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雅歌

封印された

それでは、6年以上で記事を900編書いていますが、これは旧約聖書についての最後の記事です。

私がこのブログを始めた時、同時に英語のブログも書いていましたが、それを完了して、今はこのブログだけを書いています。

だから、新約聖書を完了するのは、多分3年間ちょっと以内にかかると思います。頑張ります。

さて、この箇所では、恋人たちが旅行から帰ってきて、彼らの愛は明らかです。ソロモンの妻は彼に寄りかかってこう言います。

私を封印のようにあなたの心臓の上に、封印のようにあなたの腕につけてください。愛は死のように強く、ねたみはよみのように激しいからです。

その炎は火の炎、すさまじい炎です。大水もその愛を消すことができません。洪水も押し流すことができません。

もし、人が愛を得ようとして、自分の財産をことごとく与えても、ただのさげすみしか得られません。(雅歌8:6-7)

その時代、封印は所有のしるしでした。だから、誰かが相手の封印を持つことは、相互の所有のしるしでした。

彼女の意味は、「あなたは私のものだし、私はあなたのものです。私たちは互いに封印されている」ということです。

彼女は「愛は死のように強い」と言います。(6b)

つまり、死でも、彼女の愛を壊すことはできません。彼が死んでも、彼女の愛は続きます。

クリスチャンにとっては、それは特にそうです。なぜなら、私たちが死んでも、いつか天国で私たちの夫か妻にもう一度会うからです。

そして、彼女は「私のねたみは激しい」と言います。(6c)

多くの場合、「妬み」という言葉は悪い意味を持ちます。悪い妬みとは、他の人に属するものを見て、それを欲しがることです。

けれども、結婚においては、妻は夫のものであり、夫は妻のものです。だから、彼女が言ったのは、その愛の関係を破るものを決して許さない、ということでした。

全ての夫婦は、そのような態度を取ったらいいのにと思います。多くの場合、趣味や仕事、他の恋人がその関係の邪魔になります。私たちの妻や夫に対する愛は、それらに決して譲るべきではありません。

彼女は彼らの愛を凄まじい大水で消されない炎と比べます。また、その愛がお金で買えないと言います。(7)

自分の結婚について考えている間に、彼女はまだ結婚していない妹について考え始めます。つまり、その妹がそのような素晴らしい夫婦関係を持つことを望んでいるのです。

彼女は言います。「もし、彼女の純潔を守っている城壁が強くても、もっと強化したいです。もし、彼女が誰に対しても開いている戸であれば、彼女を守って閉じたいです。」(8-9)

そして、彼女は「結婚するまで、私の純潔を守って良かった」と思います。なぜなら、夫の尊敬を得たからです。そして、彼女は自分のすべてを彼に与えられました。他の人に彼女の体を与えなかったからです。(10)

ソロモンのぶどう畑は大きすぎて、彼はそのぶどう畑を守る者に貸しました。そして彼らはそのぶどうのためにソロモンに払いました。

しかし、彼女のぶどう畑、つまり彼女の体は自分のもので、ソロモンに喜んで捧げました。彼は払う必要がなかったのです。彼女はただで自分自身を捧げました。

彼女が言ったのは「もし誰かに払いたいなら、今まで私たちの純潔を守ってくれた人に払ってください」ということです。(11-12)

この歌の最後で、ソロモンが彼女を呼び、彼女は答えます。「あなた、急いで行きましょう。」(14)

シングルの皆さん、あなたが自分の純潔を守るように祈ります。結婚するまで待って、将来の妻か夫だけに、あなたの心と体を捧げてください。

既婚者の皆さん、あなたの夫婦関係が封印されるように祈ります。いつまでも愛を持って互いに呼び、答え合う関係でいられますように。

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伴侶と時間を持つ事

この箇所では、ソロモンとその妻は一緒に時間を過ごしています。7:1-10では、ソロモンはもう一度、自分の妻とその美しさに対する喜びを表現します。そして、ソロモンは彼女に対する彼の性的な感情を言い表します。

ああ、慰めに満ちた愛よ。あなたはなんと美しく、快いことよ。あなたの背たけはなつめやしの木のよう、あなたの乳房はぶどうのふさのようだ。

私は言った。「なつめやしの木に登り、その枝をつかみたい。あなたの乳房はぶどうのふさのように、あなたの息はりんごのかおりのようであれ。あなたのことばは、良いぶどう酒のようだ。(雅歌7:6-9a)

