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エレミヤ35ー

後戻り

年代順を守るために、私たちはエレミヤ書の中であっちこっち飛んでいましたが、今日はエレミヤ書の終わりです。

私は少し驚きました。なぜなら、すでに45章から52章までを読んでいたことを忘れていたからです。

実は、エレミヤ書にはもう一つ、エホヤキン王に関する短い記録があります。これがエレミヤについての最後の記述です。

さらに、エレミヤはおそらくエジプトで亡くなったとされているので、私は改めて驚きを覚えました。

43章によれば、エジプトに逃げたユダの人々は、エレミヤを無理やり自分たちと共に行かせました。

そして、ユダヤ人の伝承によると、エレミヤは石打ちにされて亡くなったとされています。

なぜ彼が殺されたのかは分かりませんが、その理由を44章に見ることができるかもしれません。

エレミヤがエジプトに着いたとき、彼はおそらく大きな衝撃を受けたことでしょう。

なぜなら、エルサレムの没落の際、ユダの人々が深く苦しんでいたにもかかわらず、彼らは悔い改めることなく偶像礼拝を続けていたからです。

つまり、彼らは「天の女王」(おそらくアシュトレトという神)を礼拝していたのです。

そこで神様はエレミヤを通してメッセージを伝えられました。

「あなたたちはエルサレムで私に背を向け、さまざまな神々を礼拝したので、エルサレムの没落を目の当たりにしました。

あなたたちは、私が憎むことを数々行いました。私があなたたちに警告したのに、あなたたちは聞き入れませんでした。だから、私は怒りをあなたたちに注ぎました。

あなたたちはそれを見たのに、なぜ自分の家族や友人を滅ぼす罪を犯し続けるのでしょうか。その罪によって、ここでもあなたたちは裁かれるのです。」(エレミヤ書44:1-14)

彼らはどう反応したでしょうか。

「一体何を言っているのですか。私たちが天の女王にいけにえを捧げていた間は、私たちの生活は順調でした。

けれども、そのいけにえをやめたために、私たちの生活はうまくいかなくなりました。だから、再びそのいけにえを捧げ始めたのです。」(エレミヤ書44:15-19)

このユダ人たちの記憶力はかなり悪かったようです。

私は正確には分かりませんが、おそらくヨシヤ王の治世にユダの人々はそのいけにえをやめました。その時、神様はユダ王国を大いに祝福されました。

しかし、ヨシヤが亡くなったあと、ユダの王たちとその民は再び偶像礼拝を始めました。神様は預言者たちを通して何度も警告されましたが、彼らはその警告を聞き入れなかったので、最終的に裁きが下りました。

とはいえ、どうして彼らが偶像を礼拝していたときにユダは時々繁栄を楽しめたのでしょうか。

それはその神々の恵みではなく、神様のあわれみでした。神様はユダ人が悔い改めるのをずっと待っておられましたが、その忍耐が尽きたとき、エルサレムは倒れたのです。(エレミヤ書44:」20-23)

そして神様は、彼らがその罪を犯し続けているので、エジプトでも彼らが裁かれると語られました。

私たちは何を学ぶことができるでしょうか。

時々、私たちはクリスチャンになる前の古い人生を思い返し、「良い時間」を思い出します。

私たちはその罪深い人生を振り返って、「そのときは良かった。本当に楽しい日々だった。その頃の人生に戻った方が良い」と考えるかもしれません。

けれども、私たちは二つのことを忘れています。

一つ目は、その「良い日々」は実際にはそれほど良くなかったということです。

なぜなら、私たちは自分の態度や行動によって家族や周囲の人々を傷つけ、その結果、人間関係は崩れてしまったからです。

さらに、自分の悪い選択によって自分自身をも傷つけていました。

二つ目は、そのとき私たちはすでに裁きの下にあったということです。

パウロは私たちについて、こう記しています。

「私たちは」生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。(エペソ3:2)

