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ネヘミヤ記

私たちの感情がなくなると

私がハワイに住んでいた頃、時々教会で山のキャンプに行きました。そこで私たちは賛美したり、良いメッセージを聞いたりしました。だから、帰ると私は本当に情熱を持って神様に仕えようと思わされました。

しかし、日常生活に戻るとどうなったでしょうか。山のキャンプでは、神様が近くに感じられ、神様に触れることができるように思えました。

けれども、帰ると神様は遠くなったように感じ、情熱も失われてしまいました。結局、生活そのものが劇的に変わることはなかったのです。

この箇所で、ユダヤ人もそのような経験をしました。彼らは神様の慈しみを祝ったり、自分の罪を告白して悔い改めたり、神様の前で神様との契約を結んだりしました。その契約で、彼らは神様の命令に従うことを約束しました。

具体的には、偶像礼拝する外国人と結婚しないこと、安息日を守ること、祭司たちとレビ人を支えるために献金を捧げることを約束しました。また、神様の宮をなおざりにしないことも約束しました。

その時、皆は非常に感情的になり、ずっと神様に従おうと思いました。

そして、彼らは祭りを祝ったり、エルサレムの城壁の奉献式を行いました。

しばらくの間、すべてはうまくいきました。けれども、彼らの日常生活が始まりました。彼らの最初の熱意も燃えた感情も次第になくなっていきました。

さらに、ネヘミヤはバビロンに帰らなければなりませんでした。なぜなら、彼は再び王様に仕えなければならなかったからです。

そして、ある日、ネヘミヤがエルサレムに戻ると、何を見たのでしょうか。

ユダヤ人はもうレビ人を支えなくなっていたため、レビ人は自分の農地に帰っていました。

さらに、ユダヤ人は安息日に仕事をしたり売買をしたりしていました。

それだけでなく、彼らは偶像礼拝をする外国人と結婚し始めました。

その時、祭司たちは何をしていたでしょうか。全く何もしませんでした。

実際、ある祭司はユダヤ人の敵であるサヌバラテの娘と結婚しました。ユダヤ人がエルサレムの城壁を建て直していた時、サヌバラテはその仕事を止めようとしていたのに、その祭司はサヌバラテの娘と結婚したのです。

その祭司の父である大祭司エルヤシブは、他のユダヤ人の敵(彼も城壁を建て直すことに反対していた)トビヤのために、主の宮の庭で大きな部屋を一つ準備し、トビヤはそこに住んでいました。

ネヘミヤはそのことを見て本当に怒りました。彼はトビヤを追い出し、その部屋を清めて、神の宮の器物を穀物のささげ物や乳香といっしょに、再びそこに納めました。(13:9)

そして、エルヤシブの息子のことも、主の宮から追い出しました。

その後、ネヘミヤがユダヤ人を叱ったので、彼らは安息日に仕事をするのを止め、もう一度レビ人を支え始めました。

この箇所から私たちは何を学ぶことができるでしょうか。

私たちが霊的に盛り上がった時、神様に「これからあなたに従う」と約束することは簡単です。

しかし、その感情がなくなった時どうするでしょうか。

神様は私たちの「山上の約束」にあまり感動しません。神様が知りたいのは、私たちが日常生活に戻った時、どうするかということです。

私たちはまだ神様のために生きるでしょうか。神様にまだ忠実に仕えるでしょうか。

それとも、私たちは自分の古い生活に戻るでしょうか。

主の宮、つまり私たちの体に悪いものが入ることを許すでしょうか。

この世のものと結婚しているでしょうか。それらのものは私たちを神様から引き離しているでしょうか。私たちの仕事やお金を、神様より優先するでしょうか。

あなたはどうですか。神様への情熱がなくなった時、あなたはどうしますか。

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ネヘミヤ記

私たちの不実さ、神様の恵み

この箇所では、ユダヤ人たちは神様の前に来て、自分の罪を告白しました。その祈りには、彼らの不実さと神様の恵みが表れています。

その祈りの初めに、彼らは神様が世を造られたことを思い出し、また、神様が新しい国を始めるためにアブラハムを選ばれたことを思い出しました。

そして、彼らは先祖がエジプトで奴隷だったけれど、神様が彼らを救い出してくださり、砂漠で導かれたことを思い出しました。

砂漠で、神様はいろいろな奇跡を行われましたが、その先祖たちはエジプトに戻りたがっていました。それに、本当の神様を礼拝せずに、彼らは偶像を作り、その偶像を神と呼びました。

