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ルカの福音書 ルカ2章

誤解された

私たちは誰でも、周囲の人々に自分のことを理解してほしいと思うものです。そして、彼らが私たちのことを理解してくれないと、私たちは傷ついてしまいます。

イエス様も、その気持ちをよく分かっておられました。イエス様は何度も弟子たちに誤解され、教えた人々や癒やした人々にも誤解されました。そして、この箇所では、イエス様が自分の両親に誤解される場面が描かれています。

この話では、イエス様が他の人々と初めて交流する場面を目にすることができます。

イエス様が12歳の時、彼とその両親は過越の祭りのためにエルサレムを訪れました。祭りが終わると、イエス様の両親は他の人々と一緒に帰路につきましたが、彼らの知らない間にイエス様はエルサレムに残り、神殿で教師たちと話していました。

一日が経った後、イエス様の両親はようやくイエス様がいないことに気付きました。(彼らはイエス様が旅の一行の中にいるものとばかり思い込んでいました。)

そこで、両親はエルサレムに戻り、3日後にようやくイエス様を見つけました。

当然ながら、マリヤは非常に怒り、イエス様を叱りました。

まあ、あなたはなぜ私たちにこんなことをしたのです。見なさい。父上も私も、心配してあなたを捜し回っていたのです。(ルカの福音書2:48)

ところが、イエス様はマリヤの反応を完全には理解されませんでした。そして、彼はこう答えられました。

どうしてわたしをお捜しになったのですか。わたしが必ず自分の父の家にいることを、ご存じなかったのですか。(49)

要するに、イエス様は「お母さんは私のことをよく理解していると思っていました。私がどこにいるべきか、知っていたはずです」と言っているようです。

けれども、50節では、ルカはこう記しています。

しかし両親には、イエスの話されたことばの意味がわからなかった。

他の人以上に、イエス様の両親は彼を理解できるはずでした。けれども、彼らはまったく理解できませんでした。

イエス様は、この状況に対してどのように反応されたのでしょうか。

それからイエスは、いっしょに下って行かれ、ナザレに帰って、両親に仕えられた。母はこれらのことをみな、心に留めておいた。(51)

イエス様は、自分が正しいと主張することはありませんでした。両親が彼を理解していなかったにもかかわらず、イエス様は彼らを叱ることはなく、むしろ仲直りをしようとされました。そして、息子として彼は両親に仕えました。

そのことを少し考えてみてください。イエス様は神であり、ヨセフとマリヤを造られた方でした。それでも、イエス様は謙虚な態度を取り、両親の権威を認めて従われました。

私たちも時々、周囲の人々に自分のことを理解してもらえないことがあります。そのようなとき、怒りや苦々しい思いを抱くのは簡単です。なぜなら、相手が自分たちのことを理解して当然だと考えてしまうからです。

それでも、イエス様のように謙虚な態度を取りましょう。そして、できる限り彼らと仲直りを目指しましょう。パウロは次のように言っています。

あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい。(ローマ12:18)

あなたはこう感じているかもしれません。「でも、まだ傷ついています。どうして彼らは私のことを理解できないのでしょうか。」

それは、彼らが神ではないからです。彼らはすべてのことを知っているわけではありませんし、あなたの心の奥深くを見ることもできません。だから、そうした期待は手放した方が良いでしょう。

しかし、イエス様はあなたのことをよく理解されています。なぜなら、イエス様は神であり、人間としてこの世に来られたからです。

イエス様は私たちの生活を理解し、私たちの気持ちを深く知っておられます。どんな経験をしていても、イエス様はあなたのことを理解されています。

イエス様の両親が彼のことを理解できなかったとしても、天の父はイエス様を完全に理解され、イエス様を慰められました。同じように、イエス様があなたのことを理解していることを心に留めておきましょう。

だからこそ、誤解されていると感じたときや、心が傷ついたとき、イエス様にあなたの苦しみを打ち明けましょう。イエス様はあなたを理解されているからです。

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ルカの福音書 ルカ2章

王のために整える心

毎年クリスマスに、私たちは次の歌を歌います。

Joy to the world.
(この世に喜びがありますように。)

The Lord is come.
(主が来られたからです。)

Let earth receive her king.
(この世の人々よ、全地の王イエスをお迎えしよう。)

Let every heart prepare him room.
(すべての心をイエス様のために整えよう。)

