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ホセア書

悔い改め

悔い改め。

教会ではその言葉をよく耳にするかもしれませんが、教会の外ではほとんど使われることがありません。しかし、悔い改めとは何を意味するのでしょうか。この箇所でホセアはその意味を教えています。彼はイスラエル人にこう言いました。

イスラエルよ。あなたの神、主に立ち返れ。あなたの不義がつまずきのもとであったからだ。

あなたがたはことばを用意して、主に立ち返り、そして言え。「すべての不義を赦して、良いものを受け入れてください。私たちはくちびるの果実をささげます。アッシリヤは私たちを救えません。

私たちはもう、馬にも乗らず、自分たちの手で造った物に『私たちの神』とは言いません。みなしごが愛されるのはあなたによってだけです。」(ホセア書14:1-3)

悔い改めというのはどういう意味でしょうか。悔い改めとは、神様に立ち返ることです。自分の歩んでいた道を離れ、もう一度神様に従うことを選ぶことです。

また、自分の罪を告白し、神様の赦しを求めることでもあります。さらに、自分が追い求めていたものを捨て、神様こそが必要な存在であると認めることです。そして、悔い改めは、神様の憐れみを切に求めることでもあります。

そのように悔い改めると、神様はどのように反応されるのでしょうか。

わたしは彼らの背信をいやし、喜んでこれを愛する。わたしの怒りは彼らを離れ去ったからだ。わたしはイスラエルには露のようになる。彼はゆりのように花咲き、ポプラのように根を張る。

その若枝は伸び、その美しさはオリーブの木のように、そのかおりはレバノンのようになる。

彼らは帰って来て、その陰に住み、穀物のように生き返り、ぶどうの木のように芽をふき、その名声はレバノンのぶどう酒のようになる。エフライムよ。

もう、わたしは偶像と何のかかわりもない。わたしが答え、わたしが世話をする。わたしは緑のもみの木のようだ。あなたはわたしから実を得るのだ。(4-8)

つまり、神様が私たちを赦されると、私たちは神様の愛をもう一度深く知るようになります。罪によって涸れた私たちの人生の部分が再び活力を得て、私たちは祝福されるだけでなく、私たちの周りの人々もその祝福にあずかります。

それでは、なぜ私たちはそもそも神様から逃げるのでしょうか。

神様も同じ質問を私たちに投げかけられるかもしれません。そのため、神様はこう言われました。

知恵ある者はだれか。その人はこれらのことを悟るがよい。

悟りある者はだれか。その人はそれらを知るがよい。

主の道は平らだ。正しい者はこれを歩み、そむく者はこれにつまずく。(9)

私たちが知恵を持って自分の罪を悔い改めることができますように。しかし、それ以上に、私たちが知恵を持って、決して神様の隠れ場から離れることがありませんように。

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ホセア書

不実

この世では、多くの人々は夫が妻に不実になり、妻も夫に不実になることが当たり前だと考えています。

けれども、そのように考えると、不倫が結婚にどれほど破壊的な影響を与えるかが分からなくなります。また、あなたの伴侶をどれほど深く傷つけるかが見えなくなります。

私たちの神様との関係も同じです。神様は私たちとの関係を結婚に例えられます。

クリスチャンである私たちはキリストの花嫁です。そのため、私たちが神様に不実であれば、神様を深く傷つけ、その関係に大きな打撃を与えることになります。

この箇所で神様はそれを指摘されます。何度も、神様はイスラエルに対するご自身の愛と忠実さを語られました。

例えば、イスラエル人の祖先であるヤコブが詐欺師であり、神様と戦ったにもかかわらず、神様はヤコブに愛と憐れみを注がれました。また、神様はイスラエル人をエジプトから導き出し、彼らが砂漠を越える時にモーセを通して彼らを養い、世話されたのです。

しかし、イスラエル人は自分たちの土地に定着して力を持つようになると、高慢になりました。彼らは神様に不実になり、自ら作った偶像を礼拝し始めました。

時間が経つにつれて、彼らの堕落はますます深刻になり、最もひどいのは、自分の子供たちをいけにえとして捧げたことです。

さらに、敵が彼らを攻撃すると、彼らは神様に立ち返らず、他の国々と同盟を結びました。

神様がイスラエルを責められる言葉を読むと、その深い痛みが伝わってきます。神様は裏切られた夫のように悲しまれました。

わたしは、エフライムの偽りと、イスラエルの家の欺きで、取り囲まれている。(ホセア書11:12)