おそらく、現代では私たちはそのような比喩を使いませんが、その意味は分かりやすいと思います。

そして、彼女は喜んで答えます。

私の愛に対して、なめらかに流れる。眠っている者のくちびるを流れる。(9b)

そして、彼女は夫の愛を浴びて、ため息をつきながらこう言います。

私は、私の愛する方のもの。あの方は私を恋い慕う。(10)

その後、彼女は一緒に外出することを勧めます。彼女の言葉を見ると、その望みがよく分かるでしょう。

私たちは朝早くからぶどう畑に行き、ぶどうの木が芽を出したか、花が咲いたか、ざくろの花が咲いたかどうかを見て、そこで私の愛をあなたにささげましょう。

恋なすびは、かおりを放ち、私たちの門のそばには、新しいのも、古いのも、すべて、最上の物があります。私の愛する方よ。これはあなたのためにたくわえたものです。(12-13)

恋なすびは植木で、催淫剤効果がありました。だから、彼女の意味は、「外出し、新しい場所に行って、一緒に寝ましょう。私は新しいことも準備したので、一緒に楽しみましょう。」ということです。

8章では、彼女は夫に対する愛を言い表し続けます。彼女は夫に対する欲求を示し続け、「兄と接するときのように、人前でも夫と公然と愛情を交わせたらいいのに」と言います。

そして、彼女は愛と結婚に関する母のアドバイスを思い出し、どれほど学んだかを母に示したいと考えています。

そして、2-4節では、もう一度彼女は夫に対する性的な感情を言い表しますが、同時にシングルの人たちに対して自分の純潔を守るように訓戒します。

この箇所から私たちは何を学ぶことができるでしょうか。一つ目は、結婚におけるセックスの重要性です。おそらく、妻たちは夫たちよりもその重要性を覚えておかなければなりません。

なぜなら、男性は身体的に、性的な親しさを望むようにデザインされているからです。

妻たち、もし知らないのであれば、教えて差し上げます。あなたの夫は、しばしばセックスについて考えます。

それぞれの妻は異なりますが、多くの場合、妻たちは夫ほど性的な親しさを望まないかもしれません。それでも、その時間を作ることは大切です。

また、この箇所の女性のように、妻がその時間を勧めることも重要です。さらに、その時間をより楽しめるように何か提案することも大切です。

なぜそれがそんなに大切なのでしょうか。

一つ目は、セックスが夫婦を結び付けるからです。

二つ目は、夫を性的に守るからです。もちろん、妻も性的に守りますが、特に夫を守ります。

パウロはこう書きました。

互いの権利を奪い取ってはいけません。ただし、祈りに専心するために、合意の上でしばらく離れていて、また再びいっしょになるというのならかまいません。あなたがたが自制力を欠くとき、サタンの誘惑にかからないためです。(第一コリント7:5)

また、彼は言います。

妻は自分のからだに関する権利を持ってはおらず、それは夫のものです。同様に夫も自分のからだについての権利を持ってはおらず、それは妻のものです。(第一コリント7:4)

ソロモンの妻はパウロの言葉をこのように言い直します。

私の愛する方は私のもの。私はあの方のもの。(雅歌2:16)

だから、良い結婚をするためには、夫婦は一緒にいる時間を定期的に取らなければなりません。セックスだけのためではなく、デートのためにも時間を取るべきです。

あなたはどうですか。そうした時間を取れていますか。

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まだ見とれている

この箇所を読むと、他のソロモンの言葉を思い出します。

あなたの泉を祝福されたものとし、あなたの若い時の妻と喜び楽しめ。愛らしい雌鹿、いとしいかもしかよ。その乳房がいつもあなたを酔わせ、いつも彼女の愛に夢中になれ。(箴言5:18-19)

この箇所では、ソロモンは自分の意見に従います。結婚して以来、時間が経ちましたが、ソロモンはまだ妻に見とれています。実は、以前よりも、彼は妻に見とれています。

妻に関して、以前言った比喩を使いますが、新しい比喩も使います。彼は彼女をティルツァとエルサレムという都市と比べます。

都市の美しさ全てを発見するために時間をかけて巡らなくてはならないように、妻(また、夫)の深さを発見するためには時間がかかります。それは一生のプロセスです。

ソロモンは妻に「あなたの目はまだ私をひきつける」と言います(雅歌6:5)。

私はその感じがよくわかります。私の妻の目にその愛を見る時、私も引きつけられます。

そして、ソロモンは彼女に「あなたは私の汚れのないものだ」と言います(9)。

時間が経つと、実は私たちは妻と夫が本当に完璧ではないと分かるようになります。しかし、愛の目は、その過ちを見逃します。それに、そのあなたの愛の目によって、相手の魂が今よりも美しくなります。

