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イザヤ書

祝福を得るために打たれた。人々を祝福するために打たれた。

子供の時に、私はよくしつけられました。もちろん、それは楽しい思い出ではありません。けれども、振り返ると、私は父に感謝しています。なぜなら、そのしつけによって私は人として成長したからです。

そのように神様は私たちをしつけられます。しかし、多くの人々のイメージと違って、神様は怒りの神ではありません。むしろ、神様は私たちを祝福したいと思っておられます。

この箇所の最初の部分では、モーセの時代のように、神様はエジプトを厳しく裁いておられました。けれども、急に神様のトーンが変わります。

その日、エジプトの国には。。。万軍の主に誓いを立てる五つの町が起こり。。。彼らがしいたげられて主に叫ぶとき、主は、彼らのために戦って彼らを救い出す救い主を送られる。

そのようにして主はエジプト人にご自身を示し、その日、エジプト人は主を知り。。。主はエジプト人を打ち、打って彼らをいやされる。

彼らが主に立ち返れば、彼らの願いを聞き入れ、彼らをいやされる。(イザヤ書19:18,20-22)

それだけではなく、神様はエジプトの敵アッシリヤ人の心の中に働くと約束されました。そしてエジプト人とアッシリヤ人に関して、神様はこう言われました。

その日、エジプトからアッシリヤへの大路ができ、アッシリヤ人はエジプトに、エジプト人はアッシリヤに行き、エジプト人はアッシリヤ人とともに主に仕える。

その日、イスラエルはエジプトとアッシリヤと並んで、第三のものとなり、大地の真ん中で祝福を受ける。(23-24)

この箇所を読んだ時、ちょっと驚きました。なぜなら、普通は神様はイスラエルだけに関してそのような言葉を言われるからです。けれども、この箇所によると、神様に戻る人々全てを神様は受け入れてくださいます。

もちろん、私たちが罪を犯すと神様は私たちを打たれます。とはいえ、神様の望みは、私たちが悔い改めることです。そうすれば、神様は私たちを癒してくださいます。

それだけではなく、神様は私たちを祝福したいと思っておられます。そして、神様は私たちが周りの人々に対して祝福になることを望んでおられます。

神様は今あなたを懲らしめておられるでしょうか。あなたの罪によって、あなたの状況は辛いでしょうか。

神様に向かって悔い改めましょう。神様は私たちを打ちたくはありません。むしろ、私たちを祝福したいと思っておられます。

私たちが周りの人々に対して呪いになることを望んでおられません。むしろ、私たちが周りの人々に対して祝福になることを望んでおられます。

だから、へブル人への手紙の著者の言葉を覚えておきましょう。

主の懲らしめを軽んじてはならない。主に責められて弱り果ててはならない。

主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである。(へブル12:5-6)