そして、もし私たちがその道を歩み続けていたなら、永遠に裁きの下に置かれていたでしょう。

その人生が楽しく思えたとしても、結局、私たちはその罪のゆえに裁かれました。

ユダの人々はそれを忘れ、罪に戻ったので、彼らは裁かれました。

もし私たちが罪に戻るなら、私たちも滅びることになるでしょう。

だからこそ、私たちは古い罪深い人生に戻らないようにすべきです。むしろ、神様が与えてくださった新しい人生を受け入れましょう。

そうすることで、私たちは真に満ち足りた人生を知ることができるのです。

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エレミヤ35ー

良くても、悪くても

正直に言うと、時々私たちは神様の言葉を好ましく思わないことがあります。つまり、私たちは神様に求められたことをしたくないのです。そのようなとき、神様の言葉を無視し、自分の欲望に集中し、自分の道を行くのは簡単なことです。

この箇所で、ユダ人たちはそうしました。

ゲダルヤが殺害された後、イシュマエルと彼を助けた人々はアモン人のところへ逃げました。なぜなら、アモンの王がイシュマエルをゲダルヤを殺害するために送り込んだからです。

けれども、ユダの将校たちヨハナンとイザヌヤは他の将校たちと共にイシュマエルと戦いました。イシュマエルと8人の仲間は逃げましたが、その将校たちはイシュマエルの虜を解放しました。

その後、ヨハナンとイザヌヤは少し迷いました。彼らはネブカデネザルがゲダルヤの死の責任を追及するのではないかと恐れたため、エジプトに逃げようとしました。

しかし、逃げる前に、彼らはエレミヤに相談しました。

あなたの神、【主】が、私たちの歩むべき道と、なすべきことを私たちに告げてくださいますように。。。

それが良くても悪くても、私たちは、あなたを遣わされた私たちの神、【主】の御声に聞き従います。私たちの神、【主】の御声に聞き従って幸せを得るためです。(エレミヤ書42:3、6)

ところが、おそらく彼らは本当に神様の御心を求めていたわけではありませんでした。むしろ、彼らは神様が自分たちの計画を祝福してくださるように望んでいたのです。

だから、彼らはエレミヤが「神様は、あなたたちがエジプトに行くことを望んでおられる」と言うことを予想して、その準備を始めていたのかもしれません。

けれども、エレミヤは反対のことを語りました。

あなたがたは自分たちのために嘆願してもらおうと私を主に遣わしたが、そのイスラエルの神、【主】はこう言われる。

『もし、あなたがたがこの地にとどまるのであれば、わたしはあなたがたを建て直して、壊すことなく、あなたがたを植えて、引き抜くことはない。わたしは、あなたがたに下したあのわざわいを悔やんでいるからだ。

あなたがたが恐れているバビロンの王を恐れるな。彼を恐れるな──【主】のことば──。わたしがあなたがたとともにいて、彼の手からあなたがたを救い、助け出すからだ。

わたしがあなたがたにあわれみを施すので、彼はあなたがたをあわれんで、あなたがたを自分たちの土地に帰らせる。』(エレミヤ書42:9-12)

しかし、エレミヤは彼らに警告しました。

もし、あなたがたがエジプトに行こうと決意し、そこに行って寄留するなら、あなたがたの恐れている剣が、あのエジプトの地であなたがたを襲い、あなたがたの心配している飢饉が、あのエジプトであなたがたに追い迫り、あなたがたはそこで死ぬ。

エジプトに行ってそこに寄留しようと決意した者たちはみな、そこで剣と飢饉と疫病で死ぬ。わたしが彼らに下すわざわいから、生き残る者も逃れる者もいない。(エレミヤ書42:13,15-17)

そして、エレミヤは彼らに言いました。

あなたがたは、自分たちのいのちの危険を冒して迷い出てしまったからだ。

あなたがたは私をあなたがたの神、【主】のもとに遣わして、『私たちのために、私たちの神、【主】に祈り、すべて私たちの神、【主】の言われるとおりに、私たちに告げてください。私たちはそれを行います』と言ったのだ。

