を与えませんでした。それでも、モルデカイは苦々しい心を抱きませんでした。彼にとって最も重要だったのは、権威のある人物を敬うことでした。

ペテロはこう書きました。

すべての人を敬いなさい。兄弟たちを愛し、神を恐れ、王を尊びなさい。(第一ペテロ2:17)

時々、私たちは権威のある人が私たちの尊敬に値しないと思うことがあります。そのため、私たちの大統領や総理大臣、または上司について文句を言うことがあります。

しかし、神様は私たちが彼らを尊敬するように命じられています。それはなぜでしょうか。パウロはこう書きました。

人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられたものです。(ローマ13:1)

つまり、神様の御心によって彼らが権威を持つので、あなたが神様を恐れるなら、その人々を尊敬すべきです。

あなたはどうでしょうか。権威のある人を尊敬して従うことができるでしょうか。それとも、尊敬しにくいと感じる人がいるでしょうか。

もちろん、その人を尊敬できるなら、従うことは簡単です。しかし、あなたが神様を恐れるなら、神様はその人に従うように命じられます。

それは難しいことかもしれません。それでも、神様を恐れて、権威のある人を尊敬し、従いましょう。

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エステル記

神様の心に従い、用いられているでしょうか

私が読んだエステル記を解説する本によれば、エステル記について疑問を抱く人もいるそうです。

一つの理由は、エステル記で「神様」や「主」という言葉が全く出てこないということです。

どうしてでしょうか。もしかすると、この本がペルシャ人に対して、ユダヤ人がプリムの祭りをどのようにしてお祝いするかを説明するために書かれたのであり、ペルシャ人が宗教的な事柄に特に興味を持っていなかったからだと考えられます。

もう一つの理由は、神様はエステルの事情の中で全く働かれなかったという説明です。むしろ、ユダヤ人は神様を頼ることなく、自分たちの力と知恵によって行動しました。

そのような考え方は伝道者の書にも見ることができます。また、サウルやアブラハム、イサク、ヤコブも時々そのように生きました。

とはいえ、エステル記を読むと、私は神様が確かにその事情の中で働かれたと考えます。ただ、神様がエステルやモルデカイのすべての行動に同意されたかどうかは、私は断言できません。

2章を読む時、私はいろいろな疑問を持ちます。

例えば、エステルは自主的に「女王のコンテスト」に参加したのでしょうか。彼女には選択肢があったでしょうか。

それともモルデカイがエステルにそのコンテストに参加するように勧めたのでしょうか。もしそうなら、本当に悪い決断だったと思います。

なぜなら、神様はユダヤ人が偶像礼拝をしている人々と結婚することを禁止されているからです。このことはエズラ記やマラキ書に書かれています。

さらに、エステルは女王にならなくても家に帰ることができませんでした。むしろ、彼女が王と一夜を共にした時点で、彼女はその後王のそばめになりました。しかし、たぶん彼女はもう王と会うことはなかったでしょう。

もしエステルが自主的にそのコンテストに参加していたなら、神様の律法に基づけば、それは罪だったと言えるでしょう。

もしエステルが自主的に参加していなかったとしたら、どうしてモルデカイはエステルに自分の国籍を隠すように命じたのでしょうか。

その時代、ユダヤ人は迫害されていませんでした。エズラ4:6によると、ある人々がアハシュエロスに告訴状を送り、ユダヤ人を非難しましたが、彼は何もしなかったようです。

また、エステル記全体を読むと、アハシュエロスがユダヤ人を憎んでいなかったことがわかります。

では、どうしてエステルは国籍を隠したのでしょうか。私はわかりませんが、たぶんモルデカイはペルシャ人がエステルの国籍を知ったら、彼女が女王になれないと考えたのではないでしょうか。

しかし、もしそれが真実だったとしたら、それは良いことだったのではないでしょうか。もし彼女が正直に国籍を明かしていたら、アハシュエロスに会う前にエステルは家に帰されていたかもしれません。

あなたはこう言うかもしれません。「でも、エステルが女王にならなかったら、ユダヤ人は殺されてしまったでしょう。」

けれども、以下の二つのことを心に留めてください。

一つ目は、4章でモルデカイがエステルにこう言ったことです。

もし、あなたがこのような時に沈黙を守るなら、別の所から、助けと救いがユダヤ人のために起ころう。(エステル記4:14)

もしエステルが女王にならなかったとしても、モルデカイの言葉は依然として真実だったと思います。神様は別の方法でユダヤ人を救われたことでしょう。

二つ目の理由として、もしハマンがエステルがユダヤ人であることを知っていたなら、ユダヤ人を殺す計画を立てたでしょうか(エステル3章)。きっとそうはしなかったと思います。

ここで私が言いたいのは次のことです。私たちが神様の心に従っているからこそ、神様は私たちを用いられるのでしょうか。それとも、私たちが悪い決断をしてしまったとしても、神様は私たちを用いられるのでしょうか。

もちろん、神様は働かれてユダヤ人を救われました。そして、エステルがすでに女王であったため、神様は彼女を通してユダヤ人を救われました。しかし、もし彼女が女王ではなかったとしても、神様は別の方法でユダヤ人を救われたことでしょう。

私たちはモルデカイとエステルを悪い人だと言っているのでしょうか。そうではありません。おそらく彼らは困難な状況の中で、自分たちの目に正しいと思えることを行っていたのでしょう。(士師記21:25)

とはいえ、時には彼らは誤った決断をしてしまいました。彼らの目には正しいと思えていたかもしれませんが、神様の目から見ると、彼らが行っていたことは正しくありませんでした。

