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創世記のデボーション

見てくださる神、聞いてくださる神

創世記16章では、ハガルは神様を「エル・ロイ」、つまり、「私を見てくださる神」と呼びました。

そして、彼女は神様に出会った場所を「ベエル・ラハイ・ロイです」、つまり、「私を見てくださる生きておられる神の井戸」と呼びました。

数年後、イサクはベエル・ラハイ・ロイに行きました。

母サラが亡くなったばかりで、イサクは深い悲しみの中にいたようです。

新改訳では「散歩に出かけた」と訳されていますが、原語の意味はもっと繊細です。

イサクはただ歩いていたのではなく、心の中で多くのことを思い巡らし、祈っていたのかもしれません。

もしかすると、彼はこう祈っていたのではないでしょうか。「神様、あなたは本当に私を見てくださっているのですか。私の悲しみをご存じなのですか。」

神様は確かにイサクを見ておられました。そして、恵みによって、イサクの心の必要に備えてくださいました。

私は創世記24章67節が大好きです。イサクはリベカを迎え、彼女を愛し、母の死後、慰めを得ました。

私たちの心を見てくださる神。私たちの祈りに耳を傾けてくださる神。私たちの深い必要に備えてくださる神。

そのような神様に、今日も信頼して歩みます。

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私を見てくださる神

ひざまずく、のけ者にとって、あなたは見てくださる神でした。ーーマイケル・カード

天のお父さん、あなたはエル・ロイです。つまり、あなたは「私を見てくださる神」なのです。

あなたはラハイ・ロイです。つまり、あなたは、「私を見てくださる生きておられる神」なのです。

でも、あなたはただ遠くから私を観察する神ではありません。

あなたは私の名前を知っておられます。

あなたは私と私の苦しみを聞いてくださる神です。

また、あなたは私を探し、見つけてくださる神です。

まことに、主は高くあられますが、低い者を顧みてくださいます。。。

主は私のためにすべてを成し遂げてくださいます。

主よ、あなたの恵みはとこしえにあります。(詩篇138:6,8)