ペテロがコルネリウスの家から帰ると、教会の大騒ぎに直面しました。なぜなら、彼は教会のリーダーでありながら、異邦人をもてなし、異邦人の家を訪れたからです。さらに、その異邦人はローマの百人隊長でした。
そこで、ペテロが家に入ると、人々は彼を囲み、責め始めました。
あなたは、割礼を受けなていない者たちのところに行って、彼らと一緒に食事をした。(使徒の働き11:3)
そのユダヤ人たちにとって、ペテロの行為は許しがたいものでした。なぜなら、彼はわざわざ異邦人と関わり、自らを汚したからです。
けれども、ペテロは何が起こったのかを説明しました。彼は神様からの幻や、コルネリウスへの天使の命令、そして御霊がどのように異邦人たちを満たしたかを語りました。
そして、ペテロは彼らにこう言いました。
ですから、神が、私たちが主イエス・キリストを信じた時に、私たちにくださったのと同じ賜物を、彼らにもお授けになったのなら、どうして私などが、神がなさることを妨げることができるでしょうか。(17)
「どうして私などが、神がなさることを妨げることができるでしょうか。」
私たちはどれほど神様の働きを妨げているでしょうか。
もしかすると、私たちの偏見のせいで神様の働きを阻んでしまうかもしれません。
また、神様が新しい方法で働かれても、私たちはその新しい方法に慣れていないために、その働きを妨げてしまうことがあります。
さらに、神様の働きが私たちの伝統に反するかもしれません。
あるいは、私たちのプライドや固くなった心のせいで、その働きを妨げてしまうかもしれません。
「私の考え方が間違っている」と認めることは、とても難しいものです。
また、「神様はあの人を用いることができる」と認めることが難しい時もあります。
しかし、もし私たちが謙遜な態度を持たないなら、神様の働きを妨げてしまうことになるかもしれません。
最終的に、私たちはパウロの戒めに従うべきです。
ただし、すべてを吟味し、良いものはしっかり保ちなさい。あらゆる形の悪から離れなさい。(テサロニケ人への手紙第一5:21-22)
もちろん、新しいものが神様から来るかどうかを吟味しなくてはなりません。けれども、私たちは自分の心も試すべきです。私たちの考え方も試すべきです。私たちのプライドも試すべきです。
エルサレムにいたユダヤ人のクリスチャンたちも、そうしなければなりませんでした。
そして、彼らが出した結論は?
人々はこれを聞いて沈黙した。そして、「それでは神は、いのちに至る悔い改めを異邦人にもお与えになったのだ」と言って、神をほめたたえた。(使徒の働き11:18)
そして、彼は神様の働きを妨げることなく、その務めに加わり始めました。(19-26)
あなたはどうでしょうか。神様の働きを妨げているでしょうか。それとも、神様の働きを目にし、喜んでその務めに加わるのでしょうか。
