今日の箇所を読んだとき、私はパウロの以前のことばを思い出しました。
ローマ書14章では、パウロはこう書いています。
私たちの中でだれ一人、自分のために生きている人はなく、自分のために死ぬ人もいないからです。
私たちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死にます。
ですから、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです。
キリストが死んでよみがえられたのは、死んだ人にも生きている人にも、主となるためです。(ローマ人への手紙14:7ー9)
このことばを読んだとき、ローマ書11章36節から12章1節が思い浮かびました。
すべてのものが神から発し、神によって成り、神に至るのです。この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン。
ですから、兄弟たち、私は神のあわれみによって、あなたがたに勧めます。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。
それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。
また、ローマ書14章15節では、パウロはこう書いています。
もし、食べ物のことで、あなたの兄弟が心を痛めているなら、あなたはもはや愛によって歩んではいません。
(そのことばの背景をもっと詳しく知りたい方は、この記事をぜひ読んでみてください。
そのことばを読んだとき、ローマ書第13章のパウロのことばが思い浮かびました。
だれに対しても、何の借りもあってはいけません。ただし、互いに愛し合うことは別です。他の人を愛する者は、律法の要求を満たしているのです。。。
愛は隣人に対して悪を行いません。それゆえ、愛は律法の要求を満たすものです。(13:8,10)
たぶん、イエス様が私に尋ねておられるのは、「あなたは誰のために生きているのでしょうか」ということです。
「自分のためだけに生きているのでしょうか。あなたは自分勝手に生きているのでしょうか。それとも、私のために生きているのでしょうか。
特に、私があなたに与えた人々を愛しているのでしょうか。私は彼らのためにも死にました。あなたも彼らに愛を示しているのでしょうか。」