ヤコブが妻を得るためにそのお父さんに代価を支払ったように、神様もイスラエルのために代価を支払われました。また、神様はずっとイスラエル人を世話されました。

しかし、それにもかかわらず、イスラエルは主の怒りを引き起こしました。(12:12-14)

そのため、神様は将来の裁きについて警告されました。

神様は、「その裁きが来るとき、救いは来ない」と警告されたのです。

彼らの王は彼らを救うことができず、神様も彼らを救われません。なぜなら、彼らは自分の「夫」であり救い主である神様から離れたからです。

だから、神様は言われました

わたしはよみの力から、彼らを解き放ち、彼らを死から贖おう。(13:14a)

この箇所はヘブル語から翻訳するのが少し難しいです。そのため、英語の聖書には二つの翻訳があります。

一つは、この日本語の翻訳と同じ意味を持っています。けれども、もう一つの翻訳はより優れており、それは以下のようなものです。

わたしはよみの力から、彼らを解き放ちましょうか。彼らを死から贖いましょうか。

そして、神様の答えは、「違います。そのようにはしない。」でした。

そのため、神様はこう言われました。

死よ。おまえのとげはどこにあるのか。よみよ。おまえの針はどこにあるのか。あわれみはわたしの目から隠されている。(13:14b)

パウロは第一コリント15章でこの箇所を引用し、神様がキリストの死に対する勝利によって、いつか死のとげと墓の針を取り除かれることを教えました。

ところが、この箇所ではホセアは全く異なるメッセージを伝えています。

すなわち、神様は「死よ、お前のとげはどこにあるのか。よみよ(すなわち墓)、お前の針はどこにあるのか」と言い、死のとげと墓の針をイスラエル人の上に落とすように呼びかけました。

なぜでしょうか。それは、彼らが神に不実だったからです。

神様は彼らをまだ愛しておられたでしょうか。もちろんです。最終的に彼らを回復されたでしょうか。それもその通りです。なぜなら、私たちが不実であっても、神様は忠実な方だからです。

不実があっても結婚が続く場合があります。しかし、一人が不実であれば、相手は深く傷つき、苦しみます。それだけでなく、不実な人自身も最終的に苦しむことになるのです。

私たちの神様との関係も同じです。イスラエルはこの重要な教訓を学びました。

私たちは、自分が不実であるとき、どれほど神様を傷つけるかを考えるべきです。私たちはこの世の物をどれほど愛し求め、神様の愛と忠実さをどれほど踏みにじっているのでしょうか。

私たちが不実で夫や妻を傷つけるのと同じように、神様に対して不実であれば、神様も深く傷つかれるのです。

そのような行動を避けましょう。そして、いつも忠実な神様に対して、私たちも忠実であり続けましょう。

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神様の忠実な愛

「神様は私を本当に愛しているだろうか。」

多くの人々の心にこの質問は響いています。けれども、もう一つの質問が、さらに深く傷ついている人々の心に響いています。

「神様は私をまだ愛しているだろうか。」

時々、人々が私たちの弱さや欠点を見たときに、彼らの愛がすぐに冷めてしまうことを経験します。そのため、私たちはこう思うことがあります。「もし人間の愛がすぐになくなるのなら、神様も私を見捨てるのではないか。」

この箇所には、その答えがあります。

ここでは、神様がどのようにイスラエル人を愛しておられたかを思い起こさせます。つまり、神様は愛によってイスラエルをエジプトの奴隷生活から救い出し、砂漠で彼らを導き、彼らのすべての必要を満たされました。

しかし、彼らは神様に背を向けて、バアルを礼拝し始めました。神様に従うことなく、神様から逃げる道を選んだのです。

そのため、神様は彼らに将来の裁きについて警告されました。けれども、その警告の中で、神様は自分の心を表されたのです。

エフライムよ。わたしはどうしてあなたを引き渡すことができようか。イスラエルよ。。。わたしの心はわたしのうちで沸き返り、わたしはあわれみで胸が熱くなっている。

わたしは燃える怒りで罰しない。わたしは再びエフライムを滅ぼさない。わたしは神であって、人ではなく、あなたがたのうちにいる聖なる者であるからだ。(ホセア書11:8-9)

