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ルカの福音書 ルカ1章

救い

ゼカリヤは約9ヶ月間話せない間、どんな気持ちだったでしょうか。おそらく、少しは自分の不信を後悔したことでしょう。

一方で、話せないという印(しるし)は、神様が子供を授ける約束を確実なものとして示してくださいました。そのため、ゼカリヤは自己憐憫に浸ることなく、むしろ喜びを持って毎日を過ごしていたのではないでしょうか。

そして、息子が生まれた際、ゼカリヤの口は開かれ、喜びに満ちた言葉が彼の口からあふれました。彼はこう歌ったのです。

ほめたたえよ。イスラエルの神である主を。主はその民を顧みて、贖いをなし、救いの角を、われらのために、しもべダビデの家に立てられた。

古くから、その聖なる預言者たちの口を通して、主が話してくださったとおりに。(ルカの福音書1:68-70)

彼の歌を通して、私たちは救いの深い意味を知ることができます。

1.その救いは、暗闇と死の陰に座る者たちを照らします。(79)

多くの人々は、罪の暗闇の中で生きています。そのため、死の影が彼らの上に覆いかぶさっています。パウロはこう言いました。

「罪から来る報酬は死です。」(ローマ6:23)

でも、暗闇の陰に座る人に、救いはイエス様を信じる人に赦しを約束します。(77)

2.その救いは私たちの良い行いによるものではありません。むしろ、その救いは神様のあわれみによります。

私たちは永遠の死に値します。それでも、神様は私たちを愛して、イエス様をこの世に送られました。そして、イエス様は私たちの罪のために死んでくださいました。だから今、イエス様を通して、私たちの罪は赦されます。

3.その救いは私たちをサタンの国から救い出します。(71、74)

サタンは私たちを憎み、罪の鎖で縛りました。しかし、神様は私たちを解放してくださいました。

4.その救いは私たちに新しい命を与えます。

私たちはもうサタンの国のために働かず、神様に仕えます。私たちはもう罪に仕えません。その罪深い生活は、恐れ、恥、悲しみ、そして破滅に至りました。

しかし、今では神様が私たちに正義の外套をまとわせてくださいます。そして、日々、私たちはますます「イエス様と同じかたちに姿を変えられて行きます。」(第二コリント3:18)

5.その救いは私たちに平和を与えてくださいます。どんな試練に直面しても、神様の平和を経験します。それは「人のすべての考えにまさる神の平安」です(ピリピ4:7)。なぜなら、私たちには神様との平和があるからです。

どのようにしてその平和を知ることができるでしょうか。こう祈ってください。

イエス様、私は自分が罪人であることを認めます。何度もあなたを傷つけ、また周りの人々を傷つけてしまいました。どうか私を赦してください。

私のために十字架で死んでくださり、私の罰を引き受けてくださったことを感謝します。私に新しいスタートを与えてください。

あなたに従いたいです。そして、ますますあなたのようになりたいです。私を変えてください。そして、あなたの平和を私に与えてください。イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

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ルカの福音書 ルカ1章

祝福された

マリヤがエリサベツの妊娠の知らせを聞くと、すぐに彼女を訪ねました。その反応は非常に理解できます。おそらく、マリヤは自分の経験が夢や幻覚ではないことを確認したかったのでしょう。

しかし、エリサベツがマリヤを見かけた瞬間、マリヤの心に残っていた疑いはすべて消えたのではないでしょうか。その瞬間、エリサベツの胎内の子どもが跳ね動き、エリサベツは聖霊に満たされて声高らかに叫びました。

あなたは女の中の祝福された方。あなたの胎の実も祝福されています。私の主の母が私のところに来られるとは、何ということでしょう。

ほんとうに、あなたのあいさつの声が私の耳に入ったとき、私の胎内で子どもが喜んでおどりました。

主によって語られたことは必ず実現すると信じきった人は、何と幸いなことでしょう。(ルカの福音書1:42-45)

どうしてエリサベツは、マリヤが妊娠しており、その子がメシアになることを知っていたのでしょうか。それには一つの方法しかありませんでした。神様が彼女にそのことを示されたのです。

