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自分の心を守る

たゆみなく祈りなさい。感謝をもって祈りつつ、目を覚ましていなさい。(コロサイ人への手紙4:2)

前回の記事で私は言いましたが、最近のニュースやSNSを見るとき、私の心が騒ぐのは簡単です。

でも今日、神様は、私が自分の心に注意を払うように思い起こさせてくださいました。 私は常に自分の思いを吟味し、祈って、それを神様に委ねる必要があります。

それだけではなく、私が自分の心を感謝へと導き、主にあって喜ぶことを選ぶようにと、神様は思い起こしてくださいました。

今日、たまたま詩篇17篇も読み、ダビデのことばを通して、神様の語りかけが私にいっそう深く響きました。

あなたは私の心を調べ、夜、私を問いただされました。私を炉で試されましたが、何も見つかりません。私は 、口の過ちを犯さないように心がけました。。。

私は、義のうちに御顔を仰ぎ見、目覚めるとき、御姿に満ち足りるでしょう。(詩篇17:3、15)

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困難のときの祈り

天のお父さん、ニュースやSNSを見るとき、この世の悪は明らかです。

だから、私たちの心が騒ぐのは簡単です。

でも、あなたは教会を選ばれ、私たちは聖なる、愛されている者です。(コロサイ人への手紙3:12)

私たちがその身分を覚えていられるように助けてください。

それを覚えて、怒り、憤り、悪意、罵りを捨てることができるように助けてください。この世はそれらによって特徴づけられていますが、私たちがあなたのかたちに従って新しくされ続けるようにしてください。(8、10節)

私たちが深い慈愛の心、親切、謙遜、柔和、寛容を身に着けるようにしてください。そして、そのすべての上に、私たちが愛を身に着けるようにしてください。

あなたの平和が私たちの心を支配するようにしてください。(15節)

あなたのことばが私たちのうちに豊かに住むようにしてください。私たちが知恵を尽くして互いに教え、忠告し合い、詩と賛美と霊の歌により、感謝をもって心からあなたに向かって歌うようにしてください。(16節)

最後に、言葉であれ行いであれ、何をするときにも、あなたに感謝する心をもって、主イエスの御名によって行うようにしてください。(17節)

この困難に満ちた世界では、私たちが怒りや恐れに支配されるのではなく、あなたの愛、喜び、平和に治められるようにしてください。イエス様の御名によって祈ります。アーメン。

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イエス様にしっかり結びつく

かしらにしっかり結びつくことをしません。このかしらがもとになって、からだ全体は節々と筋によって支えられ、つなぎ合わされ、神に育てられて成長していくのです。(コロサイ人への手紙2:19)

「かしらにしっかり結びつくことをしません。」

私はそのことばに心を打たれました。

私はイエス様にしっかりと結びついていたいと願います。

しかし、私は、イエス様に受け入れていただくために、単にルールを守ろうとしているわけではありません。(20~23節)

私はすでに受け入れられています。十字架によって、私の債務証書は無効にされました。(14節)

むしろ、イエス様と結びつくために、私は三つのことを自分に思い起こさせています。それは、

  • イエス様は良いお方です。
  • イエス様はすでに私を愛し、受け入れてくださっています。
  • イエス様は私の最善をご存じで、それを望んでおられます。

だから私は毎日毎日、一瞬一瞬、感謝を込めて、私の主を信頼し、従う道を選び取ります。

このように、あなたがたは主キリスト・イエスを受け入れたのですから、キリストにあって歩みなさい。キリストのうちに根ざし、建てられ、教えられたとおり信仰を堅くし、あふれるばかりに感謝しなさい。(コロサイ人へ手紙2:6-7)

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ただの我慢?神の喜び?

神の栄光の支配により、あらゆる力をもって強くされ、どんなことにも忍耐し、寛容でいられますように。

また、光の中にある、聖徒の相続分にあずかる資格をあなたがたに与えてくださった御父に、喜びをもって感謝をささげることができますように。 (コロサイ人への手紙1:11~12)

日本では、「我慢」ということばが、まるで合言葉のように使われています。

苦しいとき、「我慢しなくちゃ」と言われることがよくあります。

ときには、私たち自身が自分に向かって「我慢しなくちゃ」と言い聞かせることもあります。

でも、私が気づいたのは、パウロがコロサイのクリスチャンたちに、ただ我慢することだけを求めていたわけではないということです。

パウロの願いは、彼らが神の喜びに満たされることでした。

困難のとき、私たちに堅く立つ力を与えるのは、「我慢」ではなく、神の喜びです。

その喜びがなければ、我慢はやがて耐えられない重荷になってしまいます。

私は、ただ我慢するのではなく、神様がしてくださったことを喜びたいのです。

御父は、私たちを暗闇の力から救い出して、愛する御子のご支配の中に移してくださいました。この御子にあって、私たちは、贖い、すなわち罪の赦しを得ているのです。(13~14節)

