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テサロニケ人への手紙第二のデボーション

模範になるなんて、私が?

どのように私たちを見習うべきか、あなたがた自身が知っているのです。。。

あなたがたが私たちを見習うように、身をもって模範を示す。。。(テサロニケ人への手紙第二3:7、9)

今朝、私はその言葉に心を打たれました。

パウロの言葉はとても大胆です。「どのように私たちを見習うべきか、あなたがた自身が知っているのです。」

正直に言うと、私はそんな大胆さを持っていません。

なぜなら、私は自分の欠点をよく知っているからです。まだ成長しなければならない部分が、私にははっきりと見えています。

いったいどうして、人々が私の真似をしたがるのでしょうか。

それでも、神様は私たち皆に弟子を作るよう命じておられます。牧師や教会のリーダーだけでなく、すべての信者に対して、周囲の人々が見習うべき模範を示すよう求めておられるのです。

模範となるとは、周囲の人々が私たちの長所を見て見習うだけでなく、私たちが自分の欠点や罪を克服しようとしている姿を見るということです。

さらに、彼らが見るべきなのは、私たちが罪や欠点のために罪悪感にさいなまれている姿ではなく、むしろ、毎日毎日、一瞬一瞬、神様の恵みによって歩み、神の子供であるという確信を持って生きている姿なのです。

天のお父さん、私は、人々が見習いたいと思うような人間になりたいです。いろんな意味で、私はふさわしくないと感じています。

でも、人々が私を見るとき、彼らが真似したいと思うような私の長所を見るだけでなく、私が自分の欠点や罪を克服しようとしている姿を通して、私が毎日歩んでいるあなたの恵みを見ることができますように。

イエス様の御名によって祈ります。アーメン。

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私たちが必要な祈り

今日、私はパウロの祈りに深く感動しました。なぜなら、彼がテサロニケ人たちのために祈ったことは、まさに私自身に必要な祈りだからです。実際、それはすべてのクリスチャンにとって必要な祈りです。

パウロはこう言いました。

こうしたことのため、私たちはいつも、あなたがたのために祈っています。どうか私たちの神が、あなたがたを召しにふさわしい者にし、また御力によって、善を求めるあらゆる願いと、信仰から出た働きを実現してくださいますように。

それは、私たちの神であり主であるイエス・キリストの恵みによって、私たちの主イエスの名があなたがたの間であがめられ、あなたがたも主にあって栄光を受けるためです。(第二テサロニケ2:11ー12)

私たちがよく考えるのは、自分自身を良い人にしなければならないということです。自分の力と自制心によって、自分自身を変えなくてはならないと考えがちです。

しかし、パウロが祈っているのは、神様が私たちを召しにふさわしい者としてくださり、神様の力によって、善を求めるあらゆる願いと、信仰から生まれる働きを実現してくださるということです。

それによって、イエス様が私たちの間であがめられ、私たちにも主にあって栄光が与えられます。

けれども、その栄光は私たち自身の素晴らしさによるものではなく、私たちの人生に働いている天の父の恵みと御子の恵みによるものです。

そして、パウロはこう祈ります。

どうか、私たちの主イエス・キリストと、私たちの父なる神、すなわち、私たちを愛し、永遠の慰めとすばらしい望みを恵みによって与えてくださった方ご自身が、あなたがたの心を慰め、強めて、あらゆる良いわざとことばに進ませてくださいますように。(第二テサロニケ2:16ー17)

また、

主があなたがたの心を導いて、神の愛とキリストの忍耐に向けさせてくださいますように。(第二テサロニケに3:5)

私たちの信仰の根底には、一つの根本的な真理があります。それは、神様が私たちを深く愛してくださるということです。

パウロが祈ったのは、イエス様が日々私たちを天の父の愛へと導き、私たちが必要な励ましと希望を受けることができるようにということです。そして、その励ましと希望によって、私たちはあらゆる良いわざとことばのために、神様によって強められます。

さらに、テサロニケ人たちのように、私たちが試練や苦しみに直面するとき、パウロは、私たちがイエス様を仰ぎ見ることによって、勇気を得るように祈りました。十字架で私たちの罪の代価を支払ってくださったイエス様の忍耐に目を向けることによってです。

