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ルツ記

あがない主

ボアズとルツの関係を通して、私たちはキリストがどのように私たちをあがなってくださるかを知ることができます。それは本当に美しい絵です。

ルツは貧しく、何も持っていませんでしたが、ボアズに近づき、結婚していただけるようにお願いしました。ルツはこう言いました。

あなたのおおいを広げて、このはしためをおおってください。あなたは買い戻しの権利のある親類ですから。(ルツ記3:9)

私たちにとっては、それは少し変わったプロポーズの方法に見えるかもしれませんが、その文化ではそれが普通でした。

今でも、ユダヤ人の結婚式では、花婿が自分のタリス(祈りのためのショール)で花嫁を覆います。その意味は、「私はあなたを世話します」ということを表しています。

ですから、ルツが言ったのは、「私を世話してください。私の夫になってください」ということでした。

しかし、問題がありました。他の親族にはルツと結婚する権利がありました。

この習慣も、私たちにとっては少し変わっているように思えるかもしれませんが、その時代には一般的なものでした。

当時、ある男性が息子を残さずに亡くなった場合、その男性の女性の親族(普通はその男性の妻ですが、この場合はその義理の娘)は他の親族と結婚し、その子供によって亡くなった男性の名前が引き継がれ、その子供がその男性の遺産を継ぐことができました。

ルツの場合、ボアズにはその権利がありましたが、別の親族にはさらに強い権利がありました。

幸いにも、その親族はルツとの結婚を拒否しました。おそらく彼はすでに結婚していたのかもしれません。

その結果、ボアズはルツと結婚する権利を買い取り、その家族の遺産を管理する権利も得ました。

こうして、ルツはもはや貧しく希望がない女性ではなくなりました。今では、裕福で、ルツを愛している夫を持ち、将来と希望を持つことができました。

ルツとボアズが結婚した後、息子が生まれました。その息子オベデには、エッサイという息子が生まれ、エッサイにはダビデという息子が生まれました。

ダビデはイスラエルの王となり、そして、ダビデの家系を通して、私たちの最大のあがない主であるイエス様が来られました。

今、私たちはルツがボアズに近づいたように、何も持たずにイエス様に近づきます。私たちはただ自分自身を捧げることができるだけです。私たちはイエス様の愛と守りを求めるしかできません。

イエス様はそのようにしてくださり、私たちのために代価を払ってくださいました。十字架で、私たちの罪のために死に、ご自身の血を流してくださったのです。その血によって、私たちの罪は洗われました。

そして、その関係とイエス様の愛によって、私たちは将来と希望を持つことができます。

エペソ人への手紙2:12ー13で、こう書かれています。

そのころのあなたがたは、キリストから離れ。。。この世にあって望みもなく、神もない人たちでした。

しかし、以前は遠く離れていたあなたがたも、今ではキリスト・イエスの中にあることにより、キリストの血によって近い者とされたのです。

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ルツ記

決して見捨てられていない

士師記にはあまり幸せな話がないので、次がルツ記で良かったです。

それにもかかわらず、この話の冒頭は士師記の結末と同様に、本当に悲しい内容です。その時代、イスラエルには飢饉がありました。ナオミという女性は、夫と2人の息子と共に、モアブという国に移り住みました。

その間にナオミの夫が亡くなります。その後、息子たちは結婚しましたが、10年後、2人の息子たちも亡くなってしまいました。

異国の地で、ナオミは愛する家族をすべて失い、深い悲しみの中で故郷イスラエルに戻ることを決意しました。

故郷に戻ると、村の女性たちはこう言いました。

まあ。ナオミではありませんか。 (ルツ記1:19)

けれども、ナオミは答えました。

「もう私をナオミと呼ばないでください。私の人生は、もう快くも楽しくもありません。(ナオミという名前は「快い」、また「楽しい」という意味です。)私を「苦い人」と呼んでください。(マラは「苦い」という意味です。)」

どうしてそう言ったのでしょうか。ナオミは言いました。

全能者が私をひどい苦しみに会わせたのですから。。。私は満ち足りて出て行きましたが、主は私を素手で帰されました。。。主は私を卑しくし、全能者が私をつらいめに会わせられましたのに。(1:20-21)

ナオミは、自分が神様に捨てられたと思いました。それだけではなく、神様がご自身に反対しておられると感じました。

しかし、一番暗い時でも、神様はナオミを決して見捨てられませんでした。神様はナオミに義理の娘であるルツを与えてくださいました。ルツはナオミを深く愛しており、ナオミのためにすべてを喜んで捨てました。

ナオミはルツにモアブに留まるよう説得しようとしましたが、ルツは答えました。

あなたを捨て、あなたから別れて帰るように、私にしむけないでください。あなたの行かれる所へ私も行き、あなたの住まれる所に私も住みます。あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。

あなたの死なれる所で私は死に、そこに葬られたいのです。もし死によっても私があなたから離れるようなことがあったら、主が幾重にも私を罰してくださるように。(1:16-27)

それでも、ナオミはその祝福に気づきませんでした。むしろ、自分の惨めさのために神様を責めました。しかし、ナオミがそうしたとしても、神様はナオミを見捨てられませんでした。

他の貧しい者たちのように、ルツはある畑で落ち穂を拾い集め始めました。ルツは知らなかったけれど、神様はご自身がナオミの夫の親族であるボアズの畑に導いてくださいました。

そしてルツはその畑で働きました。ボアズはルツに気づき、親切にしてくださいました。だから、ルツが家に帰った時、ナオミは予想以上の大麦を見て驚きました。

「どこに行ったのですか」と尋ねました。

ルツの答えを聞いた時、ナオミは気づきました。「主は生きている者にも、死んだ者にも、御恵みを惜しまれません」(2:20)

つまり、「神様はやっぱり私を見捨てられませんでした。神様はまだ私を愛しておられます。」

あなたはどうでしょうか。あなたの状況によって、神様に見捨てられたと思われることがありますか。神様があなたに反対しておられると感じることがありますか。あなたの苦しみのために、神様の祝福に気づかないのでしょうか。

神様はあなたを決して見捨てられません。神様はあなたを愛しておられるからです。あなたがどんな状態になっても、神様の御手はあなたの上にあります。

私はこの歌が大好きです。

神様の目は私の上にあります。
神様は私がすることをすべて見ておられます。
神様の御腕は私を抱いてくださいます。
私を守り、私は安全です。

神様は私がどこにいるか知っておられます。
毎時、毎日、 神様は私の思いをすべて知っておられます。
私の言葉をすべて知っておられます。

私が神様の御心に従わない時があったとしても、
私は一度も、神様が私を見捨てられたことはありません。