つまり、私たちがどんなに神様から離れても、神様は私たちのことを諦めることはありません。私たちを懲らしめることがあっても、私たちを捨てることはありません。

神様の愛は人間の愛とは全く違います。神様の愛は変わることがなく、なくなることもありません。神様の愛は忠実で永遠です。神様はいつも私たちに手を差し伸べ、私たちが戻るのを待っておられます。

神様の愛を疑っていますか。神様がもうあなたを愛することができないと思っていますか。

エレミヤの言葉を思い起こしましょう。

私たちが滅びうせなかったのは、主の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ。それは朝ごとに新しい。「あなたの真実は力強い。」(哀歌3:22-23)

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神様を私たちの王として拒絶すると

アメリカでは、4年ごとに人々は新しい大統領のために投票します。次は来年です。

皆はアメリカを繁栄に導く人物を選ぼうとします。そして、新しい大統領がその職務を始めると、人々に希望が湧きます。けれども、国の繁栄の鍵は、大統領や政治家ではありません。

この箇所では、ホセアはイスラエル人にそのことを教えました。

ホセアは、神様がイスラエル人の罪のために罰を与えると警告しました。

ヤロブアムがイスラエルの王で、すべてが順調に見えたとしても、その繁栄は永遠に続かないと警告しました。なぜなら、ヤロブアムは悪い王であり、イスラエル人は様々な罪を犯していたからです。

そして、ホセアは、神様がヤロブアムとその子孫から王座を取り上げると預言しました。そうなった時、イスラエル人はこう言うでしょう。

私たちには王がない。私たちが主を恐れなかったからだ。だが、王は私たちに何ができよう. (ホセア書10:3)

つまり、イスラエルの状態が酷くなるので、彼らはそのリーダーたちをもう信じなくなります。

なぜでしょうか。それは、人々が神様のために生きず、自分自身のために生きると、そのような国には希望がないからです。人々が神様を自分の王として認めない限り、希望はありません。

私たちの文化についても、ホセアの言葉が当てはまると思います。

多くの人々は政治体制をもう信じていません。新しい総理大臣が就任しても、多くの日本人はその人を信じようとしません。なぜなら、何も変わらないと思うからです。

多くの場合、彼らは正しいです。何も変わりません。

また、ホセアはイスラエル人についてこう言いました。「皆は堕落しました。契約を結んでも守りません。だから、訴訟がたくさんあります。」(4)

それはまるでアメリカのようです。

そして、ホセアはこう言いました。「あなたたちが建てた神が倒れると、あなたたちは悲しみます。」

今でも、経済危機の際にそのような反応が見られます。

多くの人々はお金を自分の神としますが、結局すべてを失ってしまいます。だから、彼らは苦しみ、「どうしよう」と思うのです。

その時、彼らは山々に向かって、「私たちをおおえ」と言い、丘に向かって、「私たちの上に落ちかかれ」と言います。(8)

この箇所を聞いたことがありますか。

イエス様が十字架に向かう際、女性たちにこの箇所を引用しました。イスラエル人がイエス様を王として拒絶したため、40年後にエルサレムは崩壊したのです。

だからこそ、ホセアはイスラエル人を戒めました。

あなたがたは正義の種を蒔き、誠実の実を刈り入れよ。あなたがたは耕地を開拓せよ。

今が、主を求める時だ。ついに、主は来て、正義をあなたがたに注がれる。(12)

神様は私たちに同じことを語っておられます。今こそ主を求める時です。政治家を通して救いを見つけることはできません。この世の神々を通しても救いを見つけることはできません。ただ神様だけによって救いが来るのです。

だから、私たちの堅くなった心を耕しましょう。神様からの種を受け入れましょう。正義の種を撒けば、誠実の実を刈り入れることができます。そして、本当の喜びと繁栄を知るようになるでしょう。

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神様に聞かないと

この箇所を読むと、7-8節は私の心に強い印象を与えます。

ホセアはこう書きました。

刑罰の日が来た。報復の日が来た。イスラエルは知るがよい。

預言者は愚か者、霊の人は狂った者だ。これはあなたのひどい不義のため、ひどい憎しみのためである。

エフライムの見張り人は、私の神とともにある。しかし、預言者は、すべての道にしかけるわなだ。彼の神の家には憎しみがある。(ホセア書9:7-8)

ホセアの時代には、悪が多く、人々は預言者と聖人を愚か者とみなしていました。だから、イスラエル人は預言者の警告や注意をほとんど無視しました。それだけでなく、預言者たちを黙らせるために、イスラエル人は彼らを迫害しました。