8節の言葉のため、ある学者は、ソロモンがすでに他の妻と側室がいると考えています。そうかもしれません。または、彼は仮定条件について考えているのかもしれません。

いずれにせよ、彼のポイントは、彼の人生にいる女性の中で、妻が一番大事だということです。

そして、ソロモンが仕事をしているとき、彼はすぐに妻のことを考え始め、なるべく早く家に帰りました。(11-12)

それは良い態度だと思います。もちろん仕事は大切ですし、その仕事を楽しむことができるなら、それは本当に良いことです。それでも、夫は仕事よりも妻を愛するべきです。夫が妻よりも仕事の方が好きなら、それは悪いことです。

もちろん、妻が仕事を夫よりも愛することも悪いことです。

あなたはどうですか。あなたはまだ、妻や夫に見とれていますか。それは理想だけではありません。そのような愛はただの夢ではありません。それは、もともとからあなたと伴侶のための神様の計画です。

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怒り、傷、和解

夫婦の関係はいつもスムーズにいくわけではありません。この罪によって壊れた世界では、夫婦が怒りや傷を経験するのは当たり前のことです。それでは、どのように反応すべきでしょうか。

この箇所から、そのことを学ぶことができます。

多くの聖書の解説者によれば、この箇所は夢を描写しています。しかし、結婚では、しばしば起こる状態や感情を描写しています。

おそらく、その夫は仕事や他の用事のために遅く帰りました。だから、彼女は怒って、彼が帰る前に寝てしまいました。そして、彼が帰ってきたとき、ドアの鍵がかかっていたので、彼は「開けて」と叫びます。

しかし、彼女はまだ怒って答えます。「もう寝ているよ。なぜあなたのために起きなければならないの。」

パウロは私たちに言います。

怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。悪魔に機会を与えないようにしなさい。(エペソ4:26-27)

たまには、私たちは妻や夫に怒ることがあります。私たちは無意識に相手を傷つけてしまうからです。

けれども、パウロは私たちに、怒っても罪を犯さないようにと言います。怒りや恨みを持ち続けてはいけません。そうすると、サタンに私たちの人生や結婚を壊す機会を与えてしまうからです。

ソロモンが遅く帰ってきたので、その妻は彼に恨みを持ちました。彼は頻繁に遅く帰ってきたかもしれません。または、その日だけ遅かったけれども、連絡をしていなかったのかもしれません。

いずれにせよ、彼が帰ってきても彼女はドアを開けてあげませんでした。

私たちは妻や夫を家に入れない経験はないかもしれませんが、どれほど私たちは自分の心を相手に対して閉ざすでしょうか。

また、もし相手が自分の心をあなたに対して閉ざした場合、どうしたら良いでしょうか。ソロモンは良い方法を私たちに示しています。彼は無理矢理に入ろうとしませんでした。むしろ、彼は彼の愛のしるしを残して去りました。

彼女はやっとドアを開けようと思ったとき、かんぬきの取っ手の上に没薬の液がありました。

その文化では、恋人はそのようにして、そこにいたことを示しました。現代では、それは花を贈るようなものです。(アメリカでは、謝る時に男性はしばしばそうしますが、日本では男性はどうするでしょうか。)

とにかく、時々、私たちは妻や夫に怒ってしまいます。時々、私たちはその怒りが正しいと思いますし、私たちの方が悪かったと思う時もあります。

けれども、サタンに私たちの結婚を壊す機会を与えたくないなら、相手の怒りに怒りで反応してはいけません。謝ってください。そして、あなたの愛を示してください。

彼女の夢では、彼女は彼の愛にもう一度感動しましたが、もう遅すぎました。彼はすでに去ってしまったので、彼女は彼を探しに行きました。

多分、自分の態度のために彼女は自分自身を責めてしまいました。だから、その夢では、巡回していた夜回りたちは彼女を打ちました。

他の人が彼女に「どうしてそんなに必死に彼を探しているのか」と尋ねたとき、彼女はソロモンについて好きなことを説明しました。

私たちが相手に怒っても、そのことについて考えるべきです。怒る時に、相手の欠点に焦点を合わせるのは簡単ですが、特に私たちが怒る時は、相手の良い点を覚えていた方が良いです。