エリサベツの言葉を聞いたことで、マリヤの疑いはすべて消え、彼女は歌い始めました。

わがたましいは主をあがめ、わが霊は、わが救い主なる神を喜びたたえます。主はこの卑しいはしために目を留めてくださったからです。

ほんとうに、これから後、どの時代の人々も、私をしあわせ者と思うでしょう。力ある方が、私に大きなことをしてくださいました。

その御名は聖く、そのあわれみは、主を恐れかしこむ者に、代々にわたって及びます。(46-50)

マリヤの言葉を読むと、私は神様が私たちをどのように祝福してくださったかについて、深く考え始めます。

マリヤのように、私たちも神様の祝福に値しない者です。私たちはただの神様の卑しいしもべにすぎません。私たちは立派な行いによってではなく、神様の素晴らしい御業によって祝福されるのです。

神様は私たちのために何をしてくださったのでしょうか。

1. 神様は私たちに哀れみを与えてくださいました。 これは、私たちだけでなく、私たちの前に生きていた信者たちにも、そして私たちの後に生きる信者たちにも与えられています。

私たちは、自分の罪のゆえに罰に値する者ですが、神様は哀れみを与えてくださいます。なぜでしょうか。

それは、十字架において、神様がご自身の怒りを私たちの代わりにイエス様に注いだからです。イエス様が私たちの罰を受けてくださったことで、私たちは神様の哀れみを受けることができるのです。

2. 神様は私たちの利益のために働いてくださいました。 (51節)たとえば、イスラエル人がエジプト人の奴隷であったとき、神様はパロを王座から引き降ろし、モーセとイスラエル人を高く引き上げてくださいました。

さらに、神様はイスラエルよりも強い国々や支配者たちを打ち倒し、イスラエル人を約束の地に導かれました。

そして、イスラエル人が何度も神様に背を向けたにもかかわらず、神様はご自身の約束を忘れずに今まで彼らを守り続けてこられました。

それは本当に驚くべきことです。いくつもの国が滅び、いくつもの民族が消えていった中で、ユダヤ人を滅ぼそうとする試みが繰り返されましたが、イスラエル人は今でも残っています。

神様がイスラエル人の利益のために働かれたように、私たちの利益のためにも働いてくださっています。そのために神様はイエス様を送られたのです。そして今でも、神様は私たちの利益のために働いておられます。

私たちの問題が私たちよりも大きいとき、神様は私たちに勝利を与えてくださいます。

私たちに必要があるとき、神様はそのニーズに備えてくださいます。

サタンが私たちを滅ぼそうとするとき、神様は私たちを守ってくださいます。

だから、マリヤのように、私たちも主をほめたたえましょう。神様が私たち一人一人に大きなことをしてくださったからです。私たちは本当に祝福されています。

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ルカの福音書 ルカ1章

心のすべてを神様に捧げる?

神様がイエス様を送られたとき、どうしてマリヤを選ばれたのでしょうか。おそらく、彼女の心が完全に神様のものであったからでしょう。彼女は自分の心のすべてを神様に捧げ、神様に従っていました。

この箇所では、マリヤの心を見ることができます。

ザカリヤに現れてから6か月後、ガブリエルはマリヤに現れました。彼はこう言いました。

おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。(ルカの福音書1:28)

マリヤはその言葉を聞いて、本当に戸惑いました。そこで、ガブリエルはさらに続けました。

こわがることはない。マリヤ。あなたは神から恵みを受けたのです。ご覧なさい。あなたはみごもって、男の子を産みます。名をイエスとつけなさい。

その子はすぐれた者となり、いと高き方の子と呼ばれます。また、神である主は彼にその父ダビデの王位をお与えになります。

彼はとこしえにヤコブの家を治め、その国は終わることがありません。(30-33)

マリヤは確かにその言葉を理解しました。イスラエルの女性たちの誰もが、自分の子がメシアとなることを望んでいました。とはいえ、彼女には非常に論理的な質問がありました。

どうしてそのようなことになりえましょう。私はまだ男の人を知りませんのに。(34)

つまり、彼女はまだ結婚しておらず、男性と関係を持ったことがありませんでした。

そこで、ガブリエルは答えました。

聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる者は、聖なる者、神の子と呼ばれます。(35)

