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士師記のデボーション

神の愛や恵みを忘れると

ギデオンが死ぬと、イスラエルの子らはすぐに元に戻り、もろもろのバアルを慕って淫行を行い、バアル・ベリテを自分たちの神とした。

イスラエルの子らは、周囲のすべての敵の手から救い出してくださった彼らの神、主を、心に留めなかった。(士師記8:33ー34)

上の言葉は士師記にあるイスラエル人の民の問題を要約しています。つまり、彼らはすぐに自分たちへの神の恵みと愛を忘れてしまったということです。

さらに、彼らは自分たちの祝福がどこから来たのかを理解していなかったようです。彼らは救いをギデオンの手柄にしてしまいました。(22節)

その結果は何でしょうか。彼らを救ってくださった神への愛と感謝は全くありませんでした。

私たちへの神の愛や恵みを忘れ、また神様がしてくださったことへの感謝や喜びを忘れると、初めの愛を失うのは容易なことです。

天のお父さん、私が決してあなたの愛と恵みを忘れず、それらを当たり前のものだと思わないようにしてください。

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士師記のデボーション

大切なのは。。。

力ある勇士よ、主があなたとともにおられる。(士師記6:12)

主よ、私が霊的な弱虫ではなく、あなたのための力ある勇士となるようにしてください。

大切なのは、私の力や素性ではありません。

大切なのは、あなたが私とともにおられることです。

そして、自分の愛している者たちを敵であるサタンから解放するために、私を霊的な戦いに遣わしておられるのです。

あなたの働きを成し遂げる資格が私にはありません。それはあなたから与えられるものです。(第二コリント3:5)

さらに、あなたの力は私の弱さのうちに完全に現れるのです。(第二コリント12:9-10)

だから、その大切なことを覚えていて、戦場に走るように導いてください。

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士師記のデボーション

知恵にふさわしい柔和さ

あなたがたのうちで、知恵があり、分別のある人はだれでしょうか。その人はその知恵にふさわしい柔和(別訳、謙虚)な行いを、立派な生き方によって示しなさい。(ヤコブ3:13)

今日の箇所を読んで、ヤコブ3章を連想しました。

先生やリーダーには、真の知恵は、その人の柔和な行為や言葉で現れます。

ギデオンはそんな柔和な態度をエフライムの人々に表しました。

でも、そのあと、ギデオンはそうしませんでした。

むしろ、ギデオンは自分(士師記8:4〜17)やその家族(18〜21節)を傷つけられたことに拘って、復讐を求めました。

それに、ギデオンは利己的な思いに駆られました(22〜32節)。

イスラエル人たちが「私たちの王になってください」と願ったとき、ギデオンは断ったけれど、すぐにその時代の王のようにふるまって、イスラエル人の金を受け、金持ちになって、たくさんの妻を持ちました。

さらに、ギデオンは「神様は私たちの王です。私たちは神様に仕えるべきです」と敬虔に言ったのに、彼は自分のために祭司のエポデを作って(出エジプト記28:3〜8)、勝手に礼拝する場所を立て、祭司のように振る舞ったようです。

その結果、イスラエル人たちは神様に背を向けてしまいました(27節)。

ヤコブの言葉を借りれば、そのような知恵は、「上から来たものではなく、地上のもの、肉的で悪魔的なものです」(ヤコブ3:15)。

ギデオンは、甘い水と苦い水を同じ穴から湧き出させる泉のようでした。彼の言葉や行為が甘い水のような時もありましたが、苦い水のような時もありました(ヤコブ3:11)。

私たちがそんなリーダーにならないように。私たちが自分の家族のリーダーとして、職場のリーダーとして、教会のリーダーとして、どんなリーダーシップの立場を持っていても、私たちは知恵から産み出す柔和な言葉や行いで特徴づけられるように。

その知恵はどのようなものでしょうか。

しかし、上からの知恵は、まず第一に清いものです。それから、平和で、優しく、協調性があり、あわれみと良い実に満ち、偏見がなく、偽善もありません。

義の実を結ばせる種は、平和をつくる人々によって平和のうちに蒔かれるのです。(ヤコブ3:17ー18)

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アドナイ・シャロム

主よ。あなたはアドナイ・シャロム(つまり、主は平安)。

私はあなたの御前に立ち、あなたの御顔を見るに値しません。

逆に、自分の罪のために私は死ぬに値するのです。

でも、あなたは愛を持って、私に言われます。

「安心せよ。恐れるな。あなたは死なない。あなたは生きるのです。

だから行きなさい。わたしがあなたを遣わすのではないか。わたしはあなたとともにいる。あなたは私との平和を持っています。だから、敵であるサタンに抑圧されている人々に私の平和をもたらしなさい。」

ギデオンのように、私は弱いものです。私は取るに足りないものです。でも、あなたの救いをもたらすため、あなたはこの世の取るに足りない者や見下されている者、無に等しい者を用いることを喜ばれます。(第一コリント1:26〜31)

だから、アドナイ・シャロム、ここに私がおります。私を遣わしてください。

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士師記

でも私は良いことに相応しい

私は日曜学校とバイブル・クラブでギデオンの話を聞いた時に、二つの話しか聞いていませんでした。一つはギデオンと神様の出会い。そして、ギデオンのミデヤン人との戦いです。