私は今日、あなたがたに告げたが、あなたがたは、自分たちの神、【主】の御声を、すなわち、主がそのために私をあなたがたに遣わされたすべてのことを聞こうとしなかった。(42:20-21)

「あなたがたは、自分たちのいのちの危険を冒して迷い出てしまった。」

なぜでしょうか。それは、彼らが本当に神様を信頼していなかったからです。彼らは神様を求めるふりをしていましたが、心から神様を求めてはいませんでした。

ある英語の聖書では、この言葉を次のように翻訳しています。

「あなたは偽善者です。なぜなら、あなたは私に相談したけれど、自分が聞きたいことだけを受け入れるからです。」

彼らは、神様の言葉に従うことを約束しました。その言葉が良くても悪くても、従うと約束しました。けれども、彼らはその約束を破り、エジプトに逃げました。

あなたはどうでしょうか。神様のアドバイスを求めるとき、偽善的な心を持ってはいないでしょうか。

あなたが「あなたが言うことに従います」と祈るとき、その本当の意味は「もし、あなたの言葉が私がしたいことに合うなら、私は従います」という意味になっていないでしょうか。

時々、私たちにとって神様の言葉が良いと思えることがあります。そのとき、神様に従うことは簡単です。しかし、神様の言葉が気に入らないときはどうでしょうか。

例えば、神様があなたに「安定した仕事を辞めなさい」と語られたら、あなたはどうするでしょう。

また、神様が「ノンクリスチャンの彼や彼女と別れなさい」と語られたら、あなたはどうするでしょう。

神様は私たちの最善を望んでおられます。あなたはそのことを認識し、神様を信頼して従うことができるでしょうか。

あなたはどうするでしょうか。

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エレミヤ35ー 列王記第二

赤ランプを無視する

エルサレムの没落の後、ネブカデネザルは、ゲダルヤという人物を、ユダの地に残された民の総督として任命しました。

ゲダルヤは良い人だったと思われます。彼がユダ人の恐れを抑えることができたため、多くの人々は周辺の国々からエルサレムに戻りました。

とはいえ、ゲダルヤは世間知らずでした。彼はダビデの子孫イシュマエルが彼を殺そうとしているという話を聞きましたが、それを信じず、自分自身を守るために何もしませんでした。

その結果、最終的にゲダルヤは殺害され、彼の良い働きはすべて無駄になりました。つまり、エルサレムに戻ったユダ人たちは、バビロン人の復讐を恐れ、エジプトに逃げました。

私たちは、この出来事から何を学ぶことができるでしょうか。たとえ私たちに善意があり、良いことを行っていたとしても、「赤ランプ」を無視してしまうと、私たちが達成したことは無駄になる可能性があります。

私の牧師は、日曜日のメッセージで何度も自分の経験をシェアしてくれました。

彼は若い頃、別の教会で副牧師として仕えていました。

しかし、働きすぎたために家族は次第に壊れていきました。妻はストレスから胃潰瘍を患い、息子は顔にチック症を発症しました。

それにもかかわらず、彼は教会のために多くの良い働きをしていたため、家族のことを長い間顧みませんでした。

このままその道を進み続けていたら、彼は家族とミニストリーの両方を失ったかもしれません。

最終的に、彼は教会の仕事を一時休み、神様を求めました。そのとき、神様が彼の心に語りかけ、彼は自分が別の道を進むべきであると悟るようになりました。

現在、神様は彼のミニストリーと家族を祝福してくださっています。彼が私たちの牧師であり、教会の皆も祝福されています。

あなたも多くの良いことを行っているかもしれませんが、あなたが気づいていない「赤ランプ」はないでしょうか。あなたの人生には?あなたの家族には?あなたの家計には?あなたのミニストリーには?

