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サムエル記第一 詩篇

神様に信頼する

アメリカでは、ドル札と硬貨の上に、こう書いてあります。「神様に信頼する。」

ちょっと皮肉だけど、今、多くのアメリカ人は神様よりもお金に信頼しています。もし、お金を儲けるよりも、その言葉を見て従ったら、彼らの優先順位がもっと良くなるでしょう。

ダビデは時々失敗しましたが、大体彼は神様に信頼しました。サウルから逃げて、ダビデはイスラエル人の敵ペリシテ人の所に行きました。

けれども、ペリシテ人はダビデのことを忘れていませんでした。つまり、ダビデがペリシテ人の戦士ゴリアテを殺したことをよく覚えていたのです。

それに、彼がイスラエルの将軍として何回もペリシテ人の軍隊と戦ったこともよく覚えていました。

だから、彼らはダビデを見つけた時に、彼を捕まえて王の前に連れてきました。ダビデは牢に入った時に、この詩篇を書いたかもしれません。

すぐに死ぬかどうかわからない時に、彼は書きました。

恐れのある日に、私は、あなたに信頼します。

神にあって、私はみことばを、ほめたたえます。私は神に信頼し、何も恐れません。肉なる者が、私に何をなしえましょう。(詩篇56:3-4)

どうして、ダビデは、それが言えたのでしょうか。多分、いろんな理由があったのでしょう。

最初の理由は、怖がって、彼には神様に信頼する選択しかありませんでした。

しかし、振り返った時に、彼は神様が彼を救ってくださったことを思い出しました。つまり、クマとライオンとゴリアテと戦った時に、神様は彼を助けてくださいました。

ダビデがもう一つ思い出したのは、自分の人生が神様の御手にあったことです。

サムエルを通して、神様がダビデのために良い計画を持っておられることを知っていました。だから、もし、彼が神様に信頼し続けたら、神様が彼を守ってくださることを知っていました。

それに、ダビデが死んでも、つまり、ペリシテ人かサウルが彼を殺しても、彼らがダビデの魂を滅ぼすことはできないことを知っていました。

だから、試練の中で、彼は歌いました「神様に信頼する。」

あなたはどのような試練の中にいるでしょうか。どのような苦しみや悲しみを感じるでしょうか。希望を失わないでください。勇気を持ちましょう。

神様が過去にあなたのために何をしてくださったか思い出しましょう。神様の慈しみを思い出しましょう。神様があなたのために良い計画を持っておられることを思い出しましょう。

そして、何が起こっても、生きても、死んでも、あなたの人生が神様の御手にあることを思い出しましょう。

I will trust you, Lord, when I don’t know why.
たとえ、なぜ自分がこのような状態にあるのか分からなくても、私はあなたを信じます。
I will trust you Lord, ‘til the day I die.
私は死ぬまで、あなたを信頼します。
I wil trust you Lord, when ‘m blind with pain.
本当に苦しんで、私の心が見えなくても、あなたを信頼する。
You were God before and you’ll never change.
あなたは過去に神様だったし、あなたは全然変わらない。
I will trust you.
あなたを信頼する。
I wil trust you.
あなたを信頼する。
I will trust you, Lord.
主よ。あなたを信頼する。

ーートワイラ・パリス

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詩篇

私たちの言葉の裏に何がある

「どうして、私はそれを言ったのだろうか。」

どれぐらい、私は振り返って、そう言うでしょうか。

ヤコブが言ったように、私たちの舌は小さいけれど、力強いです。命を与える力があります。つまり、励ますことができるし、人の徳を養うことができます。けれども、私たちの舌は人を滅ぼすこともできます。

サウルの牧者たちの中の強者ドエグは自分の舌で、人々を滅ぼしました。

多分、サウルから報いを得るために、彼はサウルにノブの祭司たちがダビデを助けることを伝えました。それに、サウルの民がその祭司を殺すことを拒絶すると、ドエグはその祭司たちを殺しました。

その事件の後で、ダビデは、この詩篇を書きました。その詩篇で、ダビデは、どれぐらい舌が悪くなるか書きました。

私たちの舌は自分の悪を誇ります。(詩篇52:1)

私たちの舌は破滅を図るし、人々を欺きます。(2節)

真理を言わずに、嘘をつきます。(3節)

人々をごまかします。(4節)