その結果、刑罰の日が訪れ、報復の日がやってきました。

ホセアは、その時代をギブアの時代と比べました。ギブアの話はイスラエルの歴史の中でも本当に酷い出来事でした。彼らの堕落はソドムとゴモラの堕落に似ていたのです。

だから、ホセアはこう言いました。「もし、あなたがたが神様の言葉を無視し続けると、ギブアのようになる。ソドムとゴモラのようになる。」

残念ながら、イスラエル人はホセアの言うことを聞かず、結局裁きが訪れました。

神様は私たちの世界を見て、何を思っておられるのでしょうか。ホセアの言葉は、私たちの文化にも適しているからです。

神様の言葉を忠実に述べ伝える人は、愚か者としてからかわれます。ある国々ではクリスチャンが殺され、アメリカでもクリスチャンたちは頑迷だと呼ばれ、汚名を着せられることがあります。

そして、だんだんこの世界の道徳は悪化し、ソドムとゴモラのようになっています。

神様はそのような状況を永遠に我慢されることはできません。もし、私たちが悔い改めないなら、ギブアやソドムとゴモラ、そしてイスラエルのように裁きが訪れるでしょう。それは神様に聞き従わないなら、当然のことです。

さらに、以前言ったように、もし神様の祭司である私たちが神様に聞き従わないなら、この世界には希望があるでしょうか。私は希望はないと思います。

だから、神様の祭司として、神様の言葉を無視せず、従いましょう。この世界の価値観を受け入れないでください。むしろ、神様に従い、神様の力によって、この価値観を変えていきましょう。

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言葉が足りない時

私の娘、結実は三歳になると、だんだん正しいことと悪いことが分かるようになりました。そして、彼女は私と妻を試し始めました。

例えば、彼女がリビングテーブルに上ると、私たちは「だめ」と言い、結実はすぐに降りました。けれども、すぐにもう一度テーブルに上りました。

私たちが2ー3回注意した後、結実を自分の部屋に行かせました。彼女が謝ると、出ることを許しましたが、時々、彼女は本気で謝りませんでした。むしろ、彼女は可愛い顔をして、「ごめんなさい」と言いました。

多分、結実は「もし、可愛い顔をすれば許してくれるかな」と思ったのでしょう。

しかし、彼女が正しいことと悪いことを区別できるようになったので、私たちは許しませんでした。彼女はちゃんと謝らなくてはならなかったのです。

神様とイスラエル人の関係も同様でした。時々、彼らは主を求めるふりをしましたが、実際には姦淫の霊が彼らのうちにありました。だから、神様はこう言われました。

彼らは羊の群れ、牛の群れを連れて行き、主を尋ね求めるが、見つけることはない。主は彼らを離れ去ったのだ。(ホセア書5:6)

彼らは神様に対して不忠だったので、神様は彼らを懲らしめられました。そして、彼らはもう一度神様に向かいましたが、彼らの態度は私の娘の態度に似ていました。

彼らは、「ごめんなさい」と言いましたが、本気で言っていなかったのです。

例えば、6章で、イスラエル人はこう言いました。

「さあ、主に立ち返ろう。主は私たちを引き裂いたが、また、いやし、私たちを打ったが、また、包んでくださるからだ。主は二日の後、私たちを生き返らせ、三日目に私たちを立ち上がらせる。私たちは、御前に生きるのだ。

私たちは、知ろう。主を知ることを切に追い求めよう。主は暁の光のように、確かに現われ、大雨のように、私たちのところに来、後の雨のように、地を潤される。」(6:1-3)

それは素晴らしい言葉ですが、主の反応を見てください。

エフライムよ。わたしはあなたに何をしようか。ユダよ。わたしはあなたに何をしようか。あなたがたの誠実は朝もやのようだ。朝早く消え去る露のようだ。(6:4)

つまり、「そんな美しい言葉を言ったり、私を求め始めたりするけれど、あなたの状態が良くなると、あなたはすぐに私を捨てる。」

そして、神様は言われました。

ユダよ。わたしが、わたしの民の繁栄を元どおりにするとき、あなたのためにも刈り入れが定まっている。わたしがイスラエルをいやすとき、エフライムの不義と、サマリヤの悪とは、あらわにされる。(6:11-7:1)

