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詩篇

人々が私たちを憎む時

子供の時、私には友達がいて、いつも一緒に遊びました。けれども、中学生になる頃、私たちはもう一緒に遊びませんでした。それに、彼は私を憎むようになりました。どうしてか、私は分かりません。

私たちはどのようにそんな人々を扱った方が良いでしょうか。

ダビデにもそんな経験がありました。ダビデが悪いことをしていなかったのに、サウル王は彼を憎むようになりました。おそらくダビデはサウルから逃げた時、詩篇35篇を書いたかもしれません。

ダビデは祈りました。

主よ。私と争う者と争い、私と戦う者と戦ってください。

盾と大盾とを手に取って、私を助けに、立ち上がってください。

槍を抜き、私に追い迫る者を封じてください。(詩篇35:1-3)

ダビデを憎む人を扱う時、彼はいつもその戦いを神様の手に委ねました。彼は言いました。「私のために戦ってください。私の助けになってください。」

それでも、自分で復讐しないことは難しかったかもしれません。だから、彼は祈りました。

私のたましいに言ってください。「わたしがあなたの救いだ」と。(3b)

つまり、「あなたが私の味方であることを思い出させてください。私が自分の手で復讐しないために、あなたが私を救ってくださることを思い出させてください。」

けれども、ダビデを憎む人に対する彼の態度は本当に驚くべきものです。

しかし、私は――、彼らの病のとき、私の着物は荒布だった。私は断食してたましいを悩ませ、私の祈りは私の胸を行き来していた。

私の友、私の兄弟にするように、私は歩き回り、母の喪に服するように、私はうなだれて泣き悲しんだ。(13-14)

それはただの言葉ではありませんでした。ダビデがサウルの死について聞いた時の態度は、まさにそのようなものでした。彼は友人ヨナタンのために泣いただけでなく、サウルのためにも泣きました。

イエス様も、その態度を取りました。実は、この詩篇で、私はイエス様のことがよく見えます。

ダビデのように、偽りの証人はイエス様を責めました。(11)

また、ダビデのように、人々はイエス様をからかったし、中傷しました。(15-16)

それでも、十字架に掛けられても、イエス様は彼らのために祈ってくださいました。

私たちもそうするべきです。ペテロはこう書きました。

あなたがたが召されたのは、実にそのためです。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました。(第一ペテロ2:21)

特に、ペテロは義のために苦しむことについて話しています。イエス様は私たちを救うために苦しんでくださったので、私たちも義のために苦しむ覚悟を持つべきです。

この箇所には、もう一つのことを見ます。相手の憎しみに対して、どうやってイエス様が反応したか見ます。そして、私たちはイエス様の足跡に従うべきです。イエス様はどのように反応したでしょうか。

キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。

ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。(第一ペテロ2:22-23)

あなたはどうですか。人々があなたを憎んで傷つける時、イエス様の足跡に従おうとしますか。