それでも、神様は彼らに恵みを与えてくださいました。つまり、神様は彼らに水とパンを与えてくださり、彼らを導き続けられました。

そして、神様は先祖を素晴らしい土地カナンに導かれました。けれども、彼らは再び神様に背を向け、神様の預言者たちを殺し、偶像を礼拝しました。

だから、神様は彼らを敵に渡されました。しかし、彼らが苦しんで悔い改めると、神様は恵みによって彼らを救い出されました。ところが、彼らはすぐに自分の罪に戻り、結局バビロンに追放されました。

だから、ユダヤ人はこう祈りました。

「ご覧ください。私たちは今、奴隷です。あなたが私たちの先祖に与えて、その実りと、その良い物を食べるようにされたこの地で、ご覧ください、私たちは奴隷です。

私たちが罪を犯したので、あなたは私たちの上に王たちを立てられましたが、その王たちのために、この地は多くの収穫を与えています。

彼らは私たちのからだと、私たちの家畜を思いどおりに支配しております。それで私たちは非常な苦しみの中におります。」(ネヘミヤ記9:36-37)

彼らは悔い改めた心を持って、もう一度、神様の民として神様と契約を結びたいと願いました。彼らはこう言いました。

これらすべてのことのゆえに、私たちは堅い盟約を結び、それを書きしるした。そして、私たちのつかさたち、レビ人たち、祭司たちはそれに印を押した。(38)

私はこの話を読んだ時、神様の恵みは本当に不思議なものだと思いました。もし私が神様だったら、きっと彼らを諦めていたと思います。けれども、神様は決してそうされませんでした。

それに、神様はご自身が呼ばれた私たちを決して諦められません。

そのことを考えると、私は本当に嬉しくなります。なぜなら、イスラエル人のように、私は不実だからです。私の罪によって私は倒れることがありますし、私の心を堅くして、いろいろな悪いことをしてしまいます。

しかし、私は不実であるにもかかわらず、神様はいつも忠実な方です。また、神様は決して私を諦められません。そのことを心から感謝します。

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ネヘミヤ記

喜び

ユダヤ人は城壁の修理を完成した後、レビ記23章で神様が命じられたように、ラッパの祭りを祝いました。

その日、祭司エズラはユダヤ人に神様の律法の書を読みました。この箇所を読んだ時、いくつかのことが私の心に響きました。

一つ目は、彼らが神様を恐れ、その言葉を尊重したことです。エズラが律法の書を開いた時、ユダヤ人は皆立ち上がりました。そして、エズラが読み上げている間、彼らは注意深く聞きました。

また、エズラが神様をほめたたえた時、彼らは「手を上げながら、『アーメン、アーメン』と答えてひざまずき、地にひれ伏して主を礼拝しました。」(ネヘミヤ記8:6)

私たちは神様をどれほど深く恐れているでしょうか。私たちは神様の言葉をどれくらい尊重しているでしょうか。

神様の前に来る時、へりくだる心を持っているでしょうか。私たちは注意深く神様の言葉に耳を傾けているでしょうか。それとも、すぐに心が他のことへと逸れてしまうでしょうか。

二つ目は、私たちには聖書を上手に教える人が必要だということです。8節にはこう書かれています。

彼らが神の律法の書をはっきりと読んで説明したので、民は読まれたことを理解した。(ネヘミヤ記8:8)

現代においても、教会にはそのような人が必要です。つまり、聖書をはっきりと読んで、人々が理解できるように説明できる人が必要です。

三つ目は、ユダヤ人の反応です。彼らは神様の言葉を聞くと、すぐに泣きました。なぜなら、彼らは神様の律法を犯したことを知ったからです。また、彼らの苦しみは自分たちのせいであることを悟りました。

