カテゴリー
イザヤ書のデボーション

恐れではなく信仰を選ぶ

アラムは、エフライムすなわちレマルヤの子とともに、あなたに対して悪事を企てて、「われわれはユダに上ってこれを脅かし、これに攻め入ってわがものとし、タベアルの子をその王にしよう」と言っているが、神である主はこう言われる。

それは起こらない。それはあり得ない。(イザヤ書7:5-7)

上の言葉を読んだとき、私はこう考えました。「私はどれだけ、実際には起こらないことを心配しているのだろうか。」

心配で眠れない夜もありました。でも、多くの場合、私が心配していたことは実際には起こりませんでした。

神様を信じるほうが、はるかに良いのです。神様が私とともにおられることを思い出すほうが、はるかに良いのです。

2千年前、神様は「私と共におられる」というしるしを与えてくださいました。そのしるしとは、飼葉おけに寝ておられた赤ちゃんでした。

それゆえ、主は自ら、あなたがたに一つのしるしを与えられる。

見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ。(イザヤ書7:14)

マタイによれば、「インマヌエル」とは、「神が私たちと共におられる」という意味です。(マタイ1:22〜23)

アハズが神様に信頼することを拒んだことを批判するのは、簡単なことです。でも、私はどれほど神様が与えてくださったしるしを無視して、神様を信頼していないでしょうか。

イエス様、あなたはいつも私と共におられます。あなたこそ、まことのインマヌエルです。ですから、私が心配に引き込まれそうになるとき、あなたに心を向け、信頼することができるように助けてください。

カテゴリー
列王記第二のデボーション

私たちが誰ものであるかを思い出す

「アハズは使者たちをアッシリアの王ティグラト・ピレセルに遣わして言った。「私はあなたのしもべであり、あなたの子です。。。」(列王記第二16:7)

この話の背景をもっと知りたいなら、イザヤ書7章を読んでみてください。

アハズがアラムやイスラエルと対立している最中に、イザヤは有名なインマヌエルの預言を語りました。

イザヤ書7章では、神様はアハズにこう語られました。

「私を信じなさい。あなたの敵は成功しない。信じるためのしるしを与える。しるしを求めなさい。」

しかし、アハズは神様を信じることを拒み、しるしを求めませんでした。

むしろ、彼はアッシリアの助けを求めました。その助けを受けたものの、「贈り物」を送らねばならず、結局、アハズの「主」と「父」はイスラエルに敵対することになったのです。

もしアハズがへりくだって神様に向かい、「私はあなたのしもべであり、あなたの子です」と告白していたなら、その結果はどれほど異なっていたことでしょうか。

私は今、自分の問題に直面しながら、神様が私にこう語っておられると感じました。

「あなたが誰のものであるかを覚えていなさい。あなたは私のしもべです。しかし、それだけではなく、あなたは私の愛する子です。私を求めなさい。私を信じなさい。」

そして、神様は私にこの詩篇を思い起こさせてくださいました。

神はわれらの避け所、また力。苦しむとき、そこにある強き助け。それゆえ、われらは恐れない。

たとえ地が変わり、山々が揺れ 海のただ中に移るとも。

たとえその水が立ち騒ぎ、泡立っても、その水かさが増し、山々が揺れ動いても。。。

「やめよ。知れ。わたしこそ神。わたしは国々の間であがめられ、地の上であがめられる万軍の主はわれらとともにおられる(インマンヌエル)。

ヤコブの神はわれらの砦である。(詩篇46:1ー3、10ー11)

カテゴリー
イザヤ書 列王記第二 歴代誌第二

誰を恐れるでしょうか

以前言ったように、ヨタムの息子アハズはユダの王になると、イスラエルをさらに深く偶像礼拝へ導きました。

列王記と歴代誌によれば、アハズは偶像を造り、バアルを礼拝しました。

けれども、最も悪かったのは、アハズが自分の息子を全焼のいけにえとして神々に捧げたことです。その理由は、ユダがアラムとイスラエルと戦っており、その神々の助けを望んだからです。

ある日、アラムの王とイスラエルの王が同盟を結び、エルサレムを攻撃するために来ました。ユダの人々がその知らせを聞くと、

王の心も民の心も、林の木々が風で揺らぐように動揺した。(イザヤ書7:2)

