多くの聖書学者は、イザヤが40-66章を書いたかどうかについて疑問を抱いています。もちろん、その学者の大部分はクリスチャンではありません。
さらに、中には「私はクリスチャンだ」と言いながらも、この部分について疑いを持つ人もいます。
どうしてでしょうか。それは、イザヤが将来の出来事を、あたかも過去に起こった出来事のように書いたからです。また、イザヤの預言が実際に成就しているからでもあります。
イザヤ書を読む時に思い出さなくてはならないのは、イザヤがバビロンやペルシア、そしてイスラエルの追放について記した時、ほとんど何も起こっていなかったという事実です。
当時、バビロンとペルシアはまだ大国ではありませんでした。また、北イスラエル王国はすでに追放されていましたが、ユダ王国はまだ存続していました。
実は、イスラエルにとって最大の敵は、バビロンでもペルシアでもありませんでした。一番の敵はアッシリアでした。
それはさておき、多くの人々がイザヤの預言を読む時、こう言います。
「イザヤの預言はあまりにも完全だ。これは本当の預言であるはずがない。きっとイザヤが亡くなった後、さらにペルシアの王クロスがイスラエル人を自分たちの土地に帰らせた後になって、誰かがこの『預言』を書いたに違いない。」
けれども、それは不信仰な態度です。そのような人々が実際に言っているのは、「神様など存在せず、超自然的な知識はあり得ない。仮に神様が存在したとしても、この世の中にそのように働くはずがないのです」ということです。
ここでは具体的にその疑問に答えませんが、これだけは断言できます。イエス様が生まれる100年以上も前に、旧約聖書のすべてがギリシャ語に翻訳されていました。この点についてはクリスチャンもノンクリスチャンも疑いません。
それでも、旧約聖書にはイエス様についての多くの預言が記されています。例えば、イエス様がどこで、いつ生まれるのか、また、イエス様の死とよみがえりについて、旧約聖書の中で預言されているのです。
だから、私はこのバビロンとペルシアに関する預言を疑いません。
この44章で最も不思議な預言の一つは、クロス王がエルサレムの再建を命じるということです。
なぜそれが不思議なのでしょうか。それは、クロス王がまだ生まれていなかったからです。クロス王が生まれる前に、神様はすでにその名前を知っておられ、クロス王が何をするかをご存じでした。
おそらく、クロス王はその預言を目にしたのでしょう。そして、きっとクロス王はエレミヤの預言も読んだに違いありません。(歴代誌第二36:22-23)
おそらく、その預言によってクロス王は深く感動し、ユダの人々をエルサレムに帰還させる決断をしたのだと思います。
クロス王が学んだ教訓は、私たちにとっても非常に重要です。もちろん、神様は将来を完全に知っておられます。しかし、神様はそれだけではありません。
神様は、私たちが母の胎内にいる時から形造ってくださった方であり、私たちを深く愛し、私たちの名前をご存じです。そして、私たちが神様と協力するならば、神様は私たちのために素晴らしい計画をご用意してくださいます。
パウロはこう言いました。
すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前から彼にあって選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。
神は、みむねとみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられました。
それは、神がその愛する方にあって私たちに与えてくださった恵みの栄光が、ほめたたえられるためです。(エペソ1:4-6)
エペソ1:3-14を読んでください。その言葉を深く心に留めましょう。神様があなたの将来だけでなく、あなたの名前も知っておられることを覚えておきましょう。そして、神様はあなたを深く愛しておられるのです。
それを知り、心に平安を持ちましょう。その希望によって、安心しましょう。
