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箴言

女性とは。。。

箴言31:10-31では、私たちは女性とは何かを学びます。

この世の男性のイメージと同様に、この世の女性のイメージも歪んでいます。この世は、普段女性の見た目に焦点を当てます。

つまり、理想的な女性は細くてセクシーな美人です。けれども、レムエルの母は大切な教訓を教えてくれます。

麗しさはいつわり。美しさはむなしい。しかし、主を恐れる女はほめたたえられる。(箴言31:30)

全てよりも、「本当の女性」というのは主を恐れる人です。

自分の麗しさと美しさを発展させることは、主との関係を強くするほどには価値がありません。

男性たち。結婚したいなら、女性の麗しさや美しさにごまかされないでください。本当の女性を探してください。つまり、全てよりも主を愛している女性を探してください。

この箇所をまとめたいなら、30節を覚えておきましょう。

しかし、レムエルの母はその息子に、どんな女性を求めた方が良いか、教え続けます。

1.彼女はしっかりする人です。(11)

美人は結局老けます。けれども、妻が美しい性格を持てば、彼女はもっともっと美しくなります。

しっかりする女性とはどんな女性でしょうか。美しい性格を持つ女性はどういう人でしょうか。

30節を心に留めておきましょう。彼女はすべてよりも主を追い求めます。そのような女性は、日が経てば経つほど、イエス様のようになります。

2.彼女は誠実な人です。(11)

あなたは彼女を信頼できます。また、彼女はいつも正直です。

3.彼女は夫を祝福します。(12)

彼女は尊敬をもって夫を自分よりまさっていると考えます。

4.彼女は怠けずに、頑張って、その家族のニーズに備えます。(13-15、21-22、27)

5.彼女は賢くお金を使います。(16)

6.彼女は自分の家族を無視せずに、経済的に家族を支えます。(17-19、24)

男性に対しても、女性に対しても、そのバランスを取るのは難しいです。もし、夫の給料が足りるなら、もちろん、その妻は働かなくていいです。けれども、この時代では、それはちょっと難しいです。

とはいえ、夫たち、妻たち、経済的な安定を得るために、自分の結婚や子供を無視してはいけません。

7.彼女は気前がいいです。(20)

8.彼女のおかげで、夫は皆に尊敬されます。(23)

人前で、自分の夫について批難する妻もいますが、良い妻はそうしません。

9.彼女は力と気品を身につけます。(25a)

人々はその夫が尊敬できるだけでなく、彼女も尊敬できます。

10.彼女は主を恐れるので、未来に関して心配しません。(25b)

彼女は全く主を信頼します。

11.彼女は知恵を持って、その口から知恵が出ます。

夫にも、子供にも、周りの人にも、彼女は神様からの知恵を教えます。

12.その夫と子供は彼女を尊敬します。(28-29)

それは、理想的な女性です。神様の定義によって、それは理想的な妻です。

この箇所、また箴言を終わらせる前に、二つのポイントをお教えしましょう。

一つ目は、女性たちだけではなく、男性たちもそのような人になるべきだということです。もちろん、レムエルの母は女性について話していますが、その言葉を男性にも当てはめることができます。

二つ目は、神様の恵みを覚えておいてください。

女性たちが(また男性たちも)この理想を見る時、がっかりするのは簡単なことです。なぜなら、私たちが自分自身を周りの人々と比べると、自分の欠点と弱さと失敗が見えるからです。

私たちが決してその理想に達成できないので、自分自身を厳しく非難します。

しかし、神様が御子を遣わされたのは、私たちが不完全だからです。神様が私たちを愛してくださるのは、私たちが理想的な男性や理想的な女性だからではありません。

私たちは何度も失敗します。それでも、神様は変わることなく私たちを愛してくださるのです。

イエス様は私たちの罪と失敗のために死んでくださったので、私たちは今、こう言えます。

今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。(ローマ12:1)

ですから、女性たち。自分に問いかけてみましょう。

「私はどのような女性でしょうか。そして、イエス様が私を愛し、救ってくださったのだから、私は将来どのような女性になれるのでしょうか。」

男性たち。あなたは、どのような男性でしょうか。

イエス様があなたを愛し、救ってくださったのだから、あなたは将来どのような男性になれるのでしょうか。

そして、イエス様があなたにそのような恵みを与えてくださったように、あなたも周りの女性たちにその恵みを分かち合うことができるでしょうか。

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箴言

男性とは。。。

このポストを「王とは」と名付けることができたけど、多分、王たちはこのブログを読まないでしょう。

けれども、多分たくさんの男性たちはこのブログを読むし、レムエル王の母の言葉が、男性たちに簡単に当てはめることができると思います。

ところで、レムエル王は、ちょっと謎です。彼がどの国の王であったか、誰も分からないし、いつ彼が生きていたか、誰も知りません。

いずれにせよ、この世は、男性に関して曲がったイメージを持っています。多くの人にとっては、「本当の男性」は強いし、女性たちに好かれる人です。日本では、「イケメン」という言葉がよく使われています。

ソロモンの時代にも、そんなイメージは人気でした。特に、ソロモンには妻が300人いたし、そばめが700人いました。

しかし、レムエルの母はレムエルにこう言いました。

私の子よ、何を言おうか。私の胎の子よ、何を言おうか。私の誓願の子よ、何を言おうか。

あなたの力を女に費やすな。あなたの生き方を王たちを消し去る者にゆだねるな。(箴言31:2-3)

もちろん、妻は悪いものではありません。31章の最後では、その母はどんな女性を求めた方が良いか教えます。

しかし、私たちはセックスを人生の中心にしてはなりません。私たちの目的は、できるだけ多くの女性と関係を持つことではないのです。

もちろん、一つの理由は、私たちの健康を守るためです。エイズや他の性病は危険です。

そしてソロモンが言ったように、あなたが不倫すると、相手の主人を扱わなくてはならないかもしれません(箴言6:34-35)。

けれども、一番大切な理由は、セックスがあなたの人生の中心になると、あなたの神様との関係をダメにしてしまうことです。ソロモンはそう学びました。

ソロモンが年をとったとき、その妻たちが彼の心をほかの神々のほうへ向けたので、彼の心は、父ダビデの心とは違って、彼の神、主と全く一つにはなっていなかった。。。

主はソロモンに怒りを発せられた。それは彼の心がイスラエルの神、主から移り変わったからである。(列王記第一11:4ー9)

本当の男性は、全てよりも女性を追い求めません。本当の男性は全てよりも神様を追い求めます。ソロモンはそうしませんでした。

レムエルの母は続けました。

レムエルよ。酒を飲むことは王のすることではない。王のすることではない。「強い酒はどこだ」とは、君子の言うことではない。

酒を飲んで勅令を忘れ、すべて悩む者のさばきを曲げるといけないから。(4-5)

つまり、王は自分の民に対する責任を持っています。神様は王にその責任を与えてくださって、王が酔っ払いであれば、その責任がちゃんと果たせません。

とはいえ、その言葉は王のためだけではなく、全ての男性のためです。私たちがどこにいても、職場でも、家でも、教会でも、アルコールにコントロールされるのはダメです。

酔っ払いになれば、私たちは神様からの責任を忘れるし、私たちの破滅に至ります。それに、神様は私たちを裁かれます。

だからパウロはこう言いました。

また、酒に酔ってはいけません。そこには放蕩があるからです。御霊に満たされなさい。(エペソ5:18)

アルコールにコントロールされてはいけません。むしろ、私たちは神様の聖霊にコントロールされるべきです。

では、簡単に言うと、男性というのは何ですか。

本当の男性は神様をすべてよりも追い求めます。

また、本当の男性は、何をしても、聖霊にコントロールされ、導かれます。

あなたが男性なら、あなたは本当の男性でしょうか。

あなたが独身の女性なら、どんな男性を追い求めているでしょうか。

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箴言

リーダーとは。。。

リーダーとは何ですか。この箇所で、リーダーについて学ぶことができると思います。

アグルはこう書きました。

歩きぶりの堂々としているものが三つある。いや、その歩みの堂々としているものが四つある。

獣のうちで最も強く、何ものからも退かない雄獅子、いばって歩くおんどりと、雄やぎ、軍隊を率いる王である。(箴言30:29-31)

1.リーダーは、ライオンのようにどんな状態に直面しても挑戦します。

ある人は自信がありそうですが、問題が出てくると、彼らは逃げて、その問題をたらい回しにします。

真のリーダーは自信を持って進みます。なぜなら、彼らは自分自身を信頼するよりも、神様を信頼するからです。そして、神様が彼らと共におられる確信があります。

サウルとダビデの話を読むと、その違いが分かると思います。

ゴリヤテという勇士がイスラエルの軍隊に挑戦を表明し、「誰が私と戦う勇気があるでしょうか」と叫んだとき、多分イスラエル人はサウルを見ました。なぜなら、彼は王であり、イスラエル人の中で最も大きな人だったからです。

けれども、サウルはどうしましたか。彼は自分の宮殿に隠れ、ゴリヤテと戦う責任を取る人に報酬を提供しました。

しかし、ダビデは立ち上がってゴリヤテと戦いました。彼の理由は何でしたか。

獅子や、熊の爪から私を救い出してくださった主は、あのペリシテ人の手からも私を救い出してくださいます。(第一サムエル17:37)

神様はダビデと共におられたので、ダビデはゴリヤテを殺しました。

2.リーダーは目を覚まし、挑戦に直面するために、自分の心を準備します。

では、「いばって歩くおんどり」との関係は何でしょうか。私は分かりませんが、実は、そのヘブル語のフレーズの意味はちょっと微妙です。

文字通りに、その意味は走る時に自分のローブの裾をちょっと持ち上げることです。

多くの翻訳は「いばって歩くおんどり」と書いてありますが、ある解説者たちによれば、その意味が「鎧を着る勇士」や「バーディング(つまり、馬のための鎧)を着る軍馬」ということです。

この箇所では、いろんな方法で解釈できますが、私はこの箇所を読むと、ペテロの言葉を思い出します。

ですから、あなたがたは、心を引き締め、身を慎み、イエス・キリストの現われのときあなたがたにもたらされる恵みを、ひたすら待ち望みなさい。(第一ペテロ1:13)

キリストがいつかこの世に戻るので、イエス様が私たちに命じられることを果たすために、私たちは自分の心を準備しなくてはなりません。

3.リーダーは人々を導きます。

それは当たり前のことでしょう。雄やぎが他のやぎの先に行くように、リーダーたちも神様の導きに従って、神様の民を導くべきです。

4.リーダーの後ろには、ついて行っている人がいます。

それも当たり前のことですが、多くの人々はそのことについて考えません。私のハワイの牧師はいつもこう言いました。

「もし、人々がある人についていくなら、その人はリーダーです。彼らはリーダーとして自分自身を考えないかもしれないし、自分が資格がないと思うかもしれないけど、彼らはリーダーです。」

誰もあなたについていかないなら、あなたはリーダーではありません。けれども、軍隊が戦争に王に従うように、人々があなたについて行き、あなたを信頼したら、あなたたちはすごいことを達成できます。

しかし、アグルは悪いリーダーについて警告します。彼らは高ぶって愚かなことをよくします。彼らは人々を見下し、自分の力を乱用します。

彼らは真のリーダーではありません。たとえその立場があっても、自分の行動によって怒りをかき回してしまいます。だから最終的に、彼らについて行く人は、すべていなくなります。

あなたはどうですか。あなたはどんなリーダーでしょうか。

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箴言

小さいものや、弱いものから学ぶ

私たちが小さいものや弱いものを見下すのは簡単なことです。でも、アグルはそうしませんでした。彼は動物を四匹見て、知恵を獲得しました。

アリを見て、アグルは将来のためにちゃんと計画することを学びました。

アリが頑張って夏の時に食糧を確保するので、冬が来たら心配がありません。

多くの人々には、そんな知恵がありません。彼らは自分の快楽のためにお金を全部使ってしまうので、トラブル(例えば、不景気や一時解雇など)が不意に来ると、本当に困ってしまいます。

岩だぬきから、アグルは自分の弱さを認め、安全な所を見つけることを学びました。

岩だぬきは敵から自分自身を守ることができないので、敵が来れない岩間に巣を作ります。

そのように、私たちも弱いです。自分の力で、私たちの魂の敵サタンと戦うことができません。

だから、私たちの及びがたいほど高い岩の上に行って、神様を私たちの避けどころにするべきです。(詩篇61:2-3)

神様の力によって、私たちは生き残るだけでなく、サタンの攻撃を乗り越えられます。

イナゴから、アグルは一致と整理の大切さを学びました。

彼らは自分自身を制御し、一致があるので、すごいダメージを与えることができます。

そのように、教会は一致し、制御すれば、サタンの国にすごいダメージを与えることができます。

でも、イナゴと違って、私たちには王がいます。そして、イエス様に従って、隊を組んで出て行きます。

ヤモリから、アグルは注意深さとうまく逃げることを学びました。

ヤモリは小さくて、手で捕まえられるけど、注意深くすぐに逃げるので、ほとんど捕まえられません。

そのように、私たちはサタンとその計画に注意するべきです。ペテロはこう書きました。

身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。(第一ペテロ5:8)

覚えておきましょう。サタンは優しい敵ではありません。特に私たちが弱い時、サタンは攻撃します。

でも、私たちが強い時でも注意しなくてはなりません。その時、私たちは自己満足になって注意しないようになるかもしれません。ダビデの事例について考えましょう。(第一サムエル記11章)

だから、イエス様が私たちに命じられたように祈りましょう。

私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。(マタイ6:13)

あなたはどうですか。あなたはこの動物のように賢く生きているでしょうか。

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堕落する世代

この箇所では、アグルは自分の世代について話します。その世代はどんな人たちだったでしょうか。

1.彼らは自分の父を呪い、自分の母を祝福しませんでした。(箴言30:11)

十戒で、人間関係に関する神様が与える最初の命令は父と母を敬いなさいということです。

神様が知っておられたのは、私たちの社会が栄えるためには、親子関係は本当に大事なことだということです。

残念なことですが、多くの人は自分の両親を敬いません。自分の両親を侮る人もいます。だから、ある日、神様はその人を裁かれます。(17)

2.彼らは独善的でした。(12)

彼らは相手の欠点を見ることができましたが、自分の魂の汚れを見ることができませんでした。

3.彼らは高ぶって、相手を見下しました。(13)

彼らは思うべき限度を越えて思い上がり、神様の形として創造された人々を見下しました。その結果は。。。

4.弱い人を愛さずに、世話せずに、彼らを利用し、ある場合は、彼らを殺してしまいました。(14)

どうして、彼らはそのように振る舞ったのでしょうか。

5.彼らは貪欲でした。

彼らはヒルのように、決して与えずに、いつももらおうと思っていました。

彼らはいつも「もっともっと」と叫び、目の前の物を食い尽くしましたが、決して満足しませんでした。(15-16)

6.彼らは神様が造った美しいものを酷いものにしました。

アグルは神様の被造物の素晴らしさに驚き、男女の関係の素晴らしさにも驚きました。(18-19)

けれども、この世代は何をしたでしょうか。彼らは姦淫を誉め、結婚を惨めなものにしました。なぜなら、多くの妻たちは愛されておらず、すぐに捨てられるからです。(20,23)

7.資格のない者が支配者になり、お金持ちは自分の快楽にふけるために生きました。(22)

それはアグルの世代でした。しかし何千年経っても、この世界はあまり変わっていません。実は、私たちの世界はもっと酷くなりました。

パウロは私たちの世代を予見しました。彼はこう言いました。

終わりの日には困難な時代がやって来ることをよく承知しておきなさい。

そのときに人々は、自分を愛する者、金を愛する者、大言壮語する者、不遜な者、神をけがす者、両親に従わない者、感謝することを知らない者、汚れた者になり、情け知らずの者、和解しない者、そしる者、節制のない者、粗暴な者、善を好まない者になり、裏切る者、向こう見ずな者、慢心する者、神よりも快楽を愛する者になり、見えるところは敬虔であっても、その実を否定する者になるからです。

こういう人々を避けなさい。(第二テモテ3:1-5)

それは私たちの世代です。けれども、神様は私たちがそのような民になるように呼ばれたわけではありません。

私たちはどのような人でしょうか。ペテロは私たちに教えています。

しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。

それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。(第一ペテロ2:9)

それは私たちです。だから、そのように生きましょう。

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神様の前にへりくだる

今日はアグルという人の言葉を読みます。彼がどのような人物であるかは誰も知りませんが、彼の言葉は知恵と謙遜に満ちています。

1節の意味は少し曖昧です。多くの翻訳によれば、アグルはイティエルとウカルという人々に向かって話しています。

けれども、他の翻訳では、アグルはこう言っています。「私は疲れました。神様、私は本当に疲れ果てています。」

いずれにせよ、アグルは続けて語ります。

確かに、私は人間の中でも最も愚かで、私には人間の悟りがない。私はまだ知恵も学ばず、聖なる方の知識も知らない。(箴言30:2-3)

要するに、自分の弱さを認めて、アグルは神様の前に立ちました。彼のプライドは消え去りました。自分の力や知恵から生じるプライドはすべてなくなりました。

だからこそ、自分の弱さを認めたうえで、彼は神様を求めたのです。

4節で、彼はこう尋ねます。

だれが天に上り、また降りて来ただろうか。

だれが風をたなごころに集めただろうか。だれが水を衣のうちに包んだだろうか。だれが地のすべての限界を堅く定めただろうか。

その名は何か、その子の名は何か。あなたは確かに知っている。

つまり、「誰が天に行ったことがあるでしょうか。誰がそのような経験を持ち、私たちに神様について説明することができるでしょうか。」

さらに、「私たちの創造主は誰でしょうか。その子の名前は何でしょうか。」

実際、アグルは自分の創造主をすでに知っていました。7節で彼が神様に祈っていることからも、その創造主を知っていたことは明らかです。

けれども、興味深いことに、彼はその創造主の子の名前を尋ねました。その答えを彼は全く知らなかったのです。

しかし、イエス様がこの世に来た時、その答えを明らかにしてくださいました。そしてイエス様は、アグルや他の誰よりも、神様について明確に説明することがおできになりました。

ヨハネはこう記しています。

いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである。(ヨハネ1:18)

そして、アグルは私たちに、神様の言葉に耳を傾け、神様を私たちの避けどころとするように励まします。彼はこう言いました。

神のことばは、すべて純粋。神は拠り頼む者の盾。

神のことばにつけ足しをしてはならない。神が、あなたを責めないように、あなたがまやかし者とされないように。(箴言30:5-6)

そして、彼は心からの素晴らしい祈りを捧げます。

二つのことをあなたにお願いします。私が死なないうちに、それをかなえてください。

不信実と偽りとを私から遠ざけてください。

貧しさも富も私に与えず、ただ、私に定められた分の食物で私を養ってください。

私が食べ飽きて、あなたを否み、「主とはだれだ」と言わないために。

また、私が貧しくて、盗みをし、私の神の御名を汚すことのないために。(箴言30:7-9)

つまり、「私は自分の言葉と行動を通して、あなたを敬いたいです。だから、私を罪から遠ざけてください。」

私たちもそのような心を持ちましょう。神様の前にへりくだり、神様を敬いましょう。

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邪な世界に住んでいるのに

以前は、アメリカはクリスチャンの国と呼ぶことができました。今でも、多くのアメリカ人は「私はクリスチャンだ」とか、「神様を信じる」とか言います。

けれども、アメリカがクリスチャンの国だとはもう言えないと思います。実は、アメリカの歴史の中では、多分今は一番暗い時期でしょう。

ソロモンの時代はましだったけど、彼が周りの国々を見ると、いろんな悪を見ました。

彼は無政府状態を見たし(箴言28:2)、自分の民を気にしない独裁者や、正義を気にしない支配者や、酷い罪を犯す王を見ました。(箴言28:3、12、15-16;29:2、4、12)

アメリカや日本はまだそこまで悪くないと思いますが、私たちは、人に仕えるよりも、自分の立場を守りたがる政治家をよく見ます。

特に、アメリカでは、与党議員や裁判官は私たちの社会の道徳的価値観を変えて、罪を良いことだと呼びます。

ソロモンは社会の中の邪についても話します。多くの人々は神様の律法を拒絶し、その律法を拒絶する人を誉めます。(28:5)

彼らはその律法を拒絶するので、道徳的に堕落してしまいます。(28:5)

それに、彼らは正しい人を迫害し始めます。(箴言29:10)

それでは、どうやって、私たちはそんな社会に住むべきでしょうか。ソロモンはこう言います。「神様の道を行き続けなさい。その道を捨てるな。」

彼はこう書きました。

幸いなことよ。いつも主を恐れている人は。

しかし心をかたくなにする人はわざわいに陥る。(28:14)

私たちの周りの悪を見ると、自分の心が堅くなるのは簡単なことです。私たちの愛が冷たくなるのは簡単なことです。(マタイ24:12)

