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詩篇のデボーション

神様がだれであるからこそ

私の口のことばと私の心の思いとが
御前に受け入れられますように。
【主】よわが岩わが贖い主よ。(詩篇19:14)

その言葉は、私にとって馴染み深いものです。私は何度もその言葉を読み、歌ってきました。 けれども今日、その最初の一部を思い巡らしました。

私にとって、神様はだれでしょうか。

神様は「ヤハウェ」です。つまり、神様は永遠の方です。 ただひとりの神であり、他の神々に勝る偉大な方、創造のすべての主です。

それでも、神様は私から遠く離れている方ではありません。 神様はインマヌエルであり、私たちとともにおられる神です。 私の岩。私の基盤。嵐の中の私の砦です。

さらに、神様は私のあがない主です。 イエス様は十字架で血潮を流し、サタンの国の奴隷生活から私を救い出し、 ご自身のご支配の中に移してくださいました。

だからこそ、私は神様を愛し、喜ばせたいと願います。

そのような心をもって、私は今日、ダビデとともに歌います。

私の口のことばと私の心の思いとが
御前に受け入れられますように。

あなたにとって、神様はどのような方でしょうか。

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ルツ記のデボーション

あがなわれた

どうか、主が、あなたの家に嫁ぐ人を、イスラエルの家を建てたラケルとレアの二人のようにされますように。。。

どうか、主がこの娘を通してあなたに授ける子孫によって、タマルがユダに産んだペレツの家のように、あなたの家がなりますように。(ルツ記4:11~12)

今日、ラケル、レア、タマルの物語を思い巡らせていました。彼女たちの人生は、それぞれのかたちで壊れたものでした。(創世記29~30章、38章)

それでも、最終的に彼女たちは、その壊れた人生のゆえにではなく、祝福された女性としてユダヤ人たちに思い出されました。

ルツの人生もまた、壊れたものでした。しかし今、彼女は祝福された人として記憶されています。

さらに、神様はこの4人の女性たちを通して、私たちのあがない主であるイエス様をこの世に送られました。彼女たちの名前はイエス様の系図に記録されているのです。

だから、神様は私に思い起こさせてくださいました。 「あなたは、人生の壊れたところによって定義されているのではありません。私はあなたをあがなって、今や、あなたは祝福されているのです。」

I was nothing before you found me.
あなたが私を見つけてくださる前、私は取るに足りない者でした。
You have given life to me.
あなたは私にいのちを与えてくださいました。

Heartache, broken pieces,
悩み、砕けた心。
Ruined lives were why you died on Calvary.
滅びた人生のゆえに、あなたはカルバリで死んでくださいました。

Your touch was what I longed for.
私が憧れていたのは、あなたの癒しの御手でした。
You have given life to me.
あなたは私にいのちを与えてくださいました。ーービルとグロリア・ゲイザー

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ルツ記のデボーション

安息を得るために

姑のナオミは彼女に言った。「娘よ。あなたが幸せになるために、身の落ち着き所を私が探してあげなければなりません。」(ルツ記3:1)

今日、神様の安息について思いを巡らせていました。

ルツは、ある意味で安息を見つけました。ナオミ、そして特にボアズに信頼を寄せることで、身の落ち着き所となる安息を得たのです。

もしボアズがそれほど善良な人でなければ、その夜、ルツは本当に困っていたことでしょう。

しかし、彼女はボアズが善良な人であることを信じていたので、やがて安息を見出すことができました。

ルツの態度とは対照的に、士師の時代のイスラエルの民は神様に信頼を寄せることを拒み、何度も安息を失いました(士師記1:18~19、2:11~12、3:30~4:2、5:31~6:2)。

ところで、聖書では、「買い戻し」と訳される語は(ルツ3:9)、神様に当てはめるとき、「あがない」と訳されます。

つまり、ルツは自分の「あがない主」であるボアズを信頼しましたが、イスラエルの民は自分の「あがない主」である神を信頼しなかったのです。

今、私は安息を失った人々のことを考えています。彼らが安息を失ったのは、あがない主が良い神であることを信じなくなったからです。

私はその模範に倣いたくありません。

ルツのように、私は自分のあがない主が良い方であり、その約束が確かであることを信じる道を選びます。

すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。(マタイ11:28)

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ルツ記

あがない主

ボアズとルツの関係を通して、私たちはキリストがどのように私たちをあがなってくださるかを知ることができます。それは本当に美しい絵です。

ルツは貧しく、何も持っていませんでしたが、ボアズに近づき、結婚していただけるようにお願いしました。ルツはこう言いました。

あなたのおおいを広げて、このはしためをおおってください。あなたは買い戻しの権利のある親類ですから。(ルツ記3:9)

私たちにとっては、それは少し変わったプロポーズの方法に見えるかもしれませんが、その文化ではそれが普通でした。

今でも、ユダヤ人の結婚式では、花婿が自分のタリス(祈りのためのショール)で花嫁を覆います。その意味は、「私はあなたを世話します」ということを表しています。

ですから、ルツが言ったのは、「私を世話してください。私の夫になってください」ということでした。

しかし、問題がありました。他の親族にはルツと結婚する権利がありました。

この習慣も、私たちにとっては少し変わっているように思えるかもしれませんが、その時代には一般的なものでした。

当時、ある男性が息子を残さずに亡くなった場合、その男性の女性の親族(普通はその男性の妻ですが、この場合はその義理の娘)は他の親族と結婚し、その子供によって亡くなった男性の名前が引き継がれ、その子供がその男性の遺産を継ぐことができました。

ルツの場合、ボアズにはその権利がありましたが、別の親族にはさらに強い権利がありました。

幸いにも、その親族はルツとの結婚を拒否しました。おそらく彼はすでに結婚していたのかもしれません。

その結果、ボアズはルツと結婚する権利を買い取り、その家族の遺産を管理する権利も得ました。

こうして、ルツはもはや貧しく希望がない女性ではなくなりました。今では、裕福で、ルツを愛している夫を持ち、将来と希望を持つことができました。

ルツとボアズが結婚した後、息子が生まれました。その息子オベデには、エッサイという息子が生まれ、エッサイにはダビデという息子が生まれました。

ダビデはイスラエルの王となり、そして、ダビデの家系を通して、私たちの最大のあがない主であるイエス様が来られました。

今、私たちはルツがボアズに近づいたように、何も持たずにイエス様に近づきます。私たちはただ自分自身を捧げることができるだけです。私たちはイエス様の愛と守りを求めるしかできません。

イエス様はそのようにしてくださり、私たちのために代価を払ってくださいました。十字架で、私たちの罪のために死に、ご自身の血を流してくださったのです。その血によって、私たちの罪は洗われました。

そして、その関係とイエス様の愛によって、私たちは将来と希望を持つことができます。

エペソ人への手紙2:12ー13で、こう書かれています。

そのころのあなたがたは、キリストから離れ。。。この世にあって望みもなく、神もない人たちでした。

しかし、以前は遠く離れていたあなたがたも、今ではキリスト・イエスの中にあることにより、キリストの血によって近い者とされたのです。