そこで、アハズはアッシリヤと同盟を結ぼうと考えました。その時、イザヤがアハズのもとを訪れ、こう言いました。

気をつけて、静かにしていなさい。恐れてはなりません。

あなたは、これら二つの木切れの煙る燃えさし、レツィンすなわちアラムとレマルヤの子との燃える怒りに、心を弱らせてはなりません。

アラムはエフライムすなわちレマルヤの子とともに、あなたに対して悪事を企ててこう言っています。。。

[しかし]そのことは起こらないし、ありえない。(イザヤ書7:4-5,7)

そこで、イザヤはアハズにこう言いました。「あなたの神、主から、しるしを求めなさい。」(イザヤ7:11)

けれども、アハズはそれを拒み、「私は求めません。主を試みることはしません。」と答えました。(イザヤ7:12)

その言葉は敬虔に聞こえますが、実際にはアハズはイザヤの言葉の真偽を確かめたくありませんでした。なぜなら、彼はすでにアッシリヤと同盟を結ぶことを決意していたからです。

アハズは主を信頼せず、アッシリヤに頼る道を選んだのです。

そのため、イザヤは怒り、こう言いました。

あなたがたは、人々を煩わすのは小さなこととし、私の神までも煩わすのか。それゆえ、主みずから、あなたがたに一つのしるしを与えられる。

見よ。処女がみごもっている。そして男の子を産み、その名を「インマヌエル」と名づける。。。

まだその子が、悪を退け、善を選ぶことも知らないうちに、あなたが恐れているふたりの王の土地は、捨てられるからだ。(イザヤ書7:13-16)

もちろん、マタイはこの箇所を引用してイエス様について語っていますが、イザヤはおそらく別の出産について考えていたようです。

多くの学者が指摘するのは、イザヤが自身の将来の子について言及している可能性です。(イザヤ8:3-4)

ところで、なぜマタイはイエス様を指すためにこの箇所を引用したのでしょうか。それはおそらく、イザヤの息子の出産がイエス様の出産を象徴しているからです。つまり、イザヤの息子の出産がユダの救いのしるしだったように、イエス様の出産は世界の救いのしるしでした。

また、イザヤの息子は神様がユダとともにおられるというしるしでしたが、イエス様は本物の神様であり、私たちの間に住んでくださいました。(ヨハネ1:14)

さて、イザヤはアハズに「アッシリヤに頼らないでください」と警告しました。

神様はアッシリヤを用いてアラムとイスラエルを打ち砕かれますが、アハズがアッシリヤに頼るなら、アッシリヤがユダも打ち砕くことになると警告しました。(イザヤ書7:17-8:10)

そして、それは現実となりました。

歴代誌によれば、アラムとイスラエルがユダを攻撃した際、アハズはアッシリヤの助けを求めました。アッシリヤの王が来たものの、

彼[つまり、アハズ]を攻め、彼を悩ました。彼の力にはならなかった。(歴代誌第二28:20)

それから、ユダの状態はさらに悪化しました。アハズはアラムの神々を礼拝し始め、ついには神様に背を向けて、

主の宮の戸を閉じ、エルサレムの町かどの至る所に祭壇を造った。(歴代誌第二28:24)

この話から、私たちは何を学ぶことができるでしょうか。

誰を恐れるのか、注意してください。また、誰に信頼するのかにも気を付けてください。

アハズは主を恐れなかったため、状況が悪化すると敵を恐れるようになりました。神様に信頼しなかったため、信頼できない人々に依存し、無力な偶像を頼り始めました。

その結果、すべてが崩れてしまいました。

あなた自身はどうでしょうか。誰を恐れているでしょうか。人々を恐れているでしょうか。他人があなたについてどう思うかを心配しているでしょうか。

経済的な問題を恐れているでしょうか。この世が恐れるものを恐れていますか。

それとも神様を恐れているでしょうか。

何に頼っているでしょうか。お金でしょうか。自分の知恵や能力でしょうか。

それらはあなたを救うことはできません。それらに頼るなら、あなたもアハズのように倒れてしまうでしょう。

イザヤがアハズに言ったように、

もし、あなたがたが[神様を]信じなければ、長く立つことはできない。(イザヤ7:9)