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詩篇のデボーション

主が耳を傾けてくださったゆえ

今朝、私は詩篇39篇と40篇のつながりに初めて気付きました。

詩篇39篇では、ダビデはこう願いました。

【主】よ、私の祈りを聞いてください。
助けを求める叫びに耳を傾けてください。
私の涙に黙っていないでください。(詩篇39:12)

そして、40篇では、ダビデはこう歌いました。

私は切に【主】を待ち望んだ。
主は私に耳を傾け、
助けを求める叫びを聞いてくださった。

滅びの穴から泥沼から、
主は私を引き上げてくださった。
私の足を巌に立たせ、
私の歩みを確かにされた。

主はこの口に授けてくださった。
新しい歌を、私たちの神への賛美を。(詩篇40:1~3)

けれども、私にもっとも印象に残ったのは、ダビデの反応でした。

あなたはいけにえや穀物のささげ物を
お喜びにはなりませんでした。
あなたは私の耳を開いてくださいました。

全焼のささげ物や罪のきよめのささげ物を
あなたはお求めになりませんでした。

そのとき、私は申し上げました。
「今、私はここに来ております。
巻物の書に、私のことが書いてあります。

わが神よ、私は
あなたのみこころを行うことを喜びとします。

あなたのみおしえは
私の心のうちにあります。」(詩篇40:6~8)

主がダビデに耳を傾けてくださったゆえ、ダビデは主に耳を傾けました。主がダビデにしてくださったことゆえ(詩篇40:1〜5)、ダビデは喜んで神様とその御心に従いました。神の御言葉は、ダビデの喜びだったのです。

それはダビデの心でした。

それはイエス様の心でした。(ヘブル書10:5〜7)

私もそのような心を願っています。

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ルカの福音書 ルカ23章

イエス様の心

イエス様の心を見て、私はいつも驚かされます。

この箇所では、私たちはイエス様を十字架へと導いた、憐れみ深い御心を見ることができます。

イエス様が丘を登られたとき、泣いている女性たちをご覧になり、こう言われました。

エルサレムの娘たち、わたしのために泣いてはいけません。むしろ自分自身と、自分の子どもたちのために泣きなさい。

なぜなら人々が、「不妊の女、子を産んだことのない胎、飲ませたことのない乳房は幸いだ」と言う日が来るのですから。

そのとき、人々は山々に向かって「私たちの上に崩れ落ちよ」と言い、丘に向かって「私たちをおおえ」と言い始めます。

生木にこのようなことが行われるなら、枯れ木には、いったい何が起こるでしょうか。(ルカの福音書23:28-31)

イエス様はご自身の境遇を顧みることなく、ユダヤ人たちがイエス様を拒絶した結果について預言されました。

つまり、「私が神様のいのちで満ち溢れているのに、ローマ人たちが私にこのようなことをするなら、彼らは霊的に枯れた人々に対してどうするでしょうか。

ローマ人たちはあなたたちを迫害し、あなたたちは死を望むようになります。その時、子供のいない人々をねたむほど絶望するでしょう。」

35~40年後に、イエス様の言葉は成就しました。ローマの軍隊はエルサレムを破壊したのです。

しかし、私の心に響いたのは、イエス様がそのことを決して望んでおられなかったことです。ユダヤ人たちがイエス様を憎んだにもかかわらず、イエス様は彼らの破壊を望まれることはありませんでした。むしろ、イエス様は彼らの救いを望まれました。

そして、イエス様は私たちの救いも望んでおられるのです。

そのため、イエス様は十字架へと向かわれました。イエス様はご自身だけでなく、私たちと私たちの必要を見てくださったのです。

このことを思い巡らしていると、一つの讃美歌が心に浮かびます。

And can it be that I should gain an interest in the Savior’s blood?
どうして、救い主の血によって、私が益を得ることができたのでしょうか。
Died He for me, who caused His pain—
私がイエス様の苦しみを引き起こしたのに、イエス様は私のために死んでくださいました。
For me, who Him to death pursued?
私がイエス様を死に追いやったのに、イエス様は私を愛しておられました。

Amazing love! How can it be,
なんという驚くべき愛でしょうか。そんなことが本当にあり得るでしょうか。
That Thou, my God, shouldst die for me?
私の神であるあなたが、どうして私のために死んでくださったのでしょうか。

ーーチャールズ・ウェズリー