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主がお入り用なのです。

私たちはついに、イエス様の人生の最後の週にたどり着きました。

この箇所では、一つのフレーズが私の心を深く打ちました。イエス様は弟子たちに次のように言われました。

向こうの村へ行きなさい。そこに入ると、まだだれも乗ったことのない子ろばが、つながれているのに気がつくでしょう。それをほどいて、連れて来なさい。

もし「どうして、ぼくのか」とだれかが尋ねたら、「主がお入り用なのです。」と言いなさい。(ルカ19:30-31)

弟子たちがイエス様の言葉に従うと、その持ち主たちは彼らに問いかけました。

どうして、子ろばをほどくのか。(33)

弟子たちはイエス様の指示に従い答えました。その結果、持ち主たちはその子ろばを貸してくれました。

それを読んで、私は心の中で問いかけました。「主が私に、『私はこれが必要だ』と言う時、私はどう反応するだろうか。」

例えば、イエス様が「その人を助けるために、私はあなたのお金が必要です。その人は経済的に苦しんでいるから」と言ったら、私はすぐに「はい、どうぞ」と答えるでしょうか。

または、私がどこかに向かっている途中で誰かにばったり会った際に、イエス様が「私はあなたの時間が必要です。その人と話しなさい」と言ったら、私はどうするでしょうか。

または、イエス様が「あなたが西宮を去る時が来ました。私に仕えるために別の場所へ行きなさい」と言ったら、私は「はい、行きます」と答えるでしょうか。

それとも、私が自分の持っているものにしがみついてしまうのでしょうか。

実際には、自分自身で確信を持てません。過去を振り返ると、何度もイエス様が「こうしなさい。私はあなたからこれが必要だ」と言われたにもかかわらず、私は拒んでしまったことがあります。

「忙しい。」

または、

「私はそのお金が必要だ。別の物を買いたいから。」

弟子たちはそのろばをイエス様の元に連れて行き、イエス様をそのろばに座らせて、王としてあがめました。

私たちも同じようにするべきです。イエス様が私たちに「これが必要だ」と言われた時、私たちはその物をイエス様にささげ、イエス様を私たちの王としてあがめるべきです。

私はそうできるでしょうか。

あなたはどうでしょうか。