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ヘブル人への手紙

なぜ、これほど多くの血が必要だったのか

最近の記事で取り上げた重要な概念は、「写し」と「影」です。

つまり、子牛や雄やぎの生贄は、十字架におけるイエス様の究極のいけにえを予表していたのです。

けれども、そもそもなぜ生贄が必要だったのでしょうか。

神様は、いけにえを求めずとも、私たちを赦すことができなかったのでしょうか。他に方法はなかったのでしょうか。

この問いに向き合うために、イエス様のゲッセマネでの祈りに目を向けてみましょう。イエス様は、こう祈られました。

わが父よ、できることなら、この杯(つまり、十字架)をわたしから過ぎ去らせてください。(マタイ26:39)

他に方法があれば、神様はその道を選ばれたはずです。けれども、私たちの罪を赦すために、神様は生贄を求められました。

この手紙の著者は、こう述べています。

血を流すことがなければ、罪の赦しはありません。(へブル人への手紙9:22)

その真理の種は、旧約聖書の律法の中に見ることができます。神様は、こう語られました。

実に、肉のいのちは血の中にある。わたしは、祭壇の上であなたがたのたましいのために宥めを行うよう、これをあなたがたに与えた。いのちとして宥めを行うのは血である。(レビ記17:11)

言い換えるなら、血はいのちの象徴です。そして、人のいのちが救われるためには、その代わりとして別のいのちが差し出されなければなりません。

旧約聖書の時代には、子牛や雄やぎ、羊のいのちが、イスラエルの民の身代わりとして捧げられました。けれども、以前の記事でも触れたように、それらの生贄は完全なものではありませんでした。なぜでしょうか。

第一の理由は、人間のいのちの価値が、動物のいのちの価値よりも高いからです。

第二の理由は、その動物たちが、自らの意志で人間の罪のために死んだのではないからです。

その一方で、イエス様は人間であると同時に、神でおられるお方です。だからこそ、イエス様のいのちは、私たちの罪を完全に償うことができました。

さらに、前回の記事で見たように、イエス様は自ら進んでご自身の命を差し出されたのです。そしてイエス様は、天の父に向かってこう祈られました。

今、わたしはあなたのみこころを行うために来ました。(へブル人への手紙10:9)

なぜ私たちが、イエス様の血によって贖われなければならないのか――この手紙の著者は、それを説明するために、さらに二つの描写を用いて語っています。

彼はこう述べています。

キリストは新しい契約の仲介者です。それは、初めの契約のときの違反から贖い出すための死が実現して、召された者たちが、約束された永遠の資産を受け継ぐためです。(9:15)

この描写によれば、私たちはかつて罪の奴隷でした。けれども、十字架において、イエス様はご自身の血によって、私たちを贖い出してくださいました。

イエス様は私たちを暗闇の力から救い出し、ご自身のご支配の中に移してくださったのです(コロサイ 1:13)。

さらにこの手紙の著者は、神様との新しい契約を「遺言」にたとえています。遺言が効力を発するためには、それを作成した者が死ななければなりません。

同じように、神様との新しい契約を有効にするために、イエス様は死ななくてはなりませんでした。

この箇所の要点は、私たちが永遠の命を受けるために、イエス様の死が不可欠だったということです。イエス様がその道を選ばれたことによって、聖霊様はイエス様を信じる人々のうちに住まわれ、彼らの心を新しくしてくださいます。

聖霊様は神様の律法を彼らの心に置き、その思いに書き記されるのです(10:16)。

その結果、彼らは自然と神様を喜ばせる者へと変えられていきます。そして神様は、彼らの実について、こう語られます。

わたしは、もはや彼らの罪と不法を思い起こさない(10:17)

だから、この手紙の著者は、こう語っています。

罪と不法が赦されるところでは、もう罪のきよめのささげ物はいりません。(10:18)

そういうわけで、イエス様は十字架の上でこう言われました。「救いの業は完了した。」(ヨハネ19:30)

そのことを思うと、私は改めて驚きに満たされます。

イエス様は、本当に死ななければならなかったのでしょうか。ある意味では、死ぬ必要はなかったのかもしれません。ご自身を救って、私たちをそのままにして、十字架を回避することもできました。

しかし、イエス様は私たちを愛し、私たちのためにご自身を捧げてくださったのです。

だからこそ、十字架と、そこで流されたイエス様の血を仰ぐとき、私たちは深い感謝と畏敬の念をもって心を向けましょう。イエス様は私たちを愛し、想像を絶する代価を支払ってくださったのです。

Amazing love.
驚くべき愛。
How can it be that you my King should die for me?
あなたは私の王なのに、どうして私のために死んでくださったのでしょうか。

Amazing love.
驚くべき愛。
I know it’s true.
あなたが私を本当に愛してくださること知っています。
And it’s my joy to honor you.
あなたをあがめることこそ、私の喜びです。

In all I do, I honor you.
私は、すべての営みの中で、あなたをあがめて生きていきます。

ーークリス・トムリン