つまり、私たちの神様に対する愛、周りの人々に対する愛が冷たくなってしまいます。

そのような態度に注意しましょう。神様に対する柔らかい心を保ち、主を恐れ続けましょう。

ソロモンは私たちに警告します。

耳をそむけておしえを聞かない者は、その者の祈りさえ忌みきらわれる。(28:9)

また、

潔白な生活をする者は救われ、曲がった生活をする者は墓穴に陥る。(28:18)

だから、悪と戦い続け(28:4)、頑張って働き(28:19)、忠実に生き(28:20)、周りの人々に対して気前がいい態度を持ってください。(28:27)

あなたが罪を犯してしまうなら、すぐに悔い改めてください(28:13)。そして、自分の子供にそのように生きるように訓練するべきです(29:15,17)。

周りの人々は神様の律法を捨てるかもしれませんが、神様の道に従い続けるべきです(29:18)。

一番大事なポイントは、神様を信頼し続けるべきだということです。

ソロモンはこう書きました。

自分の心にたよる者は愚かな者、知恵をもって歩む者は救われる。(28:26)

また、

人を恐れるとわなにかかる。しかし主に信頼する者は守られる。(29:25)

神様がエレミヤに命じられたように、私たちにもこう命じられます。

彼らがあなたのところに帰ることがあっても、あなたは彼らのところに帰ってはならない。

わたしはあなたを、この民に対し、堅固な青銅の城壁とする。

彼らは、あなたと戦っても、勝てない。わたしがあなたとともにいて、あなたを救い、あなたを助け出すからだ。――主の御告げ(エレミヤ15:19-20)

あなたはどうですか。周りの人々のようになっているでしょうか。それとも、この暗闇の中で、光となっているでしょうか。

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友人からの傷

ハワイに住んでいた時、ある時期、私は主と共に歩み、毎週教会に行っていましたが、スモール・グループに行くのは辞めました。

私のスモール・グループはいろんな理由で(悪い理由ではありませんでした)、解散しました。その時、「日本に引っ越すかもなあ」と思ったので、他のグループに参加しなくても良いと思いました。

ところが、時間が経ち、結局日本に行かなくなりました。それでも、私はスモール・グループに参加しようと思いませんでした。

けれども、ある日、神様は私に「もうそろそろ、スモール・グループに参加した方が良いんじゃない?」と言われました。

だから、私はそうしました。

その後、私は以前のスモール・グループのメンバーの一人と話し、「私はスモール・グループに入ったよ」と言いました。

彼女は答えました。「ああ、良かった。ブルースのこと、ちょっと心配だった。」

私はそれを聞いて、びっくりしました。「そう?なんで何も言わなかったの?」と尋ねました。

彼女は答えました。「まあ、ブルースはやっぱり大丈夫かなあと思ったから。」

成熟したクリスチャンのマイナス面は、私が大丈夫じゃなくても、私の周りのクリスチャンは、「ブルースは大丈夫だ」と思うことです。

だから、私は友だちにこう言いました。

「私について心配することがあるなら、今度は何か言ってください。私は最初はその言葉を聞かないかもしれないけど、あなたの言葉が神様から来るなら、結局神様が私の心に語ります。」

私が友だちに言ったように、時々私は頑固です。だから、友だちの言葉に注意しない時もあります。しかし、何度も、その言葉を通して、神様は私の心に語られました。

時々、その言葉は嫌です。私たちの友だちは私たちの罪を指摘することがあります。だから、私たちはその言葉を聞いて、傷ついてしまうことがあります。

また、私たちは「どうして、そんなに酷いことを言われただろうか」と思うかもしれません。

けれども、ソロモンはこう言いました。

あからさまに責めるのは、ひそかに愛するのにまさる。

憎む者が口づけしてもてなすよりは、愛する者が傷つけるほうが真実である。(箴言27:5-6)

要するに、あなたの友だちがあなたを本当に愛するなら、あなたが罪を犯すと、彼らはあなたを訓戒します。

しかし、あなたを愛していない人は何も言いません。彼らはあなたが転んでもいいと思うから。

あなたに正直に言う友だちは本当に大事です。彼らは、あなたを励ますだけでなく、あなたに聖書的な助言を与えてくれます。

だから、ソロモンはこう言います。

香油と香料は心を喜ばせ、友の慰めはたましいを力づける。

あなたの友、あなたの父の友を捨てるな。あなたが災難に会うとき、兄弟の家に行くな。

近くにいる隣人は、遠くにいる兄弟にまさる。(9-10)

けれども、私たちは互いに支え合うべきです。 友だちが私たちの成長を励ますように、私たちも自分の言葉と行動を通して、彼らの成長を助けるべきです。

ソロモンはこう書きました。

鉄は鉄によってとがれ、人はその友によってとがれる。(17)

あなたにはそんな友だちがいるでしょうか。あなたたちは互いに研ぎ合うでしょうか。あなたたちは訓戒し合うでしょうか。

もしかしたら、あなたたちは相手が聞きたい言葉だけを言いますか。

あなたにはどんな友だちがいるでしょうか。

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愚か者との付き合い方、愚か者のように行動する

この箇所では、私たちはどのように愚かな者を扱うか、また、どのように愚か者にならないかを学びます。

この箇所でいう「愚か者」とは、馬鹿で高慢な人のことです。彼らは自分の意見を言い張り、訓戒を決して受け入れません。

私たちはどのようにそんな人を扱った方が良いのでしょうか。ソロモンはこう言います。

愚かな者には、その愚かさにしたがって答えるな。あなたも彼と同じようにならないためだ。

愚かな者には、その愚かさにしたがって答えよ。そうすれば彼は、自分を知恵のある者と思わないだろう。(箴言26:4-5)

一見したところ、これは矛盾です。ソロモンは最初に「愚かな者には、その愚かさにしたがって答えるな。」と言いますが、その後に「愚かな者には、その愚かさにしたがって答えよ。」と言います。

この意味は、愚か者と言い争わない方が良いということです。多くの場合、彼らは聞いてくれないし、あなたは怒ってしまい、彼らのように見えてしまいます。

しかし、柔和な態度と知恵を持って、彼らの愚かさを示すべきです。そうすれば、彼らは聞いてくれて、気が変わるかもしれません。

けれども、彼らがあなたの言葉を受け入れず、あなたが自分の怒りが上がることに気づいたら、止めた方が良いです。なぜなら、ソロモンはこう言うからです。

愚か者を臼に入れ、きねでこれを麦といっしょについても、その愚かさは彼から離れない。(箴言27:22)

それに、私たちは彼らを愛するべきですが、彼らを信頼しない方が良いです。つまり、彼らの意見に従うべきではないし(26:7、9)、彼らには責任を与えない方が良いです。(26:10)

私たちが愚か者になりたくないなら、どうしたら良いでしょうか。

私たちは自分の過ちから学ぶべきです。また、訓戒を受け入れるべきです。ソロモンはこう書きました。

犬が自分の吐いた物に帰って来るように、愚かな者は自分の愚かさをくり返す。(箴言26:11)

多くの人々は自分の過ちから学ばないので、その過ちを何度も繰り返してしまいます。

謙虚な態度を取るべきです。あなたは全てのことを知らないことを認めるべきです。ソロモンはこう言います。

自分を知恵のある者と思っている人を見ただろう。彼よりも、愚かな者のほうが、まだ望みがある。(箴言26:12)

そして、神様がご自身の手の中にあなたの未来を持っておられることを認めるべきです。だから、あなたの計画を神様に委ねた方が良いです。(27:1)

あなたは怠けてはいけません。(26:13-16)

箴言では何度もそのテーマが見えてきます。だから、自分の将来を考えて、今の責任を果たすべきです。(27:23-27)

あなたは関係のない喧嘩に勝手に入るべきではありません。(26:17)

そんな喧嘩に勝手に入ると、相手があなたに怒ってしまいます。

あなたの言葉に注意するべきです。(26:18,20)

噂をしない方が良いです。(26:20)

そして、喧嘩を売るべきではありません。(26:21;27:15-16)

むしろ、和解のために働くべきです。

人の言葉を聞くとき、その人の性格を考えるべきです(26:23-26)。

ある人は言葉が得意ですが、彼らの性格も試さなくてはなりません。彼らの性格を知るべきです。

あなたが人を傷つけるように計画するなら、多くの場合、最終的にあなたが傷つけられることを覚えておくべきです(26:27)。

エステル記で、ハマンはそう学びました。

人生の危険を避けるべきです。(27:12)

つまり、あなたの人生や結婚、仕事が悪い方向に向かっていることに気づいたら、立ち止まりましょう。自分の方向を変えましょう。そうしないと、全てを失ってしまうかもしれません。

あなたの隣人に対して気を利かせるべきです。(27:14)

あなたの意図は良いかもしれませんが、ちゃんと考えないと、彼らを祝福するつもりが、怒らせてしまうかもしれません。

あなたはどうですか。賢く生きていますか。愚か者のように生きていますか。

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人に愛される

このポストのタイトルは「人に愛されること」ですが、実は、クリスチャンにとっては、それが私たちの一番の目的ではありません。私たちの目的は神様を喜ばせることです。

けれども、聖書では、イエス様についてこう書いてあります。

イエスはますます知恵が進み、背たけも大きくなり、神と人とに愛された。(ルカ2:52)

人にイエス様が愛されたように、私たちはどうすれば人に愛されるでしょうか。ソロモンは、箴言25章で良いアドバイスを与えてくれます。

まず、相手に敬われることを求めないべきです。もし彼らがあなたを敬うなら良いですが、その敬いを求めない方が良いです。

ソロモンはこう書きました。

王の前で横柄ぶってはならない。偉い人のいる所に立っていてはならない。

高貴な人の前で下に下げられるよりは、「ここに上って来なさい」と言われるほうがよいからだ。(箴言25:6-7)

イエス様はパリサイ人にも同じことを言われました。(ルカ14章)

そして、ソロモンは言います。

あまり多くの蜜を食べるのはよくない。しかし、りっぱなことばは尊重しなければならない。(27)

ヘブル語の文字通りに、その最後の部分は「自分の栄光を求めるのは、栄光ではないです。」という意味です。

その意味が微妙なため、さまざまな翻訳があります。多くの英語の聖書は「自分の栄光を求めるのは、良いことではありません。」と翻訳しています。

日本語のリビングバイブルの訳者も、ほぼ同じように翻訳しています。

どんなに良い食物でも、食べすぎは体に毒です。同じように、人にほめられるのはすばらしいことですが、それを意識しすぎるのはよくありません。(箴言25:27)

とにかく、皮肉なことに、私たちが謙虚な態度を持つなら、最終的に、人々は私たちを敬い、神様は私たちを誉めてくださいます。

ソロモンは続けて言います。

あなたがその目で見たことを、軽々しく訴えて出るな。

そうでないと、あとになって、あなたの隣人があなたに恥ずかしい思いをさせたとき、あなたはどうしようとするのか。(箴言25:7-8)

つまり、怪しいことをする人を見た時、すぐに訴えない方が良いです。なぜなら、彼らは自分の行動をちゃんと弁解できるかもしれないからです。

早とちりして訴えたら、結局あなたが恥をかいてしまうかもしれません。

さらに、ソロモンはこう言います。

あなたは隣人と争っても、他人の秘密を漏らしてはならない。

そうでないと、聞く者があなたを侮辱し、あなたの評判は取り返しのつかないほど悪くなる。(9-10)

時々、私たちの友だちは内緒で他の人について話します。そして、その言葉によって、私たちはその人を訴えます。けれども、そうすると、三つのことが起こるかもしれません。

一つ目は、その友達が相手を怖がって、あなたの言葉を否定するかもしれません。

二つ目は、あなたがその内緒で言った言葉をばらしたので、多分その友達はあなたに怒るでしょう。

三つ目は、相手を訴えるのに、あなたには証拠がないので、結局あなたが恥をかくかもしれません。

だから、人に愛されたいなら、すぐに訴えたり、人の内緒をばらしたりするべきではありません。

ソロモンは続けて言います。

あなたの言葉によって、人を助け、励ました方が良いです(11)。

その反面、相手が愛によってあなたを叱責するなら、へりくだってその言葉を受け入れるべきです(12)。

職場や他の場所で忠実に仕え(13,19)、自分の約束を守り(14)、正直に言うべきです(18)。

意見を与える時、忍耐を持って柔和な態度を持つべきです(15)。

隣の人を訪れる時、気を利かせて、彼の時間を取りすぎてはいけません(17)。

相手が苦しんでいるとき、彼らの感情に敏感になりましょう(20)。

最後に、自分の言葉に注意するべきです。また、あなたは自制するべきです(28)。

そうすれば、あなたは人々に愛されます。

周りの人々はあなたについてどう考えるでしょうか。

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仕返し

仕返し。

私たち皆、仕返しが悪いことを知っていますが、どれぐらい仕返しを計画するでしょうか。私たちはその計画を実行しないかもしれませんが、その計画を考えるのが好きですね。

また、相手が倒れる時、私たちはよく喜びます。

しかし、ソロモンはそのような態度に関して警告します。彼はこう書きました。

あなたの敵が倒れるとき、喜んではならない。彼がつまずくとき、あなたは心から楽しんではならない。

主がそれを見て、御心を痛め、彼への怒りをやめられるといけないから。(箴言24:17-18)

私たちが心に留めておかなければならないのは、相手がどんなに悪者でも、彼らが神様のかたちとして創造されたことです。その形は曲がったかもしれませんが、神様はまだ彼らを愛しておられます。

だから、彼らが苦しんだ時、神様はあなたがその人の苦しみを喜ぶことを憎まれます。なぜなら、神様は喜ばれないからです。

人々が地獄に行く時、彼らがどんなに悪者でも、神様は喜ばれません。むしろ、神様は涙を流されます。

だから、神様の形として創造された者を見下してはなりません。神様はそのような態度をご覧になる時、全然喜ばれません。

ソロモンはこう言います。

「彼が私にしたように、私も彼にしよう。私は彼の行ないに応じて、仕返しをしよう」と言ってはならない。(箴言24:29)

むしろ、

もしあなたを憎む者が飢えているなら、パンを食べさせ、渇いているなら、水を飲ませよ。

あなたはこうして彼の頭に燃える炭火を積むことになり、主があなたに報いてくださる。(箴言25:21-22)

要するに、あなたの敵に復讐せずに、彼らに親切にすれば、彼らは罪悪感を持つかもしれません。もしくは、彼らが決して謝らなくても、神様はあなたに報いてくださいます。

その反面、

正しい人が悪者の前に屈服するのは、きたなくされた泉、荒らされた井戸のようだ。(25:26)

もし悪い人の仕業のために私たちが仕返しをするなら、私たちの証しは汚されます。その場合、私たちがこの世の民に影響を与えるのではなく、むしろ、この世の民が私たちに影響を与えてしまいます。

ソロモンはこう言います。

自分の心を制することができない人は、城壁のない、打ちこわされた町のようだ。(25:28)

人々が私たちを傷つける時、私たちが自分の怒りと行動をコントロールできないなら、私たちの人生の城壁は倒れます。そして、私たちを神様から離させるために、サタンは、ますます攻撃します。

しかし、私たちの敵に親切にするなら、サタンはどうしても私たちを滅ぼすことができません。

それに、サタンが送った私たちの敵は友達になるかもしれません。その場合、サタンの計画は本当に無駄になってしまいます。

敵に仕返しすると、自分の城壁を強化すると思う人もいます。実は、自分の怒りをコントロールできる人、また、相手を許せる人が本当に強い人です。

あなたはどうですか。相手があなたを傷つける時、あなたはどうしますか。

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箴言

地獄に行く人に警告しないと

この箇所では、ソロモンは本当に鋭い言葉を言います。

捕らえられて殺されようとする者を救い出し、虐殺されようとする貧困者を助け出せ。

もしあなたが、「私たちはそのことを知らなかった」と言っても、人の心を評価する方は、それを見抜いておられないだろうか。

あなたのたましいを見守る方は、それを知らないだろうか。

この方はおのおの、人の行ないに応じて報いないだろうか。(箴言24:11-12)

毎日、人々は地獄に行っています。永遠の死に行っています。彼らは虐殺されます。だから、あなたは何をしていますか。

地獄というのは嫌な話題なので、多くの人々は、そのことについて話したがりません。けれども、地獄について話さなくても、その問題は無くなりません。そして、私たちが人々に警告しないと、神様はその責任を私たちに負わせられます。

もちろん、私たちは無理矢理、誰かの道を彼の意志に背いて変えさせることはできません。それは私たちの責任ではありません。私たちは人間の心を変えられないからです。

とはいえ、神様は私たちに、彼らに警告するように命じられました。

神様は「私は彼らが地獄に行くことを知らなかった」と言う言い訳を受け入れられません。

多くの人は愛する人たちに関して、自分自身にこう言います。「彼らがイエス様を信じなくても、きっと天国に行くだろう。なぜなら、彼らは良い人だから。」

なぜ彼らはそう言うのでしょうか。多分、彼らは自分の家族や友達に真実を言いたがらないからです。彼らは拒絶されることを怖がるからです。また、彼らは愛する人が真実を聞くと怒られることを怖がります。

しかし、心の中で、そのクリスチャンは真実を知っています。そして、神様も、そのクリスチャンの心をよく知っておられます。私たちは神様から何も隠すことができません。

だから、神様が預言者エゼキエルに言われたように、私たちにも言われます。

「人の子よ。わたしはあなたをあなたの家の見張り人とした。あなたは、わたしの口からことばを聞くとき、わたしに代わって彼らに警告を与えよ。

わたしがあなたのお父さんや、お母さんや、兄弟たちや、友達に、『あなたは必ず死ぬ』と言うとき、もしあなたが彼に警告を与えず、彼らに悪の道から離れて生きのびるように語って、警告しないなら、彼らは自分の不義のために死ぬ。そして、わたしは彼の血の責任をあなたに問う。

もしあなたが彼らに警告を与えても、彼がその悪を悔い改めず、その悪の道から立ち返らないなら、彼は自分の不義のために死ななければならない。しかしあなたは自分のいのちを救うことになる。(エゼキエル書3:17-19)

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箴言

あなたの家を建てる

あなたはどんな家を建てているでしょうか。私がここで家と呼んでいるのは、住む場所ではなく、あなたがどんな人生を建てているかと訊いています。

箴言24章でソロモンは、そのことについて話します。

彼はこう言います。

家は知恵によって建てられ、英知によって堅くされる。

部屋は知識によってすべて尊い、好ましい宝物で満たされる。(24:3-4)

家族を建てる時(多分ソロモンはそのことについて話している)、また、あなたの人生を建てる時、永続するものを作りたいなら、神様の知恵によって建てなければなりません。

ソロモンは続けてこう言います

知恵のある人は力強い。知識のある人は力を増す。(5)

神様からの知恵は、家族と人生を建てることに関して、何を教えるのでしょうか。

ソロモンは以前こんなことを言いましたが、もう一度言います。

悪い人を妬むべきではありません。また、彼らと付き合うべきでもありません。なぜなら、彼らはあなたを破壊の道に導くからです。(1ー2、19)

知恵のある人の意見を聞くべきです。(6、26)

知恵を抱くべきです。(13ー14)

怠ける人生を送るべきではありません。(30ー34)

しかし、ソロモンはこうも言います。

もしあなたが苦難の日に気落ちしたら、あなたの力は弱い。(10)

私たち皆は、苦しみに直面します。神様の御心に従っても、苦しむ時もあります。

パウロにはそんな経験がありました。エレミヤや、他の預言者たちも苦しむことがありました。イエス様にも、苦しんだ時がありました。けれども、そんな時に、私たちは神様に信頼し続けるべきです。

数年前、私の友だちの奥さんは、がんにかかって、結局亡くなりました。その二人にとっては、もちろん大変な時でした。しかし、彼らの信仰は決して揺るぎませんでした。

あくまでも、その奥さんは周りの人々を考えて、触れたがりました。ベッドから起きられなくても、そんな態度を持ち続けました。

ソロモンはそんな人に関して、こう言いました。

正しい者は七たび倒れても、また起き上がるからだ。(16)

そして、ある日、その奥さんが目覚めたら、救い主イエス様の笑顔を見ました。

私たちが上手く行く人生を望むなら、神様に基づいて、人生を建てるべきです。

ソロモンは家を建てる他の方法を教えます。

主と王とを恐れよ。(21)

つまり、神様と権力のある人に従うべきです。総理大臣や、警察や、上司や、牧師に従うべきです。なぜなら、神様は彼らを確立されたからです。(ローマ13:1)

神様と神様が確立された力に反対したら、あなたの家の基礎は揺れます。

最後に、ソロモンはこう書きました。

外であなたの仕事を確かなものとし、あなたの畑を整え、そのあとで、あなたは家を建てよ。(27)

つまり、あなたがプロジェクトを始める前に、その費用を計算するべきです。そうしないと、最終的にあなたは、そのプロジェクトを諦めなければならないかもしれません。(ルカ14:28-30)

多くの人々は自分の経済を考えずに結婚するので、すぐに困ってしまいます。また、彼らは子育てのためにちゃんと計画しません。ミニストリーを始めるけど、前もって計画しない人もいます。