私は前にも言いましたが、私たちはよく、自分の力と自制によってクリスチャン生活を送ろうとしてしまいます。

でも、イエス様が私たちを天の父の愛へと導いてくださるように、イエス様の十字架を覚えていましょう。神様の愛とイエス様の十字架に、心を向けて思いを巡らしましょう。

そして、あなたのあらゆる良いわざと言葉が、神様の愛とイエス様の十字架への感謝から生まれるものでありますように。

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聖書の言葉を祈る

祈るとき、私たちはしばしば何を祈るべきかわからず、ただ「〇〇さんを祝福してください」と祈ってしまうことがあります。

そのような祈りも良いものですが、何を祈るべきかわからないときには、聖書の言葉を祈るほうが良いと思います。

今朝、霊的にも精神的にも苦しんでいる人たちのことを思い、パウロの言葉を借りて祈りました。

「天のお父さん、彼女を強め、サタンの攻撃から守ってください。」

「天のお父さん、彼の心を導き、あなたの愛とキリストの忍耐に向けてください。」

「天のお父さん、彼女がたゆまず良い働きを続けられるように助けてください。」

「平和の主よ、どんな時にも、どんな状況でも、彼女に平和を与えてください。あなたが彼女と共におられることを、彼女が知ることができますように。」

「イエス様、彼があなたの恵みをいつも覚えているように。あなたの恵みが彼と共にありますように。」

ところで、あなたの牧師にも、そのような祈りが必要です。きっと、人々がそのように祈ってくれたら、牧師はとても励まされるでしょう。人々が私のためにそのように祈ってくれたら、私もとても嬉しいです。

今日、誰のためにそのような祈りをささげることができるでしょうか。今、誰の名前が思い浮かんでいるでしょうか。

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神が良い方であることを信じる

ですから兄弟たち。堅く立って、語ったことばであれ手紙であれ、私たちから学んだ教えをしっかりと守りなさい。(テサロニケ人への手紙第二2:15)

2章を読んだとき、3節にある言葉が私の心を打ちました。つまり、イエス様がこの世に来て、すべての悪を克服し、この世を癒す前に、まず背教が起こるということです。

言い換えると、ある日、かつてイエス様を信じると主張していた多くの人々が、イエス様に背を向けてしまうのです。

ユダは最初の背教者でしたが、多くの人々が彼の模範に従いました。かつて私と共に主に仕えていた人の中にも、今は主に背を向けている人がいます。アメリカでは、かつて有名だったクリスチャンの歌手や牧師たちも背教に陥ってしまいました。

人が主に背を向ける理由はさまざまですが、多くの場合、その根本的な理由は、彼らが真理を拒絶したということです。

つまり、彼らはもはや聖書が神の御言葉であることを信じていないのです。なぜなら、彼らはこの世の考え方に流されてしまったからです。

彼レアは、「良い神」とはどのような方かというこの世の定義に流されていました。

彼らは「良い神」が何を語るはずかというこの世の期待に流されていました。特に道徳に関して、彼らはこの世の価値観に流されていたのです。

そのような態度を持っているため、「不法の人」である反キリストが現れると、彼らは喜んで従うようになります。なぜなら、彼らはすでに真理を拒絶し、偽りと取り替えてしまったからです。

誤解しないでください。聖書に関して疑いや質問があっても、大丈夫です。神様の言葉について「どうして」と尋ねても構いません。

正直に言うと、私が神様とその道を理解できないときもあります。そのような疑いや質問があれば、牧師や成熟したクリスチャンにどうぞ尋ねてください。

しかし、最終的に、私たち皆は選択をしなくてはなりません。あなたは神様が良い方であることを信じるか、信じないか。

神様の御言葉が良いものであることを信じるか、信じないか。

神様の道が最善のものであることを信じるか、信じないか。

「いいえ」と答えるなら、私たちはユダのように背教に陥り、滅びてしまいます。

しかし、「はい」と答えるなら、私たちは喜びと命を知ることになります。

私はすでに選択しました。

神様が良い方であり、神の道が良いものであることを信じることを選びます。

なぜなら、私の人生において、私は神様の恵みといつくしみを見てきたからです。

あなたは何を信じますか。

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私が実を結ぶことができるように

こうしたことのため、私たちはいつも、あなたがたのために祈っています。どうか私たちの神が、あなたがたを召しにふさわしい者にし、また御力によって、善を求めるあらゆる願いと、信仰から出た働きを実現してくださいますように。

それは、私たちの神であり主であるイエス・キリストの恵みによって、私たちの主イエスの名があなたがたの間であがめられ、あなたがたも主にあって栄光を受けるためです。(テサロニケ人への手紙第二1:11-12)