また、

彼らはわたしに向かって心から叫ばず、ただ、床の上で泣きわめく。(7:14)

また、

彼らは、わたしに向かって、「私の神よ。私たちイスラエルは、あなたを知っている」と叫ぶが、イスラエルは善を拒んだ。。。

彼らは王を立てた。だが、わたしによってではない。彼らは首長を立てた。だが、わたしは知らなかった。彼らは銀と金で自分たちのために偶像を造った。(8:2-4)

また、

エフライムは罪のために多くの祭壇を造ったが、これがかえって罪を犯すための祭壇となった。。。

彼らがわたしにいけにえをささげ、肉を食べても、主はこれを喜ばない。今、主は彼らの不義を覚え、その罪を罰せられる。。。(8:11-13)

多くの人々は敬虔な行動によって神様を感動させようとします。しかし、日常生活で彼らが自分自身のために生きると、神様はその敬虔な行動を受け入れられません。

だから、神様はイスラエル人にこう言われました。

わたしは誠実を喜ぶが、いけにえは喜ばない。全焼のいけにえより、むしろ神を知ることを喜ぶ。(6:6)

また、

サマリヤよ。わたしはあなたの子牛をはねつける。わたしはこれに向かって怒りを燃やす。彼らはいつになれば、罪のない者となれるのか。(8:5)

あなたはどうですか。毎日神様を求めていますか。それとも、ただ神様を求めるふりをしているだけではありませんか。神様を欺くことはできません。神様はあなたの心をご覧になるからです。

だから、心から神様に向かいましょう。そうすれば、主は私たちを癒し、私たちの傷を包み、私たちを生き返らせ、私たちを立ち上がらせてくださいます。

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祭司たちは祭司として振る舞わないと

「どうしてこの世界のモラルはだんだん悪くなっているのでしょうか。どこに行っても、誠実さがなく、愛がなく、誰も神様を認めません。殺人や姦淫や嘘が蔓延しています。全てのモラルの境界線は超えられてしまいました。」

このような言葉を聞いたことがありますか。ホセアは約2700年前に同じことを語っていました。時が経っても、何も変わらないのですね。

神様は全てのイスラエル人を裁かれましたが、特に祭司たちを責められました。彼らは神様を礼拝すると言っていましたが、実際にはヤロブアム1世の金の子牛を通して神様を「礼拝」していたのです。おそらく彼らはバアルも礼拝し始めていたのでしょう。

だから、7節にこう書いてあります。

彼ら(つまり祭司たち)はふえるにしたがって、ますます、わたしに罪を犯した。わたしは彼らの栄光を恥に変える。(ホセア書4:7)

だから、神様についての知識は失われ、または、その知識が歪められてしまいました。そこで、神様は祭司たちにこう言われました。

わたしの民は知識がないので滅ぼされる。あなたが知識を退けたので、わたしはあなたを退けて、わたしの祭司としない。(6節)

そして、神様はこう言われました。

だから、民も祭司も同じようになる。わたしはその行ないに報い、そのわざの仕返しをする。(9節)

神様は今でも、このようなことを言われるかもしれません。しかし、私は悪い牧師や祭司について話しているのではありません。クリスチャンについて話しています。私たち全員が神様の祭司なのです。(第一ペテロ2:9)

もし私たちが霊的な不貞を犯すとしたら、つまり、自分自身のために生きたり、この世のものが私たちの神になったりしたら、どのような祭司になるでしょうか。私たちはこの世界に良い影響を全く与えられません。

私たちがこの世界に神様についての本当の知識を与えず、神様の教えを妥協したとしたら、この世の悲惨な状態を見ても驚くことができるでしょうか。

この世の人々は地獄に行くかもしれませんが、もし私たちが祭司として不忠であったならば、神様は「これはあなたのせいです。どうしてあなたが私の祭司でありながら不忠だったのでしょうか」と尋ねられるでしょう。

あなたはどのような祭司でしょうか。

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私たちを追いかける神

聖書の中には、本当に不思議な話があります。

神様は預言者ホセアに「姦淫の女」と結婚するよう命じられました。彼女が売春婦であったかどうかは分かりませんが、ホセアはその女性と結婚する際、彼女が将来不倫をすることを知っていました。