その「赤ランプ」を無視してしまうと、すべてを失うかもしれません。

ゲダルヤのようにならないように、私たちは「赤ランプ」に注意を払い、神様の導きに従い、神様が備えてくださった道を進みましょう。

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エレミヤ35ー

あなたは私に信頼するから

このブログでは、私は可能な限り、聖書の出来事を年代順に読んでいます。私にとって、そのような読み方は非常に興味深いです。なぜなら、それまで気づいていなかったことに気づくことができたからです。

例えば、この箇所では、ネブカデネザルはエレミヤに関して次のように命じました。

彼を連れ出し、目をかけてやれ。何も悪いことをするな。ただ、彼があなたに語るとおりに、彼にせよ。(エレミヤ書39:12)

どうしてネブカデネザルはエレミヤに親切にしたのでしょうか。

40章によれば、ネブカデネザルはエレミヤの預言を知っていたからです。つまり、ユダの罪のゆえに、神様がユダをネブカデネザルの手に渡すと預言していたからです。

けれども、どうしてネブカデネザルはその預言を知っていたのでしょうか。

おそらく、エホヤキン王と他のユダ人たちが追放された際に、ネブカデネザルは彼らからその預言を知ったのかもしれません。

しかし、誰がネブカデネザルにその預言について話したのでしょうか。また、なぜネブカデネザルはその預言を信じたのでしょうか。

私は分かりませんが、多分ダニエルがネブカデネザルにその預言について話したのではないかと思います。なぜなら、ネブカデネザルはダニエルを尊敬していたからです。ダニエルは「呪法師の長」でした。(ダニエル4:9)

彼はネブカデネザルに仕えました。また、ダニエルはエレミヤの預言をよく知っていました。(ダニエル9章)

それゆえ、ダニエルはエルサレムが滅びそうだと聞いたとき、おそらく彼はネブカデネザルにこう言ったのかもしれません。

「王様、エルサレムにはエレミヤという預言者がいます。私たちは同じ神に仕えています。また、彼はユダの没落を預言しました。ですから、彼を守ってください。」

もちろん、これは私の想像に過ぎませんが、正しいかもしれないと思います。

いずれにせよ、ネブカデネザルはエレミヤを守りました。

ヨシヤ王が亡くなった後、エレミヤはずっと苦しんでいました。それでも、彼が神様に信頼したため、ユダが滅び、そのリーダーたちが追放され、あるいは殺された時も、エレミヤは救われました。

エベデ・メレクという人も救われました。以前、エレミヤが穴に投げ込まれた時、エベデ・メレクはゼデキヤ王のもとに行き、エレミヤの解放を頼みました。

そのため、神様はエベデ・メレクにこう言われました。

イスラエルの神、万軍の主は、こう仰せられる。見よ。わたしはこの町にわたしのことばを実現する。幸いのためではなく、わざわいのためだ。それらは、その日、あなたの前で起こる。

しかしその日、わたしはあなたを救い出す。――主の御告げ――

あなたはあなたが恐れている者たちの手に渡されることはない。わたしは必ずあなたを助け出す。

あなたは剣に倒れず、あなたのいのちはあなたの分捕り物としてあなたのものになる。それは、あなたがわたしに信頼したからだ。――主の御告げ――(39:16-18)

神様はその約束を守られました。エルサレムが滅びた時、神様は彼を守られました。

「あなたが私に信頼したからだ。」

その言葉は私の心に響いています。私たちが神様に信頼すると、周りの人々が裁かれても、私たちは救われます。私たちは神様の恵みとあわれみを受けます。

ただ、神様に信頼するからといって、私たちが決して苦しまないというわけではありません。エレミヤは多くの苦しみを経験しましたし、多くの人々も自分の信仰のために苦しみました。

