私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。
それは、ちょうどキリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、新しいいのちに歩むためです。(ローマ人への手紙6:4)
ある英語の訳が大好きです。その訳者たちは、「いのちの新しさ」という表現を使っています。私たちは、いのちの新しさを喜び、歩むべきです。
私は、罪と死の臭いが漂っている墓の中を歩きたくありません。私は、義といのちの新鮮な空気を吸いたいのです。
私は、腐敗している罪の埋葬布に包まれて歩きたくありません。私は、キリストの義の衣を着たいのです。
ちょっと想像してみてください。イエス様がラザロを復活させて、「出てきなさい」と言われたのに、ラザロがこう答えます。
「いや、けっこうです。この布に包まれて、墓の中を歩き回るのが好きなんです。」
ばかげた話でしょう。
私は、新鮮な空気を吸い、新しい衣を着て、自分自身を義の道具、義の武器として神様に捧げ、たくさんの人々を奴隷にしているサタンと戦いたいのです。
イザヤのように、私は神様の前に立ち、自分自身を捧げ、「ここに私がおります。私を遣わしてください」と言いたいです。