彼女は彼の外見について話しますが、彼女は彼を恋人や友人としても描写します。私たちもそのことを覚えておくべきです。相手が私たちをがっかりさせるかもしれませんが、彼らはまだ私たちを愛しています。

彼女の友人が「では、私たちは彼を見つけるのを手伝うよ」と言ったとたんに、突然彼女は夢から目が覚めて、ソロモンが彼女の隣にいるのを見ました。彼は「ゆりの花の間で群れを飼っています」と言いました。(4:5と5:13を読んでください。)

彼女は自分の怒りをすぐに忘れて、こう言いました。

私は、私の愛する方のもの。私の愛する方は私のもの。(雅歌6:3)

結婚は自然に美しいものにはなりません。私たちは良い結婚のために努力しなくてはなりません。愛を育てなくてはなりません。ですから、自分の怒り、また相手の怒りを良い方法で処理しなくてはなりません。

あなたはどうですか。その怒りをどのように扱っていますか。

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結婚式

私の結婚式は2005年でした。今でも、その日をよく覚えています。

妻がどんなに美しく見えたかを覚えています。今でも、私の目には、彼女は美しいです。

3章では、ソロモンのリムジンが花嫁を迎えに行き、結婚式に連れて行きました。そして、ソロモンのシークレットサービスが彼女を守り、ソロモンのもとに連れて行きました。(もちろん冗談です。実際には、ソロモンは御輿と勇士たちを送ったのですが、大体同じ感じでしょう。)

花嫁が到着すると、彼女は素敵な結婚式の服を着たソロモンを見ます。

ソロモンも花嫁を見た時、見とれてしまいます。

ああ、わが愛する者。あなたはなんと美しいことよ。なんと美しいことよ。(雅歌4:1)

そして、彼は彼女について何が好きかを具体的に話します。つまり、彼女の目や歯、唇、頬、首、乳房について話します。彼がその言葉を言いながら、それぞれの部位を愛撫することを想像できます。

けれども、2章とは異なり、彼女は「明日、帰ってきてね」とは言わず、彼はこう言います。

そよ風が吹き始め、影が消え去るころまでに、私は没薬の山、乳香の丘に行こう。(4:6)

5節を読むと、その意味がよく分かると思います。とにかく、彼らは初めて一緒に寝る経験を楽しむ予定です。その後、ソロモンはこう言います。

わが愛する者よ。あなたのすべては美しく、あなたには何の汚れもない。(4:7)

これらは本当にエロチックな言葉です。実は、このことについて書くのは少し恥ずかしいのです。けれども、結婚の中では、そのような言葉を言うのは良いことです。

夫婦は、結婚式の10~20年後に、どれほどそのような言葉を言い続けるでしょうか。もし、彼らがそのような言葉を言い続けたら、本当に良いのではないでしょうか。

彼は彼女が自分のレバノンの実家を去り、彼と永遠に生き続けるように誘います。彼はこう言います。

私の妹、花嫁よ。あなたは私の心を奪った。あなたのただ一度のまなざしと、あなたの首飾りのただ一つの宝石で、私の心を奪ってしまった。私の妹、花嫁よ。

あなたの愛は、なんと麗しいことよ。あなたの愛は、ぶどう酒よりもはるかにまさり、あなたの香油のかおりは、すべての香料にもまさっている。(4:9-10)

私たちの文化では、妻を妹と呼ぶのは少し奇妙です。しかし、その文化では、「あなたは私の家族に入っている」という意味です。

そして、「フランスのキス」がフランスから来たと思うなら、4章11節を読んでください。ソロモンもそのようなキスを知っていました。:)

けれども、ソロモンが一番感謝していたことは、彼女が彼のために純潔を守ったことです。

結婚する前、彼女は「閉じられた庭、閉じられた源、封じられた泉」でした。

多くの男性たちはソロモンのように彼女を知りたがっていましたが、彼女は結婚するまで純潔を守りました。

しかし、今、彼女は自分の庭を開きます。彼女は自分の全身、心と体を彼に捧げます。彼女はこう言います。

北風よ、起きよ。南風よ、吹け。私の庭に吹き、そのかおりを漂わせておくれ。私の愛する方が庭に入り、その最上の実を食べることができるように。(4:16)

