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使徒の働きのデボーション

何をためらっているの?

さあ、何をためらっているのですか。立ちなさい。その方の名を呼んでバプテスマを受け、自分の罪を洗い流しなさい。(使徒の働き22:16)

今まで気づいていませんでしたが、サウロはバプテスマを受けることをためらっていたようです。

なぜでしょうか。

もしかすると、過去のことを思い出し、罪悪感を抱いていたのかもしれません。

「神様は私のような者を愛することができるのだろうか?」と考えていたかもしれません。

「神様は御国のために私のような者を本当に用いることができるのだろうか?」と悩んでいたのかもしれません。

もしかすると、あなたもサウロのようにバプテスマを受けることをためらっているかもしれません。自分の罪や弱さ、また疑いを感じているのではないでしょうか。

もしかしたら「私はまだ聖書について十分に理解していない」と思っているかもしれません。

「クリスチャンとしてちゃんと歩めるだろうか?」と不安に感じているかもしれません。

しかし、ためらわないでください。バプテスマを受ける前に、完全な人など誰もいません。完全な信仰を持つ人もいません。神様とそのみ言葉を十分に理解している人もいません。

私はクリスチャンとして40年以上歩んできましたが、それでもなお、これらを達成したとは言えません。

神様が望まれるのは、あなたがご自身と共に歩み始めることです。そして、神様との旅は<ひとつの決断から始まります。 「イエス様、私はあなたを主、救い主として信じ、従いたいです。」

もし、あなたがこの言葉を心から言うことができるなら、アナニアの言葉はあなたにも適用されるのです。

さあ、何をためらっているのですか。立ちなさい。その方の名を呼んでバプテスマを受け、自分の罪を洗い流しなさい。(使徒の働き22:16)

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使徒の働きのデボーション

神の選びの器

聖書を読んだとき、「この言葉は私には当てはまらない」と思うのは、簡単なことかもしれません。

使徒の働き9:15を読むと、おそらく多くのクリスチャンは同じように考えるでしょう。神様はアナニアにこう語られました。

あの人(つまり、サウロ)は、わたしの名を異邦人、王たち、イスラエル人の子の前に運ぶ、わたしの選びの器です。

もちろん、神様はサウロについてその言葉を語られました。しかし、神様はあなたにも似たことを語られています。あなたも神様の選びの器であり、神様の御名を周囲の人々の前に運ぶように召されています。

けえども、それを本当に信じているでしょうか。

多くのクリスチャンは、それを信じていません。そのため、ミニストリー(特に福音を述べ伝えること)をプロに任せてしまいます。

さらに、自分が神様の選びの器だと信じていないため、聖書をあまり読まず、祈ることもしないでしょう。

しかし、神様はあなたにこう語られています。

「あなたは、わたしの名を周囲の人々の前に運ぶ、わたしの選びの器です。彼らにとって、あなたは天と地の交わる場所となりなさい。彼らがわたしに出会える場所となりなさい。」

もし神様があなたにそう語られていることを本当に信じたら、あなたの人生はどれほど変わるでしょうか。

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使徒の働き

神様の働きのために聖別される

私は、宣教師になることについて初めて考えたときのことをよく覚えています。

友達と話していると、なぜか宣教の働きについての話題になりました。そのとき、私はこう言いました。 「神様は私を宣教師として召されていないと思う。」

すると、友達は答えました。 「どうしてそんなに確信があるの?神様にもう尋ねたの?」

「えっと。。。」

その夜(もしかしたら翌晩)、祈っているときにこの会話を思い出しました。

だから、私は神様にこう言いました。

「トニーさんに、あなたに宣教師になるよう導かれているかどうか尋ねるべきだと言われました。」

それを口にした瞬間、ある考えが心に浮かびました。きっと私自身の考えではないでしょう。なぜなら、宣教師になる意図がまったくなかったからです。

すると、神様がこう言われました。 「そうです。私に尋ねなさい。」

私の反応は?