しかし、彼らが死んだ後、最終的に休息と報いを受けました。

この世では私たちが救いを受けられないかもしれません。イエス様に従うことによって、私たちは苦しむことがあるかもしれません。けれども信仰はこう言います。

「私の救いは今は見えないけれど、最終的にその救いが来ると信じます。」

エレミヤはそのような信仰を持っていました。エベデ・メレクもそのような信仰を持っていました。私たちにもそのような信仰が必要です。

へブル人への手紙の著者はこう書いています。

信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。

神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。(へブル書11:6)

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エレミヤ35ー 列王記第二 歴代誌第二

没落の理由

この箇所は少し特別です。つまり、同じ出来事が聖書の4つの箇所に記されています。それはエルサレムの没落です。

おそらく、エレミヤは52章を書いたわけではありません。それは別の人が記した付録のようです。エレミヤ書52章と列王記の記述はほとんど同じです。

ゼデキヤ王は神様の御名によって、バビロンのしもべになることを誓いました。けれども、彼がその約束を破ったため、ネブカデネザルが軍隊を送ってエルサレムをおよそ2年にわたり包囲しました。

その結果、エルサレムの食料は徐々になくなり、最終的にエルサレムは陥落しました。

ゼデキヤは逃げようとしましたが、捕らえられました。彼の息子たちは殺され、その後、彼の目がつぶされました。

そしてネブカデネザルは大祭司、次席祭司、そしてユダの長老たちを殺しました。

バビロン人は主の宮から価値のあるものをすべて取り去り、宮、宮殿、エルサレムの家々をすべて焼きました。

なぜ、神様はそのようなことを許されたのでしょうか。

歴代誌第二には、その理由が記されています。

彼「ゼデキヤ」はその神、主の目の前に悪を行ない、主のことばを告げた預言者エレミヤの前にへりくだらなかった。。。

そのうえ、祭司長全員と民も、異邦の民の、忌みきらうべきすべてのならわしをまねて、不信に不信を重ね、主がエルサレムで聖別された主の宮を汚した。

彼らの父祖の神、主は、彼らのもとに、使者たちを遣わし、早くからしきりに使いを遣わされた。それは、ご自分の民と、ご自分の御住まいをあわれまれたからである。

ところが、彼らは神の使者たちを笑いものにし、そのみことばを侮り、その預言者たちをばかにしたので、ついに、主の激しい憤りが、その民に対して積み重ねられ、もはや、いやされることがないまでになった。(歴代誌第二36:12-16)

私たちは何を学ぶことができるでしょうか。なぜエルサレムは滅びたのでしょうか。

一つ目の理由は、ゼデキヤ王とその民が主の目の前で悪を行ったことです。私たちが悪を行えば、私たちの人生にも悪い結果が起こります。

二つ目の理由は、彼らが神様の言葉を聞いたとき、へりくだって悔い改めなかったことです。むしろ、彼らの心はさらに堅くなり、ますます悪化しました。

三つ目の理由は、彼らが周囲の国々の宗教的な忌み嫌われるならわしを真似して、神様の宮を汚したことです。

最後の理由は、彼らが神様の言葉を侮り、神様の預言者たちを嘲笑したことです。その結果、彼らの癒しはもはや不可能なものとなりました。

時に、私たちの心もあまりにも堅くなり、悔い改めることができなくなることがあります。しかし、悔い改めなければ、癒しも得られません。

あなたはどうでしょうか。どの道を進んでいますか。あなたは悔い改めることなく罪を犯し続けていますか。もし神様が聖書や日曜日のメッセージを通してあなたを責められたとき、あなたはその言葉に心を閉ざしてしまうでしょうか。

周りの人々の宗教的な習慣や教えに従って、聖霊の宮、つまりあなたの体を汚してしまっていませんか。(第一コリント6:19)

