カテゴリー
ヨシュア記

誤解と和解に導くコミュニケーション

多くの場合、誤解の原因は、悪いコミュニケーションにあります。 私たちが自分の考えを十分に伝えないために、お互いの意図を取り違え、相手を不当に裁いてしまうのです。

この箇所でも、まさにそのような状況が見られます。

ルベン族、ガド族、マナセ族の半部族は、ヨシュアの祝福を受けて、ヨルダン川の東側にある自分たちの所有地へと帰っていきました。 なぜなら、他のイスラエルの部族たちは、それぞれ自分の相続地を受け取ったからです。

ところが、帰る前に、その三つの部族は一つの祭壇を築きました。 これを見た他の部族は、非常に怒りを覚えました。 というのも、神様はイスラエルの民がカナンに入った時、命じられた所以外には祭壇を築いてはならないと命じておられたからです。

さらに、もしその三つの部族が神様に背くことがあれば、 アカンの時のように、全体にまでその悪影響が及ぶと考えられました。

そこで、他の部族たちは、彼らに面と向かって問いただし、場合によっては戦わなければならないと真剣に考えるに至ったのです。

けれども、その三つの部族は、自分たちが築いた祭壇の目的を他のイスラエルの部族に説明しました。 つまり、彼らはその祭壇でいけにえをささげるつもりはない、と語ったのです。 むしろ、その祭壇は、自分たちが他のイスラエルの部族と同じ神様を礼拝していることの証しだと言いました。

その説明を聞いて、ヨシュアと他の部族たちは納得し、それぞれの地へと帰っていきました。

この出来事から、私たちは二つのことを学べると思います。

第一に、誤解を避けるためには、良いコミュニケーションが必要だということです。

もし最初から、その三つの部族がイスラエルの族長たちと共に行動し、彼らの目の前で祭壇を築き、その目的を説明していたなら、このような誤解は起きなかったかもしれません。

ところが、何も告げずに祭壇を築いたため、他の部族たちはその意図を誤って受け取ってしまいました。

なぜ彼らがそうしなかったのかは、はっきりとは分かりません。

衝動的な決断だったのかもしれません。ヨルダン川に着いたとき、突然この考えが浮かんだのかもしれません。あるいは、他の部族も当然自分たちの意図を理解してくれていると思い込んでいたのかもしれません。

いずれにせよ、自分たちの意図をきちんと伝えなかったことによって、重大な誤解が生まれたのです。

私は妻に、いつもこう伝えています。 「あなたの心は読めないよ。もし僕があなたのことやあなたの必要を理解することを望むなら、それをちゃんと伝えてほしいんだ。」

そして、伝えてくれたなら、私はしっかりと聞いて、それを覚えなければなりません。(それは簡単ではありませんが、努力しています。)

そうすれば、私はもっと妻のことを理解でき、妻が何も言わなくても、そのニーズに気づけるようになります。

それでも私たちは、相手が自分の思いや意図を理解してくれるだろうと、勝手に思い込むべきではありません。 もし理解してほしいと願うなら、自分の思いをきちんと伝えなければならないのです。 あの三つの部族も、そのことを痛みの中で学びました。

第二に、私たちはすぐに相手と向き合って話すべきです。

彼らが祭壇を築いたとき、他の部族たちはその意図を誤解し、深く怒りました。 しかし良かったのは、彼らがその部族のもとに赴き、きちんと話し合いをしたということです。 そのため、誤解はすぐに解けました。

けれども、多くの場合、私たちはそうしません。 むしろ、自分の怒りにとどまり続けてしまうのです。 そのような態度では、問題は決して解決しません。 もし私たちが誰かに傷つけられたと感じたなら、その人ときちんと向き合って話すべきなのです。

そうすれば、正しい裁きを行い、その人と和解することができます。 しかし、問題を見て見ぬふりをしていると、その関係は少しずつ壊れていきます。 それは、決して神様が望んでおられることではありません。

あなたの人間関係は、今どうでしょうか。 あなたは、正しく物事を見極めて裁いているでしょうか。 それとも、不完全な情報に基づいて、誰かをさばいてしまってはいないでしょうか。

良いコミュニケーションをとれているでしょうか。 それとも、自分の怒りの中にとどまったままでしょうか。

神様は、あなたにどのような一歩を願っておられるのでしょうか。