この箇所では、王のために心を整える人を見ることができます。彼女は女預言者アンナという人でした。

アンナは若い頃に悲劇を経験しました。彼女は約7年間結婚生活を送りましたが、夫が亡くなり、再婚することはありませんでした。

おそらく子供もいなかったのでしょう。そのため、夫を亡くした後すぐに神殿に身を寄せ、断食と祈りをもって神様に仕える生活を続けたようです。

アンナは本当に素晴らしい人物でした。多くの人々なら、彼女のような状況で苦々しい思いを抱き続けたかもしれません。

彼らは神様を責めてこう言ったかもしれません。「神様、どうしてですか。どうして、私の夫を奪ったのですか。どうして、結婚生活の間に私は子供を授からなかったのですか。」

(特に、その文化では子供を持てないことが恥とされていたことを思い出してください。)

しかし、アンナはその悲劇を経ても神様から離れることなく、むしろ神様に近づきました。そのため、彼女の心は王を迎える準備ができていました。

実際、その日イエス様を王として認識した人は多くありませんでしたが、アンナはその一人でした。彼女は大いに喜び、その良い知らせを周囲の人々に伝えました。

あなたはどうでしょうか。あなたの心を王のために整えていますか。毎日、神様を追い求めているでしょうか。

もちろん、あなたが一日中祈り、断食し、礼拝する必要はありませんが、イエス様をもっと知るために毎日時間を取っていますか。

それとも、忙しすぎるあまり、この世の心配や苦しみによって、神様から離れてしまっているでしょうか。

イエス様の時代にも、そのような人々がたくさんいました。彼らはメシアを探し求めていると口にしながらも、結局そのメシアを拒絶し、殺してしまいました。

同じように、もし私たちが毎日神様を追い求めなければ、神様が来ても私たちは神様を認識することができず、神様が何をされているのか理解できません。

だからこそ、毎日、神様のために私たちの心を整えましょう。そして、神様と時間を過ごし、神様に近づきましょう。

そうすれば、私たちはイエス様が与えてくださる喜びを見つけることができるでしょう。

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ルカの福音書 ルカ2章

人々が倒れるために定められるしるし

この箇所は本当に私の心に響きます。なぜなら、現代でもその言葉の真実を目の当たりにできるからです。

シメオンは敬虔な人であったため、神様は彼に、イスラエルだけではなくこの世を救うメシアを見ることを約束されました。そして、彼がイエス様を見たとき、彼はこう語りました。

主よ。今こそあなたは、あなたのしもべを、みことばどおり、安らかに去らせてくださいます。私の目があなたの御救いを見たからです。

御救いはあなたが万民の前に備えられたもので、異邦人を照らす啓示の光、御民イスラエルの光栄です。(ルカのの福音書28:29-32)

ヨセフとマリヤはそれを聞いて驚きましたが、シメオンは彼らに警告を与えました。

ご覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人が倒れ、また、立ち上がるために定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。

剣があなたの心さえも刺し貫くでしょう。それは多くの人の心の思いが現われるためです。(34-35)

シメオンの言葉は成就しました。確かに、多くの人々がイエス様を救い主として受け入れましたが、それ以上に多くの人々がイエス様を拒絶しました。イエス様の名を喜ぶ人々がいる一方で、その名を呪う人々もいました。

そして、ユダヤ人の指導者たちがイエス様を拒絶したため、イエス様が十字架で死なれるのをマリヤが目の前で見たとき、彼女の心は刺し貫かれるような痛みを感じました。

もちろん、シメオンの言葉はその時代に成就しましたが、現代でもその言葉は成就し続けています。

今でも、多くの人々がイエス様の名をたたえ、イエス様を礼拝していますが、多くの人々がイエス様を拒絶し、その名を呪います。彼らはその行為によって、自分の心の状態を明らかにしています。

多くの人々は見た目には善良に見えますが、自分たちの罪のために死なれた方を拒絶します。イエス様を拒絶するということは、神様とその道を拒絶することにほかなりません。むしろ、彼らは自分の道を生き続けることを主張します。

そのような態度は、イエス様の心を刺し貫くだけでなく、イエス様を愛する人々の心も刺し貫きます。特に、私たちが愛する人々がイエス様を拒絶するとき、私たちの心も深く傷つけられます。

また、クリスマスの時期に、人々がイエス様を拒絶しているのを見ると、とても胸が痛みます。私たちはイエス様の誕生を喜び祝いますが、同時に多くの人々がイエス様を拒絶している現実があるからです。

