前回の記事でも書きましたが、私たちが真理を伝えると、私たちを憎む人もいます。
とはいえ、真理を伝えると同時に、私たちの態度と言葉遣いに注意しなくてはなりません。
この箇所では、その理由をはっきり見ることができます。
仮庵祭りのため、イエス様の兄弟たちは先にエルサレムへ向かいましたが、イエス様はしばらくとどまられました。どのくらい待たれたのかは分かりませんが、結局イエス様もエルサレムへ向かわれました。
この時から、イエス様のミニストリーのほとんどはユダヤとエルサレムで行われました。そして、十字架で死なれるまで、あと6っか月ほどの時間しか残されていませんでした。
けれでも、エルサレムへ向かう前に、イエス様は再びサマリヤを通ることを選ばれました。イエス様は以前に一度サマリヤを訪れ、そのとき多くのサマリヤ人がイエス様を受け入れ、信じました。(ヨハネ4章)
ところが、今回は、サマリヤ人たちはイエス様を拒絶しました。その理由は、イエス様がエルサレムへ向かっていたからです。
サマリヤ人とユダヤ人の間にはまだ深い敵意が残っていました。サマリヤ人たちはユダヤ人の祭りで歓迎されることがなかったため、イエス様がその祭りへ向かうと知ると、彼らはイエス様を拒絶したのです。
イエス様の弟子たちは、このサマリヤ人たちの反応を見て激怒しました。サマリヤ人たちはイエス様から何も受けるに値しないのにもかかわらず、イエス様は彼らを訪ねようとされました。それにもかかわらず、サマリヤ人たちはイエス様を拒絶したのです。
他の町に住むサマリヤ人たちがイエス様を受け入れたことで、弟子たちは彼らに対して寛容な態度を取るようになりました。
けれども、この町の人々がイエス様を拒絶したとき、ヤコブとヨハネはイエス様にこう申し出ました。
主よ。私たちが天から火を呼び下して、彼らを焼き滅ぼしましょうか。(ルカの福音書9:54)
おそらく、彼らはエリヤの話を思い浮かべていたのでしょう。エリヤが軽蔑されたとき、天から火を呼び下し、その人々を滅ぼしたという出来事です。(列王記第二1章)
しかし、イエス様は彼らを叱責されました。
なぜでしょうか。おそらく、裁きの時はまだ来ていなかったからです。イエス様は人々を救うために来られました。(ヨハネ3:17)
私たちは、イエス様の心を持つべきです。もちろん、イエス様を拒絶する人々に対して、いつか裁きの日が来ます。
とはいえ、その日はまだ来ていません。その日が来るまで、私たちは彼らの救いのために祈り、働く必要があります。そして、愛をもってイエス様が与えてくださった真理を伝えなければなりません。そのとき、神様の恵みによって人々は救われるのです。
周囲の人々の罪がどれほど酷くても、彼らが滅びることを私たちは喜ぶべきではありません。
イエス様もそのようなことを喜ばれません。彼らが永遠の命を得るために、イエス様は十字架で命を捧げられたのです。
罪人に対して、私たちはイエス様の心を持っているでしょうか。