神様が私たちの罪を示されたら、私たちはどのように反応するでしょうか。私たちは泣いて、悔い改めるでしょうか。それとも、私たちの心はさらに堅くなるでしょうか。

最後のポイントは、神様が私たちが自分の悲しみに浸ることを望んでおられないということです。むしろ、神様は私たちが神様の喜びによって生きることを望んでおられます。ネヘミヤはユダヤ人にこう言いました。

悲しんではならない。あなたがたの力を主が喜ばれるからだ。(10)

9-10章は、彼らが悔い改める時間でした。けれども、8章では、神様は彼らの失敗によって、悲しみに浸ることを望んでおられませんでした。むしろ、神様は彼らが神様の慈しみと忠実さを喜ぶことを望んでおられました。

私たちが罪を犯した時、へりくだって悔い改めるべきです。しかし、私たちの涙と後悔に浸らないようにしましょう。

むしろ、十字架を思い出し、イエス様が私たちの罰を受けてくださったことを思い出しましょう。神様の恵みと私たちの救いを思い出しましょう。そうすれば、私たちは神様の喜びをもう一度知ることができます。

私たちが自分の罪を悲しむだけのために、神様が聖書を与えたのではありません。私たちの喜びを取り去るために、聖書を与えたのでもありません。

神様が望んでおられるのは、私たちが神様と親しい関係を持ち、神様の愛と喜びを知ることです。イエス様はこう言われました。

もし、あなたがたがわたしの戒めを守るなら、あなたがたはわたしの愛にとどまるのです。それは、わたしがわたしの父の戒めを守って、わたしの父の愛の中にとどまっているのと同じです。

わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、わたしの喜びがあなたがたのうちにあり、あなたがたの喜びが満たされるためです。(ヨハネ15:10-11)

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敵に対する警戒心

エルサレムの城壁の修理は完成しました。それでも、ネヘミヤは安心できませんでした。ネヘミヤは信頼できる二人の人物にエルサレムを治めるように命じました。ハナニとハナヌヤは特にエルサレムの防衛の担当でした。ネヘミヤは彼らにこう言いました。

太陽が高く上って暑くなる前に、エルサレムの門をあけてはならない。そして住民が警備に立っている間に、門を閉じ、かんぬきを差しなさい。

エルサレムの住民のうちから、それぞれの見張り所と自分の家の前に見張りを立てなさい。(ネヘミヤ記7:3)

その指示の理由は、皆が寝ている間や、皆が起きたばかりの時に、エルサレムが攻撃されないためです。また、人々が自分の家の近くの地域を守らなければならないのなら、彼らはきっと用心するでしょう。

私たちも用心するべきです。私たちの霊的な城壁を建て直し、信仰に堅く立っているかもしれません。しかし、私たちは警戒心を緩めることはできません。サタンはいつも私たちを倒す機会を待っています。

彼は本当に忍耐強いです。私たちがあまり気を付けないと、彼はすぐに私たちを攻めてきます。

ダビデとバテシェバの話は本当に良い例です。

だから、パウロはこう書きました。

ですから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけなさい。(第一コリント10:12)

また、ペテロの言葉をいつも思い出しましょう。

身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。(第一ペテロ5:8)

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嘘、識別、と力

エルサレムの城壁の修理がほとんど完成されたので、もう一度ユダヤ人の敵はその働きを止めようと計画しました。彼らはそれが最後のチャンスだと分かっていました。

最初に、彼らはネヘミヤに言いました。「私たちは今まで喧嘩していたけれど、ここで話し合いましょう。」

しかし、ネヘミヤがエルサレムを去ると、彼らは彼を殺す計画を立てていました。ネヘミヤはそれを知っていたので、彼らに会うことを拒絶しました。彼らは四回ネヘミヤを誘いましたが、彼は四回拒絶しました。

それゆえ、彼らはネヘミヤに言いました。

諸国民の間に言いふらされ、また、ゲシェムも言っているが、あなたとユダヤ人たちは反逆をたくらんでおり、そのために、あなたは城壁を建て直している。

このうわさによれば、あなたは彼らの王になろうとしている。また、あなたはエルサレムで、自分について宣言させるために、預言者たちを任命して、『ユダに王がいる』と言わせている。

