前回の記事で、私は私たちの人生における天の父の働きについて話しました。
つまり、私たちの義や実は、自分の努力からではなく、天の父の働きによって生まれるのです。イエス様のみ言葉を通して、天の父は私たちを清めてくださいます(ヨハネの福音書15:3)。
また、私たちが失敗したり、罪を犯したりするとき、天の父は私たちを支え、実を結ぶように刈り込んでくださいます。
では、私たちの実が天の父の働きによって生まれるのであれば、私たちは何もしなくてよいのでしょうか。
そうではありません。私たちがすべきことが一つあります。それは、イエス様にとどまることです。
それはどういう意味でしょうか。
私たちはイエス様との親しい関係を保つべきです。
私たちはイエス様を人生の中心に据えるべきです。
また、イエス様と時間を過ごすべきです。
私たちはイエス様の言葉を聞き、その言葉に従うべきです。
イエス様はこう言われました。
父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。わたしの愛にとどまりなさい。
わたしがわたしの父の戒めを守って、父の愛にとどまっているのと同じように、あなたがたもわたしの戒めを守るなら、わたしの愛にとどまっているのです。(ヨハネの福音書15:9-10)
以前の記事で私は述べましたが、イエス様は単に「私の言葉に従いなさい」と言われただけではありません。
イエス様は、「私に信頼しなさい。私はあなたを愛しているから。私はあなたの最善を望んでいる」と語られました。
誰かを信頼できなければ、その人との関係を築くことは非常に難しいものです。もし私たちが神様に「あなたに信頼できません」と言うなら、その関係には距離が生まれてしまいます。
けれども、私たちが神様を信じ、その言葉に従えば従うほど、神様との関係はますます親しくなります。
私たちは神様を信頼するからこそ、その言葉に従います。そして、従うことによって神様の祝福を見て、神様が私たちの最善を望んでおられることを悟るのです。
だからこそ、私たちは神様をさらに愛し、信頼し、喜んで神様の言葉にますます従います。そして神様の祝福をさらに経験することで、私たちはますます神様を愛し、信頼するようになります。
このような神様との関係を持つことで、私たちは多くの実を結ぶのです。
しかし、もし私たちが決して神様を信じることを学ばなければ、どうなるでしょうか。私たちは決して実を結ぶことができません。
イエス様はこう言われました。
わたしにとどまりなさい。わたしもあなたがたの中にとどまります。
枝がぶどうの木にとどまっていなければ、自分では実を結ぶことができないのと同じように、あなたがたもわたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。
わたしはぶどうの木、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人にとどまっているなら、その人は多くの実を結びます。
わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないのです。
わたしにとどまっていなければ、その人は枝のように投げ捨てられて枯れます。人々がそれを集めて火に投げ込むので、燃えてしまいます。(15:4-6)
あなたはどうですか。あなたは神様と共に歩み、神様を愛し、信頼するでしょうか。そうすることで、あなたは実を結ぶことができます。
もしその関係がなければ、あなたが何をしても、神様を喜ばせることはできません。そして、不信を捨てなければ、ユダのように、枯れて燃えてしまうのです。
しかし、神様と共に歩むなら、あなたは実を結び、喜びを知ることができます。
イエス様はこう言われました。
わたしの喜びがあなたがたのうちにあり、あなたがたが喜びで満ちあふれるようになるために、わたしはこれらのことをあなたがたに話しました。(11)
どうすれば、神様との信頼関係を築き始めることができるでしょうか。
まず、あなたの救いのためにイエス様に信頼することが必要です。
ヨハネはこう書きました。
私たちが御子イエス・キリストの名を信じ(ること)。。。それが神の命令です。(第一ヨハネ3:23)
もしあなたがまだ神様との関係を持っていないなら、今日その関係を始めてみませんか。