「私は尋ねたくない。あなたが『はい』と答えるなら、本当に困ります。」

そして、いろいろと言い訳をしましたが、神様は何も答えず、結局すべてが無駄だと気付きました。

だから、私は尋ねました。 「では、私に宣教師になってほしいのですか?」

その晩、神様は答えませんでした。それでも、その日がターニングポイントとなりました。心が少し柔らかくなったからです。

それから2~3年後、進路について祈りました。そして、友人たちはこう言いました。 「神様の導きを求めているなら、すべてを神様に捧げなくてはならない。」

帰る途中、神様は再び私の心に語りかけました。 「ブルース、あなたの心には『絶対に日本へ行かない』という思いがあるよ。」

その言葉を聞いて、神様の意味が分かりました。

前年、短い宣教旅行で日本に訪れていました。けれども、その後、こう思いました。 「やっぱり私は日本向きじゃないだろう。」

意識的に「日本には絶対戻らない」と口にしたわけではありませんが、心の中ではそう決めていました。

だから、その夜、もう一度心のすべてを神様に捧げました。

日本で宣教師になったのは、それから24年前のことです。

なぜ、私はこの話をしているのでしょうか。

それは、私の経験がサウロとバルナバの経験に似ているからです。

クリスチャンたちが神様の御心を求めていたとき、神様は彼らに言われました。 「行きなさい。私の目的のために、あなたたちを聖別しています。」

この箇所では、御霊の人格を見ることができます。なぜなら、御霊ご自身が彼らに語られたからです。

さあ、わたしのためにバルナバとサウロ聖別して、わたしが召した働きに就かせなさい。(使徒の働き13:2)

だから、クリスチャンたちがさらに祈り、断食した後、サウロとバルナバは御霊の導きに従いました。

今でも、神様がなぜ私を呼ばれたのかを考えています。多くの良いことをしてきたと思いますが、これからどのように導かれるのかは分かりません。だから、私の祈りはこうです。 「次の段階は何でしょうか。」

しかし、神様は宣教師や牧師だけを呼ばれるのではありません。あなたも呼ばれています。神様はご自身の目的のために、あなたを聖別されました。

あなたは、その目的をご存知ですか? 神様が望まれることをしていますか?

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使徒の働き

人々を信じる?

前回のように、この話を読んだとき、私はサウロがクリスチャンになった後、エルサレムのクリスチャンたちが彼にどう反応したかを想像しました。彼らはサウロに会ったとき、どう感じたでしょうか。

というのも、彼らが前回サウロを見たとき、彼はユダヤ人たちがステパノを殺すことに賛成し、自らも多くのクリスチャンを迫害していたのです。

サウロはエルサレムに戻ったとき、まずひそかにクリスチャンたちと話そうとしたのでしょうか。あるいは、神殿に行き、使徒たちに会って「こんにちは。私はクリスチャンになったよ」と言ったのでしょうか。

何年か前、私はアメリカの有名な牧師、ラウル・リースさんの証を聞きました。

クリスチャンになる前、彼は非常に暴力的な人でした。彼は奥さんをたびたび虐待し、ついに彼女は離婚を決意しました。その日、彼は普段より早く帰宅し、奥さんが荷物をまとめているのを見ました。

彼女はクリスチャンで、その時は教会にいましたが、帰宅後すぐに家を離れるつもりでした。

荷物を見たリースさんは、奥さんと子供たちを殺そうと考えました。そして、その後自ら命を絶とうとも思っていました。けれども、待っている間にテレビをつけると、ある牧師が神様の愛について語っていました。

その話を聞いた彼は、涙を流しながらイエス様を主として受け入れました。喜びに満たされ、すぐに家を出て、奥さんを探しに行きました。

しかし、彼は奥さんを見つけられなかったため、家へ戻りました。すると、奥さんが泣いている声が聞こえました。

(そのクリスチャンの番組を見る前、リースさんはいろいろな物や家具をあちこちに投げてしまっていました。)

ドアの鍵がかかっていたため、リースさんはノックしました。ドアチェーンをつけたまま、奥さんはドアを少し開けて「何が欲しいの」と尋ねました。

彼は答えました。「私はクリスチャンになったよ。」

彼女の反応は?

