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詩篇のデボーション

この壊れた世界を見るとき

拠り所が壊されたら
正しい者に何ができるだろうか。(詩篇11:3)

ニュースやSNSを見るたび、私は自分の心を導くことを思い起こさなければなりません。

この世のよこしまを見るとき、思い悩むのは容易です。

けれども、王はまだみ座におられます。 立ち去られないのです。

イエス様はすべてをご覧になります。 そして、この世に帰ってこられると、すべての人を裁かれるのです。(4~6)

その日、この世は癒され、私は私の王の御顔を見るのです。(7)

その間、私は自分の恐れや怒りや心配を脇へ置くことを選びます。

そして、私の良い王に信頼することを選ぶのです。

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詩篇のデボーション

イエス様は治めておられる

「わたしが わたしの王を立てたのだ。わたしの聖なる山 シオンに。」

「私は主の定めについて語ろう。主は私に言われた。 『あなたはわたしの子。 わたしが今日 あなたを生んだ。』」(詩篇2:6~7)

私はこの乱れた世の中を思うとき、この言葉に心強さを覚えます。

イエス様は治めておられます。

ユダヤ人の指導者たちやローマ帝国はイエス様を十字架につけましたが、その真理を変えることはできませんでした。(使徒の働き4:25~28)

サタンもその真理を変えることはできませんでした。(黙示録12章)

イエス様を王座から追い出すことができる者も力も、何ひとつ存在しません。

そして、いつかの日、神様はすべてのものをイエス様の足台としてくださいます。(詩篇2:8~9、ヘブル書1:5~13)

だからこそ、私はニュースでこの世の悪を見るとき、また、自分の問題を心配するとき、この真理を握ることにします。

イエス様はこの世を治めておられます。そして、このイエス様は良い方です。

幸いなことよ、すべて主に身を避ける人は。(詩篇2:12)

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ルカの福音書のデボーション

深く掘り下げる?

なぜあなたがたは、わたしを『主よ、主よ』と呼びながら、わたしの言うことを行わないのですか。

わたしのもとに来て、わたしのことばを聞き、それを行う人がみな、どんな人に似ているか、あなたがたに示しましょう。

その人は、地面を深く掘り下げ、岩の上に土台を据えて、家を建てた人に似ています。(ルカの福音書6:46ー48)

天のお父さん、 聖書を読むとき、どうか私があなたの御言葉をただ表面的に読むのではなく、その意味を深く考え、思いを巡らすよう導いてください。

私があなたの御言葉を理解し、それを通してあなたが私に何を語られるのかを知ることができるように、求める心を与えてください。

イエス様、私があなたを「主よ、主よ」と呼びながら、あなたの御言葉に従わない者にならないようにしてください。

あなたは私の王です。あなたが良い王であることを信じています。だからこそ、あなたの御言葉に聞こうとする耳と、喜んで従う心を与えてください。

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マルコの福音書のデボーション

名ばかりの王?

そして、イエスに紫の衣を着せ、茨の冠を編んでかぶらせ、それから、「ユダヤ人の王様、万歳」と叫んで敬礼し始めた。

また、葦の棒でイエスの頭をたたき、唾をかけ、ひざまずいて拝んだ。(マルコの福音書15:17~19)

主よ、兵士たちはあなたを「王」と呼びました。ピラトもあなたを「ユダヤ人の王」と宣言しました。でも、それらは空虚な言葉にすぎませんでした。

彼らはあなたを打ち、十字架につけました。

私があなたを名ばかりの王として扱ってしまうことがあるでしょうか。

私の賛美の歌の中で、あなたを王と呼ぶことがどれほどあるでしょうか。

そのことばが、決して空虚なものにならないように。

あなたは名ばかりの王ではありません。

あなたは王の王です。あなたは、私の誉れと服従にふさわしい方です。

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ルカの福音書 ルカ19章

キリストを拒絶することを主張すると

このたとえ話には、もう一つ重要なポイントがあります。

イエス様はこう言われました。

ある身分の高い人が遠い国に行った。王位を授かって戻って来るためであった。。。

一方、その国の人々は彼を憎んでいたので、彼の後に使者を送り、「この人が私たちの王になるのを、私たちは望んでいません。」と伝えた。

さて、彼は王位を授か[りました]。(ルカの福音書19:12,14-15)

実は、このたとえ話は実際の出来事を基にしています。

ヘロデ大王が亡くなったとき、彼の息子ヘロデス・アルケラオスは王位を授かるためにローマへ行きました。(なぜなら、ローマ皇帝がイスラエルの本当の支配者だったからです)。

けれども、ユダヤ人たちは大使を皇帝アウグストゥスに送り、「ヘロデス・アルケラオスが私たちの王になることを、私たちは望んでいません」と訴えました。

最終的に、ヘロデス・アルケラオスはユダヤを支配することはできましたが、王位を授かることはできませんでした。

このように、イエス様は天の父から王位を授かるのを待っておられます。しかし今なお、多くの人々はイエス様を憎み、「この方が私たちの王になるのを、私たちは望んでいません」と言います。

けれどもヘロデス・アルケラオスの場合とは異なり、彼らが望もうが望むまいが、イエス様は王となられるのです。

そして、彼らがイエス様に反対し続けるなら、たとえ話の中の人々のように裁きを受けることになります。

あなたはどうでしょうか。あなたはイエス様をあなたの王として受け入れているでしょうか。望もうが望むまいが、イエス様は王となられます。それゆえ、イエス様に反対して裁かれるよりも、イエス様にあなたの人生を捧げる方が良いでしょう。

私は地獄の話で恐怖を煽ることを望んでいません。神様の愛と恵みこそが、はるかに幸せな物語です。そして、神様はあなたを心から愛しておられます。

神様との和解を可能にするため、神様はイエス様をこの世に送ってくださいました。そして、私たちの罪のために、イエス様は十字架で死んでくださいました。

しかし、もし神様の賜物を拒絶し、イエス様をあなたの王として受け入れないなら、あなたは裁きを受けることになるでしょう。

ヨハネは次のように書いています。

御子を信じる者は裁かれない。信じない者はすでに裁かれている。神様のひとり子の名を信じなかったからである。(ヨハネ3:18)

あなたは選択する必要があります。どう決断するのでしょうか。