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箴言

この世を治めておられる方

この世の現実を目にするとき、私たちはこう考えてしまうことがあります。「神様は本当にすべてを治めておられるのだろうか」。

けれども、ソロモンはこう書きました。

王の心は主の手の中にあって、水の流れのようだ。みこころのままに向きを変えられる。(箴言21:21)

多くのアメリカのクリスチャンは、だんだん変わっている国の道徳観念に悩んでいます。

例えば、数年前、アメリカの政府はゲイの結婚を認め始めました。そして、クリスチャンが「ゲイの結婚に同意できない」と言ったら、彼らは迫害されてしまいます。

あるケーキ屋さんは、ゲイの人のためにも、誰のためにもケーキを作りました。ところが、ある日、その店のゲイの常連は「私が結婚するので、ケーキを焼いてください」と頼むと、その店主はクリスチャンなので断りました。

誕生日のケーキであれば、大丈夫でしたが、ゲイの結婚を祝うために焼けませんでした。そのケーキ屋さんは訴えられて、結局その店を畳まなくてはなりませんでした。

アメリカでは、多くの人が聖書の道徳の教えを拒絶するので、たくさんのクリスチャンは心配して、自分の子供たちを公立学校に送りたがりません。なぜなら、学校で、その子供たちは聖書に反対する教えも受けるからです。

最近、日本人には別の心配があります。つまり、今、北朝鮮のリーダーたちは本当に怖いです。彼らはミサイルも持っており、私たちは彼らが何をするか予想できません。

だから、多くのアメリカ人でも、日本人でも、この世を見ると、「神様は、本当にこの世を治めておられるだろうか」と考えます。

けれども、ソロモンはこう書きました。

主の前では、どんな知恵も英知もはかりごとも、役に立たない。(30)

しかし、ソロモンが正しかったら、どうして私たちは、こんなトラブルを目にするのでしょうか。

それは、神様が人間に選択する権利を与えてくださるからです。私たちは神様を愛して、神様の道を行くことを選ぶことができます。その反面、神様とその道を拒絶する選択もできます。

私たちはロボットではありません。神様はロボットを望んでおられません。神様は、私たちが愛によって、神様に従うことを望んでおられます。

しかし、もう一つの理由があると思います。

それは、私たちが神様からの使命を実行していないということです。私たちは世界中に行って、弟子を作るべきです。そうすれば、人々は変わります。国々は変わります。

何世紀も前、あるクリスチャンは戦争を通して、クリスチャンの国を造ろうと思いました。もし、クリスチャンの国を造ったら、皆が救われると思いました。けれども、最終的に、彼らは失敗しました。

20-30年前、あるアメリカのクリスチャンたちは、政治を通してアメリカを変えようと思いました。だから、彼らは良い法律のために戦いました。それでも、アメリカはだんだん悪くなっています。

どうしてでしょうか。

私たちは人々の心を政治を通して変えることはできません。戦争や人間の力を通しても、人間の心を変えることはできません。

しかし、私たちがこの世の一人一人に福音を述べ伝えると、神様は彼らの心を変え始めてくださいます。私たちがこの世に変わって欲しいなら、神様だけが私たちの希望です。

では、私たちは自分の権利のために戦ってはいけないのでしょうか。私たちの国を攻撃から守るために準備してはいけないのでしょうか。もちろん、そのために準備するべきです。

とはいえ、それらは私たちの主な戦いではありません。むしろ、人々を奴隷にしているサタンと戦わなくてはなりません。人々を滅ぼしている悪魔と戦わなくてはなりません。それが私たちの主な戦いです。

神様は私たちが決して、迫害や苦しみに直面しないと約束してくださったことはありません。むしろ、神様は私たちが迫害や苦しみに直面することを約束されました。

それでも、心に留めてください。私たちがどんな迫害や苦しみに直面しても、神様はまだこの世を治めておられます。そして、イエス様がこの世に戻られたとき、皆がそれを認めます。

しかし、その日が来るまで、神様に従い、その使命を行いましょう。

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イザヤ書

すべてを治める神

時々、この世界を見渡すと、全てが混乱しているように感じることがあります。犯罪、戦争、そして天災を目の当たりにすると、「神様は本当にこの世を治めておられるのだろうか」と疑問を抱くことさえあります。

