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ヨハネの福音書 ヨハネ10章

見ても信じない?

ある人々はこう言います。「神様自身が私の前に現れて、私と話すなら、私は神様のことを信じるだろう。」

けれども、その考え方には大きな問題があります。

神様自身はこの世に現れました。神様は私たちと話され、私たちの間を歩いておられました。神様はいろいろな奇跡を行われました。神様が敵対者たちと議論されたとき、相手は答えられなくなりました。それでも、彼らは神様を信じませんでした。

私の要点は何でしょうか。

もし、あなたが信じないと決めてしまっているなら、たとえ神様があなたの前に現れても、あなたは信じないでしょう。むしろ、それを夢や幻覚だと自分を説得しようとするでしょう。

人々が神様を拒絶する理由は、彼らが神様のことを信じられないからではなく、信じたくないからなのです。

この箇所では、私たちはそのような例を見ます。ユダヤ人たちはイエス様のところに来て、こう言いました。

あなたは、いつまで私たちに気をもませるのですか。もしあなたがキリストなら、はっきりとそう言ってください。(ヨハネの福音書10:24)

イエス様はこう答えられました。

わたしは話しました。しかし、あなたがたは信じないのです。わたしが父の御名によって行なうわざが、わたしについて証言しています。(25)

その前に、イエス様は病気の人々を癒され、足が不自由な人々を癒され、目が見えない人々を癒され、皮膚病にかかった人々を癒され、死んだ人々を復活させられました。それにもかかわらず、周りの人々はそれを見ても、イエス様を信じませんでした。

さらに、彼らが学んだ預言者たちは、その奇跡について語っていました(イザヤ書53:4、61:1-2など)。それでもユダヤ人たちは、なぜかイエス様を信じることを拒みました。

その後、イエス様はさらに明確に語られました。

わたしの羊はわたしの声を聞き分けます。またわたしは彼らを知っています。そして彼らはわたしについて来ます。

わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは決して滅びることがなく、また、だれもわたしの手から彼らを奪い去るようなことはありません。

わたしに彼らをお与えになった父は、すべてにまさって偉大です。だれもわたしの父の御手から彼らを奪い去ることはできません。わたしと父とは一つです。(27-30)

誰が永遠の命を与えることができるでしょうか。それは神様だけです。しかし、イエス様はご自身の民に永遠の命を約束されました。

さらに、イエス様は「わたしと父とは一つです。」と言われました。

イエス様が意味されたものは何だったのでしょうか。ユダヤ人たちは理解しました。イエス様はご自身が神であることを主張されたのです。彼らはすぐに反応し、イエス様を殺そうとしました。

彼らはこう言いました。

良いわざのためにあなたを石打ちにするのではありません。冒涜のためです。あなたは人間でありながら、自分を神とするからです。(33)

彼らはイエス様の言葉を誤解しませんでした。

そのためイエス様は続けて、旧約聖書を引用されました。その詩篇では、神様は不正な裁判官たちを「神」と呼ばれました。なぜなら、彼らが人々を裁くとき、神様の立場に立っていたからです。

だから、イエス様はこう言われました。「もし、裁判官の立場のために神様が彼らを『神』と呼ばれたのなら、神の独り子として、私は『神』と呼ばれるのにふさわしいでしょう。」

動物でも人間でも、親子はいつも同じ本質を持っています。だから、もしイエス様が神の子であるなら、イエス様は誰でしょうか。

そして、イエス様はご自身の人生について語られました。イエス様は常に神様の働きに参加し、いろいろな奇跡を行われました。ユダヤ人たちはそれを知っていました。それを見ました。それでもなお、彼らはイエス様を拒絶しました。なぜでしょうか。

私にはわかりません。

もしかしたら、イエス様の教えと行動が彼らの期待と違っていたからかもしれません。それでも、彼らは自分たちの考え方を変えることなく、イエス様に背を向けました。

現代でも、多くの人々は同じことをします。彼らはイエス様に出会うのに、イエス様は彼らの期待するものと違います。

もしかしたら、イエス様が彼らの罪を示したため、彼らは気分を害するのかもしれません。そして、彼らは自分の罪にしがみつきたいという理由でイエス様を拒絶するのです。

あなたはどうでしょうか。「神様を見るなら、私は信じる」と言いますか。おそらく、見ても信じないでしょう。もし信じる意志がないのなら、何を見ても信じることはないでしょう。

そのことを認め、自分自身を欺くのをやめましょう。

しかし、それよりも大切なことは、心をイエス様の前に柔らかくすることです。そうすれば、あなたは本当の命を見つけることができるのです。

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ヨハネの福音書 ヨハネ10章

良い羊飼い

この箇所では、私たちとイエス様との関係の素晴らしい描写を見ることができます。イエス様は羊飼いと羊の描写を用いられています。

門番は彼のために開き、羊はその声を聞き分けます。彼は自分の羊をその名で呼んで連れ出します。彼は、自分の羊をみな引き出すと、その先頭に立って行きます。

すると羊は、彼の声を知っているので、彼について行きます。(3-4)