たくさんの人はそれを聞いて、「まさか。クリスチャンはそれを本当に信じているのか」と言うかもしれません。

けれども、現代では、そのようなことが起こる場合があります。時々、カップルが子どもを授かれないとき、配偶者間の人工授精によって、その女性が妊娠することができます。私たちは、お医者さんができることを神様ができないとは言えるでしょうか。

しかし、その時代にはそのような技術はありませんでした。そのため、ガブリエルはマリヤにとってその言葉が受け入れにくいことを知っていました。そこで、彼はこう言いました。

「あなたの親戚エリサベツのところに行きなさい。皆が彼女は子どもを持てないと言っていましたが、今、彼女は妊娠しています。神様にとって不可能なことは一つもありません。」

マリヤはそれを聞き、答えました。

ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。(38)

マリヤはもう質問することはありませんでした。むしろ、その言葉を信じて、神様にすべてを捧げました。

けれども、少し考えてみてください。彼女がすべてを失う可能性は非常に高かったのです。彼女が妊娠したとき、評判は汚されてしまうでしょう。家族や周りの人々はどのように考えるでしょうか。

また、婚約者のヨセフはどう思うでしょうか。彼女が妊娠したら、彼は結婚を取りやめるかもしれません。さらに、イスラエルの律法によれば、彼には彼女を殺す権利がありました。

誰が、神様の聖霊によって彼女が妊娠したことを信じるでしょうか。

それでも、マリヤはこう言いました。「これがあなたの御心であるなら、その御心に従います。たとえすべてを失っても、私は従います。」

彼女は神様から他の約束を与えられることはありませんでした。神様は彼女の結婚を守ることを約束されませんでした。また、彼女の評判を守ることも約束されませんでした。

それでも、彼女は神様が良い方であることを信じ、神様の計画も良いものであると信じていました。

これこそ、神様に属する心です。マリヤは自分の心を神様に捧げたことで、神様は彼女を通して素晴らしいことを行うことができたのです。

では、あなたはどうでしょうか。あなたの心は神様に属しているでしょうか。神様に従うために、すべてを捧げることができるでしょうか。

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ルカの福音書 ルカ1章

失望

ルカの福音書の冒頭では、ルカがなぜこの福音書を書いたのかを説明しています。

ルカは医者であり、教会の初期にクリスチャンになった学者でした。彼はテオピロという人のためにこの福音を書きました。

ルカによれば、クリスチャンになったとき、彼はイエス様の話を綿密に調査しました。そして、テオピロや他の興味のある人々にその話を伝えたいと思ったのです。

この言葉を読んで、私はキリスト教の話についてさらに確信を持てるようになりました。なぜなら、ルカは学者であり、イエス様が天国へ行かれてすぐ後に福音書を書いたからです。ルカがそれをしてくれたおかげで、私はイエス様の話を信じることができます。

ルカは最初にザカリヤという祭司について書きます。この話の言外の意味を読み取るなら、ザカリヤが神様を本当に愛していた一方で、同時に失望していた人物だったことがわかります。

例えば、彼の妻エリサベツは不妊でした。現代においてもこれは本当に悔しいことでしょう。けれども、当時は特に恥ずかしいことでした。エリサベツにとっては、さらに恥ずかしいことであったに違いありません。

どれほど彼らが子供のために祈り続けたのでしょうか。おそらく、エリサベツの生理が遅れたことで希望が湧いた瞬間もあったかもしれません。しかし結局、生理が再び始まってしまい、彼らはそのたびに落胆してしまったでしょう。

どれほどそのパターンが繰り返されたのでしょうか。

私たちは、神様が祈りに答えてくださらないとき、どのように反応するでしょうか。希望が打ち砕かれるとき、私たちはどう対処するでしょうか。

その心に苦々しさを抱いてしまう人もいるかもしれません。

「どうして、あなたは私の祈りに答えてくださらないのですか?私にはこれが絶対必要です。聞いてくださらないのですか?私の状況をご存じないのですか?私の気持ちがわからないのですか?」

失望して、諦めてしまう人もいます。

「神様はこの祈りに答えてくださらないだろうな。」

そうして、彼らは失望をずっと抱え続けてしまうのです。

けれども、希望がなさそうに見えても、なお希望を持ち続ける人もいます。アブラハムはそのような人でした。(ローマ4:16−21)

