私たちは牧師や宣教師ではないかもしれませんが、キリストの奉仕に参加するよう、誰もが呼ばれています。
5章でパウロは、私たち全員がキリストの使節とされていることを語っています。だからこそ、私たちは和解のメッセージを周囲の人々に伝えるべきなのです。
しかし、私たちのミニストリーが誹謗されることは容易に起こり得ます。私たちの行動や言葉によって、私たちの証しを拒絶する人もいます。
そのため、パウロはこう書きました。
私たちは、この務めがそしられないように、どんなことにおいても決してつまずきを与えず、むしろ、あらゆることにおいて、自分を神のしもべとして推薦しています。(コリント人への手紙第二6:3-4)
周囲の人々に対して、私たちはどのようにつまずきを与えることがあるでしょうか。それは、私たちの生き方によってであり、態度や行動によっても起こり得ます。
だから、どのような状況に直面しても、パウロは忠実にイエス様に仕えました。どんな苦難を経験しても、パウロは、「大いなる忍耐を働かせて、また、純潔と知識、寛容と親切、聖霊と偽りのない愛によって」行動しました。(4-6)
パウロの言葉について考えてみてください。苦難の時、私たちはどれほど不平を言い、忍耐を失い、自己中心になり、周囲の人々を愛さなくなるでしょうか。その結果、私たちの証しが誹謗されてしまうことがあるのです。
しかし、パウロは、周囲の人々に称賛されても、誹謗されても、喜びの時も苦しみの時も、常に忠実にイエス様に仕えました。
彼は聖霊の力によって歩み、両手に義の武器を持っていました。片手には神様のみ言葉を、もう片手には信仰の大盾を携えていました。
私たちは同じことを主張することができるでしょうか。
私たちの行動や態度が、私たちのミニストリーを決して傷つけることのないように。むしろ、毎日、真実と愛、純潔と忍耐を持って歩みましょう。そして、聖霊の力と慰めによって歩みましょう。
そうすれば、私たちはこの世に確かな影響を与えることができるでしょう。
