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列王記第二のデボーション

 神の呪い、神の恵み、再び

エリシャがエリコの水を「癒す」という話を読んだとき、神様は、私が今まで気づかなかったことを示してくださいました。

エリコは呪われた町でした。

イスラエル人たちが約束の地に入ったとき、彼らが最初に征服した町はエリコでした。その時、ヨシュアはエリコを再建しようとする者に対して呪いを宣言しました。(ヨシュア記6:26)

そして、ある愚かな者がエリコを再建したとき、神様の呪いが彼に下されました。(列王記第一16:34)

エリシャの時代においても、ある意味でエリコは依然として呪われた町でした。その町は良い場所に位置していたものの、水が悪く、地は産物を生み出しませんでした。

しかし、エリコの人々がエリシャに助けを求めたとき、エリシャは塩を水の泉に投げ入れ、こう言いました。

主はこう言われる。『わたしはこの水を癒やした。ここからは、もう、死も流産も起こらない。』(2列王記2:21)

エリコは長い間呪われていました。ところが、神の恵みによって、エリコは瞬く間に癒されたのです。

あなたは、自分が神様に呪われていると感じることがあるかもしれません。自分の罪のゆえに、神様から裁かれていると思うことがあるかもしれません。

けれども、神様に向かい、へりくだって悔い改めるなら、神様はあなたの人生を癒してくださるのです。

神様が町に何百年も続いた呪いを取り去ることがおできになるなら、神様はあなたの人生にも同じことをしてくださるのです。

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ヨシュア記のデボーション

私たちは、神様が取り壊されたものを建て直そうとする時

ヨシュアは、そのとき誓った。「この町エリコの再建を企てる者は主の前にのろわれよ。その礎を据える者は長子を失い、その門を建てる者は末の子を失う。」(ヨシュア6:26)

この何年か後、ある人はエリコを建て直そうとして、ヨシュアが言った通りに、呪われました。(列王記第一16:34)

どれほど、私たちは神様が取り壊された罪の砦を建て直そうとするでしょうか。

私たちがクリスチャンになるとき、神様が私たちにいろいろな罪に対する勝利を与えてくださるので、私たちは喜びます。

でもその後、私たちの罪が引き起こした損害や破壊を忘れてしまいます。むしろ、私たちは罪の楽しみを思い出します。

だから、私たちはその砦を建て直し、損を受けてしまいます。

主よ。あなたが取り壊してくださったものを、私が建て直さないようにしてください。私の罪深い習慣に戻るのは簡単なことです。でも、その習慣は私を滅ぼします。

私が振り返らずに、むしろ前を向いて、あなたに従うように助けてください。イエス様の御名によって祈ります。アーメン。