ですから注意してください。あなたの行動を神様の言葉によって判断してください。あなた自身の目に正しいと思えることを行うのではなく、神様の基準によって生きてください。

あなたの状況を持ち出して、自分の行動を正当化しようとするかもしれません。

または、あなたは「でも、神様は私を通して良いことを行われました」と言うかもしれません。

しかし、どうして神様はあなたを用いられたのでしょうか。

あなたは神様の心に従っているからでしょうか。

それとも、あなたが誤った決断をしたにもかかわらず、神様はあなたを用いられたのでしょうか。

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エステル記

妻を尊敬する

今日からエステル記を読みます。

実は、聖書を年代順に見た時、エステル記の出来事がエズラとネヘミヤの時代に起こったと知り、私は驚きました。

それまで、これらの出来事がエズラとネヘミヤの時代の後に起こったと思っていたのです。

でも、たぶんこのアハシュエロス王はエズラ4章のアハシュエロスです。

(聖書学者の間ではそれが議論になっています。エステル記のアハシュエロスがアルタクセルクセス1世だと思う学者もいれば、彼がアルタクセルクセス2世だと思う学者もいます。以前言ったように、私はアハシュエロスがクセルクセス1世だと思います。)

とにかく、この箇所では、エステルの話の背景について読みます。つまり、どうしてアハシュエロスに新しい女王が必要だったのか、ということです。

アハシュエロスはすべての首長と家臣たちのために宴会を催しました。なぜなら、彼はその人々を自分の富と力で感動させたかったからです。

そして彼は、その人々に女王の美しさを見せるために彼女を呼びました。しかし、女王は来ることを拒絶したため、彼は恥ずかしい思いをしました。

アハシュエロスが知恵のある者たちに相談した時、彼らはこう答えました。

王妃ワシュティは王ひとりにではなく、すべての首長とアハシュエロス王のすべての州の全住民にも悪いことをしました。

なぜなら、王妃の行ないが女たちみなに知れ渡り、『アハシュエロス王が王妃ワシュティに王の前に来るようにと命じたが、来なかった』と言って、女たちは自分の夫を軽く見るようになるでしょう。

きょうにでも、王妃のことを聞いたペルシヤとメディヤの首長の夫人たちは、王のすべての首長たちに、このことを言って、ひどい軽蔑と怒りが起こることでしょう。(エステル記1:16-18)

だから、彼らはこう助言しました。

もしも王によろしければ、ワシュティはアハシュエロス王の前に出てはならないという勅令をご自身で出し、ペルシヤとメディヤの法令の中に書き入れて、変更することのないようにし、王は王妃の位を彼女よりもすぐれた婦人に授けてください。

王が出される詔勅が、この大きな王国の隅々まで告げ知らされると、女たちは、身分の高い者から低い者に至るまでみな、自分の夫を尊敬するようになりましょう。(19-20)

アハシュエロスは賛成したので、「男子はみな、一家の主人となること…を命じた。」(22)

私たちは、この箇所から何を学ぶことができるでしょうか。

多くの夫たちは妻たちを人間としてではなく、物として扱っています。それに、彼らは聖書から引用して、妻たちからの尊敬を要求します。

もちろん、神様は妻たちが夫たちを尊敬することを命じられています。しかし、夫はどうやって妻が自分たちを扱っているかを考えるよりも、どうやって自分たちが妻を扱っているかを考えるべきです。

神様が命じられているように、夫がイエス様のようなリーダーとなるなら(エペソ5:25-28)、妻が夫を尊敬することは当然のこととなるでしょう。

もし、あなたが妻を物としてではなく、貴い人として扱い、自分のニーズを彼女のために犠牲にし、キリストの愛で彼女を愛するなら、どう反応すると思いますか。

多くの結婚は負のスパイラルにはまってしまっています。

夫たちが妻たちを愛さないために、妻たちは夫たちを尊敬しません。そして、夫たちが尊敬されていないために、妻たちへの愛がさらに少なくなります。

その結果、妻たちの夫たちへの尊敬もますます少なくなります。このようにして状態がさらに悪化し、最終的には離婚に至る場合もあります。

夫よ。もし、その負のスパイラルにはまってしまったなら、リーダーとして、そのスパイラルを止める責任があります。それは神様が命じられていることです。

ですから、妻に尊敬されていないのであれば、妻にもっと愛を示してください。そうすることで、きっと彼女はあなたをさらに尊敬し始めるでしょう。

とはいえ、もしお互いに深い傷がある場合、癒しには時間がかかるかもしれません。

妻は、「夫がこのように愛を示すのはどれくらい続くだろうか。一時的なものなのだろうか。これまで私を傷つけてきたのに、彼を信頼してもよいのだろうか。」と思うかもしれません。

それでも、諦めないでください。妻の信頼を得るために努力を続けてください。

もしかすると、自分のプライドを捨てて、こう謝らなくてはならないかもしれません。「今まで、神様が命じられたようにあなたを愛していませんでした。申し訳ありません。」

そして、神様の助けを求めてください。

妻よ。この文章を読んで、神様がその負のスパイラルを止めることをあなたに命じられている、と感じるかもしれません。それは簡単なことではありません。時々、私たち男性は自己中心的で、頑固です。

それでも、どうか夫のために祈ってください。そして、小さなことでも、夫について尊敬できる点を探してください。見つけられない場合には祈ってください。神様が示してくださいます。

そして、その尊敬を言葉で夫に表現してください。驚かれるかもしれませんが、ほんの小さなことが大きな変化をもたらすことがあります。