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列王記第一のデボーション

懲らしめに応える心

列王記にあるアサの話を読むと、彼がかなり良い王に見えます。

でも、彼の人生には霊的な問題があったことを示唆する箇所も見られます。つまり、ベン・ハダデとの条約を結ぶために、アサは主の宮から銀と金を取り出して、ベン・ハダデに渡したのです。

歴代誌第二16章では、著者がアサの霊的な問題を明確に記録しています。

預言者ハナニを通して、神様がアサをその行為のために責められたとき、アサはハナニを牢に入れました。

その後、アサが足の病にかかったとき、主を求めることを拒み、医者だけを求めました。

アサの話を読んだとき、私は「アサは救われただろうか。アサは今、天国にいるだろうか」と疑問に思いました。

私の意見ですが、たぶんアサは天国にいると思います。

なぜなら、列王記の著者は、アサが「主の目にかなうことを行なった」、また、「アサの心は生涯、主とともにあり、全きものであった」と記しているからです。(列王記第一15:11,14)

歴代誌を読むと、列王記にある言葉は少し不思議に感じられますが、ダビデに関する神様の言葉を思い起こしてみましょう。

ダビデはわたしの命令を守り、心を尽くしてわたしに従い、ただ、わたしの目にかなうことだけを行った。(列王記第一14:8)

列王記の著者はダビデについて大体同じことを言いますが、「ヘテ人ウリヤのことのほか」という言葉を付け加えます。(列王記第一15:5;第二サムエル記11章)

私がアサとダビデのことを考えると、神様は私の心に二つのことを印象づけられました。

一つ目は、私たちは恵みによって生きるということです。

神様は私たちを見ると、私たちを義人として認めてくださいます。

それは、私たちが完全な人間だからではありません。むしろ、イエス様の十字架の御業によって、私たちを義と認めてくださるのです。私たちはイエスの義を着せられています。

だから、私たちの罪と失敗にもかかわらず、裁きの日に、神様は私たちについてこう言われます。

「あなたはわたしの命令を守り、心を尽くしてわたしに従い、ただ、わたしの目にかなうことだけを行った。」

それは本当に不思議なことですね。

でも、二つ目は、この地上において、私たちの行為が神様との関係の質に影響を与えるということです。

神様との関係の一つの面は、神様の懲らしめに対する私たちの反応です。

ダビデは神様の懲らしめによく応えたので、彼の人生の最後まで、神様と良い関係を保ちました。

その反面、アサは神様の懲らしめに良い方法で反応しなかったため、人生の最後には、神様との関係があまり良くありませんでした。

あなたの行為は、神様との関係の質にどのような影響を与えているでしょうか。