私たちが費用を計算しないと、私たちがしていることはめちゃくちゃになります。

あなたはどうですか。どんな人生を建てているでしょうか。

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私たちが追い求めるもの

箴言23章では、私たちが何を追い求めるべきかについて、ソロモンが警告します。

ソロモンはこう言いました。

あなたが支配者と食事の席に着くときは、あなたの前にある物に、よく注意するがよい。あなたが食欲の盛んな人であるなら、あなたののどに短刀を当てよ。

そのごちそうをほしがってはならない。それはまやかす食物だから。(箴言23:1-3)

つまり、食べ物や、この世の物によって満足を追い求めるなら、気を付けてください。

もし、あなたが偉い人や、力がある人や、影響力のある人と一緒に食事をする時、彼らの立場、また、彼らがどんな食べ物を与えるか注目してください。どうして彼らがあなたにおごってくれるか考えてください。

そうしないと、彼らはあなたに悪い計画に参加するように納得させるかもしれません。

自分のお腹や、快楽だけを考える人は簡単に騙されます。

それに、食事することが大好きで、食べ過ぎると、いろんな健康問題が出てきます。多分あなたはそんな人を知っていると思います。だから、ソロモンは警告します。

大酒飲みや、肉をむさぼり食う者と交わるな。大酒飲みとむさぼり食う者とは貧しくなり、惰眠をむさぼる者は、ぼろをまとうようになるからだ。(20-21)

この箇所では、ソロモンはお酒の危険性について警告します。アルコール依存症の人には、いろんな苦しみがあります。(29)

彼らは健康問題が出てきますし、彼らの思いは支離滅裂になります。(32-33)

それに、彼らの人生がどれぐらいめちゃくちゃになったか全然分かりません。次の飲み物だけを考えます(35)。

富を追い求める人もいます。ますますお金を稼ぐことだけを考えます。

しかし、ソロモンはこう警告しました。

富を得ようと苦労してはならない。自分の悟りによって、これをやめよ。あなたがこれに目を留めると、それはもうないではないか。

富は必ず翼をつけて、鷲のように天へ飛んで行く。(4-5)

要するに、この世の富は一時的なものだけです。あなたの死後に、その富を天国に持っていくことはできません。それに、パウロはこう言います。

金持ちになりたがる人たちは、誘惑とわなと、また人を滅びと破滅に投げ入れる、愚かで、有害な多くの欲とに陥ります。

金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。

ある人たちは、金を追い求めたために、信仰から迷い出て、非常な苦痛をもって自分を刺し通しました。(第一テモテ6:9-10)

もちろんお金自体は悪いものではありません。とはいえ、多くの人は、お金を追い求めながら、自分の結婚や、家族や、人間関係や、自分の人生までも壊してしまいました。自分の信仰から迷い出る人もいます。

セックスを追い求める人もいます。神様はセックスを良いものとして創造されました。つまり、結婚の関係の中で、セックスは愛によって夫と妻を結び合わせるものです。

けれども、多くの人々は結婚の外でセックスを求めるため、最終的には苦しむことになります。

ソロモンは私たちに警告します。

遊女は深い穴、見知らぬ女は狭い井戸だから。彼女は強盗のように待ち伏せて、人々の間に裏切り者を多くする。(27-28)

どれくらい、多くの人が良いものを悪い方法で使ったために、自分の健康や、結婚や、ミニストリーを壊してしまったのでしょうか。

それでは、どう生きればいいのでしょうか。ソロモンはこう言います。

あなたは心のうちで罪人をねたんではならない。ただ主をいつも恐れていよ。

確かに終わりがある。あなたの望みは断ち切られることはない。(17-18)

要するに、この世の民が追い求めるものを追い求めるな。この世の民が願うものを願うな、ということです。

むしろ、神様を追い求めましょう。そうすれば、私たちには将来の希望があります。そして、その希望は決して断ち切られることはありません。

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良い評判を保つ

周りの人々があなたを見ると、彼らはどう思うでしょうか。

箴言では、そのトピックがよく取り上げられています。ソロモンは10章で、良い評判の大切さについて書きましたし、この箇所でも同じことについて書いています。彼はこう言いました。

名声は多くの富よりも望ましい。愛顧は銀や金にまさる。(箴言10:1)

この箇所では、私たちは、どのように良い評判を保つことができるか見ることができます。ソロモンはこう書きました。

利口な者はわざわいを見て、これを避け、わきまえのない者は進んで行って、罰を受ける。(箴言22:3)

時々、私はハワイ人の考え方に驚きます。津波の警報がある時、海へ津波を見に行く人もいます。(私の友達も見に行ったことがあります。私は信じられませんでした。)

幸い、津波がハワイに付く前に小さくなったので、誰も怪我をしませんでした。それでも、その人は本当にバカなことをしたと思います。

それに、多くの人々は他の危険も見ることができません。ソロモンはこう言いました。

曲がった者の道にはいばらとわながある。たましいを守る者はこれらから遠ざかる。(5)

多くの人々は、どのように自分の罪が彼らの健康や、結婚や、他の人間関係を壊すかを見ることができません。だから、彼らはその道を行き続けるので、苦しみ、自分の評判が地に落ちてしまいます。しかし、知恵を持つ人は、その危険を見て避けます。

ソロモンは続けてこう言います。

謙遜と、主を恐れることの報いは、富と誉れといのちである。(4)

私たちが主を恐れると、良い評判を獲得できます。

とはいえ、すべての人々があなたが好きなわけではありません。時々、主を恐れると、私たちは迫害されることもあります。イエス様は罪のない神の子でした。それでも、ある人々はイエス様を憎んだので、殺してしまいました。

けれども、多くの場合、神様を恐れると、私たちは栄え、良い評判を獲得します。

もう一つ覚えておくべきことがあります。私たちが自分の子供をちゃんとしつけないと、彼らは私たちの評判を汚すかもしれません。ソロモンはこう書きました。

愚かな子はその父の憂い、これを産んだ母の痛みである。(17:25)

また、

愚かな息子は父のわざわい。(箴言19:13)

だから、ソロモンはこう言いました。

若者をその行く道にふさわしく教育せよ。そうすれば、年老いても、それから離れない。(箴言22:6)

また、

愚かさは子どもの心につながれている。懲らしめの杖がこれを断ち切る。(22:15)

そして、ソロモンは良い評判を獲得できる他の方法を教えます。つまり、

  • 周りの人々を祝福する。(9)
  • 清い心を保つ。また、恵み深い言葉を言う。(11)
  • 怠ける態度を避ける。(13)
  • 不倫を避ける。(14)
  • 友達を賢く選ぶ。(24-25)
  • あなたの経済に気を付ける。(26-27)
  • 正直に生きる。(28)
  • 自分の仕事を上手にする。(29)

そんなことをすれば、あなたはイエス様のように、神と人とに愛されます。(ルカ2:52)

あなたはどうですか。どんな評判を築いているでしょうか。

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箴言

この世を治めておられる方

この世の現実を目にするとき、私たちはこう考えてしまうことがあります。「神様は本当にすべてを治めておられるのだろうか」。

けれども、ソロモンはこう書きました。

王の心は主の手の中にあって、水の流れのようだ。みこころのままに向きを変えられる。(箴言21:21)

多くのアメリカのクリスチャンは、だんだん変わっている国の道徳観念に悩んでいます。

例えば、数年前、アメリカの政府はゲイの結婚を認め始めました。そして、クリスチャンが「ゲイの結婚に同意できない」と言ったら、彼らは迫害されてしまいます。

あるケーキ屋さんは、ゲイの人のためにも、誰のためにもケーキを作りました。ところが、ある日、その店のゲイの常連は「私が結婚するので、ケーキを焼いてください」と頼むと、その店主はクリスチャンなので断りました。

誕生日のケーキであれば、大丈夫でしたが、ゲイの結婚を祝うために焼けませんでした。そのケーキ屋さんは訴えられて、結局その店を畳まなくてはなりませんでした。

アメリカでは、多くの人が聖書の道徳の教えを拒絶するので、たくさんのクリスチャンは心配して、自分の子供たちを公立学校に送りたがりません。なぜなら、学校で、その子供たちは聖書に反対する教えも受けるからです。

最近、日本人には別の心配があります。つまり、今、北朝鮮のリーダーたちは本当に怖いです。彼らはミサイルも持っており、私たちは彼らが何をするか予想できません。

だから、多くのアメリカ人でも、日本人でも、この世を見ると、「神様は、本当にこの世を治めておられるだろうか」と考えます。

けれども、ソロモンはこう書きました。

主の前では、どんな知恵も英知もはかりごとも、役に立たない。(30)

しかし、ソロモンが正しかったら、どうして私たちは、こんなトラブルを目にするのでしょうか。

それは、神様が人間に選択する権利を与えてくださるからです。私たちは神様を愛して、神様の道を行くことを選ぶことができます。その反面、神様とその道を拒絶する選択もできます。

私たちはロボットではありません。神様はロボットを望んでおられません。神様は、私たちが愛によって、神様に従うことを望んでおられます。

しかし、もう一つの理由があると思います。

それは、私たちが神様からの使命を実行していないということです。私たちは世界中に行って、弟子を作るべきです。そうすれば、人々は変わります。国々は変わります。

何世紀も前、あるクリスチャンは戦争を通して、クリスチャンの国を造ろうと思いました。もし、クリスチャンの国を造ったら、皆が救われると思いました。けれども、最終的に、彼らは失敗しました。

20-30年前、あるアメリカのクリスチャンたちは、政治を通してアメリカを変えようと思いました。だから、彼らは良い法律のために戦いました。それでも、アメリカはだんだん悪くなっています。

どうしてでしょうか。

私たちは人々の心を政治を通して変えることはできません。戦争や人間の力を通しても、人間の心を変えることはできません。

しかし、私たちがこの世の一人一人に福音を述べ伝えると、神様は彼らの心を変え始めてくださいます。私たちがこの世に変わって欲しいなら、神様だけが私たちの希望です。

では、私たちは自分の権利のために戦ってはいけないのでしょうか。私たちの国を攻撃から守るために準備してはいけないのでしょうか。もちろん、そのために準備するべきです。

とはいえ、それらは私たちの主な戦いではありません。むしろ、人々を奴隷にしているサタンと戦わなくてはなりません。人々を滅ぼしている悪魔と戦わなくてはなりません。それが私たちの主な戦いです。

神様は私たちが決して、迫害や苦しみに直面しないと約束してくださったことはありません。むしろ、神様は私たちが迫害や苦しみに直面することを約束されました。

それでも、心に留めてください。私たちがどんな迫害や苦しみに直面しても、神様はまだこの世を治めておられます。そして、イエス様がこの世に戻られたとき、皆がそれを認めます。

しかし、その日が来るまで、神様に従い、その使命を行いましょう。

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私たちのお金を賢く使う

アメリカでは、多くの人々がクレジット・カードを使います。アメリカ人と比べると、日本人はクレジット・カードをあまり使いません。

私が日本に住み始めた時、ちょっとカルチャーショックを受けました。なぜなら、店でレジの列が割と短かったからです。日本人の大部分は現金を使うからです。

アメリカでは、多くの人がクレジット・カードを使うので、列はもっと長いです。

アメリカでは、たくさんの現金を持っているとちょっと危ないです。私がアメリカに住んでいた時、そんなにたくさんの現金を持つことがありませんでした。けれども、日本は割と安全だから、大丈夫です。

アメリカでは、クレジット・カードを持っている人の間では、54%の人がクレジット・カードで支払います。

日本でクレジット・カードを持っている人の間では、18%の人がクレジット・カードで支払います。

それに、アメリカ人のクレジット・カードの負債は平均で65万円ぐらいです。アメリカ人の間では、半分ぐらいが分割払いを選ぶからです。しかし、日本人は、90%ぐらいが一括払いを選ぶそうです。

それでも、日本人はあまり貯金していません。アメリカ人は可処分所得の6%ぐらいを貯金します。日本人は可処分所得の0.72%ぐらいを貯金します。

だから、アメリカ人でも、日本人でも、お金をもっと賢く使わなくてはなりません。

多くのアメリカ人はお金が足りないのに、クレジット・カードで購入します。だから、分割払いを選んで、利子を付けて借金を払います。それに、軽率な購入のため、多くの人々は破産してしまいます。

だから、ソロモンはこう書きました。

勤勉な人の計画は利益をもたらし、すべてあわてる者は欠損を招くだけだ。(箴言21:5)

どれほど、私たちは欲しいものを見つけると、家計の状態を考えずに買ってしまうでしょうか。

もし、私たちが時間を取って、私たちの消費について考えたら、どれほど経済的な苦しみが避けられるでしょうか。

ソロモンは続けてこう言います。

知恵のある者の住まいには、好ましい財宝と油がある。しかし愚かな者はこれをのみ尽くす。(21:20)

アメリカ人と比べると、日本人は持っていないお金を使う癖があまりありません。とはいえ、多くの人は自分の将来を考えずにお金を使いすぎます。

あなたはどうでしょうか。あなたの将来のために計画していますか。それとも、将来を考えずに、自分の快楽にふけっているでしょうか。

あなたはクレジット・カードを使いすぎているでしょうか。あなたの借金が大きすぎるので、最終的に破産してしまう可能性がありますか。

私たちは神様のお金の管理人です。だから、神様が私たちに委ねてくださったお金を賢く使いましょう。

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私たちの裁判官に自分のことを申し開きする

私たちがこの人生を送っている間、私たちが死後に永遠があることを忘れるのは簡単なことです。そして、その日、私たちは自分のことを私たちの裁判官である神様に申し開きをしなくてはなりません。

ソロモンはこう書きました。

人の心にあるはかりごとは深い水、英知のある人はこれを汲み出す。(箴言20:5)

もし、英知のある人が私たちの心を読み取れるなら、神様の前に私たちは何も隠すことができません。

ソロモンは続けてこう言います。

多くの人は自分の親切を吹聴する。しかし、だれが忠実な人を見つけえよう。(20:6)

たくさんの人々は神様を愛していると言うけれど、その神様に対する愛を示す人は少ないです。だから、ソロモンは私たちに警告します。

さばきの座に着く王は、自分の目ですべての悪をふるい分ける。(20:8)

もちろん、ソロモンは人間の王について話しているけれど、いつか、王の王は裁きの座に着いて、この世を裁かれます。

人間の王の判断は不完全です。なぜなら、彼らの知識と知恵には限界があるからです。

しかし、すべてのことは神様の前に置かれ、神様が正義の神なので、神様の判断は完全です。

ソロモンはこう言います。

人間の息は主のともしび、腹の底まで探り出す。(20:27)

つまり、神様は私たちの最も隠された思いも知っておられます。

ソロモンは続けてこう言います。

人は自分の道はみな正しいと思う。しかし主は人の心の値うちをはかられる。(21:2)

私たち皆が、いつか神様の御前に立って裁かれるので、ソロモンは私たちがどのように生きるか教えます。

私たちは正直に話さなくてはなりません。(20:10、16、23)

私たちは復讐を求めずに、裁きを神様の手に委ねなくてはなりません。(20:22)

たまに捧げものを捧げるよりも、毎日正しい生活を送らなくてはなりません。(21:3)

そして、神様の前にへりくだらなくてはなりません。(21:4)

そうしないと、ソロモンは私たちにこう警告します。

正しい人は悪者の家を見抜く。悪者どもは自分の悪事のために滅ぼされる。(箴言21:12)

多分、この箇所では、「正しい人」というのは、神様です。神様は悪者の家を見抜き、滅ぼしてしまいます。

ソロモンは続けてこう言います。

公義が行なわれることは、正しい者には喜びであり、不法を行なう者には滅びである。

悟りの道から迷い出る者は、死者の霊たちの集会の中で休む。(箴言21:15-16)

けれども、このソロモンの言葉を覚えておきましょう。

だれが、「私は自分の心をきよめた。私は罪からきよめられた」と言うことができよう。(20:9)

その答えは当たり前です。誰でもそんなことが言えます。神様の前に立って、「私は罪を犯したことがない」と言える人は、一人もいません。自分の行動のために天国に行く値する人は一人もいません。

私たち皆が失敗したことがあります。私たち皆が罪を犯して、神様からの栄誉を受けることができません。だから、イエス様はこの世に来られました。私たち皆に救い主が必要だからです。

だから、あなたが神様の目に義人になりたがるなら、一番大切な命令に従ってください。

それは何でしょうか。

神の命令とは、私たちが御子イエス・キリストの御名を信じ、キリストが命じられたとおりに、私たちが互いに愛し合うことです。(第一ヨハネ3:23)

あなたはどうですか。裁きの日のために準備できていますか。

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怠ける

子供の時に、私は本当に怠けていました。特に、私はよく宿題をサボっていました。

4年生の時、私がずっと宿題をサボっていたので、父は私に、「お前はハワイ島への修学旅行に行けないかもしれない」と警告しました。

5年生の時も、中学1年生の時も、私は宿題をサボったので、叱られてしまいました。

そのあとに、私はやっとその教訓を学びました。

なぜか分からないけれど、大学についての悪夢を見ます。その夢で、私はある授業をずっとサボっていて、期末試験が迫っています。だから、私は全然準備できなくて、パニックになります。

どうしてでしょうか?大学生の時、私は真面目に勉強したのに。😀

とにかく、箴言では、私たちは、いろんな怠け癖に関する警告を読みます。

ソロモンは何度も怠け者をからかいます。

なまけ者は手を皿に差し入れても、それを口に持っていこうとしない。(19:24)

また、

なまけ者は言う。「獅子が外にいる。私はちまたで殺される」と。(22:13)

そして、彼は怠け者に関して、当たり前のことも言います。

怠惰は人を深い眠りに陥らせ、なまけ者は飢える。(19:15)

また、

しばらく眠り、しばらくまどろみ、しばらく手をこまねいて、また休む。

だから、あなたの貧しさは浮浪者のように、あなたの乏しさは横着者のようにやって来る。(箴言24:33-34)

しかし、私に対して、一番印象が残る箇所は、21:25-26です。

なまけ者の欲望はその身を殺す。その手が働くことを拒むからだ。

この者は一日中、自分の欲望に明け暮れている。しかし、正しい人は人に与えて惜しまない。

神様は私たちが周りの人々を祝福するように望んでおられます。けれども、私たちが怠けたら、私たちはもちろん苦しむことになりますが、周りの人々を祝福することができません。

また、私たちが怠けたら、神様からの賜物を無駄にしてしまいます。そして、ある日、私たちは神様の前に申し開きしなくてはなりません。

イエス様はタラントのたとえ話で、その真理を教えられました。(マタイ25:14-30)

あなたはどうでしょうか。神様からの賜物を無駄にしているでしょうか。

神様があなたの脳や、手を与えてくださったのに、あなたはそれらをちゃんと使っているでしょうか。神様はあなたに才能や、霊的な賜物を与えてくださったのに、ちゃんと使っていますか。

怠けないようにしましょう。あなたの賜物をちゃんと生かしましょう。そうすれば、あなた自身が祝福され、周りの人々も祝福されます。

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誰を信頼するのか。何に頼るのか。

あなたは、誰を信頼するでしょうか。何に頼るでしょうか。

自分自身ですか。お金ですか。もしくは、神様ですか。

箴言で、ソロモンは何度もこの疑問に取り組みます。彼はこう書きました。

主の名は堅固なやぐら。正しい者はその中に走って行って安全である。

富む者の財産はその堅固な城。自分ではそそり立つ城壁のように思っている。

人の心の高慢は破滅に先立ち、謙遜は栄誉に先立つ。(箴言18:10-12)

多くの人々は、自分自身だけを信頼します。彼らは、自分の知恵や富みに頼ります。彼らは、もしお金さえあれば、どんな問題に直面しても、大丈夫だと思います。

しかし、ソロモンが言ったのは、神様こそを信頼するなら、あなたは本当に安心できるということです。

多くの人々はお金に頼るけれど、まだ幸せと安心を見つけていません。

彼らの結婚はうまくいかず、彼らの仕事や投資した株についていつも心配して、あまり眠れません。必要な物を持っていても、なんとなく安心できません。

ある人は安心して達成感があるけれど、最終的に彼らの建てた国は倒れてしまいます。

さらに、裁きの日に、彼らは神様の前に自分のことを申し開きしなくてはなりません。そして、自分自身だけのために生きていたら、彼らの達成は無駄になります。

その反面、神様を信頼する人は、本当に安心できます。なぜなら、神様の御心に従うので、神様は彼らを見守っておられるからです。それに、裁きの日に、イエス様はご自身の十字架の働きによって、彼らを擁護してくださいます。

だから、私たちは誰を信頼するか、また何に頼るか、気を付けなくてはなりません。

ソロモンはこう書きました。

熱心だけで知識のないのはよくない。急ぎ足の者はつまずく。(箴言19:2)

自分の人生に対する情熱を持つかもしれないけれど、神様とその導きに従わないと、あなたはつまずきます。

多くの人々は、しばしば情熱を持つけれど、愚かな決断をするので、振り返ると、後悔が多いです。

そんな人について、ソロモンはこう言います。

人は自分の愚かさによってその生活を滅ぼす。しかもその心は主に向かって激しく怒る。(19:3)