天のお父さん、私をあなたの召しにふさわしい者にしてください。私はよく失敗します。善を求め、あなたのために実を結ぼうと思っても、多くの場合、そうできません。

イエス様、あなたはぶどうの木、私は枝です。あなたの力によって、善を求めるあらゆる私の願いを実現してください。

それは、私が周りの人々の称賛を得るためではなく、あなたの御名があがめられ、あなたの父もあがめられるためです。「よくやった。良い忠実なしもべだ」というあなたの言葉を聞きたいのです。

天のお父さん、あなたの恵みに感謝します。私を選び、召してくださったあなたは真実なお方です。(第一テサロニケ5:24)

また、あなたが私のうちに始められた良い働きを完成させてくださると確信しています。(ピリピ1:6)

イエス様の御名によって祈ります。アーメン。

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神様の御言葉を尊ぶ

最後に兄弟たち、私たちのために祈ってください。主のことばが、あなたがたのところと同じように速やかに広まり、尊ばれるように。(テサロニケ人への手紙第二3:1)

たぶん、私たち皆はパウロのように祈ります。つまり、主のことば、特に神の福音が日本に速やかに広まり、尊ばれるように祈る、ということです。

でも、自分に訊かなくてはならないのは、「私たち神の民は、その言葉を尊んでいるだろうか」ということです。

神様の言葉が日本に尊ばれるために祈るなら、私たち自身がその言葉を尊ぶべきです。

私たちはその言葉を大事にしているでしょうか。

その言葉を定期的に読んでいるでしょうか。

その言葉に思いを巡らせているでしょうか。

また、その言葉に従っているでしょうか。

先日、興味深いことを読みました。

「教会を見つけると、聖書を尊ぶコミュニティーを見つけます。聖書を尊ばない民は、教会ではありません。」

私たちが神の言葉を尊ぶ民になるように祈ります。

もし、クリスチャンの人数が増えることを望むなら、最初に、私たち神の民は毎日み言葉を尊び、「神様、今日、私に何を語っているのですか」と祈るべきです。

主よ、私たちが真実ではないのに、あなたが真実な方であることを感謝します。

私たちがあなたの言葉を尊ぶ民になるように。また、あなたの言葉、特にあなたの福音がこの国に尊ばれるように。

毎日、私たちの心をあなたの愛に向けさせてください。

また、私たちがあなたの御国のために苦しむとき、私たちの心を十字架でのイエス様の忍耐に向けさせてください。

あなたの愛を感謝します。あなたの愛によって私たちは安心しています。私たちに対するあなたの慈しみによって安心しています。

だから、今、私たちに語ってください。イエス様の御名によって祈ります。アーメン。

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真理を愛する者として生きる

また、あらゆる悪の欺きをもって、滅びる者たちに臨みます。彼らが滅びるのは、自分を救う真理を愛をもって受け入れなかったからです。(テサロニケ人への手紙第二2:10)

現代の世界では、真理、特に道徳的な真理というコンセプトは、なくなりつつあります。かつて道徳的に間違っていると考えられていたことの多くが、もはやそう考えられていないのです。

特にセックスや性的指向、ジェンダーに関して、多くの人々の考え方が変わってきました。彼らが主張しているのは、「時代遅れの考え方」を捨てることが、自由と幸せに至る道だということです。

けれども、その道は、実際には死に至ります。

そして反キリストが来て、いろんな奇跡や印を行うとき、多くの人々は簡単に騙されることになります。なぜなら、反キリストが教えることは、彼らがすでに信じていることだからです。反キリストが彼らのように不義を抱くので、彼らは反キリストを受け入れます。

ローマ人へのパウロの言葉は、現代においてこれまでにも増して真実味があります。

彼らは、そのような行いをする者たちが死に値するという神の定めを知りながら、自らそれを行っているだけでなく、それを行う者たちに同意もしているのです。(ローマ1;32)

では、私たちはどうするべきでしょうか。真理を抱きましょう。神のみ言葉が、この世の言葉に反しているなら、神のみ言葉を堅く持ちましょう。

また、パウロの言葉に従いましょう。

ですから、兄弟たち。堅く立って、語ったことばであれ手紙であれ、私たちから学んだ教えをしっかりと守りなさい。(テサロニケ人への手紙第二2:15)

神の真理を抱くなら、私たちは騙されることを恐れる必要がありません。