前回のように、この話を読んだとき、私はサウロがクリスチャンになった後、エルサレムのクリスチャンたちが彼にどう反応したかを想像しました。彼らはサウロに会ったとき、どう感じたでしょうか。
というのも、彼らが前回サウロを見たとき、彼はユダヤ人たちがステパノを殺すことに賛成し、自らも多くのクリスチャンを迫害していたのです。
サウロはエルサレムに戻ったとき、まずひそかにクリスチャンたちと話そうとしたのでしょうか。あるいは、神殿に行き、使徒たちに会って「こんにちは。私はクリスチャンになったよ」と言ったのでしょうか。
何年か前、私はアメリカの有名な牧師、ラウル・リースさんの証を聞きました。
クリスチャンになる前、彼は非常に暴力的な人でした。彼は奥さんをたびたび虐待し、ついに彼女は離婚を決意しました。その日、彼は普段より早く帰宅し、奥さんが荷物をまとめているのを見ました。
彼女はクリスチャンで、その時は教会にいましたが、帰宅後すぐに家を離れるつもりでした。
荷物を見たリースさんは、奥さんと子供たちを殺そうと考えました。そして、その後自ら命を絶とうとも思っていました。けれども、待っている間にテレビをつけると、ある牧師が神様の愛について語っていました。
その話を聞いた彼は、涙を流しながらイエス様を主として受け入れました。喜びに満たされ、すぐに家を出て、奥さんを探しに行きました。
しかし、彼は奥さんを見つけられなかったため、家へ戻りました。すると、奥さんが泣いている声が聞こえました。
(そのクリスチャンの番組を見る前、リースさんはいろいろな物や家具をあちこちに投げてしまっていました。)
ドアの鍵がかかっていたため、リースさんはノックしました。ドアチェーンをつけたまま、奥さんはドアを少し開けて「何が欲しいの」と尋ねました。
彼は答えました。「私はクリスチャンになったよ。」
彼女の反応は?
彼女はそのドアを勢いよく閉めました。
けれども、最終的に、彼女はリースさんを家へ入れることを許しました。1〜2年ほどかかりましたが、彼女はずっと彼を見ていて、次第にリースさんが本当に変わったことを信じるようになりました。
これは、サウロに対する使徒たちの反応と同じでした。サウロが「私はクリスチャンになったよ」と言ったとき、彼らは彼を信じようとしませんでした。むしろ、彼らはドアを勢いよく閉めたのです。
しかし、リースさんの奥さんがドアを開けたように、バルナバもそのドアを開きました。
もしかすると、それ以前にバルナバはダマスコでサウロに会っていたかもしれません。あるいは、バルナバにはダマスコに友人がいて、その友人がサウロの話を確認した可能性もあります。
そこで、バルナバはサウロを擁護し、使徒たちに「私はサウロの話を信じる。彼は本当に変わった」と言いました。
おそらく、使徒たちがサウロを本当に受け入れるには時間がかかったでしょう。けれども、彼らは彼を見続ける中で、神様がサウロの人生に働かれていることを理解し始めました。最終的に、彼らもサウロのことを信じるようになりました。
私の要点は何でしょうか。どんなに罪深い人でも、キリストに出会うと変わることができます。だからこそ、私たちは彼らに自分の変化を証明する機会を与えなければなりません。
あなたを傷つけた人がいるかもしれません。彼らはクリスチャンになり、「私は新しい人になった」と言うかもしれません。
それでも、あなたは相手を信じず、距離を取り続けるでしょう。その気持ちはよく理解できます。
けれども、バルナバのように私たちも彼らにチャンスを与えなくてはなりません。
最初から相手を完全に信じる必要はありません。自分の心を守りながら、時間をかけて彼らを見守ることが大切です。そして、神様が彼らの人生に働かれるのを見ながら、少しずつ心を開いていってください。
なぜなら、神様は恵みによって、あなたに何度もチャンスを与えてくださったからです。神様の子どもとして、私たちも周りの人々にそのチャンスを与えるべきなのです。