けれども、私の先生はギデオンの暗い面について全然話していませんでした。それでも、ギデオンには暗い面がありました。

ガドの話を読んで、その暗い面が見えます。この箇所でも、その暗い面が見えます。

この箇所は積極的に始まります。イスラエル人はギデオンに「私たちの王になってください。あなたはミデヤン人から救ってくださったから。」と言いました。

けれども、ギデオンは答えました。「私ではなくて、神様があなたの王です。神様はあなたの支配者です。」

ところが、その後で、ギデオンは言いました。「ちょっとお願いがあります。少し金が欲しいのです。また、ミデヤンの王の赤紫の衣をください。あ、もう一つお願いがあります。その王の首飾りをお願いします。」

その後で、その金からエポデを作りました。どうしてそうしたのか、私には分かりません。

エポデは神様の祭司のためのものでした。祭司たちは神様と相談するときに、エポデを使いました。だから、その行動を通して、ギデオンは祭司の義務を取ったみたいです。

ギデオンは、もう一つのことをしました。他の国々の王のように、ギデオンはたくさんの女の人と結婚して、息子が70人いました。一人の息子をアビメレクと名づけました。その名前の意味は、「私の父は王です」という意味です。

どうして、ギデオンはそうしたのでしょうか。私は分かりません。ただ考えるに、その時代、「私の父」という表現は、時々神様に対して使われました。だから、ギデオンが以前言ったように、「神様は私の王」と言いたかったかもしれません。

そして、イスラエル人に神様に仰ぐことを思い出させるためにエポデを作ったかもしれません。

しかし、彼のすべての行動を見たら、彼の動機がちょっと疑わしいと思います。

彼は、「私はこの良いことに相応しいだろう?私は王のように生きたら、いいんじゃない?私はすごいことをしたから。良いものをもらったら、いいんじゃない?」と考え始めたかもしれません。

けれども、その態度は何に導いたのでしょうか。

一つ目は、そのエポデはギデオンとその一族にとって、落とし穴になったことです。なぜならば、イスラエル人はそのエポデを礼拝し始めたからです。

二つ目は、その態度はギデオンの家族の中でトラブルに導きました。つまり、一人の本当に悪い、また神様を恐れない息子がいました。

私たちが物と地位を追うなら、それは危ないことです。もし、それが私たちの優先事項になったら、私たちの人生を罪と災害に導くかもしれません。

「でも、私はその良いものに相応しいでしょう?私はたくさんの良いことをしたから。報酬を受けたら、いいんじゃない?」

そのように考えるのは簡単なことです。しかし、私たちのすべての持っているものが神様から来たことを思い出さなくてはなりません。もし、神様が私たちに才能と物質的な豊かさをくださらなかったら、私たちは何もできないでしょう。

だから、私たちは謙遜な態度を取ったほうがいいです。また、私たちに値するものを求めるべきではありません。

むしろ、私たちが値するものが死であることを思い出したほうがいいです。しかし、神様は私たちに恵みとあわれみを与えてくださいました。ただ、その恵みとあわれみによって、私たちは良いものを持っています。

あなたはどうですか。あなたが値するものを求めていますか。それとも、神様に対して謙遜と感謝の心を保っていますか。

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私たちが何者になるかの可能性を見られる神

この箇所は神様がモーセを呼ばれた箇所と似ています。両方の場合、神様は自信がない人を呼び、用いられました。

この場合、天使はギデオンを呼ばれたときに、興味深いことを言いました。(ちなみに、多くの学者は、その「天使」がイエス様だと考えています)。その天使は言いました。

勇士よ。主があなたといっしょにおられる。(士師記6:12)

けれども、ギデオンは全く勇士ではありませんでした。彼はただの農夫でした。そして、彼は全然強くなかったし、全く勇気がありませんでした。神様が彼を呼ばれた時に、彼は答えました。

「私は取るに足りない人ですし、取るに足りない部族の出身です。どうやって、私はイスラエルを救うことができるでしょうか。」

そして、ギデオンはバールの祭壇を破壊する時に、夜に行いました。なぜならば、彼は家族と近所の人々を恐れていたからです。

また、ギデオンはイスラエル人を戦いのために集めた時に、神様が彼らと共におられる証拠を求めました。

それでも、神様はギデオンに恵みを与えてくださいました。ギデオンが神様を試しても、神様は許してくださいました。

そして、ギデオンがやっと「この方は神様です」と分かって、恐れてひれ伏した時に、神様は言われました。

安心しなさい。恐れるな。あなたは死なない。(23)

ギデオンは罪人でした。死に値しました。なぜならば、ギデオンは罪人であったのに、聖なる神様の御顔を見たからです。しかし、神様はギデオンを殺しませんでした。むしろ、神様はギデオンを素晴らしい働きのために呼ばれました。

どうしてでしょうか。それは、神様がギデオンの可能性を見られたからです。神様はギデオンを信じてくださいました。

そのように、神様はあなたを信じてくださいます。あなたが見えなくても、神様はあなたの可能性を見られます。

だから、自己憐憫にふけらないでください。「私は取るに足りない人だ」と言わないでください。

それは嘘です。なぜならば、神様があなたを創造されたからです。そして、神様の目的のためにあなたを造られました。つまり、あなたが神様を知り、神様の国のために仕えるために造られました。

どんな人であっても、神様はあなたに可能性を見られます。

ただ、私たちは神様に「イエス」と言うべきです。

あなたはどうしますか。