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使徒の働きのデボーション

主とその弟子たち

さて、ダマスコにアナニアという名の弟子がいた。主が幻の中で「アナニアよ」と言われたので、彼は「主よ、ここにおります」と答えた。(使徒の働き9:10)

私にとって驚くべきことは、イエス様には何億人もの弟子たちがいるけれど、一人一人の名前を知っておられるということです。イエス様は私たちを大切にしておられるので、私たちの名前をよく知っておられるのです。

アナニアはまったく有名なクリスチャンではありませんでした。22章では、パウロが証しを語ったときにアナニアの名前に言及しますが、それ以外に聖書には彼の名前は登場しません。

それでも、イエス様はアナニアを知っておられ、名前を呼ばれました。

私の心を打ったもう一つのことは、イエス様に対するアナニアの態度です。イエス様がアナニアを呼ばれたとき、アナニアはすぐに答えました。「主よ、ここにおります。」

アナニアはいつもイエス様の声に耳を傾けていました。

彼はイエス様の命令が理解できないときもありましたが、最終的には「はい、従います」と答えて従いました。

私はそのような弟子になりたいです。私の耳をいつも主に傾け、「はい、従います」という態度を取りたいのです。

あなたはどうですか。

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使徒の働き

福音を伝えるように選ばれました

昨日、私は「使徒の働き」の三つの話を通して、神様の選び、人間の選択、そして私たちが行って福音を伝える責任が、どのようにともに働くのかを説明しました。

この話は、その二つ目の例です。

あるパリサイ人、サウロは、キリストに対して頑なな心を持ち、キリスト教を根絶しようとしていました。

もし神様がサウロをそのまま放置されていたなら、彼は滅びに至っていたでしょう。しかし、神様はサウロの人生に介入されました。

なぜでしょうか?それは、神様がサウロを救うことを選ばれたからです。神様がアナニアに語られたとき、私たちは神様の選びをはっきりと見ることができます。

神様がアナニアに「サウロのもとへ行き、助けなさい」と命じられたとき、アナニアは驚いて答えました。

「え?本当に?あの男はクリスチャンたちを迫害しようとしているのに。」

神様の答えは?

行きなさい。あの人はわたしの名を、異邦人、王たち、イスラエルの子らの前に運ぶ、わたしの選びの器です。(使徒の働き9:15)

神様の答えは、すでに救いのために人々を選ばれているなら、私たちは福音を伝えなくてもよいという考えを否定するものです。(昨日の記事でも、同じ点に言及しました)。

アナニアがそのようなことを神様に言うところを、想像できますか。

「では、あなたがすでにサウロを選ばれたのなら、私は彼のもとへ行く必要はないでしょう?」

もしアナニアがそんな愚かなことを言っていたら、神様はどのように答えられたでしょうか。きっと、神様はアナニアに対して非常に厳しく怒られたでしょう。なぜでしょうか。神様はアナニアに「行きなさい」と命じられたからです。

同じように、神様は私たちに「行きなさい」と命じられます。

もちろん、神様は私たちの助けを必要とされません。それでも、多くの場合、神様は私たちを通して人々を救うことを選ばれます。

神様は私たちに御国の鍵を渡されました。もし私たちが行かず、福音を伝えないなら、天国の門は人々に対して閉ざされたままとなるでしょう。

この話ともう一つの話を読む際に、一つ注意してください。イエス様はサウロに直接語られ、天使は百人隊長コルネリウスに直接現れました。それでも、神様はご自身の民を遣わし、その二人に語らせました。

そのように、神様は私たちが行き、福音を伝えることを求めておられます。

ピリポは、神様によってエチオピア人のもとへ遣わされました。

アナニアは、神様によってサウロのもとへ遣わされました。

そしてサウロは、ユダヤ人や異邦人のもとへ行き、福音を伝えるように選ばれました。

あなたも、この世の民のもとへ行き、福音を伝えるように選ばれています。

ある人がかつてこう問いかけました。

「God」という言葉の最初の二文字は何でしょうか。「Go」。

「Satan」という名前の最初の三文字は何でしょうか。「Sat」。

私たちはただ座っているのではなく、この世の民のもとへ行き、福音を伝えましょう。