その時間の後、彼らが隣に寝ている間、ソロモンは嬉しくてこう言います。

私の妹、花嫁よ。私は、私の庭に入り、没薬と香料を集め、蜂の巣と蜂蜜を食べ、ぶどう酒と乳を飲む。(5:1a)

その時、誰かが話します。誰でしょうか。友達でしょうか。多分神様が話しておられるのでしょう。

友よ、食べよ。飲め。愛する人たちよ。大いに飲め。(5:1b)

それが結婚です。二人は愛し合いますが、結婚するまで純潔を守ります。そして、結婚してからは、ずっと互いに相手を楽しみ合います。神様はそのような結婚を祝福してくださいます。

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自分の操を守る事

私たちの世界では、清い人を見つけるのは難しいです。どれくらい夫と妻が結婚するまで、自分の純潔を守っているでしょうか。

私たちの文化は、私たちの清さに反対しているようです。テレビドラマや映画は、よく結婚前のセックスや不倫を描写します。また、インターネットによって、ポルノを見ることがより簡単になりました。

だから、多くの人々は、結婚する前にカップルが一緒に寝るのが当たり前だと思います。また、彼らは結婚する前に一緒に住むことも当たり前だと思います。けれども、神様がセックスを造られた時、それは神様の意図ではありませんでした。

神様はセックスを良いものであり、喜びをもたらすものとして造られましたが、それは既婚者だけのために設けられたものです。結婚の中で、セックスは美しいものです。セックスを通して、カップルは身体的に、感情的に、霊的に結ばれます。

その一方、結婚の外でのセックスは、しばしば心の痛みをもたらします。

この箇所では、私たちは本当に恋人に対する情熱を持っている女性を見ることができます。しかし、彼女は清さの重要性をよく理解していました。

彼らは結婚式の後に、一緒に寝て、抱きしめ合います。(雅歌2:3-7)

彼女は夫をリンゴの木に例えます。そして、私たちは彼女がその愛の関係について安心していることを見ることができます。

彼女は彼に抱かれることを、暑い日に木の下に座ってその「実」を食べるようなものだと言います。そして、彼女は彼の実をもっと食べたいと願います。

干しぶどうの菓子で私を力づけ、りんごで私を元気づけてください。私は愛に病んでいるのです。(2:5)

けれども、彼女はエルサレムのシングルの女性たちに、そして私たちにも警告します。

エルサレムの娘たち。私は、かもしかや野の雌鹿をさして、あなたがたに誓っていただきます。揺り起こしたり、かき立てたりしないでください。愛が目ざめたいと思うときまでは。(2:7)

つまり、愛とセックスは力強いものです。だから、まだ準備ができていない間に、そのパッションを起こすのは危険です。準備というのはどういう意味でしょうか。

それは、あなたが感情的に、また精神的に準備ができていることです。つまり、一生の関係にコミットできること、そしてそのコミットメントの意味を本当に理解していることです。

コミットメントは単なる一瞬の感情ではありません。コミットメントはその一瞬を超えてずっと続くものです。

多くの人々はそれを理解していないため、最終的に離婚してしまいます。また、一緒に寝ている人々は、しばしば結婚する前に別れてしまい、心の痛みを知ります。

この女性は、自分の結婚活動を思い出します。彼女の恋人は現れて、彼女を「デート」に誘いました。彼の言葉から、彼女への愛とパッションがよくわかります。(2:10-14)

けれども、彼もその関係を壊す罠をよく見ていました。彼はこう言いました。

『私たちのために、ぶどう畑を荒らす狐や小狐を捕らえておくれ。』私たちのぶどう畑は花盛りだから。」(2:15)

この場合、ぶどう畑は彼らの愛の関係を表しています。いろんな「キツネ」は私たちの関係を荒らすことができます。例えば、キスしたり、一緒に寝たりすることを急ぎ過ぎることです。

だから、その強いパッションの中で、彼女は彼に言います。

私の愛する方よ。そよ風が吹き始め、影が消え去るころまでに、あなたは帰って来て、険しい山々の上のかもしかや、若い鹿のようになってください。(2:17)

要するに、「一緒に寝る時間はまだ来ていない。帰ってきてね。また明日。」

それでも、彼女は自分の夢で彼を探しに行って、見つけると喜びました。(3:1-4)