イエス様の言葉から私たちは何を学ぶことができるでしょうか。

簡単に言えば、イエス様は私たちと本当に個人的な関係を持っておられます。

私は高校で働いており、授業には40人の生徒がいて、多くの場合、一週間に一度しか教えません。そのため、すべての生徒の名前を覚えるのはとても難しく、多くの先生たちが座席表を使います。

けれども、羊を見分けることを想像してください。多くの人々にとって、それは不可能に近いでしょう。すべての羊は大体同じように見えるからです。でも、羊飼いは一匹一匹の名前を知っています。

この世には何億人もの人々がいます。それにもかかわらず、イエス様が私の名前をご存知であることを想像するのは難しいかもしれません。

しかし、それだけではありません。イエス様は毎日私を導き、世話してくださいます。イエス様は私の先に行き、私を守ってくださいます。さらに、イエス様は私のためにご自身の命を捨ててくださいました。

イエス様はこう言われました。

わたしは、良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。(ヨハネの福音書10:11)

羊飼いと羊の価値を比べてみてください。羊飼いの価値は断然高いです。

そして、宇宙を造られた神とあなた自身の価値を比べてみてください。どう思いますか。

それでも、イエス様はあなたを愛されたので、天国を離れて人間となり、あなたの罪のために十字架の上で苦しみ、死なれました。

それが信じられないと思うかもしれませんが、それは本当の話です。それは私たちへのイエス様の愛です。

イエス様、あなたが私の羊飼いであることを感謝します。この世には何億人もの人々がいるのに、あなたは私の名前をご存知です。

たとえ私だけが罪を犯していたとしても、あなたは私のために十字架で死んでくださったでしょう。あなたの愛は本当に驚くべきものです。

私がその愛を心から実感できるように助けてください。そして、私を通して、あなたの愛が流れ、周りの人々に触れるようにしてください。彼らもあなたを知り、あなたの羊となるように。アーメン。

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ヨハネの福音書 ヨハネ10章

多くの人々はクリスチャンたちにこう尋ねます。「どうしてあなたは、神様への道が一つしかないと信じるのですか。」

簡単に言えば、それはイエス様がそう主張されたからです。

イエス様はこう教えられました。

まことに、まことに、あなたがたに告げます。羊の囲いに門から入らないで、ほかの所を乗り越えて来る者は、盗人で強盗です。(ヨハネの福音書10:1)

多くの人々は、どうすれば天国に行けるか教えようとします。

パリサイ人たちは、神様の律法を正確に守らなくてはならないこと、そしてユダヤ人の先祖のルールと伝統を堅く守らなくてはならないと教えました。

現代でも、多くの人々は自分の努力によって天国に入ろうとします。

しかし、イエス様によれば、天国の門を通らずに、ほかの方法で入ろうとする者は強盗です。

自分の努力によって、彼ら自身が天国に入ることはなく、彼らの教えに従うなら、あなたの魂を盗むことになります。つまり、あなたは裁かれ、地獄に行くのです。

イエス様はこう言われました。

盗人が来るのは、ただ盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするだけのためです。(10a)

この箇所では、イエス様はサタンについて語られています。けれども、多くの場合、サタンは人々を用いて私たちを永遠の破壊に導きます。

その人たちは、必ずしも意図的にあなたの魂を滅ぼそうとしているわけではないかもしれません。実際、多くの場合、彼らの意図は善良であるように見えることさえあります。

けれども、彼らはサタンに騙されているので、もし私たちが彼らに従うなら、私たちも同じ落とし穴に落ちてしまいます。

では、天国に至る門とは何なのでしょうか。イエス様はこう言われました。

わたしは門です。だれでも、わたしを通って入るなら、救われます。(9)

この描写は本当に興味深いです。

羊飼いが羊を少し遠い場所へ連れて行くとき、羊たちが休むために、一時的な羊小屋に入れました。その羊小屋には一つの入り口しかなかったため、羊飼いは寝るときにその入り口で横になりました。彼自身が門となったのです。

イエス様が言われたのは、もしあなたが天国に入りたいなら、また祝福された人生を望むなら、イエス様に従わなければならないということです。イエス様以外のことを教える者たちは、あなたを破壊へと導きます。

イエス様はこう言われました。

盗人が来るのは、ただ盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするだけのためです。わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。(10:10)

あなたは豊かな人生を望んでいますか。一つの道しかありません。一つの門しかありません。あなたはその門を通る決心をしますか。