ゼカリヤはどう感じていたのでしょうか。おそらく、彼はもう諦めていたのではないでしょうか。

「私たちはもう年を取ってしまった。私たちには、もう遅すぎる。まだ赤ちゃんができていないなら、もう希望はないだろう。」

しかし、ある日、彼は主の神殿に入って香をたく役目を任されました。それはくじ引きによって決まり、多くの祭司の中から選ばれる可能性は低かったものの、彼が選ばれたのです。

その香りの煙は、神様に届く祈りの象徴でした。ですから、ゼカリヤが香をたくとき、彼自身が祈りを捧げると同時に、神殿の外にいる人々も祈っていました。

ゼカリヤは何のために祈っていたのでしょうか。間違いなく、彼はイスラエルのために祈ったでしょう。

また、彼はおそらくメシアが来るように祈ったのではないでしょうか。なぜなら、神様は400年ほど何もおっしゃっておらず、預言者も現れず、祭司たちにも何も語りかけていなかったからです。

では、ゼカリヤは自分自身のために祈っていたのでしょうか。 そうだったかもしれません。けれども、祈らなかった可能性もあります。

彼は長い間失望し、「神様は本当に私を愛しているのだろうか」と考えていたのかもしれません。「もちろん、神様はイスラエルを愛しているけれど、私個人のことを愛しているのだろうか。」

いずれにせよ、彼が祈っている最中に、突然天使が現れました。おそらく、彼の最初の反応は恐れだったでしょう。「私は何か悪いことをしてしまったのだろうか。アロンの息子たちのように殺されてしまうのだろうか」(レビ記10章)と思ったかもしれません。

しかし、天使はこう言いました。

「恐れないでください。あなたに良い知らせがあります。あなたはずっと息子が与えられるよう祈っていたでしょう。神様はその祈りを聞かれました。来年、息子が生まれます。その子は、あなたが長い間待ち望んでいたメシアのために道を備える役割を果たします。」

ゼカリヤの反応は何だったでしょうか。それは疑いでした。長い間祈りが答えられず、希望を失っていたからです。彼はこう言いました。

私は何によってそれを知ることができましょうか。私ももう年寄りですし、妻も年をとっております。(ルカの福音書1:18)

要するに、「私はずっと祈ってきました。何も起きませんでした。何度も、私の希望はむなしいものとなってしまいました。だから、私の希望を湧かせないでください。もうがっかりしたくありません。」

どれほど私たちはそのように反応してしまうでしょうか。失望のあまり、私たちは希望を失ってしまうことがあります。

幸いなことに、神様はゼカリヤに対する約束を取り消されませんでした。それでも、その天使はゼカリヤを叱責しました。「しるしを求めているのですか。それでは、あなたの息子が生まれるまで、あなたは話せなくなります。」

その言葉を聞いて、ゼカリヤは衝撃を受けましたが、すぐに信じるようになりました。同じく、彼の妻もすぐに信じるようになりました。そして彼女が妊娠したとき、こう言いました。

主は、人中で私の恥を取り除こうと心にかけられ、今、私をこのようにしてくださいました。(1:25)

この話から、私たちは何を学ぶことができるでしょうか。

私たちがそう思わなくても、神様は私たちの祈りを聞いておられます。それは天使ガブリエルの最初の言葉の一つでした。

「あなたの祈りはむなしくありませんでした。その祈りは天井に跳ね返ることなく、神様に届いていました。神様はあなたの声を聞かれました。」

さらに、神様は私たちには見えない物語を織り上げています。その物語は私たちよりも遥かに大きなものです。(ゼカリヤにとっては、メシアが来られるということ以上に大きな物語はありませんでした。)

けれども、その神様が織られている物語の一部として、時には神様が私たちの祈りに答えてくださらないように見えることがあります。

それでも、希望を捨てないでください。神様はあなたの祈りを聞いておられます。神様はあなたの願いを叶えるかもしれませんし、叶えないかもしれません。しかし、神様は確かにあなたの人生に働いておられます。

そして、すべてはあなたの益となるために働いておられます。なぜなら、神様はあなたを愛しておられるからです。

もし、あなたが神様を信じ続けるなら、いつか神様が織り上げられた素晴らしい物語を見ることになるでしょう。

だから、どんな苦しみを経験しても、その物語の中にとどまってください。そうすれば、ゼカリヤとエリサベツのように、祝福されるでしょう。