今にこのようなことが王に聞こえるであろう。さあ、来なさい。いっしょに相談しよう。(ネヘミヤ6:6-7)

多分、彼らはゼカリヤ書9章を読んで、その預言によってネヘミヤを責めました。

けれども、ネヘミヤはその冤罪を否定しました。なぜなら、彼は王になることを全く計画しておらず、王のサポートがあることを知っていたからです。その敵もそのことを知っていたので、結局、彼らは王に手紙を送りませんでした。

そして、その敵がある祭司を買収し、その祭司はネヘミヤにこう言いました。

私たちは、神の宮、本堂の中で会い、本堂の戸を閉じておこう。彼らがあなたを殺しにやって来るからだ。きっと夜分にあなたを殺しにやって来る。(10)

けれども、ネヘミヤは再び拒絶しました。なぜなら、彼がリーダーであり、もし隠れたら、人々の信頼を失ったかもしれないからです。

それに、神様の律法によれば、彼が聖所に入ることは禁止されていました。そうすれば、ユダヤ人の尊敬を失ってしまったでしょう。

そして、彼らはスパイをネヘミヤに送りました。彼らはユダヤ人の敵トビヤについていろいろな良いことを言いましたが、ネヘミヤは騙されませんでした。だから、トビヤは再びネヘミヤを脅しました。

しかし、その試練の時、ネヘミヤはこう祈りました。

ああ、今、私を力づけてください。(9)

神様はその祈りに応えてくださいました。ユダヤ人の敵の努力にもかかわらず、城壁の修理は完成されました。そして、ユダヤ人とその敵の皆は、神様の助けによって彼らがその修理を完成したことを認めました。

私たちはこの箇所から何を学ぶことができるでしょうか。

私たちが神様の働きをすることを止めるために、サタンは努力します。私たちに嘘をつき、私たちを誘惑し、攻撃します。

どのようにしてサタンと戦うことができるでしょうか。

神様からの知恵と識別が必要です。それらを得るために、私たちは毎日祈り、聖書を読むべきです。そうすれば、私たちは真理と嘘を見分け、神様の御心を知ることができます。

そして、サタンが私たちを脅して攻撃する時、ネヘミヤのように、私たちは神様の前に跪き、力を求めるべきです。

だから、私たちがこの世において神様の働きをする時、神様の知恵と識別と力を求めましょう。そうすれば、サタンは私たちを止めることができません。

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ネヘミヤ記

仲間割れ

サタンは外からの攻撃では、ユダヤ人がエルサレムの城壁を建て直すことを止めることができませんでした。そこで、彼は別の作戦を考えました。それは、ユダヤ人の間、特に金持ちと貧しい人々の間で仲間割れを引き起こすことでした。

その時、貧しい人々は非常に苦しい状況に置かれていました。飢饉があり、さらに税金を支払わなければならなかったため、食べ物を買う余裕がなかったのです。結果として、彼らは自分の田畑や家を売るしかありませんでした。

それでも食べ物が足りないため、最終的には自分の子供たちを奴隷として売らざるを得ませんでした。

ネヘミヤがその状況を深く考えたとき、彼が気づいたのは、この問題の原因が、おもだった者たちや代表者たちにあるということでした。彼らは、貧しい人々の困窮に付け込んで、お金をもうけようとしたのです。

神様の律法では、担保を取って金を貸すことは禁じられていました。神様はこう命じられました。

隣人に何かを貸すときに、担保を取るため、その家に入ってはならない。(申命記24:10)

それでも、貧しい者がローンを返せない時、重立った者たちや代表者たちはためらうことなく彼らの土地や穀物、さらには子供まで取り上げていました。

ネヘミヤが彼らを叱責した時、彼らは反論することができませんでした。結局、彼らは悔い改め、貧しい者から奪った全てのものを返しました。

ネヘミヤには総督として手当を受け取る権利がありましたが、ユダヤ人に負担をかけないように一切受け取りませんでした。それどころか、毎日、彼は150人を招待し、一緒に食事をしました。

さらに、彼は総督としてユダヤ人に威張り散らすことはせず、むしろ彼らと共に働きながら、城壁を建て直しました。

私たちはこの箇所から何を学べるでしょうか。

直接私たちを攻撃してもサタンが神様の働きを止められない場合、サタンは私たちが互いに攻め合うように仕向けます。もし私たちの一致が失われ、私たちが戦い合うことになれば、神様の働きを続けるための時間を失ってしまいます。