彼女はそのドアを勢いよく閉めました。

けれども、最終的に、彼女はリースさんを家へ入れることを許しました。1〜2年ほどかかりましたが、彼女はずっと彼を見ていて、次第にリースさんが本当に変わったことを信じるようになりました。

これは、サウロに対する使徒たちの反応と同じでした。サウロが「私はクリスチャンになったよ」と言ったとき、彼らは彼を信じようとしませんでした。むしろ、彼らはドアを勢いよく閉めたのです。

しかし、リースさんの奥さんがドアを開けたように、バルナバもそのドアを開きました。

もしかすると、それ以前にバルナバはダマスコでサウロに会っていたかもしれません。あるいは、バルナバにはダマスコに友人がいて、その友人がサウロの話を確認した可能性もあります。

そこで、バルナバはサウロを擁護し、使徒たちに「私はサウロの話を信じる。彼は本当に変わった」と言いました。

おそらく、使徒たちがサウロを本当に受け入れるには時間がかかったでしょう。けれども、彼らは彼を見続ける中で、神様がサウロの人生に働かれていることを理解し始めました。最終的に、彼らもサウロのことを信じるようになりました。

私の要点は何でしょうか。どんなに罪深い人でも、キリストに出会うと変わることができます。だからこそ、私たちは彼らに自分の変化を証明する機会を与えなければなりません。

あなたを傷つけた人がいるかもしれません。彼らはクリスチャンになり、「私は新しい人になった」と言うかもしれません。

それでも、あなたは相手を信じず、距離を取り続けるでしょう。その気持ちはよく理解できます。

けれども、バルナバのように私たちも彼らにチャンスを与えなくてはなりません。

最初から相手を完全に信じる必要はありません。自分の心を守りながら、時間をかけて彼らを見守ることが大切です。そして、神様が彼らの人生に働かれるのを見ながら、少しずつ心を開いていってください。

なぜなら、神様は恵みによって、あなたに何度もチャンスを与えてくださったからです。神様の子どもとして、私たちも周りの人々にそのチャンスを与えるべきなのです。

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使徒の働き

イエス様があなたの人生を変えてくださると

この箇所を読んだとき、私はダマスコの人々がサウロにどう反応したかを想像しました。

サウロがクリスチャンになった後、諸会堂に行き、説教するように頼まれました。

おそらく、諸会堂の指導者たちは、彼がクリスチャンを非難するメッセージを語ると思っていたでしょう。なぜなら、サウロがダマスコに来た目的はクリスチャンたちを捕らえることだったからです。

ところが、彼がイエス様は神の子であり、メシアであると教え始めたとき、諸会堂の指導者たちはどれほど驚いたことでしょう。

彼らは何を考えたでしょうか。最初は戸惑い、サウロがそんなことを教えるとは信じられなかったかもしれません。

もしかすると、「サウロはクリスチャンになったふりをして、彼らを欺こうとしているのではないか。本当に自分が言っていることを信じているのだろうか」と疑っていたかもしれません。

そこで、彼らはサウロと少し議論し始めました。もしかすると、彼らはサウロが弱い議論しかできないと思っていたかもしれません。

けれども、逆に、サウロは彼らを論破してしまいました。そして最終的に、彼らは「サウロは本当にイエス様のことを信じるようになった」と理解するようになりました。

彼らの反応はどうだったでしょうか。彼らはサウロを殺そうとしました。

私たちはこの話から何を学ぶことができるでしょうか。

私たちがイエス様に従い始めると、私たちの家族や親しい人の中には喜ばない人もいます。彼らは私たちの変化した人生を見ると、最初は驚き、何も言わないかもしれません。「ただ一時的なものだ」と言うかもしれません。

しかし、私たちがイエス様に従い続けると、彼らは私たちに反対し始めるかもしれません。

そんなことが必ず起こるとは言えませんが、その可能性はあります。それでも、家族や友人があなたの信仰に反対するなら、それは本当に苦しいことです。

だからこそ、イエス様は私たちに警告されました。

世があなたがたを憎むなら、あなたがたよりも先にわたしを憎んだことを知っておきなさい。

もしあなたがたがこの世のものであったら、世は自分のものを愛したでしょう。

しかし、あなたがたは世のものではありません。わたしが世からあなたがたを選び出したのです。そのため、世はあなたがたを憎むのです。

しもべは主人にまさるものではない、とわたしがあなたがたに言ったことばを覚えておきなさい。

人々がわたしを迫害したのであれば、あなたがたも迫害します。彼らがわたしのことばを守ったのであれば、あなたがたのことばも守ります。

しかし彼らは、これらのことをすべて、わたしの名のゆえにあなたがたに対してに対して行います。わたしを遣わされた方を知らないからです。(ヨハネ15:18-21)

