カテゴリー
詩篇のデボーション

主は恵みとまことに満ちておられるから

【主】よあなたの道を私に知らせ
あなたの進む道を私に教えてください。

あなたの真理に私を導き教えてください。
あなたこそ私の救いの神
私はあなたを一日中待ち望みます。(詩篇25:4~5)

この詩篇を読むたびに、上の言葉はいつも私の心に響きます。

私はダビデのような心を持ちたいのです。

神様に教えられたい心。

神様を信頼する心。

しかし今日、なぜダビデがそのように願ったのか、わかってきました。

【主】の道はみな恵みとまことです。(詩篇25:10)

ダビデは心からそう信じ、自分の主のようになりたいと願ったのです。

私も、イエス様のようになりたいのです。

ことば(つまり、神)は人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。。。

私たちはみな、この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けた。

律法はモーセによって与えられ、恵みとまことはイエス・キリストによって実現したからである。(ヨハネ1:14、16~17)

カテゴリー
詩篇のデボーション

 神の恵みとまこと

最近、ヤコブの人生の後半に関するメッセージをしました。ヤコブにとって、そのときは本当に辛いものでした。彼の妻と父が亡くなり、彼の一番愛していた息子であるヨセフも死んだと思いました。

そのとき、苦々しい思いをもって、皮肉っぽくこう言えたかもしれません。

私たちの神は 天におられ、その望むところをことごとく行われる。(詩篇115:3)

でも、ヤコブの晩年、彼が分かってきたのは「神様は気まぐれな方ではありません。神様は、いつも計画を持っておられます。そして、その計画は良いものです。神様は良い方です。」ということです。

この詩篇は、ヤコブが亡くなってから数百年後に書かれたけど、私は、ヤコブがこの歌を歌うのを想像できます。

イスラエルよ、主に信頼せよ。主こそ助け、また盾。(9節)

たぶん、長い間ヤコブは、自分が神様に見捨てられたと思っていました。でも、人生の終わりに、彼はこう歌うことができました。

主は私たちをみこころに留め 祝福してくださる。イスラエルの家を祝福し。。。

主を恐れる者を祝福してくださる。小さな者も、大いなる者も。(12ー13節)

だから、あなたの人生が辛くて、神様に見捨てられたと思うなら、ヤコブの話を覚えていてください。そして信仰をもって、こう歌いましょう。

私たちにではなく、主よ、私たちにではなく、ただあなたの御名に、栄光を帰してください。 あなたの恵みとまことのゆえに。(1節)