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コロサイ人への手紙のデボーション

あなたが第一の者となるように

御子は、見えない神のかたちであり、すべての造られたものより先に生まれた方です。

なぜなら、天と地にあるすべてのものは、見えるものも見えないものも、王座であれ主権であれ、支配であれ権威であれ、御子にあって造られたからです。

万物は御子によって造られ、御子のために造られました。御子は万物に先立って存在し、万物は御子にあって成り立っています。

また、御子はそのからだである教会のかしらです。御子は初めであり、死者の中から最初に生まれた方です。こうして、すべてのことにおいて第一の者となられました。(コロサイ人への手紙1:15-18)

イエス様、私はあなたにあって造られました。私はあなたによって造られました。私はあなたのために造られました。だから、私の人生において、第一の者となってください。あなたは私の人生において第一の者となるにふさわしい方なのです。

どうか私があらゆる霊的な知恵と理解力によって、あなたの御心についての知識に満たされますように。

その知識に満たされることで、私はあなたにふさわしく歩み、あらゆる点であなたに喜ばれ、あらゆる良いわざのうちに実を結び、あなたを知ることにおいて成長することができます。

私がどんなことにも喜びと感謝を持ち、忍耐し、寛容でいられるため、あらゆる力で私を強くしてください。

私へのあなたの恵みは素晴らしいです。あなたは私に聖徒の相続分を与えてくださいました。あなたは私を暗闇の力から救い出して、あなたのご支配の中に移してくださいました。

あなたの十字架上の死によって、私を天の父の御前に聖なる者、傷のない者、責められるところのない者として立たせてくださいます。

あなたの恵みによって、私が信仰に土台を据え、堅く立ち、あなたの福音の望みから外れることなく、信仰にとどまるように助けてください。

あなたの御名によって祈ります。アーメン。

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コロサイ人への手紙

イエス様ただお一人

ある偽教師たちとその教えが、コロサイの教会に入り込んできたようです。

彼らが具体的に何を教えていたのかは、私たちには完全には分かりません。しかし、はっきりしているのは、彼らが「イエス様だけでは不十分である」と教えていたことです。

要するに、「神様のもとに近づくためには、さまざまな天使の助けが必要であり、その天使たちをも礼拝すべきだ」と語っていたのです。

さらに彼らによれば、コロサイの信徒たちはまだいくつもの奥義を学ぶ必要があり、それを教えることができるのは偽教師たちだけだという主張でした。

つまり、「神様に義と認められるためには、さまざまな儀式を行い、修業に励まなければならない」と教えていたのです。

だから、この箇所でパウロが強調しているのは、「私たちに必要なのは、ただイエス様だけである」ということです。

では、なぜ私たちには、イエス様だけが必要なのでしょうか。

なぜなら、イエス様は、すべての創造物にまさって偉大なお方だからです(コロサイ人への手紙1:15)。

パウロが「イエス様はすべての造られたものより先に生まれた方」と語ったのは、イエス様が創造物の上におられる方だという意味です。

エホバの証人は、神様がすべての創造物に先立ってイエス様を創造したと教えます。しかし、それはパウロが意図したことではありません。パウロの意味するところは、イエス様の立場が創造物よりもはるかに高く、すべてを支配するお方であるということです。

では、なぜイエス様はそのような高い立場を持っておられるのでしょうか。

それは、イエス様がすべてのものの創造主だからです。万物はイエス様にあって造られ、イエス様のために造られたのです。天使たちも、あらゆる霊的な力も、そして私たち人間も、すべてイエス様によって造られました(16)。

さらに、イエス様はすべてのものに先立って存在し、イエス様にあって万物は保たれ、秩序づけられています。もしイエス様がほんの一瞬でもこの世界から御手を離されたら、この世界は崩れ去ってしまうでしょう(17)。