イエス様は、私たちがイエス様に従ったとき、すべての人々が私たちを愛するとは決して約束されませんでした。イエス様が約束されたのは、いつも私たちを愛し、私たちと共におられることです。(ヨハネ14:21,23)

さらに、もし家族や友人が私たちを拒絶したとしても、イエス様は私たちがイエス様にある新しい兄弟姉妹を見つけることを約束されました。

だから、失望しないでください。むしろ、この言葉を心に留めてください。

信仰の創始者であり完成者であるイエスから、目を離さないでいなさい。

この方は、ご自分の前に置かれた喜びのために、辱めをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されたのです。

あなたがたは、罪人たちの、ご自分に対するこのような反抗を耐え忍ばれた方のことを考えなさい。あなたがたの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないようにするためです。(へブル人への手紙12:2-3)

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使徒の働き

福音を伝えるように選ばれました

昨日、私は「使徒の働き」の三つの話を通して、神様の選び、人間の選択、そして私たちが行って福音を伝える責任が、どのようにともに働くのかを説明しました。

この話は、その二つ目の例です。

あるパリサイ人、サウロは、キリストに対して頑なな心を持ち、キリスト教を根絶しようとしていました。

もし神様がサウロをそのまま放置されていたなら、彼は滅びに至っていたでしょう。しかし、神様はサウロの人生に介入されました。

なぜでしょうか?それは、神様がサウロを救うことを選ばれたからです。神様がアナニアに語られたとき、私たちは神様の選びをはっきりと見ることができます。

神様がアナニアに「サウロのもとへ行き、助けなさい」と命じられたとき、アナニアは驚いて答えました。

「え?本当に?あの男はクリスチャンたちを迫害しようとしているのに。」

神様の答えは?

行きなさい。あの人はわたしの名を、異邦人、王たち、イスラエルの子らの前に運ぶ、わたしの選びの器です。(使徒の働き9:15)

神様の答えは、すでに救いのために人々を選ばれているなら、私たちは福音を伝えなくてもよいという考えを否定するものです。(昨日の記事でも、同じ点に言及しました)。

アナニアがそのようなことを神様に言うところを、想像できますか。

「では、あなたがすでにサウロを選ばれたのなら、私は彼のもとへ行く必要はないでしょう?」

もしアナニアがそんな愚かなことを言っていたら、神様はどのように答えられたでしょうか。きっと、神様はアナニアに対して非常に厳しく怒られたでしょう。なぜでしょうか。神様はアナニアに「行きなさい」と命じられたからです。

同じように、神様は私たちに「行きなさい」と命じられます。

もちろん、神様は私たちの助けを必要とされません。それでも、多くの場合、神様は私たちを通して人々を救うことを選ばれます。

神様は私たちに御国の鍵を渡されました。もし私たちが行かず、福音を伝えないなら、天国の門は人々に対して閉ざされたままとなるでしょう。

この話ともう一つの話を読む際に、一つ注意してください。イエス様はサウロに直接語られ、天使は百人隊長コルネリウスに直接現れました。それでも、神様はご自身の民を遣わし、その二人に語らせました。

そのように、神様は私たちが行き、福音を伝えることを求めておられます。

ピリポは、神様によってエチオピア人のもとへ遣わされました。

アナニアは、神様によってサウロのもとへ遣わされました。

そしてサウロは、ユダヤ人や異邦人のもとへ行き、福音を伝えるように選ばれました。

あなたも、この世の民のもとへ行き、福音を伝えるように選ばれています。

ある人がかつてこう問いかけました。

「God」という言葉の最初の二文字は何でしょうか。「Go」。

「Satan」という名前の最初の三文字は何でしょうか。「Sat」。

私たちはただ座っているのではなく、この世の民のもとへ行き、福音を伝えましょう。