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キリストのことばが豊かに住むように

キリストのことばが、あなたがたのうちに豊かに住むようにしなさい。

知恵を尽くして、詩と賛美と霊の歌により、互いに教え、忠告し合い、感謝をもって心から神に向かって歌いなさい。(コロサイ人への手紙3:16、英訳)

私はいつも「キリストのことばが、あなたがたのうちに豊かに住むようにしなさい」という言葉が大好きでした。

でも、英訳を読むと、新しいことに気づきました。英訳によると、キリストのことばが私たちのうちに豊かに住むようになるのは、聖書を読んだり、説教を聞いたりすることだけではありません。(聖書を読むことと説教を聞くことも大切ですけど。)

パウロによれば、詩と賛美と霊の歌を通して、そのことばは私たちのうちに豊かに住むようになります。

それを読んだ時、私の人生を形作った歌を思い出しました。賛美の歌だけではなく、他のクリスチャンの歌もまた、私の人生を形作りました。

ある歌は聖書を直接引用していたので、私は詩篇121篇やローマ12:1やローマ8:14~21やマタイ11:28を歌ったり、祈ったりしました。

ある歌は聖書を引用していませんでしたが、その歌詞は聖書に基づいていました。

ある歌のおかげで、私は、神様が私のお父さんであることがどういう意味なのかを学びました。

別の歌のおかげで、神様が私のことをどう考えておられるのかを学びました。

もう一つの歌は、頑なな心を捨て、神様に対する柔らかい心を保つように私に挑戦しました。

試練の中で、神様を賛美することを教えてくれた歌もありました。

ある歌のおかげで、礼拝とは歌を歌うことだけではなく、私の人生の全体が神様への礼拝であるべきだということを学びました。

そのような歌は、キリストのことばを私たちのうちに豊かに住まわせる、力強い道具です。

あなたは音楽を聴いているでしょうか。どのような音楽を聴いているでしょうか。その歌の歌詞に注目するでしょうか。

キリストのことばがあなたのうちに豊かに住むことを望むなら、聖書に基づいている歌を探してみましょう。

神様への「ラブソング」だけではなく、神様の真理を教える歌を歌いましょう。

教会で歌われている曲でもいいし、クリスチャン・アーティストの曲でもかまいません。そのような歌を歌いましょう。歌いながら、その歌詞を祈りましょう。

そして、そのことばによって励まされ、挑戦され、忠告されましょう。また、そのことばを周りのクリスチャンたちに伝えましょう。

そうすれば、キリストのことばは私たちのうちに住むようになります。

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感謝に満ちた歩み

このように、あなたがたは主キリスト・イエスを受け入れたのですから、キリストにあって歩みなさい。。。

あふれるばかりに感謝しなさい。(コロサイ人への手紙2:6ー7)

「あふれるばかりに感謝しなさい。」

なぜか、その言葉は私の心に本当に響きました。

私は、溢れんばかりの感謝で特徴づけられているのだろうか。

私は、義務からではなく、イエス様が私にしてくださったことへの感謝に満ちた心から、クリスチャン生活を送っているだろうか。

感謝に満ちた心を持っているなら、私はイエス様のうちに根差そうと努めるでしょう。

また、私はイエス様にあって建てられたいし、信仰を堅くしようと努めるでしょう。

天のお父さん、あなたとの関係に関して、私が無関心な態度を決して取らないように。私のクリスチャン生活が決して重荷にならないように。

むしろ、私が毎日、溢れんばかりの心をもって、あなたと歩むように。

イエス様の御名によって祈ります。アーメン。

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あなたが第一の者となるように

御子は、見えない神のかたちであり、すべての造られたものより先に生まれた方です。

なぜなら、天と地にあるすべてのものは、見えるものも見えないものも、王座であれ主権であれ、支配であれ権威であれ、御子にあって造られたからです。

万物は御子によって造られ、御子のために造られました。御子は万物に先立って存在し、万物は御子にあって成り立っています。

また、御子はそのからだである教会のかしらです。御子は初めであり、死者の中から最初に生まれた方です。こうして、すべてのことにおいて第一の者となられました。(コロサイ人への手紙1:15-18)

イエス様、私はあなたにあって造られました。私はあなたによって造られました。私はあなたのために造られました。だから、私の人生において、第一の者となってください。あなたは私の人生において第一の者となるにふさわしい方なのです。

