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使徒の働き

悪を見て見ぬふりをする?

私たちはこの世の悪を目にすると、次第に気にならなくなってしまうことがあります。最初はそれを見て心を痛めたかもしれません。けれども、時間が経つにつれて、その悪に慣れ、やがて気づかなくなってしまうのです。

パウロはそうではありませんでした。彼がアテネに行ったとき、数多くの偶像を目にしました。そのとき、彼はどう反応したでしょうか。

パウロは。。。町が偶像でいっぱいなのを見て、心に憤りを覚えた。(使徒の働き17:16)

「憤り」という言葉の原語は、新約聖書の中で、もう一つの箇所にしか現れません。皮肉なことに、そのほかの箇所では、パウロは「愛は苛立たず」と語っています。

しかし、今日の箇所では、パウロは憤りを覚えました。なぜでしょうか。それは、この偶像のせいで多くの人々が地獄へ向かっていたからです。サタンは彼らを欺き、苦しめていました。

そのため、パウロは彼らが救われるように、大胆に福音を述べ伝えました。

あなたはどうでしょうか。

周囲の悪を目にすると、あなたは憤りを覚えるでしょうか。

不正を見たとき、憤りを覚えるでしょうか。

人々が悪を「良いこと」と呼ぶとき、あなたは怒りを感じるでしょうか。

サタンが人々の命を滅ぼしているとき、あなたは正義の怒りを覚えるでしょうか。

もし何も感じないなら、あなたの心の中で何かが正しくありません。御霊があなたの心に住んでおられるなら、悪を目にしても無関心ではいられないはずです。

私たちは御霊に導かれ、この世に塩と光として生きるべきです。

イエス様はこう言われました。

あなたがたは地の塩です。もし塩が塩気をなくしたら、何によって塩気をつけるのでしょうか。

もう何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけです。

あなたがたは世の光です。山の上にある町は隠れることができません。

また、明かりをともして升の下に置いたりはしません。燭台の上に置きます。そうすれば、家にいるすべての人を照らします。(マタイ5:13-15)

あなたはこの世の悪に慣れすぎて、塩気を失った塩になってしまっていないでしょうか。悪に対する無関心な態度のせいで、隠された光になっていないでしょうか。

私たちはそのような者にならないように気をつけましょう。むしろ、周りの人々に触れるほど、悪に対する憤りを覚える者となりましょう。

沈黙するのではなく、悪を見て見ぬふりせず、神様の光としてこの世に出て、人々に影響を与えましょう。