どれほど、私たちは自分の愚かな決断によって自分の人生を台無しにして、神様に「どうして、こんなことが起こるのを許したんですか?」と問うでしょうか。

けれども実は、私たちは蒔いたものを刈り入れたのです。神様を信頼さえすれば、私たちはその落とし穴に落ちなかったでしょう。

だから、ソロモンはこう言いました。

命令を守る者は自分のいのちを保ち、自分の道をさげすむ者は死ぬ。(19:16)

神様の言葉は命の言葉です。私たちがその言葉を無視することは、私たちの責任です。

だから、ソロモンは訓戒します。

忠告を聞き、訓戒を受け入れよ。そうすれば、あなたはあとで知恵を得よう。(19:20)

ソロモンの言葉を覚えておきましょう。

人の心には多くの計画がある。しかし主のはかりごとだけが成る。(19:21)

あなたはいろんな計画を立てるかもしれないけれど、最終的に神様の計画が成就されます。

だから、神様の御心と戦わないようにしましょう。むしろ、その計画と協力しましょう。そうすれば、あなたはこう分かります。

主を恐れるなら、いのちに至る。満ち足りて住み、わざわいに会わない。(19:23)

あなたは誰を信頼していますか。何に頼っていますか。

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箴言

あなたの夫を祝福する

このブログでは、私は妻たちについてあまり書きません。つまり、妻たちが何をするべきかについてほとんど書いたことはありません。

私が結婚について書いた時、主に夫たちに対して書きました。なぜなら、聖書では、神様が健康的な結婚を保つ主な責任を夫たちにかぶせたからです。

聖書で何度もその原則を読むことができます。

けれども、この箇所では、私たちは妻たちに対する言葉を読みます。

ソロモンはこう書きました。

良い妻を見つける者はしあわせを見つけ、主からの恵みをいただく。(箴言18:22)

私は2005年に結婚しましたが、その言葉が本当だと言えます。私の妻を見つけた時、幸せを見つけました。私の妻は私を本当に祝福してくれます。

しかし、妻たちが気を付けないと、自分の夫に対する祝福にならずに、呪いになります。

例えば、ソロモンはこう言いました。

妻のいさかいは、したたり続ける雨漏り。(箴言19:13)

また、

争い好きな女と社交場にいるよりは、屋根の片隅に住むほうがよい。(箴言21:9)

もし、それは曖昧すぎなら、

争い好きで、うるさい女といるよりは、荒野に住むほうがまだましだ。(21:19)

夫たちは、もちろん完璧な人ではありません。そして、私たちはしばしば思わず自分の妻をいらいらさせるかもしれません。認めたくないですが、私もそうしてしまいます。

とはいえ、彼らの過ちをかさぶたのように剥がしてはいけません。

それは少し気持ち悪い描写かもしれませんが、旦那さんにがみがみ小言を言う時、そのイメージを覚えておいてください。なぜなら、あなたはそのようなことをしているからです。

では、もし旦那さんがあなたをいらいらさせる時、無視すればいいでしょうか。彼の欠点を見逃せばいいですが、できないなら、旦那さんとそのことについて話してください。何も変わらないなら、もう一度話してください。

けれども、まだ変わらないなら、旦那さんに、もう何も言わず、その状態を神様の手に委ねてください。彼のために祈ってください。

なぜなら、あなたは旦那さんを変えることができません。神様だけが、彼を変えることができます。

実は、小言によって、あなたの旦那さんを変えることができるかもしれないけれど、多くの場合、彼はあなたに恨みを持つかもしれません。

神様だけが、結婚の平和を保ちながら、あなたの旦那さんを変えることができます。

ソロモンはこう書きました。

人(または、妻)に思慮があれば、怒りをおそくする。その人(妻)の光栄は、そむきを赦すことである。(19:11)

しかし、夫たちへ、あなたに対する少し厳しい言葉があります。それは、神様が私にも言う言葉だからです。それは、「あなたの奥さんの言うことを聞きなさい。」

あなたは彼女の文句が細かいと思うかもしれませんが、本当に細かいなら、簡単に変わることができるでしょう。そうすれば、あなたの奥さんに対する祝福になります。

そして、妻たち。神様は、あなたがご主人にとって祝福となることを望んでおられます。

けれども、もしあなたが彼の心のかさぶたを繰り返し剥がし続けるなら、それは祝福とは言えません。むしろ、その傷が再び開き、血が流れ出すようになれば、彼は防衛的になり、反撃してしまうかもしれません。

だから、がみがみ小言を言わずに、祈ってください。そうすれば、神様がどのようにあなたの旦那さんを変えるか、どのように神様があなたの心と態度を変えるかに驚くことでしょう。

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箴言

話す前に

箴言では、ソロモンは何度も私たちの言葉について警告します。

私の友だちは、一時期、箴言を読むのを避けたと認めました。なぜなら、彼の言葉が悪かったことを知っていて、ソロモンの警告を読みたがらなかったからです。

(ところが結局、彼の努力は無駄でした。神様は別の箇所を通して、私の友達を訓戒されました。)

とにかく、この箇所では、私たちが話す前に考えるように警告します。また、私たちが話す前に、相手の意見を聞くように忠告しています。

ソロモンはこう言いました。

愚かな者は英知を喜ばない。ただ自分の意見だけを表わす。(箴言18:2)

この箇所によれば、相手から学ぶ興味がなくて、自分が話すのが好きな人もいます。けれども、彼らが相手の意見を聞いてこそ、知恵を獲得します。

ソロモンは続けてこう言います。

人の口のことばは深い水のようだ。知恵の泉はわいて流れる川のようだ。(4)

また、

愚かな者のくちびるは争いを起こし、その口はむち打つ者を呼び寄せる。愚かな者の口は自分の滅びとなり、そのくちびるは自分のたましいのわなとなる。(6-7)

さらに、

よく聞かないうちに返事をする者は、愚かであって、侮辱を受ける。(13)

要するに、先に考えずに話せば、妻や夫、友達や上司を怒らせるかもしれません。だから、ソロモンはこう言いました。

反抗する兄弟は堅固な城よりも近寄りにくい。敵意は宮殿のかんぬきのようだ。(19)

どれほど、あなたが先を考えずに話したために、愛する人を傷つけたでしょうか。話すのは簡単なことです。しかし、その言葉が出たら、取り戻すのは不可能です。

だから、ソロモンはこう言います。

人はその口の結ぶ実によって腹を満たし、そのくちびるによる収穫に満たされる。

死と生は舌に支配される。どちらかを愛して、人はその実を食べる。(20-21)

言い換えると、結局、私たちは自分の言葉の実を食べます。その実は美味しいでしょうか。まずいでしょうか。

私たちがどこにいても、私たちの言葉は私たちの人間関係に影響を与えます。私たちの言葉によって、人々は私たちを愛します。もしくは、私たちを憎みます。

だから、妻や夫、子供や同僚、教会の人たちと話す時に、私たちの言葉に気を付けましょう。

イエス様の言葉は、人々に命を与えてくださいました。私たちの言葉もイエス様の言葉のようになるように。

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箴言

真の友だち

一生を通じて、私は親友ができて、本当に良かったと思います。良い時でも、悪い時でも、彼らは私を応援し、支えてくれました。

数年前、親友の大切さを改めて感じました。その時、私はスモールグループに参加し、5人の友だちと一ヶ月に二回ほど集まり、自分の人生について話し、聖書を読み、祈り合いました。

その時、私たちの人生は非常に大変でした。私が勤めていた会社が倒産し、私は失業中でした。他の人には、彼女とのトラブルがあったり、婚約者と別れたり、奥さんががんにかかったりしました。

そのため、私たちは皆、友人を必要としていました。そして、その友人関係と神様の助けのおかげで、私たちはその問題を乗り越えました。

ソロモンは、そんな友だちについて書きました。

友はどんなときにも愛するものだ。兄弟は苦しみを分け合うために生まれる。(箴言17:17)

また、

滅びに至らせる友人たちもあれば、兄弟よりも親密な者もいる。(箴言18:24)

私が高校生の時に、父はこう言いました。「お前は内気なのはよく知ってるけれど、親友が必要だよ。親友はたくさんいなくてもいいけれど、少なくとも一人は持っていた方がいい。」

その時期、私には友だちがいたけれど、親友がいなかった。私は本当に心を誰にもシェアできなかった。だから、父の言葉は私の心を打ちました。

そして、神様の恵みによって、親友ができました。特に、高校生時代、また、大学生の時代、その親友関係が私の人生を形作りました。

おそらく、私たちは自分自身に二つの質問を問うべきです。私たちにはそんな関係があるでしょうか。

そして、私たちはどのような友達でしょうか。私たちの友だちが困る時、彼らを助けるでしょうか。

それとも、私たちはすぐに逃げるでしょうか。19章では、ソロモンはそんな「友だち」についてこう書きます。

財産は多くの友を増し加え、寄るべのない者は、その友からも引き離される。(箴言19:4)

また、

貧しい者は自分の兄弟たちみなから憎まれる。彼の友人が彼から遠ざかるのは、なおさらのこと。彼がことばをもって追い求めても、彼らはいない。(箴言19:7)

あなたはどうですか。あなたの友だちが苦しんでいるときに、あなたは消えてしまうでしょうか。それとも、彼らを支えて、励ましてあげるでしょうか。

もちろん、彼らが経済的な問題を抱えている場合、私たちは常にお金をあげるわけではありません。しかし、私たちはできる限り、彼らが自分の問題を乗り越えるために助けてあげるべきです。

あなたは本当の友だちでしょうか。

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箴言

効果的でも

私は以前にも言いましたが、時々箴言で、ソロモンはこの世の現実を説明していますが、神様がそれを見た時、喜ばれないだろうと思います。

箴言17:8はその一つの例です。

わいろは、その贈り主の目には宝石、その向かう所、どこにおいても、うまくいく。

その箴言を読めば、ソロモンがわいろを勧めていると思うかもしれませんが、後に彼はこう言います。

悪者は人のふところからわいろを受け、さばきの道を曲げる。(箴言17:23)

ソロモンの目には、また、神様の目には、賄賂を使う人も、賄賂を受け取る人も悪者です。なぜなら、彼らは正義を曲げるからです。私たちは政治の世界でそれを見ることがあります。また、裁判所でそれを見ることがあります。

ソロモンは、そのことに関して、こう言います。

悪者を正しいと認め、正しい者を悪いとする、この二つを、主は忌みきらう。(15)

たぶん、あなたは賄賂を使ったことはないでしょう。でも、どれほど悪い方法が効果的だからといって、その方法を利用するでしょうか。

例えば、どれくらい「罪のない嘘」をつくでしょうか。

それとも、あなたは、違法にインターネットで曲やビデオをダウンロードするでしょうか。

あなたは成功するかもしれませんが、神様はあなたの仕業を見て、それを忌み嫌われます。

自分自身を騙さないようにしましょう。ある方法は効果的かもしれませんが、神様の目には罪です。

だから、神様の御言葉によって、私たちの行動を評価しましょう。その行動の効果は私たちの基準ではありません。神様の言葉が私たちの基準です。

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箴言

人間関係の築き方と壊し方

この箇所では、私たちは人間関係を築き、守るための原則を読みます。

一つの鍵は、私たちの言葉に気を付けることです。

ソロモンはこう書きました。

知恵のある者の心はその口をさとし、そのことばに理解を増し加える。

親切なことばは蜂蜜、たましいに甘く、骨を健やかにする。(箴言16:23-24)

私たちが他の人と話す時、私たちの言葉に気を付けなくてはなりません。

私たちは何を言った方が良いか、また、いつ言った方が良いか知っているでしょうか。私たちの言葉は魂に甘く、人々を癒すものでしょうか。

そんな言葉は人間関係を築き、守ります。

その反面、

ねじれ者は争いを巻き起こし、陰口をたたく者は親しい友を離れさせる。(16:28)

ある人は、人間関係を癒すのではなく、その関係を壊してしまいます。例えば、彼らはしばしば噂をするので、いろんな人を傷つけてしまいます。

また、彼らが傷つけられた時、相手と話しをせずに、周りの人々にその人について悪口を言います。

しかし、ソロモンはこう言いました。

そむきの罪をおおう者は、愛を追い求める者。同じことをくり返して言う者は、親しい友を離れさせる。(17:9)

もちろん、私たちは罪を隠すべきという意味ではありません。もし、人々が本当に傷つけられた時、その罪を無視してはいけません。

とはいえ、毎日、人々は私たちに対して罪を犯します。時々、彼らはあえて罪を犯しますが、たまには、彼らは思わず私たちに対して罪を犯します。多くの場合、私たちはいらいらさせられますが、時々私たちは本当に傷つけられます。

けれども、どんな状態でも、噂をしたり、悪口を言ったりすれば、その状態は良くなりません。むしろ、その状態はもっと悪くなります。

だから、あなたが本当に傷つけられたら、相手に面と向かう方が良いです。それはイエス様の命令です。(マタイ18:15)

そして、その問題を解決するとき、その人を許してあげて、もうそのことについて話さないべきです。「もうするなと言ったでしょう?私は何回そう言わなければいけないの?」と言ってはいけません。

むしろ、過去を指さずに、相手にその問題について話すべきです。

けれども、時々、その問題が本当に小さかったら、何も言わずに、許した方が良いです。

ソロモンはこう言いました。

争いの初めは水が吹き出すようなものだ。争いが起こらないうちに争いをやめよ。(箴言17:14)

また、

そむきの罪を愛する者はけんかを愛する。自分の門を高くする者は破滅を求める。(箴言17:19)

時々、私の妻は、私の家事のやり方について文句を言います。そして、私は「細かいなぁ。どうして彼女はそんなに怒っているのだろうか」と思います。

しかし、その時、神様はこう応えられます。

「細かいかもしれないけど、簡単なことでしょう?だから、喧嘩せずに、しなさい。喧嘩すると、壁を築くだけです。そして、ずっと壁を築き続けると、あなたの結婚を壊してしまいます。」

私は自分のプライドを抑えなくてはならないけど、私の結婚にはその方がいいと思います。

実のところ、私の弱さや欠点が妻のよりも多いと思うので、妻の方が忍耐が必要だと思います。その忍耐を本当に感謝しています。

最後に、ソロモンはこう言います。

自分のことばを控える者は知識に富む者。心の冷静な人は英知のある者。(箴言17:27)

私たちが喧嘩するときには、言葉を控えて、気を付けなくてはなりません。私たちは冷静でいるべきです。なぜなら、怒りによって話すと、後でその言葉を後悔することが多いからです。

あなたはどうでしょうか。あなたの言葉は人間関係を築いていますか。それとも、その関係を壊していますか。

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箴言

私たちの心を神様の心に合わせる

私たちはしばしば、自分の計画を勝手に立て、「神様、私の計画に参加しませんか」と祈ります。

けれども、そんな考え方は間違っています。

私たちは神様に私たちの計画に参加するように招待しない方が良いです。むしろ、神様が何をしておられるのか訊いて、どうやって神様の計画に参加できるか考えた方が良いです。

ソロモンはそれを知っていたので、箴言16章では、彼はこう言いました。

人は心に計画を持つ。主はその舌に答えを下さる。(箴言16;1)

また、

人は心に自分の道を思い巡らす。しかし、その人の歩みを確かなものにするのは主である。(9)

私たちはいろんな計画を立てることができますが、最後の答えは神様から来ます。もし、私たちの計画が神様の御心に合っていないなら、その計画は上手くいきません。

ソロモンは続けてこう言います。

人は自分の行ないがことごとく純粋だと思う。しかし主は人のたましいの値うちをはかられる。(2)

また、

人の目にはまっすぐに見える道がある。その道の終わりは死の道である。(25)

時々私たちは自分の動機に関して、自分自身を騙してしまいます。私たちは自分が正しいことをしていると思いますが、神様は私たちの本当の動機を知っておられます。

そして、私たちは自分の立てた計画が良いものだと思っているのに、結局その計画のために大損をしてしまうことがあります。

だから、計画を立てる時、私たちはこう祈った方が良いです。

「神様、私を探り、私の心を知ってください。なぜ、私はこの計画を立てるのでしょうか。この計画はあなたから来たものでしょうか。これは私の考えに過ぎないでしょうか。」

ソロモンはこう言いました。

あなたのしようとすることを主にゆだねよ。そうすれば、あなたの計画はゆるがない。(3)

私が以前言ったように、ソロモンは、「自分の計画を立てて、神様の祝福のために祈りなさい」と言っていません。

むしろ、私たちは主の御心に従って、こう訊くべきです。「主よ。これはあなたの御心でしょうか。私はこの道を行った方が良いでしょうか。」

私たちがすべてを神様に奉げ、自分の計画を主に委ねてこそ、私たちの計画は成功します。

ソロモンはこう言いました。

主はすべてのものを、ご自分の目的のために造り、悪者さえもわざわいの日のために造られた。(4)

神様は決して驚かれません。私たちの選択を見る時、神様は決して面食らわれません。神様は皆の選択を既に知っておられ、神様がどう反応された方が良いかを知っておられます。

だから、私たちの計画は神様の計画を決して妨げることはできません。けれども、私たちの計画が神様の計画に反しているなら、私たちの計画は失敗してしまいます。

だから、私たちはどうしたら良いでしょうか。へりくだって、神様の御心を求めるべきです。多くの人々は、神様が要らないと思うので、自分の知恵によって計画を立てます。

しかし、ソロモンはこう言いました。

高ぶりは破滅に先立ち、心の高慢は倒れに先立つ。(18)

その反面、

みことばに心を留める者は幸いを見つける。主に拠り頼む者は幸いである。(20)

あなたはどうですか。

あなたの人生をどのように送っているでしょうか。あなたは勝手に自分の計画を立て、「神様、私の計画を祝福してください」と祈っていますか。神様の御心をあなたの計画に合わせようとしていますか。

それとも、あなたの計画を神様の御心に合わせようとしているでしょうか。

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その代価を本当に支払いたいの?