この話が起こった時、ヤロブアム二世はまだイスラエルの王であり、ウジヤ(アザルヤという名前も持っていました)はユダの王でした。

ホセアは主にイスラエルに神様のメッセージを伝えていましたが、時折ユダにも伝えていました。

以前言ったように、その時イスラエルは繁栄していましたが、霊的な問題を抱えていました。イスラエル人はバアルを礼拝し、神様に対して不誠実でした。

そこで、ホセアの結婚を通して神様はイスラエルにメッセージを伝えようとされたのです。

ホセアはゴメルという女性と結婚しました。そして、彼女が息子を生んだ時、神様はその子をイズレエルと名づけるよう命じられました。

なぜなら、エフー王が神様の言葉に従ってイズレエルという場所でアハブ王の家族を殺したものの、最終的にエフーはやりすぎたからです。そのため、神様はエフーの家族とイスラエルを裁くと仰せられたのです。(ホセア書1:4)

その後、ゴメルは二度赤ちゃんを産みましたが、聖書ではその二人がホセアの子供であるとは書かれていません。(おそらく、イズレエルは本当にホセアの子だったのでしょう。)

つまり、ゴメルは不倫をし、他の男性の子供を産んだのです。

一人を「ロ・ルハマ」と名付けました。その意味は「愛されていない」です。

次の赤ちゃんを「ロ・アミ」と名付けました。その意味は「私の民ではない」です。

その状況は非常に明確な象徴でした。ホセアにとって、その二人を愛するのは非常に難しかったと思います。また、当然「この二人の赤ちゃんは私の子供だ」とは言えなかったでしょう。

同じように、イスラエルが神様に対して不忠であったため、神様はイスラエル人について「私の愛する民」とは言えず、「私の子供たち」とも言えなかったのです。

むしろ、神様は彼らを拒絶し、イスラエルが国として倒れると警告されました。

それでも、その罰は永遠に続かないと約束されました。むしろ、いつか神様は彼らを回復させ、もう一度「私の民、私の子」と呼ぶと約束されたのです。(1:10-11)

しかし、2章では神様がイスラエル人の不忠な心を責められました。彼らは、受けた祝福が拝んでいた偽りの神々から来たのではなく、真の神様から来たことに気づかなかったのです。

だから、神様は彼らの祝福を止め、すべての良いものを取り去ると言われました。彼らは喜びと幸せを求めても見つけられず、むしろ恥だけを見つけるようになるのです。その時、彼らの状態は本当に厳しくなり、神様に戻る以外の選択がなくなるのです。

それでも驚くべきことに、彼らが不忠であっても、神様は彼らを追い続けられるのです。神様はこう言われました。

それゆえ、見よ、わたしは彼女をくどいて荒野に連れて行き、優しく彼女に語ろう。わたしはその所を彼女のためにぶどう畑にし、アコルの谷を望みの門としよう。

彼女が若かった日のように、彼女がエジプトの国から上って来たときのように、彼女はその所で答えよう。

その日、――主の御告げ――あなたはわたしを『私の夫』と呼び、もう、わたしを『私のバアル』とは呼ぶまい。。。

わたしはあなたと永遠に契りを結ぶ。正義と公義と、恵みとあわれみをもって、契りを結ぶ。わたしは真実をもってあなたと契りを結ぶ。このとき、あなたは主を知ろう。。。

「愛されない者」を愛し、「わたしの民でない者」を、「あなたはわたしの民」と言う。彼は「あなたは私の神」と言おう。(ホセア書2:14-16、19-20,23)

イスラエル人がその言葉を理解し思い出すために、神様はホセアにこう命じられました。

「あなたの妻をもう一度愛しなさい。ゴメルは他の人の奴隷になりましたが、その人から彼女を買い戻しなさい。そして、もう一度ゴメルをあなたの妻として受け入れなさい。」

私たちはこの話から何を学ぶことができるでしょうか。

私たちが神様からどんなに遠く離れても、神様は私たちをなお愛し、追い続けてくださいます。

神様は私たちを懲らしめることもあります。私たちの罪のために、神様が私たちの人生に困難な状況を許されることもあります。けれども、神様の目的は私たちを回復することなのです。神様のすべての行動は愛と忠実から来ています。

だから、ホセアがゴメルに伝えたように、私たちはもうこの世を愛さず、霊的な不貞を犯さないようにしましょう。

神様に立ち返り、忠実であり続けましょう。なぜなら、神様は私たちに忠実であり、キリストの十字架の働きによって私たちを贖われたからです。