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ヨハネの福音書 ヨハネ2章

聖書を理解する方法

私が英語のブログでこの記事を書いた時、そのタイトルは「ぶどう酒?ぶどうジュース?」でした。

けれども、振り返ると、たぶん「聖書を理解する方法」の方が適切だったと思います。

私は十代の時、「ぶどう酒?ぶどうジュース?」という本をざっと読んだことがあります。

その著者の意見をほとんど覚えていませんが、彼の主張は、このヨハネの箇所で、イエス様がぶどう酒を作った時、実はぶどうジュースを作ったのだというものでした。彼はギリシャ語の意味やユダヤ人の文化について説明した可能性があります。

当時、私はその意見を信じていましたが、ある日、別の牧師がその箇所の文脈を詳しく教えてくれました。その文脈とは何でしょうか。

10節では、宴会の世話役がイエス様が作ったぶどう酒を味わった後、こう言いました。

だれでも初めに良いぶどう酒を出し、人々が十分飲んだころになると、悪いのを出すものだが、あなたは良いぶどう酒をよくも今まで取っておきました。(ヨハネの福音書2:10)

その言葉を少し考えてみてください。もし「ぶどう酒」の代わりに「ぶどうジュース」を入れ替えたら、彼の言葉は理にかなうでしょうか。

「だれでも初めに良いぶどうジュースを出し、人々が十分だころになると、悪いのを出すものだが、あなたは良いぶどうジュースをよくも今まで取っておきました。」

これでは全く意味をなしません。もしそれがただのぶどうジュースなら、アルコール分は全く含まれていません。けれども、アルコール分がないのに、どうして皆がたくさん飲んだ後に待って、悪いジュースを出すのでしょうか。それは全く理にかなっていません。

ですから、私はその著者の議論が間違っていると思います。

では、酔っ払うことが良いのでしょうか。もちろん、そうではありません。聖書によれば、それは絶対に許されません。

とはいえ、聖書は飲酒自体を禁止してはいません。聖書が禁止しているのは、アルコールによって支配されることです。(エペソ5:18)

ちなみに、私は全く飲みません。アルコールの味が好きではないですし、自分の限界も分からないので、それを知りたいとも思いません。

しかし、私の要点は、聖書をどのように解釈するかに慎重でなければならないということです。

おそらく、その著者がイエス様がぶどうジュースを作られたと主張する理由は、著者が飲酒に強く反対しているからです。そのため、彼はギリシャ語をよく研究していたとしても、その箇所の文脈を無視してしまったのです。

ですから、私たちが聖書を読む時や教会でメッセージを聞く時、この四つのポイントを心に留めておきましょう。

1.聖書の箇所の文脈をよく考えるべきです。

多くの人々はそれを無視するため、彼らの解釈が混乱してしまいます。モルモン教やエホバの証人にはこのような問題が見られます。

2.聖書を読み、その教えを信じるべきです。

もし、聖書の教えがあなたの考え方と矛盾するなら、聖書を変えようとするのではなく、あなた自身の考え方を変えるべきです。

3.聖書の著者が生きた文化を学ぶべきです。

例えば、イエス様が母であるマリヤに話しかけた時、「女の方」と呼びました。現代の私たちの文化では冷たく感じられる表現ですが、彼らの文化では非常に丁寧な呼び方でした。

4.しもべたちに対するマリヤの言葉に従うべきです。すなわち、「イエス様が言われることを、何でも行いなさい。」(ヨハネ2:5)

聖書を読むだけでは不十分です。聖書の教えを聞くだけでも不十分です。その教えに従うことが必要です。なぜなら、それこそが神様の御言葉だからです。

これらのポイントを守ることで、聖書の理解が深まり、あなたの人生はさらに充実したものになるでしょう。