イエス様は弟子になることに関して、こう言われました。「費用を計算しなくてはなりません。」(ルカ14:28-33)

私たちの人生では、いろいろな費用を計算するべきです。そして、私たちは自分自身にこう訊かなくてはなりません。「私が求める物はその代価に値するでしょうか。」

ソロモンはこう書きました。

心に喜びがあれば顔色を良くする。心に憂いがあれば気はふさぐ。(箴言15:13)

また、

悩む者には毎日が不吉の日であるが、心に楽しみのある人には毎日が宴会である。(15)

要するに、私たちの心の調子は私たちの喜びのレベルを左右します。

もし、心の中に主の喜びを持てば、私たちの顔は明るくなり、神様からのこの人生を楽しむことができます。

しかし、この世の重荷を背負い、サタンに圧迫されたなら、あなたの人生は本当にみじめなものになります。

だから、ソロモンはこう言います。

わずかな物を持っていて主を恐れるのは、多くの財宝を持っていて恐慌があるのにまさる。

野菜を食べて愛し合うのは、肥えた牛を食べて憎み合うのにまさる。(16-17)

お金を持てば、幸せになると思う人もいます。けれども、多くの場合、お金を持っていても、彼らは苦しみます。彼らはいつも証券市場や景気について悩んでいるからです。

また、彼らは働きすぎるため、家族との関係が悪化してしまいます。奥さんはいつも文句を言い、子供たちも父親との関係が悪くなります。

さらに、彼らは寝不足でストレスがたまり、その結果、健康も悪化します。

その一方で、お金があまりないけれど、神様との平和と家族との平和がある人もいます。

彼らは欲しがるものをすべて持っていないかもしれませんが、必要なものを持っています。彼らはちゃんと食べられるし、ちゃんと寝られるし、洋服も持っています。それに、家族の愛も持っています。

あなたは何を求めているでしょうか。その費用を計算していますか。あなたの健康や、家族や、神様との関係は上手くいっているでしょうか。上手くいっていないでしょうか。

あなたが求めるものはその代価に値するでしょうか。

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主を喜ばせる

どうやって、私たちの主を喜ばせることができるでしょうか。

ソロモンはこう書きました。

主の御目はどこにでもあり、悪人と善人とを見張っている。(箴言15:3)

私たちは神様から隠れることができません。神様は私たちの行動を見るだけではなく、私たちの心も見ておられます。

だから、ソロモンはこう言いました。

よみと滅びの淵とは主の前にある。人の子らの心はなおさらのこと。(11)

要するに、神様が地獄でも見ることができるなら、私たちの心も神様の前では開いている本のようなものです。

だから、神様を喜ばせたいなら、正しい行動だけでは足りません。私たちの全ての心を捧げなくてはなりません。なぜなら、神様は私たちの動機も見ておられ、気にされるからです。

だから、ソロモンはこう言いました。

悪者のいけにえは主に忌みきらわれる。正しい者の祈りは主に喜ばれる。

主は悪者の行ないを忌みきらい、義を追い求める者を愛する。(8-9)

あなたはどんな「いけにえ」を神様に捧げるでしょうか。

例えば、毎週の日曜日、あなたの時間を捧げて教会に行くでしょうか。けれども、月曜日から土曜日まではどうでしょうか。その日にも、主を喜ばせるためにあなたの時間を捧げるでしょうか。

あなたは、十一献金を捧げるかもしれません。また、チャリティーに寄付するかもしれません。けれども、残りのお金はどうでしょうか。主を喜ばせるためにお金を使うでしょうか。

本当に神様を愛していないなら、神様に対してあなたのいけにえや捧げものは意味がありません。

だから、ソロモンはこれも書きました。

悪人の計画は主に忌みきらわれる。親切なことばは、きよい。(26)

この瞬間、神様があなたの心を見たら、何を見るでしょうか。あなたは心を尽くして、神様を喜ばせようと思っているでしょうか。それとも、自分自身を喜ばせようと思っているでしょうか。

また、神様があなたを懲らしめる時、あなたはどのように反応するでしょうか。あなたはへりくだって、その懲らしめを受け入れるでしょうか。ソロモンは私たちに忠告します。

愚か者は自分の父の訓戒を侮る。叱責を大事にする者は利口になる。

また、

いのちに至る叱責を聞く耳のある者は、知恵のある者の間に宿る。

訓戒を無視する者は自分のいのちをないがしろにする。

叱責を聞き入れる者は思慮を得る。主を恐れることは知恵の訓戒である。謙遜は栄誉に先立つ。(31-33)

だから、あなたが神様を喜ばせたいなら、二つのことを覚えておきましょう。

一つ目は、主を喜ばせるのは、一週間に一度のことではないということです。アルバイトのクリスチャンになるのは不可能です。

あなたはクリスチャンかもしれませんし、クリスチャンじゃないかもしれません。しかし、中途半端なクリスチャンという人は存在しません。

神様は私たちの一部だけを望んでおられるのではなく、私たちのすべてを望んでおられます。

二つ目は、神様が私たちを懲らしめる時、私たちはその訓戒をへりくだって受け入れなくてはならないことです。

そうすれば、私たちは神様を喜ばせることができます。

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知恵を持って、話す

箴言では、ソロモンは、しばしば私たちの言葉に関する知恵を伝えます。特に、箴言15章では、ソロモンは私たちの言葉について話します。

柔らかな答えは憤りを静める。しかし激しいことばは怒りを引き起こす。(箴言15:1)

人々が私たちに怒るとき、時々彼らは私たちに酷いことを言います。そして、私たちが酷いことを言い返すのは本当に簡単なことです。けれども、そうすれば、その人はもっと怒り狂い、その問題は解決できなくなります。

しかし、多くの場合、あなたが「ごめんなさい」と言いさえすれば、彼らは落ち着きます。

「でも、私は悪くなかった。どうして謝らなければならないのか。」と言う人もいます。

けれども、時々、私たちは思わず私たちの言葉や行動によって彼らを傷つけてしまいます。あなたは相手が敏感すぎると思うかもしれません。それに、彼らは実際に敏感すぎるかもしれません。

そんな場合、私はこう言います。「ごめんなさい。あなたを傷つけるつもりはなかったけど、申し訳ありません。許してくれませんか。」

そして、その以降、私の行動と言葉に気を付けます。私が悪くなかったと思うかもしれませんが、相手の気持ちを認めて、その人に対する愛のため、またキリストに対する愛のため、彼らを傷つける言葉や行動を避けます。

ある日、私はメールを友達に送って、ちょっとその人をからかいました。彼女は爆発して、酷い返事を送りました。

そんな反応は私を驚かせました。 私は悪意を持って彼女をからかったつもりはありませんでした。 以前から何度も同じようなことを言ったことがありましたが、彼女は怒らずに笑っていたのです。

だから、彼女の返事を読んだとき、私は信じられませんでした。

けれども、私にとって大切なのは、私が悪かったかどうかではありませんでした。 私たちの友情こそが何よりも大切だったのです。 だから、私はすぐに謝り、彼女は落ち着きました。

今でも、私たちは良い関係を保っています。 しかし、あれ以来、彼女と話すときには、どんな冗談を言うかに気を付けています。

実は、あれ以来、誰と話すときも、自分の冗談に気を付けるようにしています。

ソロモンは4節で続きます。

穏やかな舌はいのちの木。偽りの舌はたましいの破滅。(4)

私たちの口から、どんな言葉が出るでしょうか。私たちの言葉は相手の傷を癒すでしょうか。それとも、その言葉は相手の魂を砕くでしょうか。

実は、私がその友達に謝った理由の一つは、以前、彼女が自分のお父さんについて話してくれたことです。

つまり、彼はいつも彼女とそのお母さんに酷いことを言っていました。そして、彼女たちが傷ついたときに、彼はいつも「お前たちが繊細すぎる」と言いました。

そのとき、彼は彼女たちの魂を砕いていました。ですから、私は彼の態度を真似したくなかったのです。

ソロモンは続いて、もっとポジティブなことを言います。

良い返事をする人には喜びがあり、時宜にかなったことばは、いかにも麗しい。(23)

私たちはそのような人になるべきです。人を傷つけることを喜ばず、時宜にかなった言葉で人を励ますことを喜ぶべきです。

ソロモンはもう一つのことを言います。

正しい者の心は、どう答えるかを思い巡らす。悪者の口は悪を吐き出す。(28)

あなたはどうですか。話す前に、あなたの言葉を思い巡らすでしょうか。その言葉が癒す言葉かどうか、またその言葉が命を与える言葉かどうか、確認するでしょうか。

それとも、あなたの口から悪を吐き出すでしょうか。

あなたの口から何が出るでしょうか。

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周りの人々との平和、心の中の平和

この箇所を読むと、次の三つの箴言が私の心に響きます。

罪過のためのいけにえは愚か者をあざけり、正しい者の間には恩恵がある。(箴言14:9)

時々、私のブログを日本語に翻訳するのは難しいです。なぜなら、時々新改訳と英語の翻訳は違うからです。一つの単語にはいろんな意味があり、ヘブル語の文法は英語と日本語の文法と違うからです。

この箇所は一つの例です。

多分、文法的に、日本語の方が正しいでしょう。とはいえ、その意味はちょっと分かりにくいです。

新改訳が正しいなら、多分その意味は、愚か者が自分の罪を思い出すと、彼らは罪悪感があって、苦しむということです。

けれども、多くの英語の聖書では、この箇所はこのように翻訳されています。

愚か者は過去のためのいけにえをあざけり、正しい者の間には恩恵がある。

つまり、愚か者には罪悪感がありません。誰かが彼らに「あなたは罪を犯しました。あなたは悔い改めて、神様にいけにえを捧げるべきです」と言っても、彼らは全然悔い改める気がありません。

けれども、悔い改める人は相手と和解することができます。

私たちはただの人間です。私たちは皆、意図せずに人を傷つけることがあります。多くの場合、あなたが謝ったら、その人と和解できます。しかし、時々謝罪するだけでは足りないこともあります。

例えば、自分の子供と遊ぶと約束したけれど、急用のためにできなかった場合、もちろん謝った方が良いですが、後で、予定を空けて、彼らと遊ぶべきです。正しい人はそのようなことをします。

その一方で、愚か者、つまり、道徳観念のない人は、謝らないし、償いをするのを拒絶します。むしろ、彼らは償いをする必要がないと言い張ります。「相手が気にしすぎだ」と言います。

けれども、周りの人々と平和を望むなら、償いをしなくてはならないのです。

22節では、ソロモンはこう書きます。

悪をたくらむ者は迷い出るではないか。善を計る者には恵みとまことがある。(22)

もちろん、悪をたくらむ人は人間関係を壊します。けれども、私たちが意識して周りの人々を祝福するなら、その関係から恵みと真が生まれます。私たちが相手に親切にするなら、彼らも私たちに親切にしてくれます。

どれくらい、あなたは意識して友達を祝福するでしょうか。どれくらい、あなたの妻や夫を祝福するでしょうか。

例えば、あなたはどれくらい外食に行く時に友達におごったり、あなたの妻にバラを買ってあげたり、そのようなことをするでしょうか。

もちろん、周りの人々との平和は大切なことです。しかし、自分の心の中で平和があることも大事なことです。それに関して、ソロモンはこう言います。

穏やかな心は、からだのいのち。激しい思いは骨をむしばむ。(30)

この箇所も、翻訳は少し難しいです。新改訳では「激しい」と書いてありますが、別の意味として「嫉妬」があります。

だから、ある英語の聖書はこう書いてあります。

嫉妬は骨をむしばむ。

あなたは満足でしょうか。周りの人々のものを見る時、ねたむことはありますか。彼らの仕事や持ち物、妻や夫を見る時、ねたむことはありますか。

嫉妬すると、骨をむしばみます。決して幸せを得ることはできません。なぜなら、良いものを持っていても、それに感謝できないからです。常に相手のものを見ているからです。

しかし、あなたが満足していれば、平和があり、神様からの賜物を楽しむことができます。

あなたはどうですか。周りの人々と平和がありますか。心の中で平和がありますか。

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私たちの創造主を侮る

どれくらい私たちは神様を侮るでしょうか。

あなたは「神様を侮る?私は、神様を侮らないよ。」と言うかもしれません。

けれども、私たちが神様が造られた人々を見下す時、実は私たちは神様を侮るのです。

ソロモンは何度もそう教えていました。

貧しい者はその隣人にさえ憎まれるが、富む者を愛する人は多い。

自分の隣人をさげすむ人は罪人。貧しい者をあわれむ人は幸いだ。(箴言14:20-21)

箴言を読むとき、時々私たちは20節のような箇所を見て考えます。「これは神様が望んでおられるのだろうか。」

実は、それは神様の希望ではありません。ソロモンは現実に実際に起きていることを説明しているだけです。金持ちはたくさんの友達がいますが、彼らのお金がなくなったら、その友だちもすぐにいなくなってしまいます。

放蕩息子の話がその一例です。(ルカ15章)

しかし、『現実』がいつも神様の望まれる姿であるとは限りません。

神様が語られたのは、私たちが人々を侮るとき、特に苦しんでいる人を侮るとき、それは実際には神様ご自身を侮っていることになる、ということです。

けれども、私たちがそのような人々を祝福するなら、神様は私たちを祝福してくださいます。

31節で、ソロモンはこう言います。

寄るべのない者をしいたげる者は自分の造り主をそしり、貧しい者をあわれむ者は造り主を敬う。

17章で、ソロモンは同じようなことを言います。

貧しい者をあざける者は自分の造り主をそしる。人の災害を喜ぶ者は罰を免れない。(17:5)

どうして、私たちが人々を侮る時に、私たちは本当に神様を侮ると書いてあるのでしょうか。

二つの理由があります。

一つ目は、人々を侮る時、私たちは神様に「この人を造られた時、あなたはミスされた。この人は侮りにふさわしい人です。」と言っていることです。

二つ目は、私たちは神様のかたちとして造られたものを侮っていることです。私たちが彼らの顔につば吐きをかけたら、神様のかたちにつば吐きをかけることになります。

あなたはどうですか。貧しい者やホームレスを侮るでしょうか。弱い人を見下すでしょうか。そんな人を侮る時、私たちはイエス様を侮っているのです。

しかし、彼らに親切にするとき、私たちはイエス様に親切にしているのです。イエス様はこう言われました。

まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。(マタイ25:40)

あなたは周りの人々をどのように考えますか。

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箴言

考えなさい

私には日本人の親のことはよく分かりませんが、アメリカでは、子どもが愚かなことをしたとき、親の叱責の最後にしばしばこう言われます——「考えなさい」。

私は詳しく覚えていませんが、私の父にそう言われたことがある気がします。

この箇所では、ソロモンも「考えなさい」と言います。

利口な者は自分の知恵で自分の道をわきまえ、愚かな者は自分の愚かさで自分を欺く。(箴言14:8)

また、

わきまえのない者は何でも言われたことを信じ、利口な者は自分の歩みをわきまえる。(15)

どれくらい、私たちは考えずに行動するでしょうか。そして、その軽率な行動によって、私たちは苦しんでしまいます。特に、私たちが怒るとき、しばしば愚かなことをしてしまいます。

だから、ソロモンはこう言いました。

愚かな者は怒りやすくて自信が強い。短気な者は愚かなことをする。(16-17)

また、私たちは神様の知恵に頼らずに、自分の知恵に頼ることがあります。その時、私たちはソロモンの言葉が正しいと分かるようになります。

人の目にはまっすぐに見える道がある。その道の終わりは死の道である。(12)

それでは、私たちはどうすれば良いでしょうか。まず、ソロモンは二つの警告をします。

あざける者は知恵を捜しても得られない。しかし悟りのある者はたやすく知識を得る。

愚かな者の前を離れ去れ。知識のことばはそこにはない。(6-7)

つまり、神様からの知恵をあざけるな、ということです。聖書を読む時、「この言葉は昔の時代には合うと思う。けれども、現代には適応できない。その道徳は昔の人のためにふさわしかったかもしれないけど、もう21世紀だよ。」と言ってはなりません。

そんなことを言ったら、あなたは神様の言葉を見下しています。しかし、神様はご自分の御言葉が決して変わらないと言われます。

多くの人々は神様の知恵を捨てて、現代にふさわしい知恵を求めますが、結局見つけられません。なぜなら、神様の知恵を拒絶すると、知恵がなくなってしまうからです。

二つ目の警告は、愚か者から知恵を求めるなということです。ある人は、高ぶって、馬鹿です。彼らは神様の道を考えないし、叱責を決して受け入れません。

だから、彼らの知恵は神様の知恵に反対するものです。もし彼らの知恵に従うと、あなたは苦しんでしまいます。

では、どう生きればいいでしょうか。どうやって、最もいい道が見分けられるでしょうか。ソロモンはこう言います。

知恵のある者は用心深くて悪を避け[ます]。(16)

また、

力強い信頼は主を恐れることにあり、子たちの避け所となる。主を恐れることはいのちの泉、死のわなからのがれさせる。(26-27)

つまり、私たちの道を考える時、私たちは主を恐れるべきです。私たちは主に尋ねるべきです。「どの道が最も良いでしょうか。どうすれば良いでしょうか。」

そうすれば、神様は本当の知恵を教えてくださいます。

ヤコブはこう言いました。

あなたがたの中に知恵の欠けた人がいるなら、その人は、だれにでも惜しげなく、とがめることなくお与えになる神に願いなさい。そうすればきっと与えられます。(ヤコブ1:5)

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箴言

私たちの子供たちを懲らしめる

英語では、「Spare the rod, spoil the child」(むちを控えると、子供はだめになる)ということわざがあります。

これは聖書からきているわけではありませんが、聖書には、似ている言葉が何回も出てきます。

箴言13:24で、ソロモンはこう書きました。

むちを控える者はその子を憎む者である。子を愛する者はつとめてこれを懲らしめる。

時々、親はこう言います。「私は子供を愛しているので、彼らが悪いことをしても、私は懲らしめることができない。彼らの涙を見たくないから。」

しかし、ソロモンが言ったのは、「あなたは自分の子供を懲らしめないなら、本当にその子供を愛していないのです。あなたはその子を憎んでいるのと同じです。」ということです。

どうしてソロモンはそう思ったのでしょうか。他の箴言で、私たちはソロモンの答えを読むことができます。

望みのあるうちに、自分の子を懲らしめよ。しかし、殺す気を起こしてはならない。(19:18)

つまり、子供を懲らしめないことは、その子どもを殺すようなものです。なぜなら、子供を懲らしめないなら、その子供は自分の愚かな行動によって、殺されるかもしれないから。

箴言では、この言葉もあります。

愚かさは子どもの心につながれている。懲らしめの杖がこれを断ち切る。(22:15)

子どもを懲らすことを差し控えてはならない。むちで打っても、彼は死ぬことはない。あなたがむちで彼を打つなら、彼のいのちをよみから救うことができる。(23:13-14)

むちと叱責とは知恵を与える。わがままにさせた子は、母に恥を見させる。(29:15)

要するに、子供たちはすべてのことを知りません。だから、彼らの愚かな行動によって、彼らは周りの人々だけではなく、自分自身をも傷つけてしまいます。最悪の事態では、彼らの行動は死に導くかもしれません。

例えば、あなたが子供に「道に飛び出すな」と決して言わなければ、どうなるでしょうか。

その一方で、あなたが「止まれ」と言う時、子供がさっそく止まることを訓練すると、その子供の命を救うでしょう。

あなたの子供を懲らしめるのは、親に対しても、子供に対しても苦しいことです。私の娘を懲らしめるのは嫌いですが、彼女の利益のために私は彼女を懲らしめます。

いろんな懲らしめ方があります。私の家では、タイムアウトのシステムを使います。娘は悪いことをしたら、自分の部屋に行かなくてはなりません。そのあと、私は彼女と話します。

彼女が2〜3歳くらいの時、私たちはそのように何回も懲らしめました。幸い、最近はそんな必要はあまりありません。

私はもう娘を懲らしめたくないです。けれども多分将来、またしなくてはならないでしょう。

あなたはどうですか。あなたの子供を愛して、懲らしめるでしょうか。

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箴言

知恵のある人と歩む

私が知っている牧師の一人は、この箇所が大好きです。

知恵のある者とともに歩む者は知恵を得る。愚かな者の友となる者は害を受ける。(箴言13:20)

その牧師はこの箇所をこのように説明します。

「ソロモンは、愚か者の友達が愚かになると言いません。(でも、もちろん彼らといつも時間を過ごすなら、あなたも愚かな決断をしてしまうかもしれません。)

ソロモンは、あなたが愚か者の友達になると害を受けると言います。愚か者と一緒によく遊ぶと、最終的に私たちは苦しんでしまいます。」

あなたにも、振り返るとそんな経験があるでしょうか。悪い人と遊んで、彼らの悪い行動に巻き込まれて、苦しんだことがあるでしょうか。

もちろん私はノン・クリスチャンと決して一緒に過ごしてはいけないとは言っていません。

もし彼らと時間を過ごさないなら、弟子を造りなさいというイエス様の命令をどうやって成し遂げることができるでしょうか。

でも、自分自身にこの質問をしなければなりません。誰が誰に影響を与えているでしょうか。あなたは彼らに影響を与えているでしょうか。それとも、彼らがあなたに影響を与えているでしょうか。

あなたがノン・クリスチャンに影響されないように、彼らとだけ時間を過ごすのではなく、知恵のあるクリスチャンとも時間を過ごすべきです。知恵のあるクリスチャンというのは、毎日神様と歩み、神様の声を聞く人です。

そんな人と時間を過ごせば、神様はしばしば彼らを通してあなたに話します。そして、その言葉を通して、あなたは命を得るでしょう。

あなたは誰と歩んでいるでしょうか。知恵のある人と歩んでいるでしょうか。愚か者と歩んでいるでしょうか。

神様と歩み、神様の声を聞く人から意見を受けているでしょうか。それとも、愚か者の意見を受け入れているでしょうか。

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箴言

プライド

箴言には、さまざまなテーマが繰り返し登場します。その中の一つは、プライドの危険性です。

私たちのプライドによって、どのように私たちは苦しむのでしょうか。

叱責を聞かないと、私たちは最終的に悩んでしまいます。もちろん叱責を聞くのは痛いですが、将来の苦しみから私たちを救います。

ソロモンはこう書きました。

知恵のある子は父の訓戒に従い、あざける者は叱責を聞かない。(箴言13:1)

私は父の叱責を楽しまなかった。多分、私に対する一番心を刺した父が言った言葉は「私はお前をもう信頼できない。」ということでした。

私が何回も父に嘘をついたので、彼はそう言ったのです。けれども、私は父の信頼(また、私の周りの人々の信頼)を望んだので、あれから私は正直に言うことを心掛けています。

ソロモンはこれも言います。

みことばをさげすむ者は身を滅ぼし、命令を敬う者は報いを受ける。

知恵のある者のおしえはいのちの泉、これによって、死のわなをのがれることができる。(13-14)

また、

貧乏と恥とは訓戒を無視する者に来る。しかし叱責を大事にする者はほめられる。(18)

私たちは知恵のある人の言葉を聞くと、命を見つけます。なぜなら、私たちがまだ経験していないことを、彼らは経験したからです。もし彼らの意見に従えば、私たちは彼らが落ちてしまった落とし穴を避けることができます。

しかし、私たちのプライドによって、その意見を無視すると、私たちは苦しむことになるでしょう。

私たちのプライドによって、私たちの人間関係も壊れるかもしれません。ソロモンはこう書きました。

高ぶりは、ただ争いを生じ、知恵は勧告を聞く者とともにある。(10)

実は、多くの場合私たちの喧嘩は(特に妻や夫との喧嘩は)プライドから生まれるのです。私たちは自分が悪かったと認めたくないし、自分が間違っていると認めたくありません。だから、私たちは頑固に自分の意見が正しいと言い張ります。

