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ユダの手紙のデボーション

私たちの大前提:召された、愛されている、守られている

しかし、愛する者たち。あなたがたは自分たちの最も聖なる信仰の上に、自分自身を築き上げなさい。

聖霊によって祈りなさい。

神の愛のうちに自分自身を保ち、永遠のいのちに導く、私たちの主イエス・キリストのあわれみを待ち望みなさい。(ユダ20~21)

「自分たちの最も聖なる信仰の上に、自分自身を築き上げなさい。」

「神の愛のうちに自分自身を保ちなさい。」

今日、これらのことばを反芻していました。

そして、いつものように、私はある詩篇を選び、それを祈りとして捧げ始めました。今日は、詩篇29篇を祈りました。

力ある者の子らよ。主に帰せよ。 栄光と力を主に帰せよ。御名の栄光を主に帰せよ。 聖なる装いをして主にひれ伏せ。

主の声は水の上にあり、栄光の神は雷鳴をとどろかせる。主は大水の上におられる。

主の声は力強く、主の声は威厳がある。。。

主の宮では、すべてのものが「栄光」と言う。。。

主は、とこしえに王座に着いておられる。(詩篇29:1ー4,9ー10)

そのことばを読んで、黙示録4章を連想しました。

4つの生き物と24人の長老たちは、神の御座の前で礼拝していました。生き物は、神の聖なるさを賛美し、長老たちは、神様が栄光と誉れと力を受けるにふさわしい方であることを認めていました。(黙示録4:8〜11)

ヨハネは、そのシーンを見て、たぶん震えていたでしょう。でも、イエス様の血によって、ヨハネは天の父に愛され、受け入れられているという確信を持っていました。

そして、私はユダの挨拶を思い起こしました。

父なる神にあって愛され、イエス・キリストによって守られている(別訳:イエス・キリストのために守られている)、召された方々へ。(1)

それが、ユダの大前提でした。

それが、ヨハネの大前提でした。

それが、私たちの大前提です。

私たちは、天の父に召され、愛され、イエス様によって、またイエス様のために守られているのです。

その大前提を抱いて、私たちは聖書を読んだり、祈ったりします。私たちは、イエス・キリストの恵みと知識において成長し、自分たちの信仰の土台の上に、自分自身を築き上げたいのです。

その大前提を抱いて、私たちは神の愛のうちに自分自身を保ちます。毎日、私たちは神様を信頼し、従います。長老たちとともに、私たちは叫びます。

「あなたは、栄光と誉れを受けるにふさわしい方です。あなたは、私の人生を支配するにふさわしい方です。」

その大前提を抱いて、私たちは聖なる装いをし、賛美のことばだけではなく、私たちの人生を神様に捧げて礼拝します。(黙示録4:10;ローマ12:1)

ユダが、私たちに警告した人々は、まったく違う態度を持っていました。(ユダ8〜19)

しかし、神の子どもたちとして、私たちはユダとヨハネの態度を抱くべきです。

もし、キリストにある自分のアイデンティティーを覚えているなら、私たちは必ずその態度を抱くでしょう。

私たちは、神様に召されました。

私たちは、神様に愛されています。

私たちは、イエス様によって、イエス様のために守られています。

それを覚えて、ユダとともに歌いましょう。

(私)を、つまずかないように守ることができ、傷のない者として、大きな喜びとともに栄光の御前に立たせることができる方、私たちの救い主である唯一の神に、私たちの主イエス・キリストを通して、栄光、威厳、支配、権威が、永遠の昔も今も、世々限りなくありますように。アーメン。」

(ユダ24ー25、ユダの言葉を個人的なものにするため、「あなたがた」を 「私」に変えました。