今日の話を読んだとき、私は新しいことに気づきました。それは、神様がすぐにアカンの罪を明らかにされなかったということです。むしろ、神様は次の日まで待っておられました。なぜでしょうか。
なぜすぐに、その問題の処理に当たられなかったのでしょうか。
私にはわかりませんが、もしかしたら、その答えは13節にあるかもしれません。
立て。民を聖別せよ。そしてこう言え。 あなたがたは、明日のために自らを聖別しなさい。(ヨシュア記7:13)
「自らを聖別しなさい」とは、自分の心を準備して、自分自身を神様に捧げるということです。たぶん、その過程の一部は、自分の心を探り、罪を告白することです。
もしかしたら、神様はアカンに悔い改めるチャンスを与えたいと思われたのかもしれません。
アカンには、その夜、自分の行為をよく考え、どのようにその罪がイスラエル人たち全体に影響を与えたかを省みる機会がありました。
その夜、アカンはモーセにその罪を告白し、悔い改める機会がありました。
翌朝でも、神様はアカンをすぐに明らかにされませんでした。
最初は、ユダの部族、そしてゼラフ人の氏族、そしてザブディの家族がくじで取り分けられました。
その間、アカンには悔い改めるチャンスがあったのに、何も言いませんでした。
最後に、神様はアカンを指摘されました。
でも、アカンは悔い改める機会をもう逸してしまいました。
アカンがすぐに自分の罪を告白し、悔い改めていたら、なお殺されていたでしょうか。
私はわかりません。でも、神様の性格を考慮すると、たぶん、アカンは憐れまれたと思います。
私たちは罪を隠してはいけません。むしろ、今のうちに、その罪を告白し、悔い改めましょう。
ヨハネはこう言いました。
もし私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちをすべての不義からきよめてくださいます。(第一ヨハネ1:9)