どうか私があらゆる霊的な知恵と理解力によって、あなたの御心についての知識に満たされますように。

その知識に満たされることで、私はあなたにふさわしく歩み、あらゆる点であなたに喜ばれ、あらゆる良いわざのうちに実を結び、あなたを知ることにおいて成長することができます。

私がどんなことにも喜びと感謝を持ち、忍耐し、寛容でいられるため、あらゆる力で私を強くしてください。

私へのあなたの恵みは素晴らしいです。あなたは私に聖徒の相続分を与えてくださいました。あなたは私を暗闇の力から救い出して、あなたのご支配の中に移してくださいました。

あなたの十字架上の死によって、私を天の父の御前に聖なる者、傷のない者、責められるところのない者として立たせてくださいます。

あなたの恵みによって、私が信仰に土台を据え、堅く立ち、あなたの福音の望みから外れることなく、信仰にとどまるように助けてください。

あなたの御名によって祈ります。アーメン。

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戦え!

彼はいつも、あなたがたが神のみこころのすべてを確信し、成熟した者として堅く立つことができるように、あなたがたのために祈りに励んでいます。(コロサイ人への手紙4:12)

「彼はいつも。。。あなたがたのために祈りに励んでいます。」

「励む」という言葉は、新約聖書では「戦う」と訳されることもあります(第一テモテ6:12;第二テモテ4:7)。

だから、パウロの言葉を「彼は祈りによっていつもあなたがたのために戦っています」と訳すことができるでしょう。

そのことばは、私の心に深く響きます。

私はどれほど祈りによって、人々のために戦っているでしょうか。

今、私は特に二人の苦しんでいる人たちのことを思い浮かべています。でも、他にも苦しんでいる人たちを知っています。

だから、神様が「彼らのために祈って戦いなさい」と語っておられるように感じます。「戦いなさい。ただ短く形だけの祈りをしてはいけない。彼らのために戦いなさい。」

神様は今、あなたが誰のために戦うことを望んでおられるのでしょうか。

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神様のまなざしで兄弟姉妹を見る

ですから、あなたがたは神に選ばれた者、聖なる者、愛されている者として、深い慈愛の心、親切、謙遜、柔和、寛容を着なさい。

互いに忍耐し合い、だれかがほかの人に不満を抱いたとしても、互いに赦し合いなさい。

主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。

そして、これらすべての上に、愛を着けなさい。愛は結びの帯として完全です。

キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。そのために、あなたがたも召されて一つのからだとなったのです。

また、感謝の心を持つ人になりなさい。(コロサイ人への手紙3:12ー15)

時々、私はキリストにある兄弟姉妹に対して、いら立ちを覚えてしまいます。

しかし、今日の聖書箇所を読んだとき、神様は私に大切なことを思い起こさせてくださいました。

もちろん、私は神様に選ばれた者、聖なる者、愛されている者です。

けれども、私の兄弟姉妹も同じです。

だからこそ、彼らと接するとき、私は慈愛の心、親切、謙遜、柔和、寛容を身に着けるべきです。

また、神様は私に、忍耐をもって彼らを許し、愛するように命じておられます。

神様が私たちすべてを、ご自身の子どもとして大切にしておられるので、キリストの平和が私たちの心を支配すべきです。

神様が彼らをどのように見ておられるかを忘れてしまうと、私たちの心の中で彼らを罵るのは簡単になってしまいます。

しかし、それは間接的に神様を冒涜することになります。なぜなら、私たちは神様のかたちに造られた人を罵ることになるからです。(ギリシャ語では、「罵る」という語が神様に向けられるとき、常に「冒涜」と訳されます。)

だから今朝、神様が私に思い起こさせてくださったのは、ご自身の子どもたちは皆、神様に選ばれた者、聖なる者、愛されている者であるということです。だからこそ、特に私は自分の妻と娘を見るとき、その真理を覚えていて、彼女たちに接するべきです。

あなたはどうでしょうか。兄弟姉妹をどのように見ていますか。

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主に喜ばれる者として受け入れられる

こういうわけで、私たちもそのことを聞いた日から、絶えずあなたがたのために祈り求めています。

どうか、あなたがたが、あらゆる霊的な知恵と理解力によって、神のみこころについての知識に満たされますように。

また、主にふさわしく歩み、あらゆる点で主に喜ばれ、あらゆる良いわざのうちに実を結び、神を知ることにおいて成長しますように。(コロサイ人への手紙1:9-10)

「あらゆる点で主に喜ばれる。」

今朝、このことばが私の心に深く響きました。私の願いは、自分があらゆる点で主に喜ばれる者となることです。しかし、私は何度も失敗してしまいます。主にふさわしく歩めていない時が多くあります。

だからこそ、パウロの次のことばは、私にとって大きな励ましです。

今は、神が御子の肉のからだにおいて、その死によって、あなたがたをご自分と和解させてくださいました。あなたがたを聖なる者、傷のない者、責められるところのない者として御前に立たせるためです。(22節)

私がいつも主にふさわしく歩んでいるとは言えません。自分があらゆる点で主に喜ばれているとも言えません。

しかし、イエス様の十字架のみわざによって、神様の目には、私は聖なる者、傷のない者、責められるところのない者とされています。

簡単に言えば、私は神様に受け入れられているのです。

私は完全に受け入れられているのです。

あなたはどうでしょうか。

その確信をもって、毎日イエス様と共に歩んでいますか。

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どうして祈るべきか?