けれども、あなたが自分の心に素直になって認めるなら、自分が悪いと分かることがあります。

時々、私の妻は「こうするべきだよ」と言ったけど、私はそうしたくなかった。しかし、神様は私に、「あなたのプライドを離しなさい。あなたの妻の言うことを聞きなさい。」と言いました。

時々、私が確かに正しいと思ったけど、神様は私に、「あなたのプライドを離しなさい。この喧嘩は些細なことだから。」と言いました。

私たちのプライドを飲み込むのは難しいです。けれども、関係がうまくいくことを望むなら、プライドを捨てることを学ばなければなりません。それに、時々、妻や夫が正しいので、その意見に従った方が良いです。

あなたはどうですか。あなたのプライドに支配されていますか。それとも、あなたがプライドを支配していますか。

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箴言

人を傷つける言葉、人を癒す言葉

箴言12章では、18節と25節が私の心を打ったので、その箇所に焦点を当てようと思いました。

ソロモンはこう言いました。

軽率に話して人を剣で刺すような者がいる。しかし知恵のある人の舌は人をいやす。(箴言12:18)

どれくらいあなたの軽率な言葉によって、愛する人を傷つけたことがあるでしょうか。また、どれくらい相手の軽率な言葉によって、傷つけられたことがあるでしょうか。

特に、喧嘩するときに、私たちはお互いを傷つけ合ってしまいます。だから、喧嘩するときには、何を言うか気を付けなければなりません。

基本的に私たちは相手を侮辱してはいけません。

「あなたは馬鹿だね。何でそんなことをしたの?」

「あなたは敏感すぎ。」

「あなたはあまりにも感情的だよ。」

時々私たちは相手について大げさに言います。

「あなたは決して手伝ってくれない。」

「いつも遅く帰って来るなぁ。」

そんな言葉を言うと、その問題が解決できません。むしろ相手は怒って、残酷な言葉で言い返してしまいます。そして、ソロモンが言ったように、そんな言葉は剣のように心を刺します。

冗談を言う時や皮肉を使う時にも、気を付けなければなりません。時々、誰かをからかって、思わずその人を傷つけてしまうことがあります。私にもそんな経験があって、後悔しています。

私たちの言葉によって人を癒すはずですが、どれくらい私たちは彼らを傷つけてしまうのでしょうか。

25節では、ソロモンはこう言います。

心に不安のある人は沈み、親切なことばは人を喜ばす。(25)

以前言ったように、私たちは人々をからかって、思わずに彼らを傷つけてしまうことがあります。相手を傷つけなくても、あなたは彼らを励ましてあげていないかもしれません。

彼らを愛によって励ました方が良いのではないでしょうか。彼らが悩んでいるときに、彼らを励ますとしたら、どうでしょうか。

また、「あなたのために祈りましょうか」と言えば、どうでしょうか。

神様は私たちがそんな人になることを望んでおられます。イエス様はそのような方でした。

あなたはどんな人でしょうか。

あなたの言葉は人々を傷つけるでしょうか。彼らを癒すでしょうか。

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箴言

単刀直入な知恵

箴言12章は本当に単刀直入ですね。

訓戒を愛する人は知識を愛する。叱責を憎む者はまぬけ者だ。(箴言12:1)

箴言では、このテーマがよく出てきます。賢明な人になりたいなら、あなたは喜んで訓戒を受け入れるべきです。そうしないなら、あなたは…間抜けです。

また、もしあなたがすでにすべてのことを知っていると思い、アドバイスがいらないと感じるなら、それは間抜けな考え方です。15節で、ソロモンはこう言います。

愚か者は自分の道を正しいと思う。しかし知恵のある者は忠告を聞き入れる。(15)

そして、ソロモンは生き生きとした描写を使って、単刀直入なことわざを教えています。

しっかりした妻は夫の冠。恥をもたらす妻は、夫の骨の中の腐れのようだ。(4)

二つの視点から、この箴言を読むことができます。

男性の視点では、誰と結婚するか気を付けてください。その女性の見た目がもっとも大切なことではありません。

もし、その女性がしっかりした人なら、彼女はあなたの人生を豊かにするでしょう。しかし、恥をもたらす妻はあなたの骨の中の腐れのようです。

女性の視点では、あなたはどんな妻でしょうか。あなたの夫に命と喜びを与えているでしょうか。それとも、あなたは夫の人生に腐敗を引き起こしているでしょうか。

もう一つの単刀直入なことわざ。

自分の畑を耕す者は食糧に飽き足り、むなしいものを追い求める者は思慮に欠ける。(11)

多くの人は、頑張って働かずに、ギャンブルしたり、宝くじを買ったりするので、結局、彼らはすべてをなくしてしまいます。

もし、彼らがちゃんと働いていたなら、生活できたでしょうが、彼らの金を捨ててしまったのです。

最後の単刀直入なことわざがあります。

愚か者は自分の怒りをすぐ現わす。利口な者ははずかしめを受けても黙っている。(16)

あなたはすぐ自分の怒りを現すでしょうか。あなたの夫に対して?あなたの妻に対して?あなたの同僚に対して?あなたの友達に対して?もしそうするなら、ソロモンはあなたを愚か者だと言います。

なぜなら、誰かがあなたをイライラさせるときに、あなたがいつも怒りを現すと、その人を傷つけ、その関係を壊してしまうかもしれないからです。

誰かがあえてあなたをイライラさせるときにも、爆発するより、そのことを無視した方がいいです。もし爆発すると、その人は喜んで、あなたをもっとイライラさせようとするかもしれません。

では、私はあなたが決してその人に面と向かわない方が良いと言っているのでしょうか。それは違います。もし、あなたの夫や妻や友達があなたを思わずイライラさせるなら、彼らと話した方がいいと思います。

一度話しましょう。二度話しましょう。もし何も変わらないなら、彼らを神様の手に委ねましょう。そして、忍耐のために祈りましょう。

あなたが人々を変えることができないことを覚えておきましょう。神様だけが人々の心を変えることができます。

だから、自分の努力で相手を変えようとしないでください。人を変えられる神様の御手に委ねましょう。

この箴言を見るとき、ソロモンが言ったように、間抜け者にならないように。頑固にならないでください。言い訳を言わないようにしましょう。

むしろ、私たちは賢明な人になりましょう。神様の訓戒を受け入れましょう。そうすれば、私たちのフラストレーションは減り、私たちの喜びは増えるでしょう。

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箴言

神様の恵みのパイプラインになる

もう箴言11章について書いたけど、もうちょっと24-30節を見たいと思います。

この箇所は人に恵みを与える喜びについてです。あなたが人々に恵みを与えるとき、もちろん彼らが祝福されるけど、あなたも祝福されます。ソロモンはこう書きました。

ばらまいても、なお富む人があり、正当な支払いを惜しんでも、かえって乏しくなる者がある。(箴言11:24)

私たちは神様の恵みのパイプラインになるように呼ばれました。神様が私たちに恵みを与えてくださるとき、私たちはその恵みを周りの人々に与えるべきです。

そして私たちが周りの人々に恵みを与えるとき、神様がさらに私たちに恵みを与えるので、私たちはさらに周りの人々に恵みを与えることができます。

パウロはこの原則をこのように説明します。

神は、あなたがたを、常にすべてのことに満ち足りて、すべての良いわざにあふれる者とするために、あらゆる恵みをあふれるばかり与えることのできる方です。。。

あなたがたは、あらゆる点で豊かになって、惜しみなく与えるようになり、それが私たちを通して、神への感謝を生み出すのです。(第二コリント9:8、11)

けれども、もし私たちが自分のお金にしがみつくと、その恵みのパイプラインは詰まってしまいます。

だから、私たちの周りの人々が祝福されないし、神様は私たちの人生に恵みを注がれなくなります。なぜなら、あなたのパイプラインが詰まっているので、神様の恵みはもう入れないからです。

その反面、ソロモンはこう言います。

おおらかな人は肥え、人を潤す者は自分も潤される。(25)

私たちは周りの人々に恵みを与えて、恵みのパイプラインになると、私たちも潤されます。

英語では、「Random acts of Kindness](ランダムな親切な行動)という表現があります。

例えば、ホームレスの人に出会ったら、あなたはその人にお金をあげる。また、あなたは花屋を見たら、急にあなたの友だちについて考えて、その友達に花を買ってあげます。

もちろんそれは良いことです。しかし、私は「意識して親切にする人」について聞きました。その人は周りの人々をよく見て、意識して「どうやってその人を祝福できるだろうか」と思います。

彼がすぐに分かってきたのは、人々を祝福するとき、彼も祝福されることです。キリストの愛が彼を通して流れて、人々に触れることを見るとき、彼は大喜びです。

どれくらい、私たちがけちなので、その喜びを経験する機会を失うでしょうか。私たちが神様のパイプラインになったら、どれくらい私たちは喜ぶでしょうか。

ソロモンはこう言いました。

穀物を売り惜しむ者は民にのろわれる。しかしそれを売る者の頭には祝福がある。(26)

どれくらい、私たちが恵みのパイプラインを詰めるので、私たちのクリスチャンの証は汚れるでしょうか。なぜなら、周りの人々は私たちを通してキリストの愛を見ずに、自己中心の人だけを見るからです。

あなたはどうですか。周りの人々があなたに出会うとき、彼らはキリストに出会うでしょうか。

30節で、ソロモンはこう言いました。

正しい者の結ぶ実はいのちの木である。知恵のある者は人の心をとらえる。(30)

人々は私たちに出会うとき、命に出会うはずです。もし神様の愛が私たちを通して流れるなら、彼らは命に出会います。その愛は彼らを私たちに近づけるだけではなく、神様に近づけます。

ソロモンは、「知恵のある者は人の心をとらえる」と言いました。けれども、神様の愛と恵みがあなたを通して流れないなら、神様のために人の心をとらえられないです。

私は何か認めなくてはなりません。私は何回もその恵みのパイプラインを詰めたことがあります。私も変わらなくてはなりません。あなたはどうですか。あなたは神様の恵みと愛のパイプラインでしょうか。

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箴言

将来を考える

この箇所の繰り返すテーマは将来を考えることです。特に、私たちは自分の行動の結果を考えるべきです。

多くの人々はそうしません。数年前、私は「すっからかん」というアメリカのスポーツ・ドキュメンタリーを見ました。

その番組で、多くの有名なプロ選手は自分の愚かな決断について話していました。彼らは何百万円を稼いだけど、すべてを失ってしまいました。

一人の選手はヨットと二台の車と大豪邸のために7億円を払いました。もう一人の選手は、9人の女性と関係を持ち、11人の子供がいるので、その女性たちとその子供たちを養うために何百万円も支払わなくてはなりませんでした。

彼らは自分の行動の結果について全く考えなかったので、多額のお金を支払わなくてはならず、さまざまな苦しみを経験しました。

この箇所の例は違いますが、教訓は同じです。もし将来を考えないと、結局あなたは苦しみます。

プライドが私たちの人生を治めたら、私たちは没落してしまいます。自分の地位を自慢する人もいます。自分の持ち物を自慢する人もいます。また、自分の才能を自慢する人もいます。

けれども、そんなプライドは没落に導きます(2節)。その選手たちは破産して、その教訓を学びました。

ある人は経済的に賢いですが、彼らは自分の情欲に治められます。

彼らについてソロモンはこう言いました。

財産は激しい怒りの日には役に立たない。しかし正義は人を死から救い出す。(箴言11:4)

裁きの日に、彼らはソロモンの言葉が真理であることが分かります。

私たちはお金によって天国に入ることはできません。なぜなら、神様は私たちのお金を必要とされないからです。

キリストを信じる信仰に基づいて、神様から与えられる義だけが私たちを救うことができます。もしその義を拒絶したら、神様の怒りを受けることになります。

この世には力がある人もいます。けれども、もし彼らが神様の前にへりくだらないと、裁きの日にその力は彼らを救うことができません。ソロモンはこう言いました。

悪者が死ぬとき、その期待は消えうせ、邪悪な者たちの望みもまた消えうせる。(7)

新改訳では「邪悪な者」と書いてありますが、他の翻訳では「力のある人」とされています。

とにかく、邪悪な人でも、彼らが悔い改めて、へりくだったら、神様の憐みを知ります。けれども、彼らがそうしないなら、彼らの希望は無くなります。彼らの力は救うことができません。

ある人は、罪にふけっているので、本当の自由を発見したと思います。彼らは神様の道を行く人が束縛されていると思います。しかし、ソロモンはこう言いました。

潔白な人の道は、その正しさによって平らにされ、悪者は、その悪事によって倒れる。

直ぐな人は、その正しさによって救い出され、裏切り者は、自分の欲によって捕らえられる。(5-6)

つまり、私たちが神様の道を行くなら、私たちの人生はうまくいきます。しかし、自分の道を行くと、私たちは最終的に滅びてしまいます。私たちの結婚や他の人間関係を壊してしまいます。私たちが頑張って築いたものも壊れてしまいます。

それに、私たちが自由だと思っていたのに、自分の情欲に束縛されていることに気づくでしょう。その情欲によって私たちの人生が壊れているのに、変わることができないと分かるようになります。

どれくらいの人々がギャンブルや、お酒や、麻薬や、不倫によって、自分の人生を壊しているのに、自分自身を止められないでしょうか。

この箇所の後半では、ソロモンは他の人々について話します。彼らも自分の行動の結果を予想できません。

ある人が誰に話すかに気をつけないので、彼らの秘密がばれてしまいます。(13節)

ある人がほかの人々の知恵を求めずに、自分の知恵だけに頼るので、彼らの人生はダメになってしまいます。(14節)

ある人は、お金を儲けることに集中して、人間関係を無視するので、彼らは誉れと愛をつかめず、ずっと独りぼっちです。(16節)

ある美人はどう生きるか、誰に自分の心を与えるべきなのか気をつけないので、傷つけられてしまいます。(22節)

ある人の人生がうまくいくとき、誰にも助けてあげないので、彼らの人生が苦しくなる時、誰も彼を助けてあげません。(24節)

ある人が自分の行動が家族にどんな影響を与えるか気にしないので、その関係は壊れてしまいます。(29節)

私たちは将来を考えないと、苦しむことになります。この世で苦しむかもしれないし、裁きの日に苦しむかもしれません。

あなたはどうですか。どのように生きているのでしょうか。あなたの将来を考えているでしょうか。

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箴言

あなたはどんな名前を持っているでしょうか。

シェイクスピアはこう聞いた。「名前はなんだ?」

ソロモンはこう答えました。

正しい者の呼び名はほめたたえられ、悪者の名は朽ち果てる。(箴言10:7)

例えば、人々がヒトラーという名前を聞くと、悪いイメージがすぐに浮かびます。多分だれも自分の子供にその名前をつけないでしょう。

でもクリスチャンがヤコブや、ノアや、マリヤや、ハンナという名前を聞くと、良いイメージが浮かびます。実は、アメリカでは、ヤコブとノアは、今でもとても人気の名前です。

あなたにはどんな名前があるでしょうか。つまり、あなたにはどんな評判があるでしょうか。それは大部分あなたの人生によります。

ソロモンはこう書いた。

知恵のある子は父を喜ばせ、愚かな子は母の悲しみである。(1)

知恵のある人はどんな人でしょうか。

  • 彼らは勤勉で、よく働きます。(4-5)
  • 彼らは権力を認めて、戒めを受け入れます。(8,17)
  • 彼は正直な人です。(9)
  • 彼らは人々に赦してあげます。(12)
  • 彼らの口から命が流れます。(11)
  • 彼らの口から知恵がえられます(13,31)。
  • 彼らがいつ黙った方がいいか分かります(19,32)。
  • かれらの言葉は、人々を養います(21)。
  • また、彼らは絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めます。 (第二テモテ4:2)

朽ち果てる名前のある人はどんな人でしょうか。

  • 彼らは怠けている。(4-5、26)
  • 彼らは戒めを受け入れないので、思慮がないです。それに、ほかの人々をその悪い道に導きます。(8、13、17)
  • 彼らは心の中で憎しみを抱いて、人々を傷つけます。(11-12)
  • 彼らの言葉に気を付けないので、周りの人々を傷つけます。時々、彼らは自分自身も傷つけてしまいます。(8、14、19ー21)

あなたはどんな人でしょうか。人々はあなたを見るとき、どんな人を見ますか。

あなたが亡くなると、彼らはあなたについて何を思い出すでしょうか。

あなたを知っている人々を祝福する名前を残すでしょうか。もしくは朽ち果てる名前を残すでしょうか。

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知恵:良い方向に変わる気がある

神様の私たちに対する愛と受け入れを、罪の許可と取り間違える人もいます。

彼らは「神様はもう私を受け入れてくださっているなら、どうして私は変わらなくてはならないだろうか。好きなように生きてもいいんじゃないか。」と思います。

しかし、この箇所によれば、知恵のある人は良い方向に変わる気持ちがあります。

この箇所は二つの招きで始まり、終わります。一つ目の招きは知恵から来ます。彼女は自分の家を整え、私たちが入るように招きます。彼女はこう言います。

「わきまえのない者はだれでも、ここに来なさい」と。

また、思慮に欠けた者に言う。「わたしの食事を食べに来なさい。わたしの混ぜ合わせたぶどう酒を飲み、(箴言9:4-5)

多くの人々は自分の行動の結果を全く予測できません。彼らはどんなふうに生きても、すべてが何とかなってしまうと思います。けれども、彼らの道は痛みに導き、最終的には死に至ります。

だから、知恵は叫びます。「その道を行き続けないでください。あなたのわきまえのない道を捨ててください。私はより良い道を示します。その道は命に導きます。」

しかし、愚かな女はこう言います。

わきまえのない者はだれでもここに来なさい。。。盗んだ水は甘く、こっそり食べる食べ物はうまい。(箴言9:16-17)

(知恵のように、ソロモンは愚かさを女性と比べています。もしまだ読んでいないなら、昨日の記事を読んでください。)

要するに、「どうぞ自分の道を生き続けてください。罪は甘いものですよ。罪はおいしいし、あなたを喜ばせるから。」

あなたはどんな人ですか。良い方向に変わる気がありますか。

もちろん、神様はあなたをありのままで愛しておられます。けれども、神様があなたを愛しておられるなら、あなたを泥に住むままには残したくないのです。

ソロモンはこう書きました。

あざける者を戒める者は、自分が恥を受け、悪者を責める者は、自分が傷を受ける。

あざける者を責めるな。おそらく、彼はあなたを憎むだろう。

知恵のある者を責めよ。そうすれば、彼はあなたを愛するだろう。知恵のある者に与えよ。彼はますます知恵を得よう。

正しい者を教えよ。彼は理解を深めよう。(箴言9:7-9)

イエス様はこのように言われました。

聖なるものを犬に与えてはいけません。また豚の前に、真珠を投げてはなりません。それを足で踏みにじり、向き直ってあなたがたを引き裂くでしょうから。(マタイ7:6)

イエス様は犬や豚(つまり、あざける者)に聖なるものや真珠を与えてはならないと言われます。(その文化では、犬と豚には悪いイメージがありました。)なぜなら、彼らはその知恵に感謝せず、あなたを攻撃するからです。

けれども、知恵の真珠を知恵のある人に与えると、ソロモンは彼らがもっと賢くなると言います。

だから、私たちは自分自身にこう問うべきです。私たちは知恵のある人でしょうか。もしかしたら、私たちは犬や豚でしょうか。

人々があなたを戒めるなら、どうしますか。あなたはその言葉を反省するでしょうか。それとも反省せずにその言葉を拒絶するでしょうか。

あなたはへりくだって、人々からの戒めを受け入れられるでしょうか。それよりも、神様からの戒めを受け入れられるでしょうか。それをしてこそ、あなたは本当の知恵と命を見つけることができます。

だからソロモンはこう書きました。

主を恐れることは知恵の初め、聖なる方を知ることは悟りである。

わたしによって、あなたの日は多くなり、あなたのいのちの年は増すからだ。

もし、あなたが知恵を得れば、その知恵はあなたのものだ。

もし、あなたがこれをあざけるなら、あなただけが、その責任を負うことになる。(箴言9:10-12)

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箴言

神様のみ言葉を正しく理解する

時として、人々は聖書をどのように読めばよいか分からず、聖書の内容を正しく理解できないことがあります。

たとえば、関係のない箇所を組み合わせてしまい、奇妙な解釈や誤った理解が生まれることがあります。箴言8章と第一コリント1章24節は、その一例です。

たとえば、エホバの証人は箴言8章を読んで、「この箇所はイエス様のことを語っている」と考えます。なぜそう思うのでしょうか。

それは、「知恵」が人間のように語っているからです。特に22ー31節では、知恵がこう語っています

主は、その働きを始める前から、そのみわざの初めから、わたしを得ておられた。

大昔から、初めから、大地の始まりから、わたしは立てられた。(箴言8:22-23)

また、

地の基を定められたとき、わたしは神のかたわらで、これを組み立てる者であった。(29-30)

だからエホバの証人はこう言います。

「第一コリント1:24によれば、キリストは神の知恵です。

ですから、箴言8章では、イエス様が語っているのです。この箇所によれば、神様は創造の働きを始める前から、イエス様を立てられました。つまり、神様がイエス様を造られたのです。