また、神様はイエス様を教会のかしらとしてお立てになりました。天使や人間ではなく、イエス様ただお一人を、教会のかしらとして任命されたのです。

そして、イエス様は十字架で死に、よみがえられたことによって、私たちにとって模範となられました(18)。

それだけではなく、神様はご自身の満ち満ちたものをすべて、イエス様のうちに宿らせてくださいました。だから、イエス様は見えない神のかたちなのです。

ですから、もし神様を知りたいと願うなら、イエス様を見ればいいのです(15、19)。

そして、イエス様の十字架の死によって、私たちは神様と和解させていただきました。私たちには、もはや他の仲介者は必要ありません。

イエス様を通して、神様は私たちを聖なる者、傷のない者、責められるところのない者として、ご自身の御前に立たせてくださいました(20〜22)。

偽教師たちは神様の奥義について語っていましたが、イエス様にあって、最も大切な奥義はすでに現されたのです。

その奥義は、世々にわたり多くの世代に隠されていましたが、今や私たちに明らかにされました。

その奥義とは何でしょうか。それは、イエス様を信じる信仰によって、イエス様ご自身が私たちのうちに住んでおられるということです。

ユダヤ人であれ、アメリカ人であれ、日本人であれ、イエス様が私たちのうちにおられるので、私たちはイエス様にあって一つのからだ、一つの教会とされたのです。そして、私たちはこの世において、神様の栄光を映し出す者とされました。

では、なぜ私たちは「ほかのものが必要だ」と思ってしまうのでしょうか。

本当は、私たちには他の何も要りません。だからこそ、パウロはこう言うのです。 「私たちはこのキリストを宣べ伝え、あらゆる知恵をもって、すべての人を諭し、すべての人を教えています」――イエス様にあって、私たちは成熟した者とされるのです(28)。

それなのに、どれほど私たちは「イエス様以上の何かが必要だ」と思って生きていることでしょうか。私たちは他の宗教を追い求めたり、特別な霊的経験を渇望したり、あるいはこの世のものをひたすら追いかけたりします。

けれども、そうしたものは私たちを本当に満たすことはできません。イエス様だけが、私たちの心を満たすことができるのです。

あなたはどうですか。自分の人生を満たすために、何を求めているでしょうか。

イエス様だけが、あなたを満たすことができます。 あなたにとって必要なのは――イエス様ただお一人なのです。

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エペソ人への手紙

一致する結婚(2)

この箇所で興味深いのは、パウロによれば、結婚が私たちとキリストとの関係を描くものであるという点です。 パウロはこう語りました。

夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自分を献げられたように、あなたがたも妻を愛しなさい。

キリストがそうされたのは、みことばにより、水の洗いをもって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、ご自分で、しみや、しわや、そのようなものが何一つない、聖なるもの、傷のないものとなった栄光の教会を、ご自分の前に立たせるためです。

同様に夫たちも、自分の妻を自分のからだのように愛さなければなりません。自分の妻を愛する人は自分自身を愛しているのです。

いまだかつて自分の身を憎んだ人はいません。むしろ、それを養い育てます。キリストも教会に対してそのようになさるのです。私たちはキリストのからだの部分だからです。

「それゆえ、男は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となるのである。」

この奥義は偉大です。私は、キリストと教会を指して言っているのです。(エペソ人への手紙5:25-32)

イエス様は教会のために何をしてくださったのでしょうか。 イエス様は天を離れ、この世に来られました。 そして、十字架の上でご自身のいのちを捧げられました。

今もなお、イエス様は私たちの世話をしてくださり、 私たちの物理的な必要や霊的な必要に応え、 神様の愛をもって私たちを養い、育ててくださっています。

なぜイエス様はこのようにしてくださるのでしょうか。 それは、イエス様がご自身を愛するように、私たちを愛しておられるからです。 実際、イエス様は私たちを、ご自身のからだの一部として見なしておられます。

夫も同じようにするべきです。 彼は親を離れ、自分の妻と一つになります。 妻のために自分のいのちを捧げ、妻の世話をし、 妻の物理的な必要や霊的な必要に応え、 愛によって妻を養い、育てるべきです。

なぜ夫はそのようにすべきなのでしょうか。 それは、彼が自分自身を愛するように、妻を愛するべきだからです。 実際、神様の目には、妻は夫のからだの一部と見なされているのです。