また、この世の神々、すなわちお金やセックス、持ち物を求めていませんか。それらも聖霊の宮を汚すことがあります。

さらに、あなたは神様の言葉を侮り、神様の使者を嘲笑してはいませんか。

これらのことによってエルサレムは滅びました。そして、これらのことによってあなたも倒れるでしょう。

もしあなたが真のクリスチャンであれば、救いを失うことはありませんが、人生は崩壊してしまいます。

神様はあなたに良い計画を用意されていますが、あなたはその計画を知ることができません。充実した人生ではなく、後悔に満ちた人生を送ることになるでしょう。

私たちはイスラエルのようにならないようにしましょう。むしろ、神様に対して柔らかい心を保ちましょう。そうすることで、真の命を見つけることができます。

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エレミヤ35ー

無駄な希望

ゼデキヤは私が理解しがたい人物です。彼はユダの最後の良い王、ヨシヤの息子でした。だから、ゼデキヤには良いロールモデルがありました。

さらに、彼は兄弟エホアハズ、エホヤキム、そして甥エホヤキンの失敗を目の当たりにしました。

それでも、ゼデキヤはヨシヤの道を歩まず、兄弟たちと甥の道を選び、神様に背きました。

とはいえ、ある程度、彼はエレミヤを尊敬していました。そのため、何度もエレミヤに相談しました。けれども、首長たちはエルサレムに対する裁きの預言に飽き、彼らはエレミヤに言いました。

「あなたはカルデヤ人のところへ落ちのびるのか。」(エレミヤ書37:13)

エレミヤはそのことを否定しましたが、彼らはエレミヤを捕らえ、打ちたたいて牢に入れました。ゼデキヤはそのことを聞いても、何もしませんでした。

それでも、彼はエレミヤに相談し続けました。その後、首長たちはエレミヤについて文句を言い続けたので、ゼデキヤは彼らに言いました。

今、彼はあなたがたの手の中にある。王は、あなたがたに逆らっては何もできない。(エレミヤ書38:5)

だから、彼らはエレミヤを穴に投げ込み、エレミヤは泥の中に沈みました。

幸いなことに、勇気のある人がゼデキヤに面と向かって訴えたため、ゼデキヤはエレミヤを監視の庭に連れて行きました。

ゼデキヤは本当に弱い人でした。

私が知りたいのは、どうしてゼデキヤが何度もエレミヤに相談したのかということです。彼は決してエレミヤの言葉に従いませんでした。エレミヤ37:2には、こう書いてあります。

彼も(つまり、ゼデキヤ)、その家来たちも、一般の民衆も、預言者エレミヤによって語られた主のことばに聞き従わなかった。

私には分かりませんが、ゼデキヤは神様のご意志が変わることを望んでいたのかもしれません。

彼は自分の道を歩み続けたいと思っていたので、彼の願いは、神様が彼を救い、なおその道を歩み続けることを許してくださる、というものでした。

けれども、それは無駄な希望でした。

もちろん、時には、裁きに関して神様のご意志が変わることがあります。

しかし、エレミヤ18章に書かれているように、一つの条件があります。それは悔い改めです。

ゼデキヤは決して悔い改めませんでした。むしろ、彼は言い訳をしました。

エレミヤは彼に言いました。「バビロン人に降伏しなさい。そうすれば、あなたは生きる。」

けれども、ゼデキヤは答えました。

私は、カルデヤ人(バビロン人)に投降したユダヤ人たちを恐れる。カルデヤ人が私を彼らの手に渡し、彼らが私をなぶりものにするかもしれない。(エレミヤ書38:19)