だからイエス様は神様ではなく、神様の被造物なのです。」

けれども、箴言7章から8章を丁寧に読むなら、その考え方が誤っていることに気づくはずです。

残念ながら、新改訳の表現ではその誤解が見えにくいかもしれません。それでも、7章と8章を通して、知恵が女性として描かれていることがわかります。

実際、新改訳でも7:4にその描写が見られます。

知恵に向かって、「あなたは私の姉妹だ」と言い、悟りを「身内の者」と呼べ。

そして、8章でも、ヘブル語で、こう書いてあります。

知恵は呼ばわらないだろうか。英知は彼女

これは丘の頂、道のかたわら、通り道の四つかどに彼女は立ち、門のかたわら、町の入口、正門の入口で彼女は

英語の翻訳を読むと、「彼女(she)」という表現が明確に使われていることがわかります。

それを見ると、おそらくエホバの証人の解釈に問題があることに気づくでしょう。彼らは「イエスは箴言8章の知恵である」と主張しますが、イエス様は女性ではありません。

それでも彼らは、箴言の箇所と第一コリントの箇所、さらにコロサイ1:15ー17節を組み合わせて、「イエス様は神ではなく、被造物である」と結論づけます。

しかし、そのようなまとめ方をすれば、聖書からどんな主張でも導き出せてしまうことになります。

「ユダは」外に出て行って、首をつった。(マタイ27:5)

するとイエスは言われた。「あなたも行って同じようにしなさい。」(ルカ10:37)

さあ、自殺しようか。

それは極端で愚かな話です。けれども、文脈を無視して関連のない箇所を組み合わせると、そのような誤った解釈が生まれてしまいます。

ですから、聖書を読むときには、必ずその箇所の前後を丁寧に読みましょう。そうしないと、エホバの証人のように、私たちも誤った考えに導かれてしまうかもしれません。

箴言7章から8章にかけて、ソロモンは何を語ろうとしているのでしょうか。知恵は本当に女性なのでしょうか。そうではありません。彼は比喩を用いて、知恵を女性になぞらえているのです。

そして、ソロモンはこう語ります。 「知恵はあなたを呼びかけています。不貞な女があなたを誘惑するように(7章参照)、知恵もあなたに語りかけているのです。

しかし、不貞な女はあなたを死へと招いています。

知恵はあなたを真の命へと導きます。神様が天地を創造された時、知恵は神様とともにおられました。そして、知恵を通して、すべての被造物はどのように生きるべきかを知ることができるのです。」

知恵によって、王たちは治め、君主たちは正義を定めます。知恵によって、支配者たちは国を導きます。

今、知恵は分別のない者に呼びかけています。知恵を通して、あなたも分別を身につけることができます。思慮深さを得て、祝福にあずかることができるのです。

知恵を見出すなら、この世のどんな宝物にもまさる価値あるものを見つけることになります。

知恵は真珠にまさり、どんな喜びも、これには比べられないからだ。(11)

実は、私は少し古い歌「More Precious Than Silver」(銀にまさる)がとても好きです。この歌は箴言8:11と3:15節に基づいています。

その歌の作詞者の意図は分かりませんが、おそらく彼はその箇所を正確に理解していなかったのでしょう。きっと「知恵はイエス様のことだ」と考えたのだと思います。

だから、彼はこう書きました。

「主よ、あなたは銀にまさります。あなたは金より価値があります。あなたはダイヤよりも美しいです。私が求めるものは、何もあなたに勝るものはありません。」

もちろん、イエス様はすべてにまさるお方です。とはいえ、箴言のこの箇所では、知恵は「男性」ではなく「女性」として描かれています。

とにかく、私たちは主を求めましょう。主の知恵を求めましょう。ただし、その言葉を正しく読み、正しく理解することが大切です。

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箴言

簡単に騙される

私の娘が保育園に通っていたころ、運動会に行きました。「釣り」をする競技があって、子供たちは「釣り場」まで走って、プレゼントを捕まえようとしました。実を言うと、そこにいる先生がそのプレゼントをフックに付けてくれました。

アメリカでは、ボウルにいる金魚を捕まえるゲームがありますが、その運動会のゲームはもっと簡単でした。私の娘はほとんど何もしませんでしたが、そのプレゼントを捕まえることができました。

とにかく、英語では、「It’s like catching goldfish」、つまり「金魚を捕まえるようだ」という表現があります。その意味は「それをすることはとても簡単。」ということです。

多くの人々はその金魚のようです。そして、悪魔が彼らを騙して、引っ掛けるのは本当に簡単です。ソロモンはこの箇所で、例を挙げています。

ある若い男性がすぐにトラブルに陥りました。なぜでしょうか。

一つの理由は彼が思慮に欠けたからです。彼はずっとわきまえのない者たちと一緒に遊びました。その友達も道徳観念がなかった。そして、彼は現在のために生きて、将来を全然考えませんでした。

二つ目の理由は、彼が怠け者だったからです。また彼は深夜にうろついて、退屈していました。彼は全然予定がなかったので、不倫の女性の計画にすぐに従ってしまいました(8-9)。

彼女は家を出て、人前で厚かましく彼に口をつけ、こう言いました。「私の夫は出張中です。明日まで帰りません。私はあなたをずっと見ていて、待っていました。あなたのためにすべてを整えました。食事とか、私のベッドとか。」

14節では、彼女は「和解のいけにえをささげた」と語っています。それは神様との平和の象徴であり、神様への感謝のしるしでもありました。

この儀式の一部には、いけにえの肉を持ち帰り、家族とともに祝って食べるという習慣が含まれていました。

そのような神聖な感謝の食事を用いて、この女性は若い男性を誘惑しようとしたのです。本来なら、神様への感謝をもって夫と共に分かち合うべきものでした。

その男性はわきまえのない人だったので、彼はほふり場に引かれる牛のように彼女の家に入りました。

ソロモンは彼がその罪に落ちて、自分の命がかかると言いました。なぜなら、その主人がその罪を知ったら、多分彼を殺すからです。その主人が決して知ることがなくても、神様はきっとその男性を裁かれます。

だから、ソロモンは自分の息子に警告します。

あなたの心は、彼女の道に迷い込んではならない。

その通り道に迷ってはならない。彼女は多くの者を切り倒した。

彼女に殺された者は数えきれない。彼女の家はよみへの道、死の部屋に下って行く。(箴言7:25-27)

どうやって、私たちはその男性の運命を避けることができるでしょうか。

まず、神様の知恵を求めましょう。その知恵をあなたの仲間にしましょう。ソロモンはこう言いました。

知恵に向かって、「あなたは私の姉妹だ」と言い、悟りを「身内の者」と呼べ。(4)

二つ目は、怠けてはいけません。目的がなくて、町中でうろついたら、トラブルを招きます。退屈は多くの人々を罪に導きます。多分、あなたはそのことをもうご存知かもしれません。

最後に、罪から逃げましょう。罪は魅力的に見えるかもしれませんが、神様の言葉を知っているなら、その罪が悪いものであることがすぐに分かります。

だから、罪を見ると、すぐに逃げましょう。そうしないと、誘惑がもっと強くなって、あなたはその誘惑に負けるかもしれません。

私たちがわきまえのない人にならないように。むしろ、知恵の道を歩んで、主を恐れましょう。

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箴言

罪に執着する

現代のテレビドラマで、不倫の話がよく出ています。それはごく普通のトピックのようです。それでも、多くの人はその教訓を学びません。

そのテレビ番組でも、人々は不倫して、大変な結果が出ます。人は傷つけられるし、人間関係は壊れるし、時々、人は殺されます。

テレビ番組でも、「あ、あなたは私の妻と寝ているのですか。どうぞ、続けてください。」と言う人は一人もいないと思います。

だから、ソロモンはこう言いました。

人は火をふところにかき込んで、その着物が焼けないだろうか。また人が、熱い火を踏んで、その足が焼けないだろうか。

隣の人の妻と姦通する者は、これと同じこと、その女に触れた者はだれでも罰を免れない。(箴言6:27-29)

そして、ソロモンはこう言います。もし、誰かが飢えているので、食べ物を盗むなら、裁判官は同情するかもしれませんが、その人を罰します。

けれども、ほかの男性がある人の妻と寝るなら、その夫は全然同情せずに、その人に対して復讐しようとします。ソロモンはその不倫する男性についてこう言いました。

彼は傷と恥辱とを受けて、そのそしりを消し去ることができない。

嫉妬が、その夫を激しく憤らせて、夫が復讐するとき、彼を容赦しないからだ。

彼はどんな償い物も受けつけず、多くの贈り物をしても、彼は和らがない。(33-35)

だから、ソロモンは「あなたの心を守りなさい」と言います。「不倫するな。また、売春婦を避けなさい。」

ソロモンはこれも言いました。

遊女はひとかたまりのパンで買えるが、人妻は尊いいのちをあさるからだ。(26)

つまり、売春婦はあなたのお金を全部取ってから、いなくなります。そして、不倫すると、あなたの結婚と家族は壊れるし、性病にかかるかもしれません。もしかしたら、あなたは殺されるかもしれません。

しかし、不倫だけではなく、すべての罪は人々を滅ぼします。

だから、罪に執着にしないように。その罪は魅力的かもしれませんが、最終的にはその罪は火のようにあなたに火傷を負わせます。またその罪は私たちのものを取って、私たちを滅ぼします。

むしろ、私たちを愛し、私たちの罪のために十字架で命を捧げられた方を求めましょう。毎日、イエス様をさらに深く愛することを学び続けましょう。そうすれば、真の愛と真の命に出会うことができます。

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箴言

悪魔の子のようにふるまうのか?神様の子のようにふるまうのか。

この箇所では、ソロモンは「よこしまな人」について話します。ある英語の翻訳では、「役に立たない人」と翻訳されます。

その人は自分のために生きて、どんな権力でも反対するので、神様に対しても、人間に対しても全然役に立たない人です。

聖書では、日本語の「よこしま」という言葉は、ヘブル語の「ベリアル」という言葉です。

ベリアルはサタンの名前の一つです。だから、「よこしまな人」は「ベリアルの子」です。

イエス様に対する悪意のあるユダヤ人に、イエス様はこう言われました。

あなたがたは、あなたがたの父である悪魔から出た者であって、あなたがたの父の欲望を成し遂げたいと願っているのです。

悪魔は初めから人殺しであり、真理に立ってはいません。彼のうちには真理がないからです。

彼が偽りを言うときは、自分にふさわしい話し方をしているのです。なぜなら彼は偽り者であり、また偽りの父であるからです。(ヨハネ8:44)

そんな人は、話すときにも、目くばせをしても、指でさしても、足で合図しても、悪い意図があります。ソロモンは神様がいつかそんな人を罰されると言います。

そして、ソロモンは神様が憎むものについて話します。

1. 高ぶる目。

彼らは高ぶって、人々を見下します。それに、彼らは神様をご覧になるとき、そむく態度を取ります。

C.S.ルイスは「プライドは最悪の罪」と言いました。なぜなら、プライドは人々の間に距離を置くし、神様と人間の間に距離を置くからです。

2. 偽りの舌。

多くの人々は偽りを軽く考えますが、神様にとっては、偽りは本当に深刻なことです。嘘をつく人は悪魔の子です。なぜなら、イエス様は「悪魔は偽りの父である」と言われるからです。

あなたはいつも真理を言うでしょうか。

3. 罪のない者の血を流す手。

アガサ・クリスティーのエルキュール・ポアロの口癖は「私は殺人に同意しない。」ということです。

けれども、神様は殺人に同意しないだけではなく、殺人を憎まれます。なぜなら、人が殺されたら、神様が大事にされるものが滅びるからです。

神様が私たちを造られたので、私たちにはすごい価値があります。

しかし、心に留めておきましょう。もしあなたが誰かを憎むなら、あなたの心の中で彼らを殺したようなものです(第一ヨハネ3:15)。

そうすると、あなたはサタンの道を行っています。なぜなら、彼は初めから人殺しだったからです。

4. 邪悪な計画を細工する心。

時々私たちは思わず罪を犯してしまいます。例えば、悪いことが起きるので、私たちは怒って、悪いことをしてしまいます。

もちろん、それでも、あなたの罪に言い訳はありません。しかし、神様にとって、あなたが悪いことをする計画を立てたら、それはより悪いです。

思わず罪を犯すのと、あえて罪を犯すのは別のものです。

5. 悪へ走るに速い足

ためらわずに罪を犯す人もいます。彼らには全然良心がないみたいです。彼らは自分の良心を押さえつけ、彼らにとっては、罪は魅力的なものです。それに、彼らは罪を喜び、その罪について自慢します。

6. まやかしを吹聴する偽りの証人。

この人は隣人に関して嘘をつきます。彼らは人々を中傷して、その評判を汚します。噂をする人も評判を汚せます。

7. 兄弟の間に争いを引き起こす者。

神様は私たちを平和をつくる者として呼ばれます。けれども、平和を作りたいよりも、争いを引き起こしたい人がいます。彼らは噂したり、「あなたについて、だれだれさんが何を言ったか知っていますか?」と言ったりします。

彼らの目的は和解ではなく、その距離をもっと広げることです。神様はそのような態度が大嫌いです。

あなたはどうですか。このふるまいのリストにはあなたに関連があるでしょうか。悔い改めましょう。

あなたは神様の子供のようにふるまっているでしょうか。悪魔の子のようにふるまっているでしょうか。

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箴言

経済的に安定する

私が経済のことについて話すのが特別な資格がないので、経済のことについて話すのはちょっと気まずいです。けれども、ソロモンは経済について話すので、彼が何を言ったか読みましょう。

箴言では、お金についてのアドバイスがたくさんあります。この箇所では、二つの助言があります。

一つ目は、誰かの保証人にならない方がいいということです。特にローンのために保証人にならない方がいいです。

日本では、そのアドバイスはちょっと厳しいです。私たちがアパートを借りるとき、普通、不動産屋は保証人を要求します。また、日本のビザを得るために私は保証人が必要でした。

だから、この箇所によると、私たちは決して保証人にならないべきでしょうか。そうではないと思います。

とはいえ、もしあなたが保証した人が困窮するようになり、代わりにあなたが支払いを求められるとしたら、その金額を支払うことができるでしょうか。あるいは、その支払いによって、あなたの経済状況が本当に厳しくなることはないでしょうか。

もしあなたの生活に支障がないのであれば、その人の保証人になってもよいでしょう。

けれども、もしあなたがその金額を支払えないのであれば、こう伝えるべきです。

「すみません。私はあなたのことが好きですし、あなたを信頼しています。でも、私たちの未来はまだ見えていません。

もし、あなたの状況が悪化して、私が代わりに支払わなければならなくなったら、私自身の経済も立ち行かなくなってしまいます。」

投資について考えるときにも、同じ原則が当てはまると思います。私も投資をしていますが、たとえそのお金が失われたとしても、私の家族が困ることはありません。(もちろん、それはとても痛いことですが。)

つまり、投資をするときには注意が必要です。もし投資したお金が失われた場合に家計が苦しくなるようであれば、そのお金は投資すべきではありません。

次のソロモンの助言は、一見するとただの常識のように思えるかもしれません。それでも、多くの人々はその常識に従っていません。その助言とは、できるだけ長く働き、将来のために貯蓄することです。

日本には「フリーター」と呼ばれる人々がいます。彼らには安定した仕事がありません。中には、教育の機会に恵まれず安定した職に就けない人もいれば、そもそも働く意欲があまりない人もいます。

私が読んだある記事によれば、少しだけ働いて貯金し、その後仕事を辞めて、お金が尽きるまで遊ぶ人々がいるそうです。そして、お金がなくなると、再び仕事を探します。彼らはその生活パターンを繰り返し続けているのです。

しかし、ソロモンは彼らに関して、こう言います。

なまけ者よ。蟻のところへ行き、そのやり方を見て、知恵を得よ。

蟻には首領もつかさも支配者もいないが、夏のうちに食物を確保し、刈り入れ時に食糧を集める。

なまけ者よ。いつまで寝ているのか。いつ目をさまして起きるのか。

しばらく眠り、しばらくまどろみ、しばらく手をこまねいて、また休む。だから、あなたの貧しさは浮浪者のように、あなたの乏しさは横着者のようにやって来る。(6-11)

要するに、そのような生活を続けていると、貧しさに陥ってしまいます。その生き方は近視眼的であり、先を見据えた知恵が欠けています。

さらに、そのような生活は神様にまったく栄光をお返ししません。なぜなら、神様から授かった才能を無駄にしているからです。そして、いつか神様の御前で、自分の歩みについて申し開きをしなければならなくなるでしょう。

だから今日、ソロモンから二つの助言を受け取ることができます。

  • 第一に、もしあなたに十分な資金がないなら、他の人の保証人になることは避けましょう。また、投資をする際には、どれほどの金額を投資するか慎重に判断してください。
  • できるだけ長く働き、将来のために貯蓄することを心がけましょう。
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箴言

あなたの妻(夫)を喜ぶ

箴言の中でいくつかの姦淫に関する箇所があります。これはその一つの箇所です。

この世では、多くの人々は結婚の意味が分からなくなりました。だから、彼らはセックスに関しても、分からなくなりました。

結婚というのは、人々は互いに相手を喜び合うことを学んで、一体となることです。それは性的だけではなく、感情的に、また霊的に一体となることです。

二人が一体になると、その関係はほかの人間関係と比べられません。彼らは互いに相手のことを全く知っているけど、全く受け入れ合います。

ある日、私はこんな言葉を書いているTシャツを見ました。”Love is blind.”(愛は盲目です。)

それは間違っていると思います。本当の愛はすべてを見るけど、相手を受け入れて愛します。相手のすべてを見ても、その人を喜びます。

夫婦にそんな関係があれば、彼らはスリルを感じます。なぜなら、彼らは互いに愛し合ったり、受け入れたりするからです。

あなたは相手に裁かれないし、他の人と比較されません。むしろ、あなたはありのままで受け入れられます。それに、あなたの欠点と弱さがあるのに、相手があなたを喜ぶことを知っています。

一方で、不倫する人はどうですか。彼らはそんな関係ができません。

もし、彼らが自分の夫か妻を捨てて、あなたと不倫すると、いつか彼らはあなたを捨てて、ほかの人と不倫するかもしれません。

彼らがそうしなくても、あなたはその疑いと不安を感じるでしょう。もし、彼らが現在の夫か妻をあなたと比較するなら、将来、彼らはあなたをもっと素敵な人と比べ始めるかもしれません。

その不倫する人は自分の愛が彼らをどこに連れていくか知りません。彼らはただ自分の感情についていくからです。また、彼らは自分の道がどんなに曲がったか知りません。

ソロモンはそんな人に関して、こう書きました。

その女はいのちの道に心を配らず、その道筋は確かでないが、彼女はそれを知らない。(箴言5:6)

そんな人とは長期の関係ができません。最初、その関係は楽しいかもしれないけど、最終的にその関係はあなたの口に苦い味を残してしまいます。

ソロモンはこう書きました。

他国の女のくちびるは蜂の巣の蜜をしたたらせ、その口は油よりもなめらかだ。しかし、その終わりは苦よもぎのように苦く、もろ刃の剣のように鋭い。

その足は死に下り、その歩みはよみに通じている。(箴言5:3-5)

それに、姦淫の道は永遠の死に導くかもしれません。この個所では、ソロモンは私たちに警告します。神様は私たちを見て、私たちの罪を裁かれます。

それだけではなく、姦淫は物理的な死に導くかもしれません。例えば、嫉妬深い夫か妻の手であなたは殺されるかもしれません。もしくはエイズやほかの性病によってあなたは死ぬかもしれません。

また、姦淫によって、あなたは経済的に苦しむかもしれません。そして、どれぐらい、人々は自分の夫か妻を捨てた後で、すぐ自分の恋人に振られるでしょうか。

だから、ソロモンはこう言いました。

あなたの水ためから、水を飲め。豊かな水をあなたの井戸から。

あなたの泉を外に散らし、通りを水路にしてよいものか。それを自分だけのものにせよ。

あなたのところにいる他国人のものにするな。

あなたの泉を祝福されたものとし、あなたの若い時の妻と喜び楽しめ。愛らしい雌鹿、いとしいかもしかよ。その乳房がいつもあなたを酔わせ、いつも彼女の愛に夢中になれ。(箴言5:15-19)