いろいろな意味で、夫は妻にとってイエス様の姿を映す存在であるべきです。 同じように、妻はイエス様を敬い、その導きに従うのと同じように、 自分の夫を敬い、夫の導きに従うべきです。

では、夫たち。あなたは、どれほどイエス様を妻に反映しているでしょうか。 あなたは、妻をあなた自身の一部として扱っているでしょうか。

もしかすると、妻をそこまで敬っていないかもしれません。 しかし、キリストは教会をそのように深く愛しておられます。 だからこそ、私たちもそのように愛すべきなのです。

妻たち。あなたはどれほどイエス様に従っているでしょうか。 もしイエス様に従うことが難しいと感じるなら、 自分の夫に従うことは、なおさら難しいかもしれません。

このようにして、パウロはこの教えを次のようにまとめています

それはそれとして、あなたがたもそれぞれ、自分の妻を自分と同じように愛しなさい。妻もまた、自分の夫を敬いなさい。(33)

あなたの結婚はどうでしょうか。 あなたの結婚は、イエス様と教会との関係を映し出しているでしょうか。

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マタイの福音書 マタイ26章 マルコの福音書 マルコ14章 ルカの福音書 ルカ22章

最も大切な質問

イエス様の裁判はいろいろな意味で本当にひどいものでした。

その最大の理由は、祭司たちと最高法院がイエス様が無実であることを十分に理解していたことです。 それにもかかわらず、彼らはイエス様を妬み、憎んでいたため、必死にイエス様を殺す理由を探し続けました。

神様の律法によれば、人を告発するには、二人の証人の証言が一致しなければなりませんでした。 けれども、彼らは証人たちを何人も尋問しましたが、証言が一致する二人の証人を見つけることができませんでした。

ようやく彼らは証言が一致していると思われる二人の証人を見つけたかのように思いました。その証人たちによれば、イエス様は「神殿を壊し、新しい神殿を建てる」と宣言されたというのです。

しかし、実際にイエス様が意味していたのは、「あなた方がこの神殿を壊しても、私はそれをよみがえらせる」ということでした。そして、イエス様がお話しされた神殿はヘロデの神殿ではなく、ご自身の死と復活に関するものでした。(ヨハネ2:19-21)

それにもかかわらず、大祭司がその証人たちを詳しく尋問すると、彼らの証言の中に矛盾があることが明らかになり、その証言は無効となりました。

フラストレーションを感じた大祭司は、イエス様を直接尋問することにしました。けれども、イエス様が沈黙を守り続けられたため、大祭司は叫びました。

私は生ける神によっておまえに命じる。おまえは神の子キリストなのか、答えよ。(マタイ26:63)

それは最も重要な質問です。 イエス様とは誰でしょうか。 イエス様は本当に神の子でしょうか。 イエス様は本当にキリストでしょうか。

ちなみに、「キリスト」というのは名前ではなく肩書です。簡単に説明すると、「キリスト」とは、「神様が約束された王」を意味します。

だからこそ、もしイエス様がキリストであるなら、私たちは自分の人生をイエス様に捧げるべきです。さらに、いつかイエス様は私たちを裁かれるお方です。だからこそ、イエス様は彼らに警告を与えられたのです。

あなたが言ったとおりです。しかし、わたしはあなたがたに言います。あなたがたは今から後に、人の子が力ある方の右の座に着き、そして天の雲とともに来るのを見ることになります。(マタイ26:64)

イエス様はダニエル書7章を参照されました。ダニエルによれば、すべての力と権威と栄光がメシアに与えられ、メシアに立ち向かう者たちは裁きを受けるということです。

祭司たちと最高法院はそれを聞いた時、どのように反応したでしょうか。 彼らはイエス様とその言葉を拒絶しました。イエス様が彼らのメシアであり、神の子であることを信じることを拒みました。

