それでは、これはレビ記の最後の箇所です。思ったほど苦しくありませんでした。😊
実は、本当に興味深いことがたくさんありました。だから、聖書を読み続けることが楽しみです。
この最後の箇所は誓いについてです。これを読んで、神様にとっては、誓いが深刻なことだと分かります。神様は誓いを要求されませんが、私たちが誓ったら、その誓いを守らなくてはなりません。
誓いを守るのが難しくなったら、少し恵みがありました。それは、買い戻すことです。
例えば、サムエルのお母さんのように、誰かが自分の子供を神様に仕えるために捧げましたが、後でその決断を後悔したら、子供を買い戻しても大丈夫でした。そうすれば、その誓いを守ったこととみなされました。
そのように、人でも、動物でも、家でも、土地でも神様に捧げた場合、代価を払えば、そのものを買い戻すことができました。これは27章の律法の意味です。
しかし、神様に誓ったら、守らなくてはなりません。そして、自分の方法で守ってはいけません。神様の方法で守らなくてはなりません。誓ったら、気を変えてはいけませんでした。
私たちにとってはどういう意味でしょうか。神様の前で私たちの言葉に気をつけなくてはなりません。
私がクリスチャンのキャンプに行った時に、私の先生はこう言いました。
「『私のすべてをお捧げします』という賛美歌を私は決して歌いません。なぜならば、この歌を歌ったら、それが神様への祈りであり、神様への約束だからです。私はその言葉が好きだし、約束したいのですが、その約束を守ることができないと思うのです。」
面白いのは、その後で、キャンプのリーダーがワーシップをリードして、その歌を歌いました。けれども、皆は先生の言葉を覚えていたから、その歌を歌うのが不安でした。
歌ったあとで、キャンプのリーダーは言いました。「皆は初めてその歌を聞いたのでしょうか。ほとんど誰も歌っていませんでしたね。」
多分、その後で、私たちの先生はキャンプのリーダーに説明して、その二人は笑ったと思います。
とにかく、私の意見は少し違います。私はそのような歌を歌うときに、こう祈ります。「神様、私はこの言葉を守りたいです。私は弱いし、よく失敗します。でも、この言葉は私の心の願いです。だから、助けてください。」
あなたは神様に約束しますか。そうであれば、その約束を守りますか。そうしないのであれば、約束しないほうがいいです。
イエス様はこう言われました。
さらにまた、昔の人々に、『偽りの誓いを立ててはならない。あなたの誓ったことを主に果たせ』と言われていたのを、あなたがたは聞いています。
しかし、わたしはあなたがたに言います。決して誓ってはいけません。すなわち、天をさして誓ってはいけません。そこは神の御座だからです。
地をさして誓ってもいけません。そこは神の足台だからです。エルサレムをさして誓ってもいけません。そこは偉大な王の都だからです。
あなたの頭をさして誓ってもいけません。あなたは、一本の髪の毛すら、白くも黒くもできないからです。
だから、あなたがたは、『はい』は『はい』、『いいえ』は『いいえ』とだけ言いなさい。それ以上のことは悪いことです。(マタイ5:33ー37)
もし、もう誓ったけど、その約束を守ることができないなら、どうしたら良いでしょうか。大祭司イエス様に行って、どうしたら良いか聞いたほうがいいです。
モーセの時代に、誰かが子供を買い戻したかったけど、その代価を払えなかったら、その人は祭司に行って、その祭司は代価を変えることができました。
そのように、イエス様は私たちに恵みを与えてくださいます。どのようにその誓いを守るか教えてくださいます。
しかし、イエス様が言われたように、私たちは、「はい」は「はい」、「いいえ」は「いいえ」とだけ言うべきです。