イエス様はこう言われました。

わたしは、平和をもたらすために来たのではなく、剣をもたらすために来たのです。(マタイ10:34)

あなたはこう問いかけるかもしれません。「でも、イエス様がお生まれになった時、天使たちは『地の上に、平和がありますように』と歌いましたよ?」

確かに、キリストは神様との平和をもたらすために来られました。しかし、イエス様は人々を分ける方でもあります。

イエス様の名によって、人々の間に分かれが生じます。家族も分かれることがありますし、友人同士も分かれることがあります。なぜなら、イエス様を拒む人々がいるからです。

私が伝えたいのは、イエス様に従い、福音を延べ伝えたいと思うなら、すべての人々を喜ばせることはできないということです。

イエス様のために、あなたのことを好きではない人々もいるかもしれません。彼らがイエス様を憎むなら、あなたをも憎むことがあるでしょう。

イエス様はこう言われました。

もし世があなたがたを憎むなら、世はあなたがたよりもわたしを先に憎んだことを知っておきなさい。もしあなたがたがこの世のものであったなら、世は自分のものを愛したでしょう。

しかし、あなたがたは世のものではなく、かえってわたしが世からあなたがたを選び出したのです。それで世はあなたがたを憎むのです。(ヨハネ15:18-19)

だから、すべての人に好かれようと望まないでください。むしろ、イエス様を愛し、その福音を延べ伝えましょう。

イエス様のために倒れる人もいれば、イエス様のために立ち上がる人もいます。もし、あなたが愛する人々が立ち上がるなら、その喜びは、これまでの苦しみと比べものにならないでしょう。

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ルカの福音書 ルカ2章

喜びを広める

羊飼いたちは救い主の誕生を聞くと、すぐにベツレヘムへ走りました。そして、イエス様を見つけたとき、彼らは大喜びしました。帰り道では、「神をあがめ、賛美しました。」(20)

しかし、その言葉だけでは、彼らが感じた喜びを十分に表せていないように思います。彼らの喜びは溢れんばかりのものでした。

その喜びを誰かに伝えずにはいられなかった彼らは、できるだけ多くの人々にその良い知らせを伝えました。

その話を聞いた人々は、羊飼いの言葉に驚きました。けれども、その後彼らはどうしたでしょうか。羊飼いの話を信じて、イエス様を捜し求めようとした人もいたかもしれませんが、ルカはそのことについて何も書いていません。

それでも、羊飼いたちにとって、相手の反応は問題ではありませんでした。彼らの喜びはあふれすぎて、何かを言わずにはいられない状態だったのです。

あなたはどうでしょうか。あなたの喜びが溢れすぎて、周囲の人々に福音を伝えずにはいられないほどでしょうか。

私たちは人々の反応をコントロールすることはできません。また、彼らの反応は私たちの責任ではありません。

とはいえ、もし私たちが本当にイエス様を愛していて、イエス様の喜びが私たちの心に溢れているなら、その良い知らせを周囲の人々に伝えずにはいられないでしょう。

そうすれば、彼らも私たちが知っているその喜びを見つけることができるようになるでしょう。

あなたはその喜びを広めていますか。

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ルカの福音書 ルカ2章

喜びが訪れたとき

私は最初のクリスマスの夜について考えると、少し圧倒される思いがします。なぜなら、その夜に喜びがこの世に訪れたからです。

天使が羊飼いたちに現れたとき、彼はこう言いました。

恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。(ルカの福音書2:10-11)

この箇所を読むと、あるクリスマスの歌の歌詞が心に浮かびます。

Long lay the world in sin and error pining

この世の人々は長い間、罪と咎に悩み、死の陰を歩んでいました。

‘til he appeared and the soul felt its worth.