その代わりに、彼らはイエス様を神への冒涜で告発し、死刑を宣告しました。

多くの人々は同じように反応します。彼らは福音を聞き、イエス様の主張を理解します。 それにもかかわらず、イエス様を拒絶します。

むしろ、彼らは十字架で自分のために死んでくださった方を踏みつけます。 そのため、へブル人への手紙の著者によれば、彼らはいつか裁かれるのです。(へブル 10:28-30)

しかし、イエス様を信じて受け入れる人は、神の子どもとなる特権を与えられます。(ヨハネ 1:12)

あなたはどうしますか。 イエス様を拒絶しますか。それともイエス様を受け入れますか。

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最も大切な質問

イエス様がミニストリーの半ばに差し掛かった頃、十字架のことを考え始められました。それゆえ、イエス様は弟子たちが自分についてどう思っているかを知りたいと願われました。

彼らはイエス様をただの預言者だと考えていたでしょうか。ただの良い教師だと思っていたでしょうか。

そこで、イエス様は弟子たちにこう尋ねられました。「人々は私のことをだれだと言っていますか。」

弟子たちは様々に答えました。その後、イエス様はさらに問われました。「では、あなたがたは、私をだれだと言いますか。」

この問いは、あの時代の人々のためだけでなく、すべての世代の人々のためのものです。今もなお、イエス様は私たちに尋ねられます。「あなたは私をだれだと言いますか。」

イエス様を預言者だと思うでしょうか。もちろん、イエス様は預言者でした。イエス様を通して、私たちは神様の言葉を聞くことができます。

では、イエス様を良い人だと思うでしょうか。もちろん、イエス様は良い人です。彼は一切罪を犯されませんでした。

とはいえ、イエス様はただの預言者なのでしょうか。ただの良い人なのでしょうか。

ペテロはそうは考えませんでした。彼はこう言いました。

あなたは、生ける神の御子キリストです。(マタイ16:16)

ペテロがそう言ったとき、ユダヤ人たちは「メシア」、つまり「キリスト」という言葉の本当の意味を十分に理解していませんでした。(「メシア」と「キリスト」は同じ意味です。)

弟子たちも、その意味を完全には理解していませんでした。そのため、イエス様はご自身がキリストであることを誰にも言ってはならないと、弟子たちを戒められました。

もしある概念を理解できていなければ、それを他の人々に正しく説明することは難しいでしょう。

彼らは、メシアが人々の罪のために死ななければならないことを理解していませんでした。彼らが理解していたのは、「いつかメシアがイスラエルを治める」ということでした。

そのため、「キリスト」や「メシア」という言葉を聞くと、そのイメージがまず浮かびました。

あなたはどうでしょうか。イエス様がメシアであることを信じていますか?つまり、イエス様があなたの罪のために死なれたことを信じていますか?そして、イエス様はあなたの王ですか?あなたの人生をイエス様に捧げていますか?

イエス様は、ただの預言者ではありません。イエス様は、ただの良い人でもありません。イエス様は神です。

ユダヤ人たちは、イエス様の主張を正しく理解していました。確かに、ある意味では私たちすべてが神の子供です。なぜなら、神様が私たちを創造されたからです。

けれども、イエス様は「神様が自分を造られた」という意味ではなく、「自分は永遠から本当に神の子である」と主張されました。

そのような主張は、実際には「自分が神である」という宣言です。

その主張のために、ユダヤ人たちはイエス様を十字架につけて殺しました。(ヨハネ5:18、マタイ26:63ー66)

もしイエス様があなたの神であり、王であるなら、イエス様はあなたの礼拝と奉仕に値します。しかし、あなたは本当にそう信じていますか? ペテロのように、あなたは言うことができますか?「あなたは、生ける神の御子キリストです。」

もしあなたがそのことを信じているけれど、まだ告白していないのなら、今、祈りませんか。

イエス様、私はあなたをただの良い人だとは思いません。私はあなたをただの預言者だとも思いません。

あなたが神であることを信じます。 私は、あなたが十字架で私の罪のために死なれたことを信じます。また、あなたが三日目によみがえられたことを信じます。 それを心から感謝します。

どうか私の神になってください。私の王になってください。 これから、私はあなたに従いたいです。どう生きるべきかを教えてください。アーメン。