しかし、彼女はもう一度私たちに警告します。

エルサレムの娘たち。私は、かもしかや野の雌鹿をさして、あなたがたに誓っていただきます。揺り起こしたり、かき立てたりしないでください。愛が目ざめたいと思うときまでは。(3:5)

セックスは美しいものとして造られました。神様が計画された通りに、私たちがセックスを楽しむならば、セックスには夫婦関係を強める力があります。

けれども、神様の計画に従わないなら、セックスは滅ぼす力もあります。あなたの関係を壊し、あなたを苦しませることになります。

あなたはどうですか?自分の純潔を守っているでしょうか。

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ラブソング

それでは、やっと最後の旧約聖書の書を始めます。興味深いのは、箴言の最後で、私は「男性というのは。。。」と[女性というのは。。。」という記事を書きました。

雅歌では、私たちは、神様が夫婦をどのようにデザインされたか学びます。

この歌では、ソロモンは自分の結婚活動や、結婚式や、結婚生活について歌います。(どの妻について歌ったか分かりません。これがソロモンの最初の妻だと思いたいんですけど。)

けれども、興味深いことは、この歌の大部分は、ソロモンの妻の視点から書いてあります。

この歌の最初では、結婚式のシーンみたいです。その花嫁の言葉から、私たちは彼女のソロモンに対する愛の炎が見えます。

あの方が私に口づけしてくださったらよいのに。あなたの愛はぶどう酒よりも快く、(雅歌1:2)

神様は私たちを性的な者として造られました。そして、その性的な関係は良いもの、そして楽しむべきものとして造られました。私たちは自分の伴侶のキスを喜ぶべきです。私たちは互いに喜び合うべきです。

しかし、ソロモンの体だけに彼女が引かれたわけではありませんでした。彼女は言いました。

あなたの香油のかおりはかぐわしく、あなたの名はそそがれる香油のよう。それで、おとめらはあなたを愛しています。(1:3)

彼女は彼の匂いを彼の名前と比べます。つまり、彼の評判の匂いは本当に素晴らしいものでした。彼は、忠実で誉れに値する人であり、彼を愛していた女性はたくさんいました。

だから男性たち、あなたが妻を求めているなら、自分の体だけを発展させないでください。自分の性格も発展させてください。あなたは彼女の尊敬に値するでしょうか?

5節では、私たちはソロモンの妻がどのように自分自身について考えるかを見ることができます。彼女は良いセルフイメージを持っています。彼女は自分について「私は美しい」と言うことができます。(5)

それでも、相手が彼女の見た目を批判して、彼女は傷ついたことがありました。その時代、日本のように白い皮膚は良いものと見なされました。けれども、彼女はずっとぶどう畑で働かなくてはならなかったので、彼女の皮膚は黒くなりました。

(彼女が「私は自分のぶどう畑を見張りませんでした」と言った時、実は自分の体について話していました。後で私たちは読みますが、彼女の体はその恋人のために「実」を結びます。)

残念なことですが、多くの女性たちは自分が美しいと思いません。彼女たちはテレビの俳優を見て「私はそんなに美しくない」と思い、落ち込んでしまいます。

しかし、神様があなたをそのように造られました。神様は決してミスをされることはありません。だから、神様の目にはあなたは美しいのです。

ソロモンの妻が初めてソロモンと付き合った時、彼女はそんな感情的な重荷を持っていました。彼女のお兄さんたちは彼女を拒絶し、彼女の人生を苦しくしてしまいました。その言葉を読む時、私は「彼女の両親はどれぐらい彼女を支えていただろうか」と思います。

けれども、この箇所では、愛がどうやって人の傷を癒すかを見ることができます。何度もソロモンは自分の彼女に対する愛を伝えます。つまり、彼の目には彼女が美しいと言いました。(1:9-10)

彼女が「私は別に美しくない」と言う時(シャロンのサフランと谷のゆりの花はただ普通の野草でした)、ソロモンは答えます。

わが愛する者が娘たちの間にいるのは、いばらの中のゆりの花のようだ。(2:2)

つまり、「あなたは自分がただのユリだと思うかもしれないけど、私にとっては他の女性たちは茨です。」

そして、彼の愛のために、彼女は自分の愛の言葉でためらわずに反応します。(1:4,16)

結婚の愛はそのようなものであるべきです。夫婦は互いに愛し合い、喜び合い、尊敬し合い、神様の癒しを与え合います。

あなたがそのような愛を知ることができますように。