しかし、舌の裏に心があります。ドエグの心はお金を信頼して、いつも、もっと欲しがっていました。だから、彼の言葉が誰かを滅ぼしても、気にしませんでした。(7)

あなたはどうですか。あなたの心の中には何が入っているでしょうか。イエス様は言われました。

心に満ちていることを口が話すのです。

良い人は、良い倉から良い物を取り出し、悪い人は、悪い倉から悪い物を取り出すものです。

わたしはあなたがたに、こう言いましょう。人はその口にするあらゆるむだなことばについて、さばきの日には言い開きをしなければなりません。(マタイ12:34-36)

ダビデにとって、一番大切なのは、神様との関係ということです。それはダビデの心の中にありました。彼はお金などに信頼しませんでした。むしろ、彼はこう言いました。

私は、世々限りなく、神の恵みに拠り頼む。(詩篇52:8)

だから、ダビデの口からは、人々を滅ぼす言葉ではなく、人々を励ます言葉と神様への賛美が出ました。彼は歌いました。

私は、とこしえまでも、あなたに感謝します。あなたが、こうしてくださったのですから。私はあなたの聖徒たちの前で、いつくしみ深いあなたの御名を待ち望みます。(9節)

あなたの心から、どのような言葉が出るでしょうか。

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サムエル記第一 詩篇

神様の慈しみを思い起こす

「どうして、こんなことが起こっているの?神様、私を愛していないの?あなたはどこ?」

悪いことが起こったら、私たちはよくそのように反応します。もし、誰かがそのようなことを言う権利があれば、その人はダビデでした。彼は何も悪いことをしていなかったのに、サウルは彼を殺そうとしていました。

その状態の中で、ダビデはこの詩篇を書きました。

サウルが槍でダビデを殺そうとしたあとで、ダビデは逃げましたが、サウルはダビデの家にダビデを見張らせ殺すために、使者を遣わしました。けれども、ダビデの妻ミカルはダビデに警告して、彼が逃げることを助けました。

逃げながら、ダビデは詩篇59篇を書きました。

わが神。私を敵から救い出してください。私に立ち向かう者が届かぬほど、私を高く上げてください。

不法を行う者どもから、私を救い出してください。血を流す者どもから、私を救ってください。

今や、彼らは私のいのちを取ろうと、待ち伏せています。力ある者どもが、私に襲いかかろうとしています。主よ。それは私のそむきの罪のためでもなく、私の罪のためでもありません。

私には、咎がないのに、彼らは走り回り、身を構えているのです。どうか目をさまして、私を助けてください。どうか、見てください。(詩篇59:1-4)

つまり、「助けてください!」

けれども、ダビデは、これも書きました。

私の力、あなたは私を、見守ります。神は私のとりでです。

私の恵みの神は、私を迎えに来てくださる。神は、私の敵の敗北を見せてくださる。(詩篇59:9-10)

また、

しかし、この私は、あなたの力を歌います。まことに、朝明けには、あなたの恵みを喜び歌います。それは、私の苦しみの日に、あなたは私のとりで、また、私の逃げ場であられたからです。

私の力、あなたに、私はほめ歌を歌います。神は私のとりで、私の恵みの神であられます。(詩篇59:16-17)

私にとって、印象に残っている言葉は、「私の恵みの神」ということです。英語では、「My loving God」、つまり、「私を愛している神」。

ダビデは大変な状態の中で、神様の愛と恵みを全然疑っていませんでした。むしろ、皆がダビデに反対する時に、ダビデは神様の愛に隠れて、安心しました。

問題に焦点を当てずに、ダビデは神様に焦点を当てていました。自分の状況について文句を言わずに、神様を礼拝しました。

そして、ヨナタンとミカルとサムエルを通して、神様はダビデを救い出してくださいました。

あなたはどうですか。全てが悪い時に、あなたはどうするでしょうか。神様の愛を疑いますか。神様の慈しみを疑うでしょうか。

もしくは、ダビデのように、神様のために待ち望むでしょうか。神様の愛に隠れて、礼拝するでしょうか。

神様が恵みの神であることと、神様があなたの先に行って導くことと、神様があなたを救ってくださることを心に留めておきましょう。

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申命記 詩篇

この世界はあなたをどのように思い出すか

これはモーセ五書の最後の一部です。

しかし、モーセはこの最後の箇所を書いたわけではありません。モーセが亡くなった後に、誰かがこれを記録しました。

モーセのような預言者は、もう再びイスラエルには起こらなかった。彼をは、顔と顔を合わせて選び出された。

それはが彼をエジプトの地に遣わし、パロとそのすべての家臣たち、およびその全土に対して、あらゆるしるしと不思議を行わせるためであり、

また、モーセが、イスラエルのすべての人々の目の前で、力強い権威とをことごとくふるうためであった。(申命記34:10-12)