では、どのようにしてその状況を避けることができるでしょうか。私たちはネヘミヤのような心を持つべきです。すなわち、人に仕える心を持つべきなのです。

そのため、自分の利益だけを追い求めるのはやめてください。そのような態度は不一致を生み出します。むしろ、互いに愛によって仕え合いましょう。

パウロは次のように書いています。

兄弟たち。あなたがたは、自由を与えられるために召されたのです。ただ、その自由を肉の働く機会としないで、愛をもって互いに仕えなさい。

律法の全体は、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」という一語をもって全うされるのです。

もし互いにかみ合ったり、食い合ったりしているなら、お互いの間で滅ぼされてしまいます。気をつけなさい。(ガラテ5:13-15)

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ネヘミヤ記

反対に直面しても、私たちの人生を建て直す

ネヘミヤのリーダーシップによって、ユダヤ人たちは城壁の修理を始めました。けれども、すぐに彼らは敵からの反対に直面しました。

2章の最後では、その敵はユダヤ人たちを責め、彼らがペルシャに反抗するつもりだと非難しました。しかし、アルタシャスタ王の権威を受けてネヘミヤが城壁を修理していたため、その冤罪は消えました。

その結果、4章によると、敵はユダヤ人たちをからかいました。そして彼らはこう言いました。

この哀れなユダヤ人たちは、いったい何をしているのか。あれを修復して、いけにえをささげようとするのか。一日で仕上げようとするのか。焼けてしまった石をちりあくたの山から生き返らせようとするのか。。。

彼らの建て直している城壁なら、一匹の狐が上っても、その石垣をくずしてしまうだろう。(ネヘミヤ記4:2-3)

それでも、ユダヤ人たちは働き続けました。そこで、敵はさらに本気で反対し始め、ユダヤ人を攻撃すると脅しました。

その反対と働きの大きさによって、ユダヤ人たちはがっかりしてしまいました。そして彼らはこう言いました。

荷をになう者の力は衰えているのに、ちりあくたは山をなしている。私たちは城壁を築くことはできない。(10)

だから、ネヘミヤは行動を起こしました。労働者を守るために、城壁の背後にある低い場所の空き地に、剣や槍を持った人々を配置しました。また、労働者自身も剣を携えていました。

さらに、警報システムを設けました。つまり、彼らが攻撃を受けた際には角笛が吹き鳴らされ、皆が即座にその場に駆けつけて戦うというものです。

それは実用的な対策であると同時に、ネヘミヤはユダヤ人たちを励まし続けました。

彼らを恐れてはならない。大いなる恐るべき主を覚え、自分たちの兄弟、息子、娘、妻、また家のために戦いなさい。(14)

だから、彼らはその働きを続けました。

私たちは何を学ぶことができるでしょうか。

サタンの作戦は何一つ変わっていません。

私たちが霊的な城壁を建て直そうとすると、サタンは私たちを失望させようとします。彼はこう囁きます。「あなたは弱い人だ。あなたは決して変わらない。」

さらにこうも言います。「この哀れなクリスチャンたちは、一体何をしているのだろうか。本当に城壁を建て直すことができるのか。彼らの結婚を回復できるのか。自分の罪によって崩れたものを建て直すことができるのか。」

それでも、私たちが諦めないと、サタンは攻撃を仕掛けてきます。私たちを止めるために、試練や反対を送り込んでくるでしょう。

私たちはどう対応すべきでしょうか。

一つ目は、サタンが強いとしても、神様はもっと強いという事実を心に留めることです。神様は「大いなる恐るべき主」であり、私たちを助け、救い出してくださいます。

それでも、私たちも戦う必要があります。神様の武具を身にまとい、決してサタンの攻撃に屈してはなりません。

二つ目は、私たちには助け合う兄弟姉妹がいることを忘れないことです。信頼できるクリスチャンにあなたの戦いについて話し、祈りを頼みましょう。また、彼らの助けやサポートを求めるとともに、彼らが攻撃を受けているときには彼らを助け、支えましょう。