エレミヤは説得しようとしましたが、ゼデキヤはその言葉を受け入れられませんでした。

あなたはどうでしょうか。罪にしがみついたまま、「全てがなんとなく良くなる」と希望していませんか。

神様があなたを裁かず、憐れみを示してくださることを願いながら、自分の道を行き続けていませんか。

それは無駄な希望です。罪にしがみつき、自分の道を行き続けるなら、裁きが来ます。悔い改めなければ、裁きは必ず訪れます。

しかし、もし悔い改めるなら、神様はあなたを赦し、癒してくださいます。

それでも、この世では罪の結果を受けることがあるかもしれません。けれども、神様はあなたを確かに赦してくださり、癒しの働きを始めてくださいます。

あなたはどう選びますか。

無駄な希望を持ち続けますか。

それとも、悔い改めから生まれる希望を求めますか。

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エレミヤ35ー

服従からの祝福

多くの場合、私たちは神様の言葉を知っていても、その言葉に従いません。

なぜなら、「楽しいこと」をしたいと思うからです。また、神様の道を歩まずに、自分の道を行けば幸せになれると考えるからです。

ユダの人々もそう考えました。しかし、この箇所では、神様は服従から来る祝福について教えられます。

神様はエレミヤに、ある家族を主の宮に連れて行くよう命じられました。彼らはレカブという人の子孫でした。

他のユダの人々は、この家族を見て少し不思議な家族だと思っていました。なぜなら、ユダの人々は自分の家を建てていたのに対し、レカブ人たちは今でもテントに住んでいたからです。また、彼らは全くお酒を飲まなかったからです。

その家族は宮に行き、ハナンという人の息子たちが住んでいる部屋に入りました。そこで、エレミヤは彼らにお酒を差し出しましたが、彼らはこう言いました。

「私たちはぶどう酒を飲みません。それは、私たちの先祖レカブの子ヨナダブが私たちに命じて、『あなたがたも、あなたがたの子らも、永久にぶどう酒を飲んではならない。

あなたがたは家を建てたり、種を蒔いたり、ぶどう畑を作ったり、また所有したりしてはならない。

あなたがたが寄留している地の面に末長く生きるために、一生、天幕に住め』と言ったからです。

それで、私たちは、私たちの先祖レカブの子ヨナダブが私たちに命じたすべての命令に聞き従い、私たちも、妻も、息子、娘たちも、一生、ぶどう酒を飲まず、住む家も建てず、ぶどう畑も、畑も、種も持ちません。

私たちは天幕に住み、すべて先祖ヨナダブが私たちに命じたとおりに、聞いて行なってきました。(エレミヤ書35:6-10)

ネブカデネザル王がユダを攻撃し、その家族が自分の土地を離れてエルサレムに逃れなければならなくなったとしても、彼らはヨナダブの命令に忠実に従い続けました。

そのため、神様はこう語られました。

イスラエルの神、万軍の主は、こう仰せられる。行って、ユダの人とエルサレムの住民に言え。

『あなたがたはわたしのことばを聞いて懲らしめを受けようとしないのか。――主の御告げ――レカブの子ヨナダブが、酒を飲むなと子らに命じた命令は守られた。彼らは先祖の命令に聞き従ったので、今日まで飲まなかった。

ところが、わたしがあなたがたにたびたび語っても、あなたがたはわたしに聞かなかった。(13-14)

つまり、「ヨナダブはただの人間であるにもかかわらず、その子孫たちは彼の言葉に従い続けています。私はあなたがたの神です。それなのに、あなたがたは私の言葉に従いません。なぜ、私の言葉に従わないのですか。」

そして、神様はレカブ人たちにこう語られました。

エレミヤはレカブ人の家の者に言った。「イスラエルの神、万軍の主は、こう仰せられる。

『あなたがたは、先祖ヨナダブの命令に聞き従い、そのすべての命令を守り、すべて彼があなたがたに命じたとおりに行なった。』

それゆえ、イスラエルの神、万軍の主は、こう仰せられる。

『レカブの子、ヨナダブには、いつも、わたしの前に立つ人が絶えることはない。』」(18-19)

レカブ人たちはその先祖と神様に忠実であったため、ユダが裁きを受けた時も、神様は彼らを祝福されました。

あなたはどうでしょうか。神様に従うことで祝福されると信じていますか。

私は以前言ったように、神様に従うことで、あなたの人生が必ずしも楽になるわけではないかもしれません。しかし、神様に従うなら、どんな試練の中にあっても、喜びと満足を見いだすことができます。