この箇所では、私たちはイエス様の最初の裁判を目にします。アンナスという人物は裁判官でした。
カヤパが大祭司となる前、アンナスは大祭司でしたが、ローマ帝国が彼を退け、その代わりにカヤパを大祭司に任命しました。
それでも、ユダヤ人の指導者たちはなおアンナスを敬い、カヤパが大祭司であるにもかかわらず、アンナスの影響力は依然として非常に強かったと考えられます。
いずれにせよ、アンナスはイエス様に対し、弟子たちや教えについて尋問しました。けれども、イエス様は直接答えるのではなく、こう言われました。
わたしは世に対して公然と話しました。いつでも、ユダヤ人がみな集まる会堂や宮で教えました。何も隠れて話してはいません。
なぜ、わたしに尋ねるのですか。わたしが人々に何を話したかは、それを聞いた人たちに尋ねなさい。その人たちなら、わたしが話したことを知っています。(ヨハネの福音書18:20-21)
要するに、「あなた方は律法を尊重すると主張しているでしょう。では、その律法に従いなさい。律法によれば、あなたがたが私を告発したいと思うなら、証人が必要です。証人たちはどこにいるのですか。」ということです。
けれども、イエス様がそう言われたとき、下役の一人がイエス様を打ち、「大祭司にそのような答え方をするのか」と言いました。
それに対して、イエス様は答えられました。
わたしの言ったことが悪いのなら、悪いという証拠を示しなさい。正しいのなら、なぜ、わたしを打つのですか。(23)
アンナスはそれを聞いて、返す言葉がありませんでした。なぜなら、イエス様の言葉は正しかったからです。そこで彼は、イエス様を正式な裁判のためにカヤパのもとへ送りました。
しかし、イエス様の問いは私に深く考えさせます。人々が私に真理を伝えるとき、私はどのように反応するでしょうか。特に、その真理が私の罪を指摘するとき、私はどう反応するでしょうか。
アンナスのように高慢になり、自分の過ちを認めないでしょうか。あるいは、アンナスの下役のように、その人を攻撃するでしょうか。
もしかすると、私はその真理を受け入れるでしょうか。
真理を聞くのがつらいときもあります。正直に言うと、私は頑固なので、神様が私に「ブルース、その人の言葉を聞きなさい」と語られることもあります。
それでも、時々私はその真理と戦います。自分の過ちを認めたくないからです。私はなお、自分の道を歩み続けたいと思うことがあります。
しかし、キリストの弟子として、私たちはそのように生きてはいけません。私たちは真理を愛するべきです。たとえ耳に痛くても、その真理を愛するべきです。
だから、ヤコブの言葉に従いましょう。
ですから、すべての汚れやあふれる悪を捨て去り、心に植えつけられたみことばを素直に受け入れなさい。みことばは、あなたがたのたましいを救うことができます。
みことばを行う人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者となってはいけません。(ヤコブ1:21-22)
人々があなたに真理を伝えたとき、あなたはどのように反応するでしょうか。
