最近まで、私の娘はよく私と妻の部屋に来て、私たちのベッドに登り、私たちの間で寝ていました。
私たちが「どうしてここに来たの?」と尋ねると、彼女は「寂しかった」と答えました。
おそらく、私たちは皆、寂しさを感じたことがあるでしょう。
イエス様が「わたしは去って行く」と言われたとき、弟子たちは同じように感じたに違いありません。けれども、イエス様は彼らにこう言われました。
そしてわたしが父にお願いすると、父はもう一人の助け主をお与えくださり、その助け主がいつまでも、あなたがたとともにいるようにしてくださいます。この方は真理の御霊です。
世はこの方を見ることも知ることもないので、受け入れることができません。あなたがたは、この方を知っています。この方はあなたがたとともにおられ、また、あなたがたのうちにおられるようになるのです。
わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。あなたがたのところに戻って来ます。あと少しで、世はもうわたしを見なくなります。
しかし、あなたがたはわたしを見ます。わたしが生き、あなたがたも生きることになるからです。
その日には、わたしが父のうちに、あなたがたがわたしのうちに、そしてわたしがあなたがたのうちにいることが、あなたがたに分かります。
わたしの戒めを保ち、それを守る人は、わたしを愛している人です。わたしを愛している人はわたしの父に愛され、わたしもその人を愛し、わたし自身をその人に現します。。。
だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のところに来て、その人とともに住みます。(ヨハネの福音書14:16-21,23)
イエス様の言葉から、私たちは三位一体を知ることができます。また、その言葉を通して、大切な真理を学ぶことができます。三位一体の神様は、私たちと共におられます。
イエス様が約束されたのは、もう一人の助け主、つまり御霊を送ってくださることです。そして、御霊は私たちを教え、イエス様の言葉を思い起こさせてくださいます。
さらに、イエス様はご自身が私たちのもとに来られると約束されました。イエス様は私たちを捨てて孤児にはなさいません。
最後に、イエス様は、天の父が私たちのもとに来て、共に住まわれると約束されました。
しかし、私たちが心に留めておくべきことがあります。私たちは神様の言葉に従わなければなりません。だから、前回の記事の教訓は非常に大切だと思います。
つまり、私たちは神様の言葉に従うほどに、神様を信じることができるでしょうかという問いかけです。だから、ヨハネの福音書14章の冒頭で、イエス様はこう言われました。
神を信じ、またわたしを信じなさい。(1)
神様を信じなければ、神様との関係を築くことはできません。
また、私たちは本当に神様を愛しているでしょうか。神様を喜ばせたいと願うほどに、神様を愛しているでしょうか。罪を避けたいと願うほどに、神様を愛しているでしょうか。
もし私たちが神様を信じ、愛し、従うなら、神様の臨在を深く知ることができます。だから、良いときも悪いときも、神様からの平安を経験することができるのです。
イエス様は弟子たちにこう言われました。
わたしはあなたがたに平安を残します。わたしの平安を与えます。わたしは、世が与えるのと同じようには与えません。
あなたがたは心を騒がせてはなりません。ひるんではなりません。(27)
