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テサロニケ人への手紙第一

イエス様が帰って来られるから(2)

この手紙の締めくくりにおいて、 パウロは、イエス様の再臨を心に留めながら、 テサロニケの人々がどのように生きるべきかを教えています。

パウロはこう語ります。

いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことにおいて感謝しなさい。

これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。(テサロニケ人への手紙第一5:16-18)

テサロニケの人々は、迫害を受けていました。 それでも、その苦しみのただ中で、パウロは彼らにこう語りました。

「神様が望んでおられるのは、あなたがたがいつも喜び、 絶えず祈り、どんなときにも感謝することです。」

その言葉を書いたとき、パウロは自分のピリピでの経験を思い出していたかもしれません。

テサロニケに行く前、パウロとシラスはピリピで鞭打たれ、牢に投げ込まれたのです。 では、彼らはそのとき、どう反応したでしょうか。 彼らは主にあって喜び、賛美歌を歌い、神様に感謝をささげました。

その結果、どうなったでしょうか? 神様は文字どおりその場所を揺り動かし、 パウロとシラスを解き放ち、 看守とその家族を救ってくださいました。

このような経験があったからこそ、 パウロはテサロニケの人々に対して、 同じように歩むことを勧めることができたのです。

そして彼は、さらに彼らに訓戒を与えました。

御霊を消してはいけません。預言を軽んじてはいけません。ただし、すべてを吟味し、良いものはしっかり保ちなさい。あらゆる形の悪から離れなさい。(19-22)

私たちは、どのようにして御霊とその働きを消してしまうのでしょうか。 最も大きな原因は、御霊の語りかけを聞かず、信頼しないことです。

イスラエルの民が約束の地を目前にしながら、 その御声に従おうとしなかった時、まさにそれが起こりました。 (ヘブル3:17−19)

ですからパウロは、こう語るのです。 「預言を軽んじてはいけません。」

今もなお、神様は人を通して語ることができます。 けれども私たちは、その人の語る言葉を吟味しなければなりません。 特に、その言葉が神様のみことばと一致しているかどうかを、 みことばに照らして確かめるべきです。

もし一致していれば、信じて受け取りましょう。 一致していなければ、拒むべきです。

しかし何よりも大切なのは、 神様が聖書を通して、あるいは人を通して語られるときに、 その声を無視してはならないということです。

その語りかけを退けてしまえば、 私たちは御霊を消すことになるのです。そして主の日に、神様はその責任をお問いになります。

最後に、パウロはこのように祈りました。

平和の神ご自身が、あなたがたを完全に聖なるものとしてくださいますように。

あなたがたの霊、たましい、からだのすべてが、私たちの主イエス・キリストの来臨のときに、責められるところのないものとして保たれていますように。(23)

そして、パウロは私たちに思い起こさせます。

あなたがたを召された方は真実ですから、そのようにしてくださいます。(24)

主が再び来られるのですから、 私たちは責められるところのない者として歩むべきです。

しかし、そのような人生を、自分の力だけで生きることはできません。 だからこそ、私たちは御霊の力に頼らなくてはならないのです。

ですから、聖霊様にすがりつきましょう。 御霊を消してはなりません。 むしろ、御霊に満たされて歩みましょう。

そうすれば、聖霊様は私たち自身をきよめるだけでなく、 私たちのまわりの人々にも、触れてくださるのです。

私たちの主イエス・キリストの恵みが、あなたがたとともにありますように。(28)

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ルカの福音書 ルカ12章

イエス様の再臨に向けて準備できている?

イエス様は、偽善や貪欲、この世のものを慕うことに関して警告された後、もう一つの重要なことについて弟子たちに訓戒を与えられました。それは、イエス様の再臨に備えて、彼らがしっかりと準備をしておく必要があるということです。

そして、イエス様はこう言われました。

腰に帯を締め、あかりをともしていなさい。

主人が婚礼から帰って来て戸をたたいたら、すぐに戸をあけようと、その帰りを待ち受けている人たちのようでありなさい。帰って来た主人に、目をさましているところを見られるしもべたちは幸いです。

まことに、あなたがたに告げます。主人のほうが帯を締め、そのしもべたちを食卓に着かせ、そばにいて給仕をしてくれます。(ルカの福音書12:35-37)

つまり、イエス様の再臨が訪れても、私たちは驚くべきではありません。私たちは常にイエス様を待ち望んでいるはずです。そのため、イエス様が来られたとき、私たちはすぐにその声に応えるべきです。

とはいえ、私は準備ができていないことが多いと認めなければなりません。なぜなら、ときにこの世のものに心を奪われてしまうことがあるからです。

だからこそ、イエス様は私たちに警告を与えられるのです。

ところが、もし、そのしもべが、「主人の帰りはまだだ」と心の中で思い、下男や下女を打ちたたき、食べたり飲んだり、酒に酔ったりし始めると、しもべの主人は、思いがけない日の思わぬ時間に帰って来ます。

そして、彼をきびしく罰して、不忠実な者どもと同じめに会わせるに違いありません。(45-46)

私たちは「イエス様はいつでも戻られるかもしれない」とよく言いますが、その言葉を本当に信じているでしょうか。

私たちは「イエス様は今日戻られない」と明言することはないかもしれません。けれども、私たちがどれほどイエス様が決して再臨されないかのように生きているでしょうか。

だから、私たちは兄弟姉妹を傷つけたり、悪口を言ったりするのでしょうか。または、この世のものに心を奪われ、のめりこんでしまうのでしょうか。そのように生きるなら、私たちは裁かれるのです。

そして、イエス様はこう言われました。

主人の心を知りながら、その思いどおりに用意もせず、働きもしなかったしもべは、ひどくむち打たれます。

しかし、知らずにいたために、むち打たれるようなことをしたしもべは、打たれても、少しで済みます。

すべて、多く与えられた者は多く求められ、多く任された者は多く要求されます。(47-48)

要するに、あなたが知識を持てば持つほど、その責任も大きくなります。

とはいえ、「私は知らなかった」と言ったとしても、それは言い訳にはなりません。あなたは知るべきだったのです。神様の御心を積極的に求めるべきでした。そうしなければ、あなたは罰せられるのです。

これは非常に厳しい警告ですが、イエス様は希望に満ちた言葉も語られました。

では、主人から、その家のしもべたちを任されて、食事時には彼らに食べ物を与える忠実な賢い管理人とは、いったいだれでしょう。

主人が帰って来たときに、そのようにしているのを見られるしもべは幸いです。わたしは真実をあなたがたに告げます。主人は彼に自分の全財産を任せるようになります。(42-44)

もし私たちが忠実に神様に仕えるなら、イエス様の再臨の際に報いを受けることができます。

あなたはどうでしょうか。神様はあなたにさまざまな責任を委ねられましたが、その務めを誠実に果たしているでしょうか。あなたは忠実に仕えているでしょうか。

イエス様の再臨に向けて準備できているでしょうか。