けれども、神様はこう答えられます。「はい、私はこの世を治めており、全てを支配しています。」

この箇所では、神様はペルシアの王クロスについて預言されています。クロス王がいろいろな国々を倒すという出来事が預言されているのです。

しかし、神様が本当に伝えたかったのは、「私はすべてを治めており、この出来事は偶然ではなく、私の計画に基づいているのです」ということです。

そして、神様はイスラエルの民にこう問いかけられます。

だれが、これを成し遂げたのか。初めから代々の人々に呼びかけた者ではないか。

わたし、主こそ初めであり、また終わりとともにある。わたしがそれだ。(イザヤ書41:4)

つまり、神様はこう言われているのです。

「私は永遠です。私は人間の歴史を私の手に持っています。時の始まりから私はおり、時の終わりに至るまで私はいます。」

私たちはこの言葉を聞いた時、どのように反応するでしょうか。それには二つの選択肢があります。

一つ目は、周囲の人々と同じように反応することです。

イザヤは国々について、このように語りました。

島々は見て恐れた。地の果ては震えながら近づいて来た。彼らは互いに助け合い、その兄弟に「強くあれ」と言う。

鋳物師は金細工人を力づけ、金槌で打つ者は、鉄床をたたく者に、はんだづけについて「それで良い」と言い、釘で打ちつけて動かないようにする。(5-7)

多くの人々は、神様の力に触れると恐れを抱くようになります。そこで彼らは互いに励まし合いながら、こう考えます。

「この神をコントロールすることはできない。だからこそ、私たちがコントロールできる神々を造りましょう。」

イザヤの時代には、彼らは金や木材を使って偶像を造りました。

現代においては、多くの人々がお金を自分の神としています。彼らはこう考えるのです。「もし多くのお金を手に入れることができれば、神様に頼らずに、自分自身に頼ることができる」と。

しかし、かつて神様が偶像の虚しさを明らかにされたように、神様はお金の虚しさも明らかにされます。

偶像が未来を預言できないのと同じように、私たちもお金によって将来の安全を保証することはできません。なぜなら、株式市場は時折暴落するからです。また、私たちの投資が思い通りにいかないこともあるでしょう。

たとえ一時的にお金をたくさん儲けることができたとしても、それはすぐに消えてしまうかもしれません。

だからこそ、神様はこれら偽物の神々について、こう言われます。

あなたがたは無に等しい。あなたがたのわざはむなしい。あなたがたを選んだことは忌まわしい。(24)

それでは、私たちの他の選択肢とは何でしょうか。それは、神様に信頼することです。そうすれば、神様はこう言われます。

恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。(10)

また、

あなたの神、主であるわたしが、あなたの右の手を堅く握り、「恐れるな。わたしがあなたを助ける」と言っているのだから。

恐れるな。虫けらのヤコブ、イスラエルの人々。わたしはあなたを助ける。。。

見よ。わたしはあなたを鋭い、新しいもろ刃の打穀機とする。あなたは、山々を踏みつけて粉々に砕く。丘をもみがらのようにする。あなたがそれをあおぐと、風が運び去り、暴風がそれをまき散らす。

あなたは主によって喜び、イスラエルの聖なる者によって誇る。(13ー16)

神様が約束されているのは、私たちを決して捨てないということです。むしろ、神様はこう言われます。

「荒野を水のある沢とし、砂漠の地を水の源とする。」(17-18)

さらに、神様は私たちの荒地にさまざまな木を植えてくださいます。(19)

つまり、神様は私たちの乾ききった人生を、美しく豊かなものにしてくださるのです。なぜでしょうか。

主の手がこのことをし、イスラエルの聖なる者がこれを創造したことを、彼らが見て知り、心に留めて、共に悟るためである。(20)

神様はすべてのことを治めておられます。だから、あなたの人生のコントロールを神様にお譲りしませんか。

人生のコントロールを強く握りしめればしめるほど、私たちの歩みは混乱します。でも、神様にそのコントロールを譲るなら、すべてはもっとスムーズに運び、神様の祝福を知ることができます。

誰があなたの人生を治めているでしょうか。