たゆみなく祈りなさい。感謝をもって祈りつつ、目を覚ましていなさい。(コロサイ人への手紙4:2)

どうして私たちは祈るべきなのでしょうか。パウロのこの指示の中に、私たちはいくつかの理由を見いだします。

「祈りつつ、目を覚ましていなさい。」

この言葉を読んで、私は弟子たちに対するイエス様の言葉を思い起こしました。

誘惑に陥らないように、目を覚まして祈っていなさい。霊は燃えていても肉は弱いのです。(マタイ26:41)

サタンがどのように私たちを攻撃しようとしているか分かるように、私たちは祈ります。

また、私たちは弱い者だから、祈ります。サタンの攻撃や試練に直面するとき、私たちは神様の力が必要なのです。

でも、それだけではなく、神様が私たちの周りで何をなさっているか分かるために、私たちは祈ります。そうすれば、神様から与えられる機会を十分に活かし、私たちは神様の働きに参加できます。(5節)

もうひとつの理由があります。

祈りは、神様が良い方であることを思い出すための時間です。祈るとき、私たちは神様の恵みとあわれみを思い出します。そして、神様の恵みとあわれみを覚えているにつれて、私たちは感謝と喜びをもって歩みます。

だから、毎日、目を覚ましていて、感謝に満ちて祈りましょう。

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責められることのない者

あなたがたは、キリストにあって満たされているのです。(コロサイ人への手紙2:10)

ある英訳がとても気に入っています。

あなたがたは、キリストにあって完全なものになったのです。(10)

自分の罪や弱さを見て、「私はあまり良くないクリスチャンだ」と思うことはありませんか。あなたは、キリストにあって満たされています。イエス様にあって、あなたは完全な者とされました。

天の父は、あなたの罪の債務証書を無効にし、十字架に釘付けにして取り除いてくださいました。

天の父の目には、あなたは聖なる者、傷のない者、責められるところのない者です。(コロサイ1:22)天の父は、あなたに天の相続分にあずかる資格を与えてくださいました。(コロサイ1:15)

あなたは、神の子供です。

だから、悪魔があなたを責めようとするとき、「出て行け」と言いましょう。そして、あなたの心があなたを責めるとき、神様があなたの心よりも大きな方であることを覚えていましょう。

なぜなら、あなたの感情は、あなたに対する神様の愛と恵みを無効にすることはできないからです。

 

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感謝で満たされた心

前回の記事では、私はすでに感謝の心について語りましたが、パウロがそれを大切にしていたように、私たちも同じようにするべきです。

では、パウロはどれほど感謝の心を大切にしていたのでしょうか。コロサイ人への手紙3章15〜17節では、彼が三回も感謝について言及するほどに、それを大切にしていたことがわかります。

キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。そのために、あなたがたも召されて一つのからだとなったのです。また、感謝の心を持つ人になりなさい。

キリストのことばが、あなたがたのうちに豊かに住むようにしなさい。知恵を尽くして互いに教え、忠告し合い、詩と賛美と霊の歌により、感謝をもって心から神に向かって歌いなさい。

ことばであれ行いであれ、何かをするときには、主イエスによって父なる神に感謝し、すべてのを主イエスの名において行いなさい。(コロサイ人への手紙3:15-17)

感謝で満たされた心は、教会の平和につながります。もし、私たちが神様から受けた恵みのゆえに、私たちの心が感謝で満たされているなら、私たちは周りの人々の欠点や失敗をすぐに見逃すでしょう。

また、私たちの心が感謝に満ちているなら、キリストの言葉は私たちの口から、詩と賛美と霊の歌として自然に流れるでしょう。

さらに、私たちが感謝の心を持つなら、私たちの歌だけではなく、私たちのすべての言葉や行為によって、その感謝の心が表されます。私たちは、自分を愛し、救ってくださった方を喜ばせたいと思うので、私たちの人生のすべてが、賛美のいけにえとなります。

私たちの心がいつも神様に対する感謝によって特徴づけられるものとなりますように。