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民数記のデボーション

 神様の信頼を裏切る

あなたがたはわたしを信頼せず、イスラエルの子らの見ている前でわたしが聖であることを現さなかった。

それゆえ、あなたがたはこの集会を、わたしが彼らに与えた地に導き入れることはできない。(民数記20:12)

今朝、私はモーセとアロンへの神様の御言葉を反芻していました。

「あなたはわたしを信頼してくれなかった。」

神様の戒めを信じて従う代わりに、モーセは勝手に行動しました。

そうすることで、イスラエル人たちが自分の文句と反抗的な態度で神様を敬わなかったのと同じように、モーセも神様を敬いませんでした。

申命記では、モーセは神様の御言葉をこのように言い換えました。

「あなたは私の信頼を裏切りました。あなたは私に不誠実でした。」(申命記32:51)

神様は、人が自分の友達と語るように、顔と顔を合わせてモーセと語られました。(出エジプト記33:11)

でも、モーセはその信頼を裏切りました。

天の父は、どれだけモーセの裏切りに心を痛められたでしょうか。

天のお父さん、私はモーセのように、何度あなたを信じなかったことでしょうか。

あなたの戒めに信じて従う代わりに、私はどれだけ勝手に行動するでしょうか。

あなたは、恵みによって私を救ってくださいました。その恵みによって、私をご自分のものとし、私を「友達」と呼ばれます。

あなたの信頼を裏切ったと知りながら、あなたの目を見たくありません。

私がいつも、あなたを聖なる方としてあがめるように。

私のすべての言葉と行動によって、あなたにふさわしい名誉をお与えするように。

そして、回りの人々が私を見るとき、彼らがあなたを見ることができるように。

イエス様の御名によって祈ります。アーメン。

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民数記のデボーション

死者と生者の間に立つ

(アロン)が死んだ者たちと生きている者たちとの間に立ったとき、主の罰は終わった。(民数記16:48)

その言葉は、私の心の中に響きました。

アロンの片側では、何千人もの人々が、自分の反抗のために死にました。

アロンの反対側では、何千人もの人々が救われました。

神様の祭司として、私たちは同じ立場に立っています。

私たちの周りでは、多くの人々が自分の罪のゆえに死にかけています。

私たちには選択肢があります。

私たちは、ただ神様の裁きが彼らに降りかかるのを見ていることもできます。

それとも、アロンのように、私たちは祈ることができます。彼らのためにとりなし、彼らに触れて、悔い改めと赦しという神様の福音を伝えることができます。

主よ、アロンの心を私に与えてください。

たくさんの人は自分の罪のゆえに苦しみ、死にかけています。

アロンのあわれみの心を私に与えてください。

あなたのあわれみの心を私に与えてください。

私がどのように人に触れることができるか教えてください。

そして、私を通して、彼らの人生にあなたの救いをもたらしてください。イエス様の御名によって祈ります。アーメン。