しかし、イエス様が現れたことで、私たちは自分の価値を知ることができるようになりました。

アダムとエバがエデンで罪を犯して以来、この世の人々は死の陰を歩んでいました。

私たちは自分の罪のために永遠の死に値する者となりました。そして、「この世にあって望みもなく、神もない人たちでした。」(エペソ2:12)

特に、イエス様の時代には、神様がイスラエル人を捨てたのではないかと思う人もいました。なぜなら、神様はアブラハムやヤコブ、ほかの先祖たちに現れましたが、その後、約400年間、神様はずっと沈黙されていたからです。

しかし、突然、神様は語りかけてくださいました。「私はここにいる。あなたを忘れなかった。」

イマヌエルがついに来ました。(「イマヌエル」という名前には、「神は私たちと共におられる」という意味があります。)

イエス様のお生まれによって、神様はこう語られました。「私はあなたを愛し、あなたと共に歩みます。私はあなたの暗闇の中で光となります。私はあなたに希望を与え、救いをもたらします。」

けれども、神様がその良い知らせを伝えるために天使を送ったとき、祭司たちには送りませんでした。律法学者や最も宗教的とされる人々にも天使を送りませんでした。

神様は天使を普通の人々、つまり羊飼いたちに送りました。その時代、人々は羊飼いを見下していました。それでも、どうして神様は彼らに先に知らせを伝えたのでしょうか。

それは、この知らせがすべての人々のためのものだったからです。イエス様は、偉大な人々のためにも、身分の低い人々のためにも来られたのです。

さらに、イエス様が来られたとき、神様と人間の間にあった壁は崩れました。神様との平和が可能になったのです。

しかし、それは最初のクリスマスの日に起こったのではありませんでした。イエス様が十字架で死なれたとき、神様と私たちの間にあった幕が永遠に裂けたのです。

どうか、あなたがその平和を知り、そして羊飼いが感じた喜びがあなたの心を満たしますように。

Joy to the World! The Lord is come!
この世に喜びがありますように。主が来られたからです。

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ルカの福音書 ルカ2章

すべてを治めておられる神

ルカは、イエス様の出産について記したとき、その背景についても教えています。それは、皇帝アウグストの時代のことでした。彼はローマ帝国の支配者でした。

アウグストは、マルクス・アントニウスとクレオパトラの軍隊を打ち破り、ローマ帝国初の皇帝となりました。そして、彼は自らの権力を行使してローマに平和をもたらしました。このとき、パクス・ロマーナ(ローマの平和)が始まりました。

けれども、彼が知らなかったのは、自分に優る王がすぐに生まれようとしていたことです。彼はローマ帝国を治めていると思っていましたが、より強いお方が彼を通して計画を進めていたことには気づいていませんでした。

皇帝アウグストは全世界の住民が登録されるよう命じました。おそらく、それは税金のためだったのでしょう。彼の命令によって、すべての人々が出身地に戻り、登録する必要がありました。

ヨセフとマリヤは、どのように感じたのでしょうか。多くの人は、彼らがその勅令を聞いた時、マリヤの妊娠が10ヶ月ほどであったと考えます。それはその通りかもしれませんが、真実はわかりません。

いずれにせよ、ヨセフは「神様、どうして今この勅令が出たのでしょうか。今行けば、マリヤにとって本当に大変です」と考えたかもしれません。

しかし、神様には良い理由がありました。おそらく、一つの理由は、ナザレでヨセフとマリヤについて多くの噂が広まり、本当に大変だったからでしょう。彼らは結婚していないのに、マリヤが妊娠していたためです。

もう一つの理由がありました。その登録のために、予言者ミカが何百年前に予言した通り、イエス様はベツレヘムで生まれました。(ミカ書5:2)

皇帝アウグストは、自分がすべてを支配していると思っていましたが、実際には神様が治めておられました。皇帝アウグストのパクス・ロマーナ(ローマの平和)は約200年続きましたが、最終的にアウグストが築いたものは滅びました。

一方で、イエス様を通して、神様は永遠の王国を始められました。その王国を打ち倒すことができる者はだれもいません。そして、いつの日か、この世に本当の平和が訪れ、その平和は永遠に続きます。

あなたはどうでしょうか。すべてをコントロールしていると思いますか。つまり、自分の人生を完全に掌握していると思いますか。

どうか、自分より偉大な方がいることを忘れないでください。もし自分の知恵と努力だけで人生を築くなら、最終的にはその築いたものが崩れ去るかもしれません。

また、神様が本当にこの世を治めていることに疑問を持ったことはありますか。あなたは、なぜ神様がトラブルをあなたの人生に許されるのか、問いかけることがありますか。

神様を信頼し続けてください。なぜなら、神様はご自身の計画を実現されているからです。私たちにはその計画が見えないこともあるかもしれませんが、いつかその計画が理解できる日が来るでしょう。

その日には、天使たちとともに、私たちも声を上げて神様を賛美することでしょう。

いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。(ルカの福音書2:14)