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イザヤ書

なぜイエス様は来たのか

不思議なことに、イエス様が生まれる何世紀も前に、この預言は書かれていました。この箇所では、イエス様の命と死についての重要な真理を学ぶことができます。

彼は主の前に若枝のように芽ばえ、砂漠の地から出る根のように育った。

彼には、私たちが見とれるような姿もなく、輝きもなく、私たちが慕うような見ばえもない。(イザヤ書53:2)

もし私が神様だったら、イエス様を王族の家に生まれさせたかもしれません。また、イエス様をとてもハンサムな姿にしたかもしれません。

けれども、イエス様は貧しい大工の息子としてこの世に来られました。

さらに、イザヤによると、イエス様の外見はごく普通であり、特にハンサムというわけではありませんでした。イエス様の容姿で、女性たちを惹きつけることはなかったようです。

それに加えて、イエス様は人々から拒絶されることもありました。

彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。

人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。(イザヤ書53:3)

時々、私たちはこう考えることがあります。「イエス様は本当に私のことを理解してくださるのだろうか。」

なぜなら、私たちは特別にハンサムでも美しくもないし、時には拒絶されることもあるからです。しかし、イエス様には私たちのことがよく理解できます。

それだけではありません。イエス様は私たちを本当に深く愛しておられます。たとえ私たちがイエス様を拒絶したとしても、それでもなお、イエス様の愛は変わりません。それでも、

彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。

彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。(イザヤ書53:5)

私たちがイエス様を求めていなかったにもかかわらず、イエス様は私たちのために命を捨てられました。私たちがイエス様から逃げ続けていたにもかかわらず、イエス様は私たちを深く愛しておられました。

イザヤ53:6には、次のように書かれています。

私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。

しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。(6)

それは本当に不思議なことです。私たちはイエス様を拒絶し、イエス様から背を向けて逃げました。それにもかかわらず、イエス様は私たちの罪のために、言葉で表現しきれないほどの苦しみに耐えられたのです。

彼は痛めつけられた。彼は苦しんだが、口を開かない。ほふり場に引かれて行く羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。

しいたげと、さばきによって、彼は取り去られた。。。

多くの者があなたを見て驚いたように、――その顔だちは、そこなわれて人のようではなく、その姿も人の子らとは違っていた。(イザヤ書53:7-8、52:14)

そして、十字架で、

彼がわたしの民のそむきの罪のために打たれ、生ける者の地から絶たれたことを。。。

彼が自分のいのちを死に明け渡し、そむいた人たちとともに数えられたからである。彼は多くの人の罪を負い、そむいた人たちのためにとりなしをする。(イザヤ書53:8、12)

そのあとで、

彼の墓は悪者どもとともに設けられ、彼は富む者とともに葬られた。彼は暴虐を行なわず、その口に欺きはなかったが。(イザヤ書53:9)

しかし、それで話が終わりではありません。

もし彼が、自分のいのちを罪過のためのいけにえとするなら、彼は末長く、子孫を見ることができ、主のみこころは彼によって成し遂げられる。

彼は、自分のいのちの激しい苦しみのあとを見て、満足する。

わたしの正しいしもべは、その知識によって多くの人を義とし、彼らの咎を彼がになう。(イザヤ書53:10-11)

つまり、死はイエス様の終わりではありませんでした。むしろ、イエス様は苦しみの後に「見ました。」つまり、イエス様はよみがえられ、末永く生き、子孫を見られたのです。

その子孫とは誰でしょうか。それは私たちクリスチャンです。私たちがイエス様を受け入れるならば、神様の子供となります。(ヨハネ1:12)

イエス様はその目的のためにこの世に来られました。私たちはイエス様を拒絶し、イエス様から逃げました。それでも、イエス様は私たちを愛し、救うために来られたのです。

ですから、十字架の御業を通して、私たちは永遠の死から救われ、神様の子供として新しい命をいただきます。

私たちがするべきことはただ一つです。イエス様とその御業を信じることです。それによって、私たちは本当の命を知ることができます。

このことをどうか忘れないでください。イエス様は私たちを理解されており、何よりも私たちを愛し、あがなうために来られたのです。

だからこそ、その素晴らしい知らせを周りの人々に伝えましょう。