私たちが霊的な城壁を建て直す時、サタンは怒ります。しかし、サタンを恐れないようにしましょう。

むしろ、神様の力と周りの人々の支えによって、私たちが神様が計画されたように完全な人となるように。

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ネヘミヤ記

城壁を建て直す

ネヘミヤはエルサレムの崩れた城壁の修理について考えた時、それがどれほど大きな仕事になるかを理解しました。けれども、その仕事は非常に重要でした。その城壁が崩れている間、エルサレムは敵の攻撃に対して脆弱になってしまうからです。

エルサレムに到着してから3日間休みましたが、すぐに彼は城壁を調査しました。そして、ユダヤ人たちに城壁を修理する計画を伝えました。

ネヘミヤの言葉を聞き、王の支援について知ったユダヤ人たちは励まされました。そこで、彼らは一緒に城壁を建て直し始めました。

この箇所から私たちは何を学ぶことができるでしょうか。

まず一つ目は、エルサレムの城壁のように、私たちにも崩れた霊的な城壁が存在するということです。その城壁が崩れている間、私たちはサタンの攻撃に対して脆弱になります。

サタンは私たちを憐れむことはありません。なぜなら、私たちがクリスチャンになった瞬間に、彼の敵になるからです。だから、彼は私たちが倒れ、神様から離れるように私たちの弱い点を攻撃します。

短気な人もいれば、欲望と戦う人もいます。相手を許せない人もいれば、苦々しい心を抱える人もいます。これらは霊的な城壁の崩壊にあたります。もしクリスチャンとして完全になりたいなら、その城壁を修理しなければなりません。

ネヘミヤのように、私たちは神様の御言葉によって私たちの人生を照らし、崩れたところを調べなければなりません。どの誘惑に私たちは負けることが多いのでしょうか。サタンはどこで私たちを攻撃してくるのでしょうか。

サタンは愚かではありません。彼は私たちの強い部分を攻撃するのではなく、弱い部分を狙います。だからこそ、自分の城壁を調べて弱い部分を特定する必要があります。

二つ目は、王様が私たちの味方であり、城壁を修理するために必要な道具を与えてくださるということです。ペテロはこう言いました。

というのは、私たちをご自身の栄光と徳によってお召しになった方を私たちが知ったことによって、主イエスの、神としての御力は、いのちと敬虔に関するすべてのことを私たちに与えるからです。(第二ペテロ2:3)

三つ目は、もちろん神様は私たちの味方ですが、私たちはクリスチャンの兄弟姉妹と協力し、一緒にその崩れた城壁を修理するべきだということです。ヤコブはこう書きました。

ですから、あなたがたは、互いに罪を言い表わし、互いのために祈りなさい。いやされるためです。義人の祈りは働くと、大きな力があります。(ヤコブ5:16)

つまり、私たちは互いに助け合うべきです。信頼できるクリスチャンを見つけて、自分の戦いを分かち合いましょう。彼らの祈りを求めましょう。また、彼らのためにも祈りましょう。

そうすれば、あなたたちの霊的な城壁は徐々に建て直されていくでしょう。

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エズラ記 ネヘミヤ記

心を変える力

以前言ったように、エズラ記は年代順に書かれていません。そういうわけで、エズラ記4:7-23はエズラ記の最後の出来事です。そして、その話はネヘミヤ記の最初の背景です。

エズラはアルタシャスタ王の許可をもらって、エルサレムに戻りました。その時、アルタシャスタ王はエズラにいけにえの捧げ物を買うために金と銀を与えました。そして、アルタシャスタ王はエズラにこう言いました。

また、残りの銀と金の使い方については、あなたとあなたの兄弟たちがよいと思うことは何でも、あなたがたの神の御心に従って行なうがよい。(エズラ7:18)

だから、そのお金を使って、エズラと他のユダヤ人たちはエルサレムの城壁を修理し始め、その礎も据え始めました。

けれども、彼らはすぐに反対に直面しました。

ユダヤ人の敵はアルタシャスタ王に手紙を送りました。その手紙の中で、彼らがアルタシャスタ王に伝えたのは、もしユダヤ人がその修理を完成すれば、きっとペルシャに反抗するだろうということです。それを証明するために、彼らはこう言いました。

