そこで、その人たちに言った。『あなたがたもぶどう園に行きなさい。相当の賃金を払うから。』
彼らは出かけて行った。 (マタイの福音書20:4~5)
家の主人は最初の労働者たちにも同じことを言ったのでしょうか。
その労働者たちは、「いや、私たちは自分たちがふさわしいと思う報酬を求めます」と言い張ったのでしょうか。
たぶんそうだったのでしょう。
ペテロも同じような考え方を持っていたようです。(マタイの福音書19:27)
ヤコブとヨハネも同じでした。(マタイの福音書20:21)
一方で、癒された盲人たちは、イエス様の良さを味わい、ふさわしい報酬を求めることなく、喜んでイエス様について行きました。(マタイの福音書20:35)
多くの主人たちは、後者の労働者たちと同じような契約を結んだなら、彼らを酷使したことでしょう。(マタイの福音書20:4~7)
しかし、この主人は気前がよく、良い主人でした。(15節の「気前がいい」という表現は、通常「良い」と訳されます。)
だから、私が自問しているのはこうです。「私はどのような神に仕えていると思っているのだろうか。」
神様が気前よく、私たちが願うところ、思うところのすべてをはるかに超えて与えてくださる方だと、本当に思っているのだろうか。
癒された盲人たちのように、私は神様の良さを味わい、喜んでイエス様について行くのだろうか。
