今日、ヨハネの手紙第一2:12〜14に思いを巡らしていました。特に、クリスチャンの成長の段階について考えていました。
幼いクリスチャンたちは、神様やその御言葉をあまり知らないかもしれませんが、神様についての一つの真理を理解し始めています。
「私のパパは私を愛し、受け入れている。私が失敗しても、私のパパはまだ私を愛し、赦してくれる。」
その確信があるので、彼らはためらうことなく神様に近づくことができます。恐れることなく、彼らのパパのもとに走ることができます。
成熟したクリスチャンたちも同じ関係を持っていますが、彼らの神様との体験はさらに深いものです。彼らは単にパパを見るのではなく、永遠から生きておられる方を見ます。すべてを造られた万能の創造主を見ます。
すべての道が完全である聖なる方を見ます。ご自分の性格、つまり愛、恵み、あわれみが決して変わらない方を見ます。
彼らは不実で、何度も失敗してきましたが、それでも神様のいつくしみと忠実さを経験してきました。だから振り返ると、彼らは神様に畏敬の念を抱き、自然と礼拝の心が湧き上がってきます。
そして、青年のクリスチャンたちがいます。彼らはミルクだけを飲むのではなく、聖書の固形物を食べています。その御言葉は彼らのうちにとどまっています。
彼らは御言葉を振るうのが上手になりました。その御言葉と経験によって、彼らは善と悪を見分ける感覚を訓練されています。そういうわけで、彼らは罪やサタンに打ち勝ち始めます。
天のお父様、あなたの教会にいる幼いクリスチャンたちのために祈ります。
彼らがあなたを本当に知るように祈ります。彼らが、あなたに愛され、受け入れられ、赦されることを本当にわかってくるように。その確信をもって、彼らが小さい子供のように、あなたのもとに走り、近づくように。
また、あなたの教会にいる成熟したクリスチャンたちのために祈ります。
あなたとの関係、またあなたとの体験を振り返ると、彼らがあなたに畏敬の念を抱くように。また、彼らがその体験を若いクリスチャンたちに伝えるように。
最後に、あなたの教会にいる若者たちのために祈ります。
あなたの御言葉が彼らのうちにとどまるように。彼らが善と悪を見分ける感覚を訓練されるように。誘惑や試練や霊的な戦いに直面するとき、彼らが御霊の剣、つまりあなたのことばを上手に振るうように。
イエス様の御名によって祈ります。アーメン。