あなたの先祖の記録文書をお調べになれば、この町が反抗的な町で、王たちと諸州に損害を与え、また昔からこの町で反逆が行なわれたことを、その記録文書の中に見て、おわかりになるでしょう。この町が滅ぼされたのも、そのためです。(エズラ4:15)

アルタシャスタ王はその記録文書を調べ、その意見に賛成したので、ユダヤ人にその働きを止めるよう命令しました。

それがネヘミヤ記の背景です。

数年が経ちましたが、アルタシャスタは依然としてペルシャを治めていました。エズラと他のユダヤ人が修理した城壁は再び崩れ、エルサレムの門も焼き払われたままでした。ですから、ユダヤ人の敵は彼らを簡単に攻撃できました。

ネヘミヤはアルタシャスタ王の献酌官でした。彼の仕事は、王に杯を持って行き、毒があるかどうかを確認するために先にその杯から飲むことでした。

それはシンプルな仕事のように見えますが、献酌官は非常に高位の官職でした。ネヘミヤは王に信頼されており、その影響力も大きかったのです。

ある日、ネヘミヤの親類の一人がエルサレムから来て、エルサレムの困難について伝えました。

それを聞いて、ネヘミヤは悲しみ、断食し、神様に祈りました。彼はユダヤ人の罪を告白し、王の好意を得るために祈りました。つまり、神様がアルタシャスタの心を変え、再びユダヤ人に好意を示してくださるように祈りました。

それは小さな願いではありませんでした。なぜなら、城壁の修理を止めるよう命令したのはアルタシャスタ自身だったからです。

しかし、神様はその祈りに応えてくださいました。

アルタシャスタはネヘミヤの悲しい顔に気づき、どうしたのか尋ねました。ネヘミヤはそれを聞いて怖がりました。なぜなら、ペルシャの法律によれば、王の前で悲しい顔をすることは死刑に値するかもしれなかったからです。

けれども、アルタシャスタはネヘミヤを尊敬していたので心配しました。

だから、ネヘミヤは速やかに祈り(おそらく、一時間もの祈りをする時間はなかったでしょう)、アルタシャスタにエルサレムの困難について話しました。

神様はアルタシャスタの心を変え、ネヘミヤは王の好意を得ました。なぜアルタシャスタの心が変わったのでしょうか。

もちろん、神様が王の心に働いたからです。でも、それだけではなく、おそらくアルタシャスタはネヘミヤの謙遜と忠実な働きを見続けていたので、ネヘミヤを信頼していたのです。

アルタシャスタは思ったかもしれません。

「もしネヘミヤがエルサレムの城壁を修理する責任を持っていたら、ユダヤ人はペルシャに反抗しないだろう。この忠実なユダヤ人は、他のユダヤ人がペルシャに反抗すると思ったら、こんな要望をしないだろう。」

だから、アルタシャスタはネヘミヤの望みを叶えました。

私たちはこの話から二つのことを学ぶことができます。

一つは、私たちが神様の国のためにつまらないと思うものが、最終的に非常に重要になるかもしれないということです。

ネヘミヤが献酌官として不実だったら、アルタシャスタはネヘミヤの要望を叶えなかったでしょう。しかし、ネヘミヤが忠実なしもべだったので、王は彼を信頼しました。

あなたは自分の仕事が神様の国に関係ないと思うかもしれません。けれども、忠実で上手に仕えることによって、周りの人々にクリスチャンがどのような人であるかを示すことができます。そして、あなたは彼らに影響を与えることができます。

その一方、あなたが不実で努力しないと、彼らにクリスチャンについて悪い印象を持たせてしまうかもしれません。

二つ目は、祈りには心を変える力があるということです。あなたは自分の夫、妻、上司、周りの人々を見て、彼らが全く変わることができないと思うかもしれません。しかし、彼らのために祈り、良い証を立てることで、神様は彼らの心に働かれます。

あなたは誰かの人生に変化を望んでいるでしょうか。キリストの弟子の模範となりましょう。彼らのために祈りましょう。そうすれば、神様は彼らの心に働かれます。