それは、すばらしい追悼文です。

モーセは神様が顔と顔を合わせて選び出された人です。

モーセは神様の力に満たされた人です。

モーセは神様の力を通して、イスラエル人をエジプトから救い出した人です。

これを読んだとき、私はこう思いました。「私が亡くなるとき、家族や友達、同僚は私をどのように思い出すでしょうか。」

一昨年、私の父が亡くなりました。私と母、兄弟が父をどのように思い出しているかは分かりますが、他の人々が父をどのように思い出すかについてはよく分かりません。彼らが追悼文を書くなら、何と書くだろうと思います。

そして、私が亡くなった時に、人々は何を言うでしょうか。私についてどのような思い出を持つでしょうか。

私にはその答えがよく分かりません。ただ、神様が望んでおられる人になるには、まだたくさんの時間が必要だと感じます。弱さが多いからです。失敗も多いからです。それでも、もし人々が私を通して少しでも神様を見ることができるなら、それは本当に嬉しいことです。

詩篇90篇で、モーセはこう書きました。

それでも、人々が私を見ると神様がちょっとだけでも見えたら、私は嬉しい。(詩篇90:10)

だから、モーセはこう祈りました。

それゆえ、私たちに自分の日を正しく数えることを教えてください。そうして私たちに知恵の心を得させてください。(12)

また、

私たちの神、主のご慈愛が私たちの上にありますように。そして、私たちの手のわざを確かなものにしてください。どうか、私たちの手のわざを確かなものにしてください。(17)

それは私の祈りです。

「神様、私に自分の日を正しく数えることを教えてください。賢く生きたいからです。また、私の手のわざを確かなものにしてください。私の人生が空しいものにならないように、何をするべきか教えてください。そのわざが空しいものにならないように。」

私には本当に好きな歌があります。それは私の心の叫びです。

Lord, my friend has gone to be with you.
主よ、私の友達があなたの所に行ってしまいました。
I’m not asking why
どうしてか訊いていないのです。
Or questioning what you do
あなたの御心を疑っていないないのです。
But I’m realizing that my days are numbered too.
けれども、私の人生が短いことが分かるようになりました。
Will my life have been all that I wanted it to?
振り返るときに、希望した通りに生きたでしょうか。

Will my friends reflect on precious memories?
私が亡くなるときに、私の友達は私についていい思い出を持つでしょうか。
And if I sing to the world, will they know you were the love in me?
もし、この世に歌ったら、周りの人々は私の愛があなたから来たことが分かるでしょうか。
And the praise I gave goes on eternally?
私の賛美は永遠に続くでしょうか。
How will they remember me?
すべての人々はどのように私を思い出すでしょうか。

How will they remember?
どのように思い出すでしょうか。
I hope when they remember they see you.
彼らが私を思い出したら、あなたを見るように望みます。

I know that in my heart I must be sure all my days have not just slipped away.
私の心の中で、私の人生が空しいものじゃなかったという確信が欲しいです。
It already seems life will be too short.
私の命は短そうです。
Wasn’t I a child just yesterday?
昨日、私は子供じゃなかったでしょうか。
Time just slips away.
光陰矢のごとしです。

Lord, I’m not afraid to be with you.
主よ、私が天国であなたと共にいることを怖がっていません。
But I feel there’s so much left for me to do.
けれども、まだ、この世界で、たくさんのことをしなくてはならないと思います。
I just had to know that I made you proud too.
あなたが私について考えたら誇ることを知りたいです。
Will they know I love you?
すべての人々は私があなたを愛していることが分かるでしょうか。

How will they remember?
どのように思い出すでしょうか。
I hope when they remember they see you.
彼らが私を思い出したら、あなたを見るように望みます。

I want the world to see Jesus in me
この世界の人々が私の中で、イエス様を見るように望んでいます。

ーーキム・ボイス