つまり、あなたの時間とエネルギーを不倫するために使わないようにしましょう。その関係は最終的に幸せに導かないからです。

むしろ、あなたの夫を喜びましょう。あなたの妻を喜びましょう。彼らの愛に夢中になりましょう。

神様が彼らを愛しておられるように、私たちも彼らを愛することを学びましょう。また、神様があなたを愛しておられるように、あなたも彼らに愛されることを学びましょう。

そうすれば、結婚における満足、そして性的な面でも満たされるようになるでしょう。

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足元に注意する

「足元にご注意ください。」

私たちが危険な状態に入っているとき、人々は私たちにいつも警告してくれます。そして、この世には、いろんな落とし穴があります。

だから、ダビデはソロモンにその落とし穴について警告して、ソロモンも自分の息子に警告しました。

彼はこう言いました。

わが子よ。聞け。私の言うことを受け入れよ。そうすれば、あなたのいのちの年は多くなる。

私は知恵の道をあなたに教え、正しい道筋にあなたを導いた。

あなたが歩むとき、その歩みは妨げられず、走るときにも、つまずくことはない。

訓戒を堅く握って、手放すな。それを見守れ。それはあなたのいのちだから。(箴言4:10-13)

ダビデとソロモンが自分の息子たちに警告したように、神様も私たちに神様の息子と娘として警告してくださいます。

神様が私たちを正しい道に導いておられるので、私たちが神様に従うと、周りの人々が躓くかもしれませんが、私たちは決して躓きません。もし、神様のみ言葉を見守るなら、私たちは命の道を見つけます。

どれぐらい、クリスチャンのリーダーたちはその教えを見守らなかったので、躓いたでしょうか。

彼らを批判するのは簡単なことですが、私たちが気を付けないと、私たちも躓くでしょう。私たちも同じ罪に落ちるでしょう。

だから、ソロモンは「足元に注意しなさい」と警告します。

また彼は、「罪人の道を避けなさい。むしろ、日に照らされる道を歩みなさい。その道は命に導くから。」と言います。

ソロモンはこう言いました。

義人の道は、あけぼのの光のようだ。いよいよ輝きを増して真昼となる。

悪者の道は暗やみのようだ。彼らは何につまずくかを知らない。(18-19)

要するに、私たちがイエス様に従えば従うほど、イエス様は真理をもっと表してくださるし、私たちの道はもっとはっきりします。

しかし、聖書の光を拒絶すると、私たちは目が見えなくなって、躓き、落とし穴に落ちてしまいます。

ソロモンはこの個所をこの言葉でまとめます。

力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく。(23)

要するに、あなたの心に何が入らせるか気を付けましょう。また、あなたの心がどこに行かせるか気を付けましょう。あなたの心を危ない所に行かせないようにしましょう。

むしろ、

あなたの目は前方を見つめ、あなたのまぶたはあなたの前をまっすぐに見よ。

あなたの足の道筋に心を配り、あなたのすべての道を堅く定めよ。

右にも左にもそれてはならない。あなたの足を悪から遠ざけよ。(25-27)

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知恵を尊重する

この箇所では、ソロモンはその父ダビデの言葉を思い出します。ソロモンにとって、その言葉は本当に印象に残りました。ダビデはこう言いました。

父は私を教えて言った。

「私のことばを心に留め、私の命令を守って、生きよ。知恵を得よ。悟りを得よ。

忘れてはならない。私の口の授けたことばからそれてはならない。

知恵を捨てるな。それがあなたを守る。これを愛せ。これがあなたを保つ。

知恵の初めに、知恵を得よ。あなたのすべての財産をかけて、悟りを得よ。

それを尊べ。そうすれば、それはあなたを高めてくれる。それを抱きしめると、それはあなたに誉れを与える。

それはあなたの頭に麗しい花輪を与え、光栄の冠をあなたに授けよう。」 (箴言4:4-9)

ソロモンはその言葉に感動したので、神様がソロモンに「あなたに何を与えようか。願え。」と言われたとき、ソロモンは富や力を願いませんでした。むしろ、知恵を願いました。神様は喜んでその知恵を与えてくださいました。

そのように、もしあなたが知恵を求めると、神様はその知恵をあなたに与えてくださいます。ヤコブはこう言いました。

あなたがたの中に知恵の欠けた人がいるなら、その人は、だれにでも惜しげなく、とがめることなくお与えになる神に願いなさい。そうすればきっと与えられます。(ヤコブ1:5)

しかし、どれぐらい私たちは知恵を尊重するでしょうか。私たちは知恵を積極的に求めているでしょうか。

特に、あなたは聖書から知恵を求めているでしょうか。毎日時間を取って、聖書を読むでしょうか。どれぐらい読むでしょうか。

多くのクリスチャンは日曜日だけに聖書を読みます。後は、彼らは「聖書の断食」をします。

だから、私たちの人生を送る時、私たちは知恵がないので、どうして私たちの人生がうまくいかないか分かりません。

だから、ソロモンはこう言いました。

知恵の初めに、知恵を得よ。あなたのすべての財産をかけて、悟りを得よ。(7)

けれども、知恵を学ぶだけでは十分ではありません。その知恵に従うべきです。ヤコブはこう言いました。

ただし、少しも疑わずに、信じて願いなさい。疑う人は、風に吹かれて揺れ動く、海の大波のようです。

そういう人は、主から何かをいただけると思ってはなりません。そういうのは、二心のある人で、その歩む道のすべてに安定を欠いた人です。(ヤコブ1:6-8)

時々、人々は神様から知恵を求めるけど、その知恵を聞くと、神様の道が最も良いかどうか疑います。だから、彼らは自分の道を行き続けます。

けれども、そのような人は人生に安定を決して見つけられません。むしろ、その人は自分の状況やほかの人々の意見によって、吹かれて揺れ動いてしまいます。

しかし、私たちは知恵を尊重し、その知恵に従うと、平和や安定と誉を見つけます。

あなたはどうですか。知恵を尊重していますか。

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愛と忠実さ

愛と忠実さ。この世では、その二つのものは見つけられません。だから、たくさんの人間関係、特に結婚の関係は壊れています。

ソロモンはこう書きました。

恵みとまことを捨ててはならない。それをあなたの首に結び、あなたの心の板に書きしるせ。神と人との前に好意と聡明を得よ。(箴言3:3-4)

その恵みは「変わらない愛」という意味です。そして、たくさんの英語の翻訳は「誠」という言葉を「忠実さ」と翻訳します。

神様に対する愛と忠実さはどういう意味でしょうか。それは、神様に信頼するので、従うという意味です。

簡単に言うと、あなたに対する神様の愛の確信を持って、あなたがその信仰によって生きることです。

ソロモンはその真理をもっと説明します。

心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。

あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。

自分を知恵のある者と思うな。主を恐れて、悪から離れよ。(5-7)

私たちが神様を愛するなら、私たちは全く神様に信頼します。私たちが何をしても、私たちがどこにいても、私たちは自己中心の生活を送らず、神様中心の生活を送ります。そして私たちの知恵に頼らずに、神様の知恵に頼ります。

時々、それは難しいです。正直に言うと、多くの場合、それは難しいです。

特に難しいところは、私たちの家計です。ソロモンはこう書きました。

あなたの財産とすべての収穫の初物で、主をあがめよ。そうすれば、あなたの倉は豊かに満たされ、あなたの酒ぶねは新しいぶどう酒であふれる。(9-10)

あなたが十一献金が新約聖書の教えであることを信じるかどうか分かりませんけど、はっきりしているのは、あなたのお金は実はあなたのものではないことです。あなたは、代価を払って買い取られたのですから(第一コリント6:20)。

そして、もし、自分の体をもって、神の栄光を現わすべきなら、お金によって、神の栄光を現わすべきです。

十一献金に反対する多くの人々は、自分の心で「これは私のお金です。私は好きなように使える権利がある。」と思います。

もちろん、あなたの給料の10%は神様に属しません。実は、すべては神様のものです。あなたは、ただその神様が与えてくださるお金の管理人です。

だから十一献金を捧げても、捧げなくても、あなたはこう聞かなくてはならない。「神様、私がどうやってこのお金を使えば良いか教えてください。これはあなたのものだから。」

そして、私たちは神様の懲らしめを謙遜に受け入れなくてはなりません。ソロモンはこう書きました。

わが子よ。主の懲らしめをないがしろにするな。その叱責をいとうな。

父がかわいがる子をしかるように、主は愛する者をしかる。(11-12)

私たちが聖書を読むとき、また教会の説教を聞くとき、厳しいことを聞くこともあります。その時、聖霊様は私たちを懲らしめてくださいます。

例えば、私たちの結婚の関係に関して、また、子供との関係に関して、神様は私たちに話してくださいます。もしくは、私たちの家計や仕事に関して話してくださいます。

そして、神様の懲らしめを聞くのは辛くて、私たちはその言葉を全然聞きたくないです。

けれども、私たちが本当に神様を愛するなら、その言葉に従います。私たちの知恵に頼らずに、神様の道を選びます。

そうすれば、神様は私たちが命と平和を得ると約束してくださいます。(16-18)

また私たちはその知恵にしがみつき、神様を恐れると、ほかのものを恐れる必要がないです。(21-26)

しかし、私たちは周りの人々にも愛と忠実さを与えるべきです。ソロモンはこう言いました。

あなたの手に善を行なう力があるとき、求める者に、それを拒むな。

あなたに財産があるとき、あなたの隣人に向かい、「去って、また来なさい。あす、あげよう」と言うな。(27-28)

つまり、周りの人々を祝福する機会があれば、待たないでください。すぐにその人を祝福してください。

また、彼らを裏切らないでください。なぜなら、神様はあなたを見ておられるし、そんな人々に反対されるからです。

最後に、ソロモンはこう言いました。

あざける者を主はあざけり、へりくだる者には恵みを授ける。

知恵のある者は誉れを受け継ぎ、愚かな者は恥を得る。(34-35)

私たちが神様の知恵をあざけり、自分の道を行くことを決めたら、蒔いたものを刈り取ります。つまり、恥や悲しみや死を刈り取ります。

けれども、あなたが謙遜に、神様の懲らしめを受け入れて、神様の道を行くなら、神様はあなたに命や、恵みや、平和や、誉れを与えてくださいます。

あなたはどうするでしょうか。

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柔らかい心を保つ

昨日の記事では、神様とその知恵に対する固い心を持つ危険を見ました。けれども、この箴言2章では、神様とその言葉に対する柔らかい心を持つ祝福を見ます。

ソロモンはこう書きました。

わが子よ。もしあなたが、私のことばを受け入れ、私の命令をあなたのうちにたくわえ、あなたの耳を知恵に傾け、あなたの心を英知に向けるなら、もしあなたが悟りを呼び求め、英知を求めて声をあげ、銀のように、これを捜し、隠された宝のように、これを探り出すなら、そのとき、あなたは、主を恐れることを悟り、神の知識を見いだそう。

主が知恵を与え、御口を通して知識と英知を与えられるからだ。(箴言2:1-6)

神様とその言葉に対する柔らかい心を持つというのは、どういう意味でしょうか。

1. 神様の言葉を受け入れることです。

「あなたの言葉は良いし、正しい」と認めることです。

2. 神様の言葉をあなたの心に蓄えることです。

私たちはよく神様の言葉を聞いて同意しますが、すぐにその言葉を忘れてしまいます。

けれども、それでは物足りないです。私たちはその言葉に思いを巡らし、その言葉を生かすべきです。

3. あなたの耳を知恵に傾けることです。

つまり、神様は聖書や牧師や友達を通して話されるとき、私たちは自分の心を開かなくてはなりません。しかし、多くの場合、私たちは「もう知っているよ」または「その言葉は私の場合に当てはめられないよ」と言います。

しかし、柔らかい心はその言葉を受け入れ、その言葉によって変えられていきます。では、知恵が心を変えるために、私たちはどうすればよいのでしょうか。

4.あなたの心を英知に向けるべきです。

「この言葉はどういう意味でしょうか。どうやってこの言葉を私の人生に当てはめられるでしょうか」と聞いた方がいいです。

また、

5.悟りを呼び求め、英知を求めて声をあげるべきです。

つまり、私たちは神様から英知と悟りを求めるべきです。

自分の人生に聖書のことばをどう当てはめればよいか分からないときでも、そのことばを捨ててはなりません。「私の人生には関係ない」と言ってはなりません。

むしろ、神様に尋ねてみましょう。そうすれば、

主が知恵を与え、御口を通して知識と英知を与えられる。(6)

さらに、知恵に従うことを決めて、また、神様の道を行くことを決めたら、勝利を得ることができ、神様は私たちを見守ってくださいます。その知恵は私たちを悪の道から救い出してくださいます。

悪者は知恵を拒絶するので滅びますが、私たちは命を見つけます。

あなたはどうですか。神様とその知恵に柔らかい心を持っているでしょうか。積極的にその知恵を求めているでしょうか。その知恵をあなたの人生に当てはめているでしょうか。

そうすれば、満ちたりた人生を見つけることができます。

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知恵を拒絶すると

この箇所では、神様の知恵を拒絶し、自分の知恵に頼る危険を見ることができます。

この個所を読むと、ノアの話を思い出します。洪水が来る前に、ノアはずっと人々に警告していました。

この個所の「知恵」のように、広場でノアは声を上げたでしょう。

「わきまえのない者たち。あなたがたは、いつまで、わきまえのないことを好むのか。あなたには道徳観念がないので、悪魔の言葉にすぐに騙され、悪に落ちてしまいます。(箴言1:22a)

(実は、箴言で、「わきまえのない者」というのは、道徳観念がなく、すぐに騙される人という意味です。)

多分、ノアは「知恵」のように、「いつまで、あなたは神様の言葉をあざけることを楽しむでしょう。いつまで神様の言葉を憎むでしょうか。」と尋ねていました。(22b)

そして、神様はノアを通して、彼らにこう叫んだでしょう。

「わたしの叱責に心を留めるなら、今すぐ、あなたがたにわたしの霊を注ぎ、あなたがたにわたしのことばを知らせよう。しかし、むしろ、あなたはわたしを拒絶します。

わたしの手を伸ばすのに、あなたは顧みません。あなたがたはわたしのすべての忠告を無視し、わたしの叱責を受け入れません。」(23-25)

そして、洪水が来ました。その時、おそらく彼らはやっと神様に叫びましたが、神様は応えてくださいませんでした。彼らが神様を探しても、見つけられませんでした。なぜでしょうか。

なぜなら、彼らは知識を憎み、主を恐れなかったからです。だから、彼らの行ないの実を食らいました。(31)

彼らの背信は自分を殺し、彼らの安心は自分を滅ぼしました。(32)

けれどもノアとその家族は主に従ったので、恐れずに、安全でした。

あなたはどうですか。

道徳観念がなくて、罪を犯しても安心するなら、あなたは結局滅びてしまいます。あなたの人生はめちゃくちゃになるし、最終的に地獄に行ってしまいます。

そして、地獄に行くなら、もう遅すぎます。つまり、悔い改める機会がありません。むしろ、あなたは自分の行いの実を食べます。

しかし、あなたが生きている間に、まだ希望があります。

だから、悔い改めてめましょう。神様の叱責を受け入れましょう。あなたの耳を開きましょう。

あなたの心が柔らかいなら、神様は自分の心をあなたに開いてくださいます。神様は命の道を教えてくださいます。天国への道だけではなく、この世にどうやって満ちた人生を送れるか教えてくださいます。

そして、あなたの人生は神様の喜びと平和で満ちます。

ノアのように、神様の声を聞いて従いましょう。そして、嵐が来るとき、あなたは恐れずに安心して生きることができます。

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箴言

私たちは誰に相談するべきか

私は高校生の時、「Who to listen to」(誰に相談するべきか)という歌を聞きました。その歌詞はこうでした。

誰に聞いた方がいいか、誰に聞かない方がいいかを知っていなくてはなりません。

さまざまなアドバイスがあちこちから来ます。

だから、誰に聞いた方がいいか、誰に聞かない方がいいかを 決めなくてはなりません。ーーエイミー・グラント

それはソロモンのメッセージです。

最初に、彼は私たちが誰に聞いた方がいいか教えます。

わが子よ。あなたの父の訓戒に聞き従え。あなたの母の教えを捨ててはならない。それらは、あなたの頭の麗しい花輪、あなたの首飾りである。(箴言1:8-9)

私たちの両親が神様の御言葉に合うことを教えてくださる限り、そのアドバイスを聞いた方がいいです。なぜなら、私たちよりも、彼らがいろんなことを経験しているので、私たちに知恵を与えてくださるからです。

振り返ると、私は父からいろんなことを学びました。父は特に、友達の大切さと正直に言う大切さを教えてくれました。その会話は本当に短かったけど、今でも、その教えを覚えています。

時々父に叱られて、その教訓は痛かったです。けれども、その教訓によって、私は成長したので、私は感謝しています。

とにかく、ソロモンは言い続けます。

わが子よ。罪人たちがあなたを惑わしても、彼らに従ってはならない。(10)

この場合、ソロモンは私たちが罪人に従い、ほかの人々を襲わないように警告します。

けれども、周りの人々は私たちをいろんな罪で誘惑するかもしれません。例えば、私の友達は同僚に海外旅行に行って売春婦と遊ぶことに誘われました。彼は断りました。

しかし、時々ほかの人々は愚かなので、エイズやほかの性病にかかりました。

時々、ある人々はあなたの最善を望んでいるけれども、聖書に反するアドバイスを与えます。例えば、「彼女を愛しているでしょう?彼女と関係をもってもいいよ。一緒に住んでもいいよ。」と言います。

しかし、その結果はどうなるでしょうか?妊娠してしまったり、中絶したりして、いろんな苦しみが来るのです。

あなたは誰に聞いていますか。あなたは誰から助言を求めていますか。

どの助言を聞いても、その助言を神様の御言葉と比べてください。聖書に合うなら、その助言に従ってください。けれども聖書に合わないときは、聖書に従ってください。

そうすれば、問題を避け、本当の喜びを見つけます。

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箴言

知恵はどこから始まるか

それでは、箴言を始めましょう。

実は、どのように箴言について書くかちょっと迷いました。なぜなら、箴言にはいろんなテーマがあるし、一つの章でも、いろんなテーマがあるからです。

最初は、「テーマごとに整理してみようか」とも考えましたが、最終的には、いつも通りの進め方で書くことに決めました。

初めに、ソロモンがどうして箴言を書いたか説明します。

これは、知恵と訓戒とを学び、悟りのことばを理解するためであり、正義と公義と公正と、思慮ある訓戒を体得するためであり、わきまえのない者に分別を与え、若い者に知識と思慮を得させるためである。

知恵のある者はこれを聞いて理解を深め、悟りのある者は指導を得る。これは箴言と、比喩と、知恵のある者のことばと、そのなぞとを理解するためである。(箴言1:1-6)

箴言は誰のために書かれたのでしょうか。まず、わきまえのない者や若者のためです。(4)

つまり、彼らに分別を与えるためです。要するに、彼らが実世界に入る時、良い決断ができるようにするためです。

さらに、ソロモンは彼らに知識と思慮を授けたいと願っていました。そうすることで、彼らが自分の経済や人間関係において賢く決断できるようになるのです。

けれども、ソロモンは知恵がある者のためにも書きました。そして、箴言を通して、彼らは自分の理解を深め、指導を得ます。

私たちが年を取れば取るほど、「私はもう知っている」という態度を取ることが容易になります。

しかし、ソロモンが言っているのは、私たちが自分の知恵を深めなければならないということです。私たちの勉強は決して終わらないのです。

なぜなら、賢い人でも、知恵を忘れてしまい、愚かな決断をして、自分の人生を壊してしまうことがあるからです。

実は、ソロモンもそうでした。彼はこの世界で一番賢い人だったのに、自分の悪い決断によって自分の人生を壊してしまいました。

さて、知恵のカギは何でしょうか。ソロモンは7節でそのカギを教えてくれます。

主を恐れることは知識の初めである。愚か者は知恵と訓戒をさげすむ。(7)

箴言9:10で、ソロモンはこれも書きました。

主を恐れることは知恵の初め、聖なる方を知ることは悟りである。(9:10)

知恵がある者は主を恐れます。私たちが主を恐れ始めると、私たちは知恵を知り初めます。

なぜでしょうか。なぜなら、神様は私たちの創造主だからです。神様は私たちの人生がどのようにうまくいくかを知っておられます。もし、何かのデザインを知りたいなら、そのデザイナーに尋ねた方がいいです。

しかし自分の道に行こうとしたら、最終的にあなたは困ってしまいます。

私たちは「愚か者」と聞いたら、「馬鹿な人」だと考えます。もちろん、自分の道を行くと、あなたはいろんな愚かな決断をしてしまいます。

けれども、聖書によれば、愚か者は堕落する人です。

私たちが神様とその知恵を侮ると、愚かな決断をして、私たちは損なわれます。私たちは神様の形として造られました。しかし、私たちの罪はその形に傷をつけてしまいます。

どれぐらい、あなたは鏡を見て、神様の形を見ずに、損なわれたイメージを見るでしょうか。

神様は私たちが完全になるように望んでおられます。また、神様は私たちが神様の形を映すことを望んでおられます。

けれども、そのために、私たちは神様とその知恵を受け入れなくてはなりません。神様から知恵を求めれば、神様は喜んで与えてくださいます。

愚か者にならないでください。すべてのことをもう知っていると思わないでください。

箴言を読むとき、あなたの心を開きましょう。その知恵を受け入れましょう。神様があなたに語りかけ、神の形にあなたを形成してくださるように祈りましょう。